第33話 ノットイコール
「まあ」
通された小部屋で待っていたのは“氷のクレア”その人だった。
いいえ、その二つ名はゲーム内のもの、今、この世界ではきっと間違いだ。あいかわらず美しい顔には傷ひとつ見当たらず、疲れの色もなかった。
「ご足労いただき恐縮です、アリス様」
「いいえ、クレア様こそお仕事ご苦労さまです」
まったくの無傷、ということはあの『暗殺者』はクレアではない。
あの暗殺者なら、右目のあたりにブランの一撃をくらっていたから、まったく無傷というわけにはいかないはず――となると、クレアはゲームでたどる残酷な運命から外れたということかもしれない。
「どうぞクレアとお呼びください」
と言ってからクレアは微かに首を傾げる。
「このお願いをするのは二回目です」
「ええと……、努力いたしますわ」
曖昧に笑ってみせると、クレアは小さく頷いてから椅子を勧めてくれた。言われた通り腰掛けると、真っ正面から向き合う格好になる。
「ではアリス様、いくつか質問をさせていただいても?」
「はい、もちろんです」
「アリス様はシャンデリアが落ちたとき、どこにいましたか?」
「中庭側のバルコニーの近くですわ。ノエルと一緒でした」
まるで尋問みたいだな、と考えたらなんだか可笑しくなってきた。
「その後は?」
「バルコニーに出ました。煙を吸い込みたくなかったのと――、中庭で人の声が聞こえたので」
「声?」
「はい。こっちだ、とか、誰かが倒れている、とか。騎士の方々だったと思います」
「そうですか」
暗殺者についてはしらばっくれることにする。
だって、どう説明したら良いかわからない。暗殺者の襲撃を予測してその場所に待機していたなんて絶対信じてはもらえないだろうし。
「何か他に、気付いたことはありませんか?」
「特になにも……、あ」
そこで思いついた。
貴賓席のフードの人影。
騎士団や執務官たちはあれの正体を知っているのかどうか、クレアはどうなのか。反応を見ればわかるかもしれなくない?
「あの、ひとつだけ、不思議に思ったことがありました」
「不思議に?」
クレアの長いまつげが微かに震える。
「はい。シャンデリアが落ちる少し前なんですけど――、王妃さまと宰相閣下がいらした貴賓席に、フード姿の人がいたのです」
あの時はアルバート王子が一緒だったのだから、これを言わないほうが不自然だ。私は無邪気を装って、小首を傾げた。我ながらこの人畜無害ぶる演技、ちょっと上手くなってない?
「フードの人物、ですか?」
「はい。その時はアルバート王子と一緒でしたので、殿下もご覧になっていますわ」
カマをかけた効果はあった。表情には出ていないけれど、クレアはパチパチと続けて二度瞬きをした。普段はお人形のように顔の動きが少ないので、その反応はあきらかに異質だ。
「従者の方か、おつきの方かもしれませんけれど、少し場違いな格好だったので覚えていましたの。私が気付いたことはそのくらいですわ」
「――なるほど」
一瞬何か逡巡するように沈黙してから、クレアはわずかに顎を引いた。
「アルバート王子と一緒だったと仰っていましたね?」
「はい」
「殿下は何か言っておられましたか?」
「そういえばなんだか慌てた様子でしたわ。そのあとすぐ立ち去ってしまわれて」
それに、アルバート王子はフードの人物を知っている口ぶりだった。もしももう一度話をする機会があれば詳しく聞いてみたいけれど、王子様ともう一度サシで話せるなんて可能性は、残念ながら限りなく低い。
クレアさんは手元の書類に何か書き込むと、もういつもの無表情に戻って唇だけを動かす。
「なるほど、お話はよくわかりました。貴重な情報をありがとうございます」
「いえ……、あの、私のほうからひとつだけお訊きしてもいいですか?」
「はい、もちろんです。お答えできる限りのことはお答えします」
「クレアさんは今日、兄と一緒ではなかったのでしょうか?」
机の向こうのクレアが、わずかに目を瞠ってから口元を緩めた。
「いいえ、数度顔を合わせた程度です。私は今日、ずっとここに詰めていましたから。ニコラス様は基本王太子についています」
「そう、ですか……」
ということは、やっぱりクレアは暗殺者ではないし、宰相と一緒にいたフードの人物ではないということになる。フードの人物については、もしかしたら兄様が何か知っているかもしれない。
「そんなに心配しなくても大丈夫です」
「え?」
きいたことがないほど優しい声でクレアがそう言ったので、私は思わず固まってしまった。
「ニコラス様しかり、アーサー様しかり、我々の仕事はあくまで会場の警備です。シャンデリアが落ちたことに関しては、設備の維持管理方面が責任を取るでしょう」
「あ、ええと……」
「王太子は寛大なお方ですから、厳しい処罰はないと思います」
「はい、王太子の寛大なお心に関しては、先ほど、私も感じ入りました」
そうか、警備の責任者ってことは、今回の責任をとらされる可能性もあるってことか。正直そこまでは思い至っていなかったのでクレアがそこまで気を遣ってくれたことが驚きだ。
「兄思いの妹さんがいて、お二人は幸せですね」
ああ、どうしよう。
ゲームのクレアは、“氷のクレア”は絶対にこんな台詞を言わない。彼女は暗殺者ではなくなったし、王子たちは自分の意思を持って動いている。逆に宰相と王妃は私の記憶にはない方法で自分たちの願う未来を得ようとしているということだ。
つまり今私は、お兄様たちは、この国は、私の知っている物語の道筋を外れて未来へ進んでいるってことでしょう? それがわかっただけでもこの舞踏会には意味がありますわ!
「あの、クレアさん」
「何でしょう?」
「兄様は……兄はちゃんと働いていますか?」
「そうですね、すぐサボろうとするところは問題ですが、有能な方です」
えー、それって褒めてます?
返答に困っていると、クレアは淡々と言葉を続けた。
「それに、私にはあの方に恩があります」
「恩?」
「私のようなものを補佐官として傍におくような酔狂な方は、他にいません」
「それはクレアさんが優秀だからですわ。兄様は自分が楽をするためなら手段を選びませんから」
特に何も考えてはいない、これは本音だ。ニコラス兄様は自分が楽をするためなら手段を選ばないタイプだし。
だけどクレアさんは今度こそ美しい瞳を見開いて、それからクスっと、確かに笑った。
「……本当に面白い方ね、アリス様」
「え?」
「やっぱりニコラス様の妹君です」
ええ、いつかもそれを言われた気がしますわ。
全然褒められている気がしないので止めて欲しいと思います!
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