第30話 震えて爆ぜる


「アリス様!」


 ようやくアルバート王子に解放され幽霊の可能性に怯えているところへ、ノエルが仔犬のように近づいて来た。小走りとはいかないまでもかなりの早足だ。もしかしたら私の公開処刑をずっとハラハラしながら見守っていてくれていたとか?

 もちろん私もノエルの顔を見て心の底からほっとしましたわ。


「ノエル」

「あっ、俺、もう近づいても大丈夫ですか?」


 ノエルが慌てたようにキョロキョロとあたりを伺う。

 アルバート王子がまた近づいて来たら速攻で待避するつもりなのだろう。


「ええ、大丈夫。もう殿下とのお話は終わったし、戻ってこないと思う」

「本当ですか?」

「ホントホント。驚かせてしまってごめんなさいね」


 そう言って笑ってみせると、ノエルはようやく安心したらしく胸のあたりを抑えてはあ、と息をついた。


「びっ……くりしましたよ! アリス様、アルバート王子ともお知り合いだったんですか?」

「いえ、知り合いというか」


 と、そこまで話して周囲からチクチクと視線を感じる。

 そりゃあ王子と踊った挙げ句王太子のところへ連れていかれたのだもの、注目を浴びるのは仕方ないかぁ。また微妙な噂がたちそうな気がするけれど、王族の方と関わりがある、と周囲に認知されたことは私にとって悪いことばかりではない。

 それになにより、ユリウス王子とも面識ができたのは収穫だ。私の目的はあくまでお兄様たちが争う未来を変えること、権力者とお近づきになれば色々と動きやすくなる。

 それはそうとして今は注目を浴びたくないし、まんいち誰かに話しかけられてもうまく切り返す余裕がありません。ここはカーテンの影にでも隠れて視線の射線を切らなければ!


「ノエルは私を隠してね」

「え?」

「そこ、そこで止まって!」


 うん、いい遮蔽ですわ。

 緞帳なみのカーテンとノエルの影に身を隠し、私はようやく一息ついた。

 ドレスの裾がはみ出しているけれど、そのくらいはどうということもありません。


「どう? まだこっちを見ている人がいるかしら?」


 そう尋ねるとノエルは迷い無く振り返ってあたりを見回し、再び私に視線を戻した。うん、もうちょっとさりげなく見渡して欲しかったかなー、とは思うけど、ノエルに腹芸を求めるのがそもそも間違っているかもしれない。


「大丈夫です!」

「しっ、声が大きいわ」

「あ……、すみません。けど、ちょうど今新しい曲がはじまりましたから」


 確かに。

 テンポの速い、賑やかな曲だ。

 ダンスの腕前を披露するには絶好の曲なので、広場では色とりどりのドレスがくるりくるりと花のように咲いている。


「よかった……ええと、何の話だったかしら?」

「アルバート王子とお知り合いだったんですか、っていう話ですよ」

「ああ、それね」


 私はノエルに顔を寄せていっそう声を潜めた。


「城壁に行ったとき、飛び降りそうになっていた人がいたの、覚えてる?」

「え? はい、もちろんです」

「あれ、アルバート王子だったみたい」

「はあ?」

「こら、声が大きいわ。それに、キョロキョロするのもダメよ」


 ノエルはむぐ、と口を押さえてから、今度こそ目だけで周囲を見渡す。遠目にうかがっている人は何人かいるけれど、さすがに近づいてくる猛者はいないようだ。私はもう半歩だけ下がって、さらにカーテンの影に埋もれる。ノエルも私に倣って近づいたので、完全に内緒話中の距離だ。


「じゃあ、アルバート王子が、と、飛び降りを?」

「それは誤解だったみたいなの。今にも飛び降りそうだったから心配して止めたのだけど、殿下はあそこで景色を見るのがお好きらしいわ」

「あー、まあ、それはよかったですかね」

「よかった?」

「王子様って色々大変そうですから、気晴らしは必要ですよ」

「……そうねえ」


 第一王子と第二王子の確執が取り沙汰されることが多いけど、さっきの印象では王妃との関係に難ありな気がする。そう考えながら上を見上げると、貴賓席で宰相と並んで座っている王妃の姿があった。


 王妃と宰相――姪と叔父かあ。

 国王が病床にある今、あの二人が権力を持つのは仕方の無いことだ。だけど。


「思っていたほどではないのよね」

「え、何がですか?」

「ううん。こっちのこと」


 クラティア戦記では、あの二人にもっともっと権力があった。それこそ二人の権勢は藤原道長みたいに満月に近かった。ユリウス王子はいつも肩身が狭そうで弱々しく、アルバート王子は反抗する気力もなくただ荒れていて、二人の関係もギスギスしていた気がする。でも、今この世界では、二人の王子はもっと……、ちゃんと自分の意思を持って生きている気がするのだ。

 それはとても喜ばしいことなのに、なんだか妙な胸騒ぎがした。うまくいっているはずなのに、どこかで強烈な反動が来そうな予感――、いえ、ネガティブになるのはよくないな。


「――あ」


 そんなことを考えながら貴賓席の二人を伺っていると、再び後ろの帳から小柄な影が現れた。間違い無い、さっきのフードだ。アルバート王子に『お前には見えるのか?』って訊かれたということは、もしかして見えていない人もいるってことだよね? 

 ふと、主人公のノエルに見えるのか確認したくなる。


「ね、ノエル」

「はい、どうかしましたか?」

「いいえ……、ええ。あれは誰かしら。ノエルは知っている?」

「え、どれですか?」

「貴賓席よ。宰相の座っている椅子の後ろにいる……、小柄な人」

「いえ……よく見えませんが、あれ、女の子ですかね? ずいぶんと場違いな格好をしてますけど」


 ノエルがそう呟いたとき、まるでそれに応えるようなタイミングでフードの人影が右手を前に伸ばした。白い手のひらが妙にくっきりと見える。

 知らず、目を見開いて凝視した。


 まずい。

 まずい?

 でも、何が?


 自問した瞬間、バチンとどこかで空気が爆ぜた。続いてガチャンと大きな音が響いて、床が震えるほどの衝撃。


 直後、フロアのあちこちで悲鳴が上がった。






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