第31話 白なのに黒

 

 咄嗟には動けなかった。

 力が抜けて、床にへたりこみそうになるのをノエルの腕が支えてくれる。


「!」

「アリス様!」


 やっぱり落ちた。落ちてしまった。

 ノエルにしがみつくように広場の中央を見ると、シャンデリアが2基落下して、下のテーブルや花器が砕け散乱している。

 わかっていたのに、防げなかった。


「シャンデリアが……、嘘だろ、あの鎖が切れるか?」


 私を支えながら背後を確認したノエルが低い声で呟く。招待客は皆、壁際に寄るか這うように出入り口へと向かっていて、会場の警備にあたっている騎士たちがその混乱を鎮めようと誘導をはじめていた。


「それ……どういうこと?」

「え?」

「シャンデリアの鎖よ」

「ああ……あれ、普段より丈夫な新品に代えたばかりなんです。アーサー様の指示で、数人がかりで確認しましたから、間違いありません」

「そう」


 よかった、アーサー兄様は私の話を信じてくれていた。だけど、それでもシャンデリアは落ちてしまった。

 ほとんど本能に近い予感で、貴賓席を見上げる。王妃と宰相の姿は既に無かったけれど残されていたフードの人影が奥へと消える寸前、こちらを振り向いた。


 ほんの一瞬。

 目が合った、気がした。

 顔は見えないから、気がしただけかもしれない。


 あちこちでヒステリックな悲鳴があがり、すすり泣きが聞こえる。出入り口はひとつ、人が殺到したら危険きわまりない。私はようやくノエルから離れ、自立した。私がショックを受けている場合ではないのだ。ノエルにはやることがあるはず。


「私はここにいるわ。ノエルは、騎士団に戻って」

「いえ、俺は」

「仕事でしょう。まずは火を消して、怪我人を確認して、いたら助けてあげて?」


 言っている間にも薄黄色の煙がたちこめてくる。おそらくシャンデリアの蝋燭があちこちをいぶし、広がりつつあるのだろう。燃え広がったりしたら取り返しがつかない。


「――わかりました。アリス様、ここが危なくなったら上座の奥から階段へ抜けられます」

「知っているわ。ノエルこそ気をつけて」


 ノエルはまだ迷うそぶりをみせたけど、私が背中を押すと惨禍の中心へと駆け出した。

 ユリウス王子とエミリア王女のいた上座の舞台を確認すると、そこに二人の姿はない。騎士団の数人が逃げ遅れた貴族たちを貴賓席への階段へと誘導している。よかった、シャンデリアは落ちてしまったけれど、エミリア王女は既に避難した。


“バルコニーにエミリア王女を近づけない”


 兄様たちにそう頼んだのは私だ。

 深緑色の重い緞帳の影で、私はドレスの背中にあるリボンをほどいた。ほどけば、エミリア王女のドレスと同じリデル・ブルーの裏布が表に出て、ドレスの裾を覆う。このときのためだけに追加した、新しい装飾。外から見たらここにエミリア王女がいると見間違えてもおかしくはない。


 ――むしろ見間違えて欲しい!


 ついでに隠し持っていた短剣を握って、私は息を潜めた。

 上半身は緞帳に隠し、ドレスの裾だけが外から見える位置。

 大混乱の大広間で、こちらを見ている者はいない。

 タイミング的には今しかないはず。


「エミリア王女」


 不意に低い、くぐもった声が背後でその名を唱えた。

 ビンゴ、と振り返った瞬間、銀色の光が視界を斜めに過ぎってゆく。

 おあいにくさま、予想通りですわ!

 最初の一閃は短剣ではじき、ついでに一歩踏み込んで刃を下から上に返す。広間はともかくこのバルコニーの下、中庭は厳重に見張られているはずだ。なのに、妙に静かだった。この暗殺者に倒されてしまったのか、どこかから圧力があったのか――、眠らされているくらいなら良いけれど、と苦い気持ちになる。


 暗殺者はフードを被って、頭から足の先まで黒でコーディネイトしていた。貴賓席にいたあの人影と同じだ。まるで忍者みたい、なーんて考えて少し可笑しくなる。こんな時なのにまるで他人事だ。頭の芯が冷えている。ありがたい、こういう時のほうが、剣筋が見えるというものですわ。


「残念、人違いです」

「!」


 ゲームでは、エミリア王女の暗殺イベントは必ずバルコニーで起こる。

 確率的に、ここに王女らしき人影が立っていれば狙ってくるだろうと踏んでいた。

 暗殺者がクレアなのか、それともあの貴賓席の謎の人物の仲間なのか、それはわからない。

 ――だったら自分の目で確かめてみれば良い話なのだ。


 ドレスは動きにくいけれど、向こうは視界が狭いだろう。バルコニー自体も狭いので逃げ場は無い。初動を防いだ今、よほど技量の差がなければ私のほうが若干有利なはず。

 別に倒さなくてもいいのだ。人違いとわかって逃れていく犯人の身体のどこかに私の短剣が届けば、それが目印になる。


「待ちなさい!」


 その甘さと焦りが出たのかもしれない。たぶん、あと一歩の踏み込みが足りない、と気付いた時には短剣の刃が暗殺者のフードをかすめ、暗い色の髪がこぼれた。


 違う、クレアじゃない。


 ほっとしたような困ったようなごちゃごちゃした感情のまま短剣を握りなおしたけれど、遅かった。がら空きの左にステップした暗殺者が、後ろ足で踏み切るとこちらへまっすぐに突進してくる。


 避けきれない。

 ダメージを最小限にするべく、右へ寄るが壁だ。あとは短剣で受けるしかないと身構えたとき、突然黒い塊が上から落ちてきた。


「フギャーン!」

「え?」


 瞠目した。

 え、猫?

 黒猫だ。

 そう認識すると同時に、それは暗殺者に飛びかかるように、ほぼ顔に着地する。


「うあっ!!」


 着地ついでに思い切り爪をたてたらしく、暗殺者が右目を抑えてよろよろと後ろに下がった。なんという正確な目潰し!


「フウゥゥゥウ!!」


 私の前で背中の毛をたて、黒い猫が威嚇する。

 すると下の中庭から、誰かが駆けてくる足音と、「こっちだ」と呼びあう声が聞こえてきた。他の場所の警備を担当していた騎士たちが異変に気付いたのだろう。暗殺者は二歩、三歩下がると、手探りで低い柵を探し、それをひらりと飛び越えて逃げた。二階だから、ここから落ちて命を落とすことはないかな……たぶん。


 いえ、今は暗殺者の心配をしている時ではなくない!?


「あなた……、ブラン?」


 ようやく警戒を解いて尻尾を揺らす猫に、普通に話しかけてしまった。黒猫は長い尻尾で私のドレスの裾を叩くと、「ニャウ」と短く鳴く。

 間違いない、この子はブランだ!


「やっぱり。でもあなた、なんで、どうしてここに?」

「フニャーン」


 大きく口を開けて間の抜けた声で鳴くけれど、さすがに何を言っているかまではわからない。

 どうして、と再び問いかける前にノエルの切羽詰まった声が広間から私を呼んだ。


「アリス様!!」

「ノエル、ここよ」


 振り返り、彼を安心させるためにそう応えて視線を戻したときには、黒猫の姿は既になかった。


 ――もしかしたら化かされているのかしら?








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