第24話 最初の男


「城壁、ですか?」


 と、不思議そうな顔をしたノエルを連れて、私は再びくだんの城壁塔へとやってきた。いよいよ明日はエミリア王女のパレードだ。今日、そのときのイベントだからこそ、はっきりと覚えていた。



「おじいさん、こんにちは」

「おやお嬢さん、また来たのかね」

「実はこの前ね、上でイヤリングを落としてしまったみたいなの」


 番人のおじいさんに少しだけ困った顔をしてみせる。

 もちろん本当は落とし物なんかしていない。思っていたのとは違う成果もあったけど、それはそれとして、ニコラス兄様とここへ来ておいたのは今日この日に城壁に登るための布石でもあった。


「そりゃあ悪かったなあ。探しに行くかね?」

「いいの?」

「いいもなにもお嬢さんが登るくらい、なーんも困るようなことはねえよ」


 よし、予定通り。

 思っていたよりここの警備は緩いから大丈夫だと思っていたけれど、まずは許可をもらってほっとする。


「ありがとう! あ、ノエルはここで待っていて」

「え?」

「この前ね、ニコラス兄様と城壁に登ったの。そのとき大事なイヤリングを落としてしまって」

「じゃ、俺も一緒に探しますよ」

「小さいものだし、歩いたところを覚えているから平気よ。ノエルはここでおじいさんとお話でもしていて」

「けど」

「いいのいいの、ノエルにうっかり踏まれたら、イヤリングが壊れちゃうわ」


 ノエルが唇をとがらせて黙った。

 おじいさんが笑いながら彼の背中を叩く。


「なあに、そう心配せんでも危ないことなんぞなんもないさあ。せいぜい子供が忍び込んで遊んどるくらいで、危ないもんはなーんもおらん」

「は、はあ」

「一杯お茶をごちそうするから、お嬢さんの思うようにさしてやりなせえ」


 ナイス、おじいさん。

 この前来たときも暇で暇で仕方ないってこぼしていたから、話し相手を欲しがるだろうと思っていましたわ。


「おじいさんもこう言ってくれているし、すぐに戻って来るわ。ね、待っていて」

「アリス様、」

「なあに?」

「くれぐれもお気をつけて。アリス様になにかあったら俺がアーサー様とニコラス様に二度殺されます」

「大袈裟ねえ」


 だけどノエルの声は切実だった。


 大丈夫、別に危険があるわけではない。

 真っ昼間だし、外は晴天、もしもゲームの通りなら、城壁にいる人物は危険ではない、はず。いや、ある意味危険かな? ともあれ、すぐに殺されるとか襲われるとかそういう心配は無いはずだ。


「何かあったらすぐ戻るから安心して。おじいさん、少しの間ノエルをよろしくね」

「へえへえ、お嬢さん、お任せくだせえ」


 まだ納得してない顔のノエルにひらひらっと手を振って、私は円塔の階段へ向かう。


 ああ、この場面、確かに見た。

 上に出たら城壁を東へ、城門の突き当たりまで。なんだかドキドキしてきましたわ。この世界はゲームとは違う。だけどたぶん違わないところもある。

 あの人に会えるかどうか、可能性は半々だ。ノエルを置いてきたのが吉と出るか、凶と出るか――今から私が起こしたいと思っているのは、女主人公限定のイベントなのだ。




 城壁の端、ギリギリの場所にその背中を見つけた瞬間、私は思わず立ち止まって息を潜めた。


 いた。

 本当にいた。

 ならば、シナリオ通りにやる価値はある。


 ……けどちょっと、空回り気味な主人公を真似するのってハードルが高いんですけど!

 ええい、ままよ。

 私は城壁の端っこに立つ人影に向かって、猛然とダッシュした。


「お待ちください!!」

「うわあっ!?」


 後ろから腰のあたりに抱きついて、思い切り後ろへ引っ張る。

 不意を突かれた相手も、そして私も、勢い余って床にごろんと転がった。


「いっ、」


 うう、けっこういたーい。

 しかもけっこうもがくので、離さないようにするのがやっとだ。

 しかし負けてはいられない。逃れようとする相手に引っ張られて立ちあがり、さらにずるずると引きずられる。駄目ダメ、ここで逃がしたらフラグが立ちませんわ!!


「な、なんだお前は」

「はやまってはいけません!!」


 とにかく全力で、私はぎゅうっと両腕に力を込めた。顔とか見たら勇気がくじけそう。真っ白になって台詞が飛びそう。その前にとにかく、言うべきことは言わなくては。


「まだ若いのに、し、死のうなんて、絶対駄目です!」

「おい、いいから離せ!」

「離しません!! ここから飛び降りたら痛いですよ!!」

「だっ……誰が飛び降りるか!」


 よ、よおし!

 この台詞を言わせたらもうOKなはず。

 あとはきょとんとした顔、きょとんとした顔、あああもう、私って演技向きじゃないのかも。ぺたんと座り込んで腕の力を緩めると、振り返った青年も肩で息をしながら私を見下ろした。


「え、ええと、それじゃあ、自殺志願者……とか、では?」

「誰がだ。早とちりにもほどがある!」


 仁王立ちで逆光、顔ははっきりしない。

 だけどクセのあるハスキーボイスに確かに聞き覚えがあった。


「……お前、何者だ? どうしてこんなところにいる?」

「あなたこそ、どうしてこんな場所に? あんな端っこに立っていたら勘違いされても仕方ありませんわ!」


 きっと睨み付ける。

 アルバート王子は気の強い選択肢が好みだったはず。

 どうして私がそんなことを知っているのかといえば、彼こそが初回プレイでペアエンディングを迎えた相手だから――、今の私は主人公ではないけれど。


「質問に質問で返すな」

「だって、今にも飛び降りようとしていると思ったからっ」

「お前の早とちりだろう。ああクソ、擦りむいた」


 手の甲をぺろっと舐めて、それからまた私を睨む。

 いかにもやんちゃしてますという顔が――顔がめっちゃ好みだぁ……、とか言ってる場合ではない!


 私は慌てて立ち上がって、スカートについた汚れを払った。


「はあ、心配して損しましたわ」

「お前、俺を誰だと思っている」

「知りませんわ、そんなこと」

「聞いて驚け、俺は第二王子、アルバートだぞ!!」


 そう。

 アルバート王子なのだ。

 ゲームでは、最初に落とした男。

 何故かと言えば、顔が好みだから。

 しかしこの世界では本当にはじめましてである。

 当然私は王子の顔を知らないし、王子だって私のことなぞ知るよしもない。


「はい?」

「聞こえなかったのか? 俺はクラティア王国第二王子、アルバートだ」

「……へえ」


 知っていますとも。でも知らないふり、呆れたふりだ。

 頑張れ、ちょう頑張れ、私の演技力。


「へえとはなんだ、へえとは……、まさかお前、この俺を疑っているのか?」

「あなたねえ……、常識的に、こんな時にこんなところに殿下がいるわけないでしょ?」

「なに?」

「今は隣国の王女もいらしていて、王族の方々は忙しいはずです。城壁でぼーっと突っ立って飛び降りかと間違われる人が、我が国の王子のはずありません」


 できるだけそっけなく、バカにした感じで。

 案の定アルバート王子はむうっと唇をとがらせた。


「言ったな? お前、名前は?」

「え?」

「俺は名乗ったぞ。お前も名乗るのが筋だろう」

「まあ、失礼いたしました」


 私は皮肉を込めてアルバート王子に礼をとった。

 淑女らしく、優雅に、たおやかに。スカートをつまんで膝を折る。


「私はアリス。オーウェン伯爵家の末の娘、アリス・オーウェンですわ」

「オーウェン……、てことはまさか、ニコラスの妹か?」


 アルバート王子がそう呟いた瞬間、待っていたかのように背後からノエルの声が私を呼んだ。


「アリス様!」


 たぶん、さっきの騒ぎの声を聞きつけたのだろう。

 私はせいぜい印象に残るよう、にっこりと尊大に笑ってみせる。


「あら、行かなくちゃ。私の護衛騎士が呼んでいますわ……それではごきげんよう、王子様」


 アルバート王子が小さく舌打ちをした。

 だけど王子だって、ここで騎士に会うのは避けたいはずだ。お城を抜け出してフラフラしていることが王妃や宰相に知られれば、きっとお小言くらいでは済みませんものね。


 私はきびすを返して下に降りる階段へと走る。

 ほぼゲーム通りに行動したのが功を奏したのか、それともノエルの主人公パワーが効いたのか、とりあえずフラグは立った……、と思う。上手くやればアルバート王子も味方に引き込める可能性が生まれたということだ。


「アリス様、なにかありましたか!?」


大急ぎで階段を上ってきたのだろう、塔の出入り口から飛び出してきたノエルは肩で息をしていた。


「ええ、平気よ。ただ……、」

「ただ?」

「今にもここから飛び降りそうな人がいたの」

「飛び降り? 城壁から?」

「そう。必死で止めたら、向こうに逃げてしまったけれど」


 そう言って首を傾げてみせると、ノエルは私を上から下まで眺めてすいと目を細めた。


「……、アリス様って、けっこうトラブルを呼びますよね」

「ええ?」


  そんなこと、ノエルにだけは言われたくありませんわ!






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