第23話 魔女の系譜


「信じられないような話って、意外と身近にあるものだよ」


 ニコラス兄様はずっと遠くを眺めたまま明るい声でそう言うと、ゆっくり視線を動かして私を捉えた。


「アリスは母上の噂を聞いたことはない?」

「母上?」


 一瞬誰のことかわからず聞き返したけれど、すぐに気付く。


「あ、奥方様のことですね?」

「そう」

「アーサー様が物心つくまえに亡くなった、とだけ」

「そうか。やはり誰も口にしないか――、だからアーサーも知らないんだ」


 何の話をしているのだろう。

 兄様が何を言いたいのか全く読めない。ただ、なんだか無性に不安になる。


「――私たち兄弟の母上は、魔法使いだった」

「え?」


 だけど、兄様の言葉は想像の範疇を軽く超えていて、私は反応どころか瞬間理解もできなかった。

 まほう? ゆっくり反芻して、ようやく宮廷魔導士のことを思い出す。そうだ、この世界には“いる”のだ。出会ったことがないから、実感は沸かないけれど。


「古い血統でね。クラティア建国の伝承を、アリスは知っているだろう?」

「はい、この地を治めていた魔女を倒した勇者がクラティアを興したという、あのお話でしょう?」

「そう、母上はその"魔女"の末裔だったらしい――少なくとも本人はそう言っていた」

「まあ……ちょっと素敵ですね?」

「素敵かな、ご存じの通り、悪い魔女だよ?」

「でも、魔法って憧れます。それに、悪い魔女のお話は千年も前の話ですもの」

「そっか……、そうだね。小さいころはよく、母上が起こす“奇跡”を見せてもらった」

「奇跡……?」


 この世界では、魔法は古い時代の遺物で、使える人間はごくわずかだという。王家に仕えているという宮廷魔導士も、消して表には出てこない。理由はおそらく、危険だからだ。一般人に超能力者が混じっていたら警戒されたあげく良くて隔離、悪ければ排除されてしまう。

 私が自分の記憶を打ち明ける勇気がなかったのも似たような理由だから、理解はできた。


 ひとつ大きく息を吸って、吐く。

 それでようやくきちんと声が出せるような気がした。


「でも――どうして今、そんなお話を?」

「アリスは自分の秘密を打ち明けてくれただろう? だから私も話さなきゃなぁってさ、ずっと思っていたんだ」


 当たり前のことみたいに軽く、ニコラス兄様が笑う。

 私は、といえば混乱していた。だって、そんな話突飛すぎる。


「じゃ、じゃあもしかして、ニコラス兄様とアーサー兄様も魔法が使えるとか?」

「残念ながら、母上の家系は『魔女の家系』でね。魔法が使えるのはほとんどが女性ばかりさ」

「魔女の家系……」


 兄の言うとおり、”魔女”ときいてまず頭に浮かぶのは、クラティア建国の伝承だ。

 その昔、この地は悪しき魔女が治めていた。その魔女を倒して人々を救い王になったのが、王家の先祖で――ありがちではあるけれど、子供でも知っている伝説。

 自称とはいえ、そんな家系が残っていること自体、私は知らなかった。たぶん、ゲームにだって出ていないはず。


「色々と言われるからね。血統を守るため、外に出てくることの無い一族だよ。だけど母上は父上と恋に落ちて、駆け落ち同然に結婚をした。私が生まれ、アーサーが生まれ、それからすぐに……、妹が生まれた」


 まるで世間話みたいなトーンのまま。

 私はただ目を見開いてニコラス兄様を見上げた。


「いもうと?」

「そう。母上は妹を産んだ時に亡くなって、妹は母上の一族に連れて行かれた――、父上に聞いた話だが、最初からそういう“契約”だったらしい」


 待って。

 ちょっと待って、本当に頭がついていかない。


「私はそれが許せなくて、ずいぶんと父上を恨んだよ。なにも知らないアーサーにもイライラして仕方なかった。ま、八つ当たりだよね」

「だって、それじゃあ、もしかしたら」


 ニコラス兄様とアーサー様には、本物の妹がいるかもしれないってこと?

 もしかしたら今も『魔女』として生きているかもしれないってこと?


「だけど、君が来て全てが変わった」

「わた、し?」

「そう。バラバラだった我が家を、繋いでくれたのはアリスだ」

「――連れ去られてしまった、本当の妹の代わりに?」


 ああ、違う。

 そんなことを言いたいんじゃない。

 でも、なんだかひどく惨めな気持ちになって私は俯いた。


「違う違う、アリス。誰かの代わりなんていないし、人は人を救えない」


 だけどニコラス兄様の声は楽しげだ。


「君が僕の手をとって、もう一方の手でアーサーを繋いでくれた」

「……」

「3人でなきゃいやだって駄々をこねて、一緒ならとびきりの笑顔で――だから私たちは、ちゃんときょうだいになれたんだ」

「そんな、こと」

「私は、私たちは君のおかげで変わりたいと願い、ここに辿り着いた――だからさ、」


 ようやく顔を上げると、ニコラス兄様の笑顔が滲んで見えた。


「そろそろ話してくれないかな、アリス」

「え?」

「君はまだ、私に――私たちに隠していることがあるだろう?」

「!」


 きっと今私は『図星を指された!』という顔をしているだろう。どうしてニコラス兄様はこういう時だけ鋭いの……って、本来は腹黒切れ者、どちらかといえば悪役ポジションだもの当たり前か。


「別に、隠しごとなんてありません」


 誤魔化せるとは思っていない。時間を稼いでいるだけだ。

 何か何か、もっともらしい秘密を探してニコラス兄様に納得してもらわなきゃ。


「嘘は良くないな」

「嘘じゃありませんから!」

「……」

「……」


 真っ黒な瞳が私を映している。


「……とても、くだらないことですわ」

「良いから言ってごらん?」


 こういう時ばっかり無駄に声が良い。ぐっと顔を寄せられて急に息苦しくなった気がした。大好きなお兄様。私はこの人を守りたい。絶対に傷つけたくない。

 そのためならばどんなことでも、どんな嘘でも、貫いてみせますとも。


「あの、クレアさんの、ことです」

「クレア? 彼女がどうかした?」


 クレアが暗殺者かもしれない……なんて、今のお兄様にはやっぱり言えないけれど。


「……あの方が、ニコラス兄様の恋人だというのは本当でしょうか?」

「は?」


 苦し紛れに絞り出した言葉に、空気が一瞬で緩むのを感じた。ニコラス兄様は目を見開いてふた呼吸ほど沈黙し、すぐに唇を斜めにしてくつっと笑う。


「クレアが、私の?」

「そうです。お兄様こそ隠さないでください。私、ちゃんと聞いたんですから!」


 半分くらいは演技、でも残りの半分は本気だ。もしかしたら3対7くらいかもしれない。私が詰め寄ると、ニコラス兄様は両手をあげて首を振る。


「一体誰がそんな……いや、まあ想像はつくか」


 ニコラス兄様がひょいと手を伸ばして、指先で私の頬を撫でた。

 なんだか――、なんだかヘンな感じだ。答えて欲しいような、聞くのが怖いような。もしも、もしも本当にクレアがニコラス兄様の恋人だったらどうしよう。彼女が敵かもしれないからとか、そういうことではなく、やっぱり聞きたくない。


「えっと、やっぱり良いです。言いたくなければ言わずにおいてください」

「どうして?」


 どうしてって、だって。

 もしも本当に二人が恋人だったりしたら私――、


「はは、もしかしてやきもちかな」

「ちがいます!」


 いえいえそういう話じゃなかったはず。


「そ、そんなんじゃありません!」

「はは、アリスは可愛いなあ」

「もう、お兄様! 私は本当に心配してっ」


 ぶふっ。

 最後まで言う前に、ぎゅっと抱きしめられました。

 普段通り、いつも通りの展開なのに、なんだか抵抗する気が起きない。うまくはぐらかしたのは良いけれど、本当にこれで良かったのかどうか。


 わからない。

 この世界はあのゲームと同じではない。

 だって魔女の話も、奥方様の話も、兄様たちの本当の妹も、私は知らなかった。


 でも、だからこそ、私はこの城壁に来た。

 あとひとつだけ、もしかしたらここで重要な――そして個人的に思い入れのあるイベントを起こせるかもしれないと思い立ったからだ。



 


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