第22話 ニコラスの休日
「おはよう、アリス!!」
んん、ニコラス兄様?
おはようって今何時くらいでしょう。まだ眠いのだけど……
「ん、もう少し……」
「はは、アリスはお寝坊さんだなあ」
お兄様のテンションが高すぎなのだと思います……
「せっかくの休みを取ったんだ、一緒に出かけよう。何でも好きなものを買ってあげるぞう」
「……おやすみ?」
そこでようやくはっと目が覚めた。
ほぼ脊髄反射で跳ね起きる。
「ニコラス兄様!」
あろうことかベッドの脇の椅子に腰掛けたニコラス兄様が、にこにこしながら私を眺めていた。いくら妹とはいえ、妙齢の子女の寝室に勝手に入るなんてっ……、まあ、ニコラス兄様には稀によくあることなのですけどね!
私は抗議の意味を込めて笑顔の長兄を睨み付けた。
「ここで何をなさっていますの? あの、お仕事は?」
「言っただろ。今日は休みだって。ささ、はやく準備して、出かけよう」
休みって、この忙しい時に?
「ええと……、アーサー様は?」
「もちろんアーサーは仕事だよ。日頃の行いの差かな」
それなら逆ではないかしら、と思ったけれど口には出さないでおく。
なんやかんや言ってニコラス兄様もこのところ休みなしで働いていたから。一日くらいは息抜きしてもバチはあたらないと認めますわ……ってそれはそうとして!
「あの、私、身支度をしますので」
「どうぞどうぞ」
「お兄様は出て行ってください!!」
「はは、アリスは照れ屋さんだなあ」
そういう問題ではないと思います!
「うーんそうだなあ、こっちの薔薇も良いけれど、あっちのカトレアも似合いそうだ」
「お兄様」
「ドレスの色はペパーミントグリーンだよね。でははやり清楚に白かな」
「お兄様」
「あっ、こっちのティアラもいいなぁ……いや、冠はまずいか。一応エミリア王女が主役だし」
「お兄様!」
「ん、何だい?」
「舞踏会につけていく装飾品は、一応もう決めてありますので、わざわざ新調しなくても」
あれやこれや商品を手に取ってははしゃぐお兄様に、店の人たちが若干引いている。もちろん私もドン引きですわ。
しかし当の本人は微塵も気にしていない。
「舞踏会なんて滅多にない機会だし、新調したほうがいい。心配しなくても可愛い妹に髪飾りを買うくらいは稼いでいるからね」
「ですが私、ドレスにも手直しをお願いしましたわ。出費が嵩んでしまいます」
「だから、そういうの心配しなくて良いんだ。最高に愛らしいアリスを見るのが私の楽しみであり、癒やしだからね」
あっ、これ何を言ってものれんに腕押しですね? まったく話が通じる気がしない。
「おっ、これはどうだい? なかなか凝った作りだ」
お兄様はまた視線を移して、棚に飾られた髪飾りを指さした。蝶々と花をモチーフした銀細工で、蝶々の模様に色とりどりの石が散らしてある。小さな葉を模したは緑の石、花はピンク色の石。
「可愛い……」
「うんうん、そうだろう? ちょっとつけてみようか?」
「えっ!」
そんな、値段も確認せず?
「あの、でも」
ていうかこれはもしかしてとってもお高いのではないでしょうか。
まごまごしているうちにお兄様は店主を呼んで、くだんの髪飾りは私の髪に収まった。
「よくお似合いです、お嬢様」
「ああ、本当にいいね。新調したドレスにもぴったりだ」
口々に褒められて私は慎重に首を振った。万が一髪飾りを落として壊してしまうことが恐ろしい。
「わ、私には贅沢すぎます、お兄様」
「はは、遠慮は無用だよ。気に入ったのなら、これをもらおう。店主、悪いが邸に届けてもらえるかな」
「はいはい、もちろんです。きちんとお包みして明日にはお届けいたします」
あわわ、店主の揉み手具合でお値段が読めますわ。
だけどニコラス兄様はまったく気にした様子もなく、満面の笑顔だ。
「頼んだよ――さてアリス、次はどこへ行こうか?」
軽い気持ちで買い物に行きたいなんて言ったのがよくありませんでした!
せっかくニコラス兄様と一緒なのだから、こういう時でないと行けないところへ連れて行ってもらおう。本当はもう少し後、一人で行ってみるつもりの場所だけれど、そのときのために下見をしておくのも悪くはない。
「城壁?」
「はい。あの上を一度歩いてみたいと思っていたのです」
首都をぐるりととりまく外側の壁と、お城を囲む内側の壁。
壁とは言ってもかなりの幅があり、どちらも上は通路となっている。私が登りたいと思っていたのはもちろん外側、邸からは少し距離がある。
「アリスは物好きだなあ」
「だって、城壁に上れば王都が一望できるでしょう?」
城壁塔へ登る入り口には、白い髭のおじいさんがひとり見張り番をしていた。今のところクラティアは平和なので、警戒はまったく厳しくない。
「やあ、何か変わったことはないかな?」
「ご覧の通り平和ですよ、旦那」
たぶん暇を持て余していたのだろう、おじいさんは愛想良く答えてくれた。
一応簡素な皮の鎧を身につけている。
「それは何より。ちょっと城壁塔を上ってもいいかな。田舎から出てきた妹が、どうしても王都の景色を眺めたいと言っていてね」
「どうぞどうぞ……ですが階段が急ですんで、お嬢様は無理なさらんよう」
「ありがとう、私は大丈夫です」
ちょっとスカートが邪魔かもしれないけど、なんならたくし上げても良いし。
「そりゃあすごい……ああ、時々近くの子供が忍び込んで遊んでいますが、許してやってくだせえよ」
「はは、了解だ」
城壁塔の中に入ると、すぐにらせん階段を登っていく。明かり取りの窓から差し込む光で、思っていたほど暗くはなかった。
「大丈夫ですか、お兄様」
「はは、アリスは少し私を見くびり過ぎだよ」
なんて言いながらもわずかに息が上がっている。
「ほら、もう少しですわ」
四角い出口が見えたので、私は半ば駆け足で外へと飛び出した。
「わあ、たかーい!」
丸い塔のてっぺんは、意外と広かった。天気が良いので、でこぼこになった壁の低い部分から王都の外も中も、もっと遠くまで見渡すことができる。塔から今度は数段階段を降りると、城壁の上の通路に出る。
「ほら、お兄様。うちの屋根も見えています」
「ええ? よくわかるなあ」
「ほら、あの赤と緑の屋根が並んでいる奥です」
「本当だ」
思わず顔を見合わせて笑う。
「すごい、本当にゲームの通り!」
「へえ、こんな高いところからの挿絵もあったのかい?」
「はい、オープニングとエンディングでは青い鳥の視点でしたから」
「始まりと終わり? 鳥の視点?」
おっと、また説明が難しい。
「物語が良い終わりを迎えると、鳥が王都の空を飛んで、物語に関わった人々を訪れるんです。絵ではなくて動画……動く絵で」
「ふうん。アリスのいた世界では魔術が発展していたのかな?」
「魔術ではなくて、どちらかといえば錬金術に近いというか」
どう言い表せばいいのかわからなくて首を傾げると、ニコラス兄様はわずかに目を細めた。
「錬金術とは、また古めかしい」
ファンタジーなこの世界でも、魔術を使える人間はごくわずかだという。錬金術に至っては、伝説の領域なのである。どちらもこの目で見たことはないけれど、宮廷にはお抱えの魔術師がいるという噂は聞いたことがあった。
当然私には魔術の才能は無いので、非現実的なモノに頼るわけにはいかない。
「錬金術よりは発展していて……いろんなことができたのです、あの世界では」
「へえ、すごいね」
その声にわずかの疑いもなかった。
なのにどんどん不安になる。私が私の普通を話せば話すほど、この世界では信じがたいことなのだ。正直、兄二人があっさり信用してくれたのは意外、――というか、私を思いやって信じているフリをしてくれているのではないかと疑ってさえいる。
「お兄様は、私のこと、おかしいとは思っていませんの?」
「アリスが? どうして?」
「だって、自分でもおかしなことを言っていると思いますもの。普通の人は信じないと思います」
「そうだねえ」
くつっと笑って、ニコラス兄様はお城の方を眺めた。
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