第20話 タイミング


「では、ドレスの共布とこちらの布を裏表にして、飾りリボンを追加ですね?」


 追加注文に気をよくしでいるのか、出入りの仕立屋はにこにこしている。


「ええそう。幅と長さは指定通りでお願い……少し大きすぎるかしら」

「いえ、ドレス自体がシンプルですので、このくらいがちょうど良いかと」


 そのシンプルなドレスは既に縫い上がってきていて、今現在試着して鏡の前だ。うん、なかなかよく似合っているのではないだろか、と満足してにっこりしたとき、ノックの音がした。


「お嬢様、よろしいですか?」

「ええ、大丈夫よ」


 アンナの声にそう応えると、がちゃっとドアが開く音。


「ああ、アリス!」

「ひっ、ニコラス兄様」


 現れたのはニコラス兄様だった。

 どうしてこの人、仕立屋が来ている時にタイミングよく帰ってくるのかしら。ちょっと怖い。


「うんうん、さすが我が妹だ。どんなドレスも似合うが、今回の仕立ては格別だね。いやいやもちろんアリスならばどんな質素なドレスでも光り輝いて見えるよ」

「お兄様……」


 唐突に現れて褒め殺しの刑。

 家人も仕立屋も慣れてきていて生ぬるーい笑いを浮かべている。


「お兄様、おかえりなさいませ」

「ああ、ただいまアリス。抱きしめても良いかい?」

「ドレスが皺になりますから止めてください」

「ではキスをしてもいいかな?」

「ダメです」

「照れなくてもいいのだよ。ああ、アリスは私の天使だ!」


 はい、突進してきましたー。

 もう、お兄様ったら動きが直線的過ぎます。ひらりと避けると不肖の兄はあやうく姿見にぶつかりそうになってギリギリ止まる。


「お兄様」

「なんだい?」


 くるりと振り向いたニコラス兄様がちっともへこたれない笑顔を保ったままだったので、私は仕方なく近づいて頬にキスをした。


「どうぞ自重なさってください」

「はは、これでもだいぶ抑えているんだけどね」

「それから、ドレスに飾りを追加させていただきました。追加料金がかかりますわ、申し訳ありません」

「いやいやむしろリボンでも宝石でも何でも追加しなさい! ますますアリスが可愛くなるなら支払いくらいなんでもないよ」

「お兄様……、ありがとうございます」


 げんなりして頷いたとき、部屋の入り口から聞き慣れない声が兄を呼んだ。


「――ニコラス様」


 反射的に振り向いて、そのまま固まる。


「時間がありません。そもそも着替えを取りに戻られたのでは?」

「その通り。しかしついでに妹の顔を見るくらい時間はあるだろう」

「既に予定の倍は時間を費やしています」


 ほとんど無表情だけど、その声にわずかに呆れた色が混じっている。

 クレアだ。氷のクレア。ゲームでは冷酷な凄腕の暗殺者。


 だけど――、だけど。


「そうだ、アリスに紹介してなかったね。彼女はクレア。私の部下で、小うるさいお目付役だ」

「アリス様、昨日はご挨拶もできず失礼いたしました。クレアと申します」


 礼をとると、つややかな銀髪がさらりと揺れる。男性と同じ執務服に身を包んでなお、彼女は美しかった。


「アリス?」


 知らず息をのんだ私を、ニコラス兄様がのぞき込んでくる。


「ご――、ごめんなさい。あまり綺麗な方で見惚れてしまいました」

「そうだねえ、クレアは、見た目だけは良いから」

「みてくれなど役にはたちません。ですが、お褒めに預かりありがとうございます、アリス様」


 その口元が微かに緩む。笑ったといっても過言では無い。

 私の知るゲームの『氷のクレア』は絶対に笑ったりしなかった。

主の命を受ければどんな仕事もこなす汚れ役。宰相の愛人というよりは玩具、ニコラスにとっては手駒のひとつ、彼女は感情の無い暗殺者で、ことを成したあとはあっさり切り捨てられて退場する。


 だけど目の前に立っているクレアは、そうじゃない。

 生きて笑う、生身の人間だ。


「あの、クレア様」

「クレアで結構です、アリス様。私はニコラス様の部下に過ぎません」

「あ――、兄がお手を煩わせているようで申し訳ございません。もう用事は済みましたから、どうぞお仕事にお戻りください」

「用事は済んでない! 済んでないぞアリス!」

「お兄様、部下の女性に迷惑をかけるものではありませんわ」


 とんちきな兄妹のやりとりが可笑しかったのか、クレアは今度こそにっこりと微笑んだ。


「では、お言葉に甘えて」


 そう言うなりニコラス兄上の首根っこを掴んでぐいと引っ張る。


「うわクレア、止めないか! 上着が破れる」

「そんな安物をお召しではないでしょう。城に戻りますよ」

「引っ張るな! ああアリス、明後日の夜には一度アーサーも私も戻る。話はそのときにまた」

「はいお兄様。どうぞお仕事、頑張ってくださいね」


 ずるずると引っ張られていくお兄様を、私はひらひらと手を振って見送った。

 




「……思っていたのと違う」

「え?」


 うっかり呟くと、向かいの席で手習いをしていたノエルが顔をあげた。


「どこか綴りが違いますか、これ」

「ごめん、違う違う、ノエルのことじゃないの」


 剣術の稽古はアーサー様に禁じられてしまったので、今はノエルに文字をさらってもらっている。そもそもこの世界では識字率は高くない。騎士になろうというノエルでさえ簡単な単語や文章は読めるけど、書く方はわりとおぼつかないのだ。


「あ、もしかして仕立屋ですか? ドレスがイメージと違ったとか」

「それもハズレ。ドレスはとーーっても気に入っているわ」

「じゃあ何のことです?」

「まあ、そんなふうにあけすけに訊くものじゃなくてよ。女性には色々と秘密があるの」

「へーえ」


 ノエルは吹き出すのを堪えているみたいな顔をしてから、俯いて文字の練習に戻った。


 どうしようかな。ノエルだって午前中は騎士団のお仕事をしているのだから、クレアに接する機会はあるかもしれない。アーサー様はクレアの手腕を買っているご様子だし、先ほどのやりとりからしてニコラス兄様もクレアには心を許している……気がする。そもそもアーサー様の情報によれば、クレアはニコラス兄様の恋人かもしれないのだ。


 私の知っているゲームの世界では、クレアは暗殺者だった。

 だけどこの世界では?


 冷酷非道だったニコラス兄様が残念なシスコン伯爵なのだから、クレアだって引っ張られて変化しているかもしれない。


「ねえノエル、質問をしてもいいかしら」

「え? はい、俺に答えられることなら頑張ります」

「……クレア様って、どういう方?」

「は?」

「あたなも知っているでしょ? ニコラス兄様の部下の女の人」

「ああ、そういえばさっきニコラス様と一緒に来ていましたね」

「そうそう、あのクレア様よ。ずいぶんとお兄様が助けられているようだけど」

「俺もよくは知らないですけど、仕事が出来ておっかないって評判です」

「おっかない……?」


 やっぱり怖いの?

 そう思いながら目顔で問うと、ノエルは少し慌てたようにふるふると首を振る。


「いや、俺たちに直接怒ったりはしません。でも、ニコラス様には結構……かなり辛辣なんですよ、あの人は」

「もしかして、お兄様がサボるからかしら」

「えーっと、それは俺からはなんとも」

「なんだか仲がよさそうだったものね」


 はあ、と無意識にため息をつくと、向かいのノエルがわずかに目を見開いてからニヤニヤしはじめる。


「なあに、その顔」

「いえいえ、何も」

「言いたいことがあるならはっきり言って欲しいわ」

「ハハ、なんだかかんだ言ってアリス様、ニコラス様がお好きなんだなって」


 む。

 はっきり言って欲しいと言ったのはこちらだけど、口に出されると何か負けたような気がする。もちろん兄様のことは大好きだけど、私が今心配しているのはクレアの正体が暗殺者かもしれないからです。


「でも、タイミング良いですよね」


 何か言い返そうと考えている最中に、ノエルが首を傾げてそう言った。


「タイミング? 何のこと?」

「いや、ニコラス様ですよ。アリス様が仕立屋を呼ぶたびに邸に戻って来る気がして」

「そうそう、それはそうなのよねえ」


 そのたびに部屋に入ってきて、限界化していますものね。


「もしかしたらアリス様のことをこっそり見張ってるのかも」

「なにそれ、怖いわ」

「いやー、あの調子ならやりかねませんよ」


 そう言ってノエルはいたずらっぽく笑ったけど――ちっとも笑えない。


 ともあれ飾りリボンに突っ込みを入れられなくて助かった。舞踏会に向けて私ができる準備といったらこのリボンと……不確実ではあるけれど、もうひとつ。


「あーあ、ノエルが女の人だったらなあ……」

「は? なんですか、いきなり」

「いえ、こっちのこと」


 女主人公でない以上、私がダメ元で試してみよう。

 そういうイベントが、あのゲームにはあったのだ。




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