第18話 リデル・ブルー
帰りの馬車には先客がいた。
なんとびっくり、アーサー様ですわよ!
どうやら働きづめのアーサー様に、騎士団の方々が気を回してくれたらしい。今ごろ交代で警備に入ったノエルがこき使われているだろう。ごめん、ノエル。でもやっぱアーサー様と一緒なのは嬉しい。ちょっぴりヘコんでいたのに一気にテンションが上がるんだから、我ながら単純です。
あー、久々にアーサー兄様と距離が近い! もちろん隣に座ってぴったりくっついていますとも。
「大変な一日だったらしいな」
アーサー様の低音ヴォイスが耳に心地よくて眠くなるぅ――、じゃなくて、そうそう、今日は話したいことがたくさんあるのだ。アーサー様も、ノエルからだいたいの事情は聞いてきたのだろう。
「はい、色々なことがありましたわ」
「ノエルから一通り聞いているが」
「重複してしまいますけど、私からもお話しましょうか?」
「そうだな。視点が多いほど情報の精度が高まる」
さすがアーサー様。
大好きな兄に請われて、私は今日起こった事件を話し始めた。屋敷の前でエミリア王女の馬が暴れてノエルがそれを止めたこと、エミリア王女とバルディさんを部屋に招いたこと、エミリア王女の部屋で伺ったカルディア王国の内情、それから。
「それから、エミリア王女からお礼をしたいと仰っていただいて」
「あの方の性格なら当然だろな」
その言い方からして、やっぱりエミリア王女は結構気が強いんだろなあ。一方的に借りを作るの、嫌いそうだものね。だからこそ私は王女様の申し出をありがたく受けた。
「それで、アリスは何を願った?」
「王女様のクローゼットを拝見させてくださいって」
「クローゼット? ……それが褒美になるのか?」
「なるに決まっていますわ!」
だって一国の王女のクローゼットですよ!?
もちろん出先だからそれほど数が多いわけではないけれど、とても私には手の届かない宝石や、アンティークの首飾りは想像以上に素敵だった。
「しかし、見るだけだろう」
「アーサー様だって名工の打った剣をご覧になるのは楽しいでしょう?」
「む……、なるほど、そうだな」
口をへの字にしつつ、アーサー様はようやく納得したように頷く。我ながら良いたとえだったのじゃないかしら、これ。
「それに、舞踏会にお召しになるドレスも見せていただきました」
「舞踏会の? もう決めているのか」
「当たり前です」
うすうす気づいてはいたけれど、アーサー兄様は女心の機微というものに鈍いと思います。ニコラス兄様とはまた違う方向で恋愛とか結婚とかできるのか、妹としては少し心配になりますわ。
「そうか。感想は?」
「とてもきれいな水色でした。あれがリデル・ブルーなのですね」
リデル・ブルーと呼ばれる軽やかな水色のドレスは、さぞエミリア王女に似合うだろう。と、そこまで考えた時に頭の中でチカリと何かがひらめいた。
そっか、これ、もしかしたら本当に”使える”情報なんじゃない?
舞踏会の夜、エミリア王女を襲う暗殺者のやり口を、私は知っている。
知っているのだから、私なりに対策をたてておけば王女の危険はぐっと下がるのではないだろうか。
「アリス」
「……」
「アリス!」
「えっ、あ、はい。何でしょう、アーサー様?」
見上げると、アーサー様はすいと目を細めた。う、何か探られているこの感じ。こういうとき、兄二人は妙にカンが良いから困る。
「何を考えているか知らないが、危険なまねはしないように」
「はい、もちろんです」
「お前が素直な時が一番怖い」
あら、バレてますわ。
だけどアーサー兄様に話したら絶対猛反対される思いつきなので、私はにっこり笑ってみせる。
「もう、心外です。私、ドレスのことを考えていましたの」
「ドレス?」
「舞踏会のドレスです。エミリア王女のドレスがとても素敵だったから、私ももう一工夫しようかなって」
渾身の人畜無害無邪気スマイルを繰り出すと、アーサー様はようやく口元を緩めた。
「そうか。ドレスならばアリスの好きなように選べば良い」
「いえ、もう仮縫いは終わっていますから……今からではせいぜい装飾を付け足すくらいしかできませんけど」
「せっかくだからな。俺としても、妹が喜々として武器や防具を選んでいるよりは安心できる」
む。
どんな剣でも軽々振り回せるアーサー様とは違って、私は非力ですもの。武器選びに真剣になるのは仕方の無いことだと思います。
「武器屋で喜んだことなんてありません」
「投げやすいナイフを選んでいる時のアリスは生き生きとしていたぞ」
「あら、投げナイフは命中率にも関わりますもの、当然です」
大真面目でそう言うと、アーサー様は複雑な表情で首を傾げた。
「我々が協力しているのだ、本当はお前に武器など持って欲しくはないのだが……聞かないだろうな」
「もちろん、私も使う機会がないことを祈っていますわ」
武器なんて使わないほうが良いに決まってる。全てが杞憂になればそれはそれでいい。だけど私はお兄様たちを守るため、万全の準備を整えておきたい――、なんて、これを言ったらまた突っ込まれるから絶対言わないけど、ね。
「そうか」
小さく頷いて、アーサー様は私の手をそっと取った。
うわ、やばい。
「それにしては新しい剣ダコができているな?」
「えっと、その、それはあのう……」
「アリス、舞踏会が終わるまで剣の稽古は禁止だ」
「ええっ!」
ですが、今ならノエルと稽古し放題なのですよ?
領地の屋敷では自主練しかできなかったから、楽しくて……じゃなくて、こんな機会を逃したくないのに?
「でも、アーサー兄様」
「禁止だ。いいな?」
「あの、」
「練習相手はノエルか」
「……ハイ」
あーバレていましたか。
これは次に顔を合わせたら、ノエルが叱られてしまいそう。
「あのう、ノエルには無理を言って稽古に付き合ってもらっているので、彼に非はありません。どうぞ責めないであげてくださいね」
「……そうだな、私情は挟まないように心がけよう」
とか言いつつもなんだか眉間のしわが深くなった気がいたしますわ。ええと、こういうときは何か他の話題、他の話題……、あ、そうだ。アーサー様に是非とも訊いておきたいことがありました。
「そういえば、今日ニコラス兄様を呼びにきた……クレア様でしたかしら。あの方はどういった方ですの?」
ゲームでは暗殺者で実行犯だったクレアだけど、この世界では違うかもしれない。不確定な情報は判断の邪魔になるし、うかつには話せないけれど、彼女のことは知っておきたい。
「ああ、彼女か――、まさか、クレアも”ゲーム”に出てくるのか?」
ひっ、鋭い。
一瞬呼吸を止めて、口角を上げて、表情をごまかすために軽く首を振る。止まったらさらに表情を柔らかく、笑顔、笑顔だ。
「いいえ。でも、とても綺麗な方でしたし、護衛のお仕事は女性が少ないでしょう? 侍女という雰囲気でもないし、少し気になりましたの」
アーサー兄様は小さく頷いて、私の顔を見た。どうにかうまく誤魔化せたみたいだ。そう信じたい。
「クレアは兄上の部下で、実務を手伝っている。騎士ではないが、身のこなしからして相当な使い手だろう」
そりゃそうだ、なにせ暗殺者だもの。
……というのは、とりあえず言わない、言えない。
「仕事が速く適切なので、我が騎士団も頼りにしている」
「えっ、騎士団の方ともお仕事を?」
やはり色々と変わっているのだ。表に出てこないはずのクレアが騎士団とも繋がっているのなら、彼女が暗殺者の役割を持ったままなのか判断はできない。
しかも、クレアに対するアーサー様の評価がめちゃくちゃ高い気がする。あまり人を褒めない兄が手放しで褒めているということは、クレアがエミリア王女を守るために献身的に働いているということだろう。
もしかしたら本当にクレア“暗殺者”ではないのかもしれない。
「ああ。会議で時々な。女性だからと臆することなく発言も行動も的確だ。兄上もクレアには一目置いている」
「まあ、ニコラス兄様まで?」
「あの人の部下でいることが、まず難しい。しかしクレアはうまくやっているようだ。それに噂では兄上の――、」
と、言いかけて口を閉じ、アーサー様は視線を外した。
言いよどむなんて珍しい。でも、だからこそ気になってしまう。
「噂ではニコラス兄様の、何ですの?」
「いや、失言だ。忘れてくれ」
「気になりますわ。言いかけたのですもの、仰ってください」
じいっと見つめてそう訴えると、アーサー様は重くため息をついてから私の顔をみた。
「……クレアと兄上が恋仲ではないかと」
「こい、なか?」
こいなか。こいなかって、なんだ?
来い、故意、鯉、恋――、恋仲ってこと?
ニコラス兄様と、氷のクレアが?
一瞬頭が真っ白になる。
「あくまで噂だ。気にするな」
「いえ……、なんというか、ニコラス兄様に恋人というのがまったく想像できなくて、ですね」
「その気持ちはわかるが……、いや、大丈夫か?」
「大丈夫です、ええ、もちろん全然!」
何故かひどく困った様子のアーサー様に、私は力強く頷いてみせた。
なにが大丈夫なのか自分でもよくわからない。
というか、もしかしたら大丈夫じゃないのかも。
「無理をしなくてもいい」
小さく口元を緩めて、アーサー様がそっと頭を撫でてくれた。
「お前は本当に兄上が大好きだからな」
「……」
違いますそんな子供じゃありません、――と言おうとして言えなかった。
悔しいけれど、やっぱりニコラス兄様に恋人ができるなんて複雑かもしれない。年齢からして、もう子供の一人や二人いてもおかしくないのだけど、そこはそれ。
「アーサー兄様」
「何だ?」
「アーサー兄様には、恋人はいらっしゃいますの?」
「俺はまだ半人前だ。そんな余裕はない」
よかった。
ホントはよかったなんて思ったらバチが当たりそうだけど。
私はアーサー様の大真面目な答えに満足して大好きな次兄の左腕にぎゅっと抱きついた。
今はまだ、バチあたりでもかまいませんわ!
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