第17話 暗殺者


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 舞踏会の夜。

 突然大広間のシャンデリアが落ちて、会場は混乱に陥る。

 蝋燭から燃え移った小火がそこかしこでチラチラと揺れ、集まった貴族たちはただ右往左往し、警備の騎士たちもそれを制することができない。


 主賓であるエミリア王女はこの炎と混乱から逃れようと、どうにかバルコニーへと逃れていた。ざわり、と風が中庭の木を揺らす。


『王女!』


 誰かがそう呼んだ瞬間、彼女は音もなく現れた。

 銀色の髪。色素が薄く、闇に浮かび上がる美貌。

 その作り物のような手がひゅっと空を切ると、逃れようとした王女がびくん、と動きを止めた。

 瞬間、エミリア王女の首筋から赤い血が噴き出す。

 見開かれた王女の瞳が最後に映したのは、血に濡れた美しい暗殺者の姿だった。


 BAD END


 **********


 


 真っ黒な画面に赤い文字、古式ゆかしいバッドエンド。


 “氷のクレア”は最速バッドエンドの一枚絵に選ばれた暗殺者だ。

 彼女が任務を完遂した場合、ゲームはあっさりと終了してしまう。


 宰相アンドロスの愛人ともされ、汚れ仕事を一手に担い、表には出てこない。どのルートでも活躍は舞踏会まで、トカゲの尻尾切りよろしく早々に物語から退場してしまうのだが、その美しさと垣間見える不幸な境遇もあいまって人気の高いキャラクターだった。


 そんなクレアが今、ニコラス兄様のもとで文官として働いている。

 わかっている。ゲームの世界と私のいるこの世界は全て同じではない。頭では理解しているけれど、直接出会ってしまったことがやはりショックで、私の頭は真っ白になっていた。




「アリス、聞こえておるか?」


 と、声をかけられて私は慌てて顔をあげた。

 こちらをいぶかしげに見ているエミリア王女の姿に、血に濡れた姿がほんの一瞬重なる。そ――、そうだ、ダメダメ、真っ白になっている場合ではない。私はなんとしてもエミリア王女を守らなければならないのだ。

 

「疲れておるのか? 顔色が良くないぞ」


 兄二人とクレアが慌ただしく持ち場に戻っていき、ノエルもいったん騎士団へ、バルディさんは部屋に戻ってすぐ、用事があるからと出て行った。ひとり仕事のない私は、王女の部屋でお茶とお菓子の歓待を受けている真っ最中である。

 つまり、情報収集をするなら今しかない。私は気を取り直して小さく首を振った。


「いいえ、エミリア王女。少し、兄たちのことを考えておりました」


 どうにかそう伝えると、エミリア王女は真面目な顔でひとつ頷いた。


「心配には及ばぬ。わたくしが城の外へ出たのはわたくしが望んだこと、宰相の許可も得ている。オーウェン伯爵が責任を問われることはないから、安心せい」


 気まぐれで尊大なところはあるけれど、エミリア王女はまっすぐな方だ。そうでなければ、兄を心配する私のことを気遣ったりしないと思う。なんだか嬉しくなって、私はようやくほっと息をついた。


「心配、というか……兄たちが仕事をしているのをはじめて見たので、戸惑っていますわ。特に上の兄は家ではのんきな人なので」

「ふふっ、驚いたのはこちらのほうだ」


 何を思い出したのか(想像はつくけれど)エミリア王女はクスクスと可笑しそうに笑う。


「慇懃無礼で融通の利かない男だと思っていたが、妹にはあれほど甘いとはな。ああ、可笑しい」

「お、お恥ずかしい限りです」

「もう一人は騎士団の……アーサー殿だったか?」

「はい」

「そも、あの二人が兄弟だということが驚きだ。あまり似てはいないな」

「よく言われます」


 そうだ、しっかりしなくちゃ。私がするべきことは、目の前の王女様を守ること。こうして二人で話す機会を得られたのはものすごい幸運じゃない? 今このときに、少しでも情報を引き出すことを考えなくちゃ。とりあえず、まずは一番気になることを訊いてみよう。


「あの、エミリア王女はさきほどの女性をご存じですか?」

「女性?」

「兄を呼びに来た銀髪の方です」

「ああ、たまに見る顔だ。時々ニコラス殿と一緒にいる」

「彼女がエミリア様の護衛につくことがありますか?」

「いや、それは無いな」


 きっぱりと言い切られたので少し安心した。

 そうだよね、隣国の王女の護衛は騎士団の仕事だろう。改めてみると従者一人を連れてお忍びで市中に出るなんて常識外れも甚だしい、危ない綱渡りだ。


「そなた、妙なことを訊くのう」


 エミリア王女がすうっと目を細めた。しまった、さすがに直接的過ぎた?

 どうにもクレアの存在が気になって、取り繕えている気がしない。


「あの、女性の補佐官がいらっしゃるとは思わなかったので……」

「なるほど、それほどにあのおなごが気になるのか?」

「えっ、ええ……、まあ」

「くく、大丈夫じゃ。ニコラス殿は間違いなくアリス、そなたしか見ていない。あの様子では他の女なぞ視界にも入らぬよ」

「え?」


 え?

 あ、いえ、違います! 別にやきもちを焼いているわけではありませんわ!

 と、抗議したかったけれど、エミリア王女はそれはそれは楽しそうにコロコロと笑った。


「ニコラス殿は可愛い妹に首ったけのようだが……そなたも相当じゃな、アリス」

「ち、違います!」


 そう、妹――妹として、ね。

 びっくりしたあ、エミリア王女は私が養女だということは知らないだろうし、当たり前か。

 私は姿勢を正して、こほんと咳払いをした。


「兄たちを敬愛はしていますけれど、やきもちをやくほど子供ではありませんわ」

「ふむ、そうか?」

「そうです! むしろあの年齢で未だに良い方がいらっしゃらないので、心配しているくらいなのです」

「ああ、なるほど、そうだろうとも」


 まったく信じていない顔でひとつ頷くと、王女は一口お茶を飲んだ。

 もしかして私って傍から見たら相当なブラコンなのかしら。今度ノエルにでも訊いてみよう。


「しかし、あの兄弟がそなたを取り合う様子といったら……」


 クスクスと笑われて、どんどんいたたまれなくなってきた。家ではあたりまえのやりとりだけど、外ではあたりまえではない。頬を抑えるけれど、なんだかどんどん熱くなっていく気がする。


「まったく、仲が良くて羨ましい」


 声の色が変わったので顔を上げると、エミリア王女は私の目を見て小さく頷いた。


「アリス、知っておるか?」

「……」

「我が国は今、揉めに揉めている。元をただせば、先代国王の兄弟喧嘩が長引いててのこと……つまり内輪揉めじゃ」

「エミリア様……」

「わたくしがクラティアに来たのも、難を避けるために逃げてきたようなもの。あわよくばこの国で後ろ盾を得たいという下心があってのことよ。伯爵家のそなたは、それを知っているか?」


 内輪揉め。兄弟喧嘩。身内が争うのがどんなに辛いことか、私は知っている。


 ――どう反応するのが正解なんだろう。


 リデルフィアでは亡き先王が設けた王国軍が力をつけ、皮肉にも現国王と対立しているのだ。王国軍は現国王の叔父にあたる公爵を担ぎ、対する国王は騎士団を味方につけてかろうじて対抗しているという。きっとエミリア王女は、幼い頃からそれを目の当たりにしてきたのだ。


「……兄たちの会話から、リデルフィア王国の内政が不安定らしいということは、なんとなく」


 世間知らずのご令嬢を装うべきかと迷ったけれど、まったく知らないとシラを切る気になれなかった。私は今、エミリア王女を励ましたい。奇妙な連帯感を感じている。

 ええいままよ、兄二人がまあまあの要職についているのだもの、知っていても不自然ではないはず。


「私のような者には、エミリア王女のお立場やご心労を想像することすら難しいですけど、でも」


 言葉を探す。

 だって、家族が、大事な人が互いに争うのは辛いことだ。私はそれを畏れて生きてきた、だから。


「せめてこの国にいる間は、安心して楽しく過ごしていただきたいと願っています。きっと王女のお父様……、リデルフィアの国王陛下も、それを望まれていると思います」

「……、楽しむ? わたくしが?」

「はい。市中をご覧になったでしょう? 国民はエミリア王女の訪問を歓待しております」

「は、宮中では腫物のように扱われておるぞ」

「ご心配なく。少なくとも私は心から歓迎いたしておりますわ」


 思わずそう口走ってから、しまったと口元を抑えたけれどもう遅い。

 いけない、一介の伯爵令嬢が出過ぎたことを言ってしまった。だけどエミリア王女が寂しそうな顔をするから、我慢できなかった……。


「アリス」

「も、申し訳ありません! 私、ついあつかましいことをっ」

「……その言葉、とても嬉しく思う。そなたに感謝するとしよう、アリス」


 そう言って、エミリア王女はにっこりと笑った。翳りのない年相応の笑顔。


「わたくしは父上を助けたい。そのためにまず、この国を楽しもうと思うぞ」

「はい、是非」

「では、また話をしてくれるか? わたくしは、もっとこの国を知りたい」

「はい、エミリア王女――喜んで」

 

 ああ、この人はこの世界に必要な人だ。私にはわかる。外から物語を眺めていた私だからこそ、きっとそれがわかるのだ。

  


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