第16話 花の都


 

 エミリア王女は目を輝かせて馬車の窓から外を眺めている。

 ノエルは御者を務めているので、馬車に乗っているのは私とエミリア王女、それから向かいの席のバルディさんの3人だけだ。あまり遠回りしてまた何かあるといけないので、人通りの多い安全なルートを少しだけまわってから、もうじき大通りという場所にさしかかっていた。


「ずいぶんと花屋が多いのう」


 カラフルな幌の屋台を見て、エミリア王女が首を傾げる。


「今はお祝いの花を売る屋台が出ていますから。どこの店でも、家でも玄関を花で飾り立てています」

「ふむ、祝いとは?」

「もちろんエミリア王女のご訪問を祝ってのことです」

「わたくしの、か」


 この国では何か祝事があると出入り口に花を飾る風習がある。一番多いのはクリスマスリースみたいな花輪で、今はエミリア王女の訪問を祝って色とりどりの花輪の屋台がいたるところに出ている。


「む、あの怪しげな看板は何の店だ?」

「あれは薬屋です。この先は大通りですから、仕立屋や帽子屋、それから雑貨店が多くなります」

「なるほど、賑やかな通りじゃ」

「はい、今は特に、王女がおみえになっていますから」


 エミリア王女は小さく笑みをこぼした。


「本当にわたくしを歓迎してくれているなら、嬉しい限りだが」


 大通りをまっすぐに走れば、すぐに王城の正門が見えてくる。

 門番に爵位と名前を告げてニコラス兄様への取り次ぎを頼むと、外廷の通用口へ案内を受けた。もちろん王女様が一緒だということは内緒だ。


 馬車が止まったので窓から外を覗くと、通用口の前に兄様が立っていた。しかも一人ではなく二人。え、どうしてアーサー兄様も一緒なの? ていうか、知らせたのはついさっきなのだけど二人とも早すぎじゃない?


「アリス様、到着しました」

「ええ」


 御者を努めてくれたノエルがドアを開いてくれる。他に誰かいると面倒なのでエミリア王女とバルディさんを目で制してから、私は腰を上げてステップを降りた。


「アリス!」

「ニコラス兄さ……ぶふっ」


 有無を言わさず抱きしめられた! 完全に油断していたのでぎゅうぎゅうされています。いや、そんな場合じゃないんだと言いたいけれどニコラス様に頭を完全に抱え込まれているので声も出せない。


「ふぐぅ」


 せめてもの抵抗で両手をバタバタさせると、ニコラス様の身体がぐいと後ろに引っ張られてようやく呼吸が楽になった。


「兄上、自重してください」

「む、アーサー、邪魔をするな。嫉妬か?」

「意味がわかりません」

「せっかくアリスが来てくれたんだぞ、補充しておかないと次いつ会えるかわからないだろう!」

「今はゆっくりアリスを愛でる時ではない、と言っているんです」


 言いながら、ベリッとニコラス様を引き剥がす。ナイスですわ、アーサー様。アーサー様のほうが物理的に強くてよかったあ、そうでなかったら暴走するニコラス様を止める術がひとつ減ってしまいます。


「兄上はとっとと仕事に戻って下さい。アリスの話は俺がきいておきます」

「狡いぞ。お前こそ持ち場に戻れ」

「俺の換えは利きますが、兄上は王女の警備の責任者でしょう。今こんなことをしていたらあとで宰相に難癖をつけられるのがオチです」


 あ、なるほどぉ。

 エミリア王女がお城を抜け出している状況ですものね、それならニコラス兄様は忙しいに決まっている。アーサー兄様が気を利かせて代わりに来てくれたのに、結局ニコラス兄様も来ちゃったって感じかな。


「宰相が外出許可を出したんだから、私には関係ないだろう」

「そうだとしても、絶対に兄上に責任転嫁してきます。今は王女を探すことを優先するべきでは?」

「あの、兄様……、」

「どうせ私が市中を走り回って探すわけにもいかないし、指示ならもう出した」

「それでも責任者たるもの、持ち場を離れるのは論外です」

「お兄様、私の話を……」

「だいたいアーサー、お前だって仕事はいくらでもあるだろう。アリスに会いたかったなら会いたかったと正直に言ったらどうだ、このむっつりめ」

「兄上と一緒にしないでいただきたい」


 会話の間にも二人が左右から交互に私を引っ張るので、ノエルがおろおろしている。そんな場合じゃないんだ、今まさに我が家の間抜けなやりとりを隣国の王女とその従者にさらしているのですよ!


「お兄様、聞いてください!!」


 仕方なくそう語気を荒げると、兄たちの動きがピタリと止まった。視界の端のノエルは握りこぶしで口元を押さえている。あれ、絶対に笑いを堪えている動作だよねーもう恥ずかしい!


「何だい、アリス」

「話があるのなら、まず聞こう」


 兄二人はつきものが落ちたように冷静な声でこちらに向き直る。もうなんなの、その切り替えの早さ!

 念のため周囲の様子を伺ってみたけれど、他に人の気配はない。うん、今ならたぶん大丈夫。

 私は振り向いて馬車の中の二人に声をかけた。


「お二人とも、出てきていただいて大丈夫です」


 一呼吸置いて、先にステップを降りてきたのはバルディさんだった。神妙な顔をとりつくろっているが、目が笑っているのが隠せていない。我が家のコントがお気に召したならなによりです……。


「ニコラス殿、アーサー殿、心配をおかけして申し訳ない」

「バルディ殿……!?」


 デフォルトがポーカーフェイスのアーサー様が、珍しく大きく目を見開いて絶句した。そりゃそうだよねー、探していた張本人が自分の家の、妹の馬車から出てきたんだもん。


「やれやれ。エミリア王女はご無事かな、バルディ殿」


 対するニコラス様は小さくかぶりを振っただけで、微塵も動揺を見せなかった。

 お仕事については設定通り、沈着冷静で底が見えないオーウェン伯ということなんだろうか。ま、今更格好つけてもさっきまでのわちゃわちゃを見られてしまっているのですけどね……。


「うむ、わたくしもここに居るぞ」


 バルディさんに手を取られ、馬車からエミリア王女が姿を見せ、鷹揚に笑った。


「ニコラス殿、こたびの責はすべてわたくしにある。貴殿の忠告を聞かなかったこと、詫びを言っておこう」

「宰相の許可が出ているのですから、私に謝る必要なぞありません」


 柔らかい声でそう言うと、ニコラス兄様は薄く笑った。

 薄く――冷たい笑顔。家では見せない表情で、一瞬ドキリとする。

『切れ者で野心家の若き伯爵』、ニコラス兄様はそう『設定』されたキャラクターだ。キャラクター、だった。何故かそれを今、はっきりと思い出す。


「バルディ殿、エミリア王女、これはいったいどういうことでしょうか?」


 ようやく立て直したらしいアーサー様が、固い声で核心を突いた。警備をする側からしたら、エミリア王女の行動が軽率なのは間違い無い。明らかに非難を込めた声の色にひやりとして、私はどうこの場を納めようかと言葉を探す。

 そのときだ。


「ニコラス様」


 通用口のドアが音も無く開いて、女性の声がニコラス様の名前を呼んだ。反射的に振り向いて、その声に、顔に、思わず声を上げそうになる。


「クレアか。どうした?」

「ニコラス様、そろそろお戻りを」

「ああ、わかっている。たった今エミリア王女も無事に戻られた」


 クレアと呼ばれた銀髪の女性は、目だけ動かしてちらりとエミリア王女を捉え小さく礼をとった。


「それはなによりです」


 ちっとも感情のこもらない声。冷たい視線、薄い表情。

 私は声もなくその美しい姿を見つめる。

 クレア、氷のクレア。


 彼女こそが舞踏会でエミリア王女を亡き者にした――亡き者にしようとした、”暗殺者”なのだ。




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