第15話 リデルフィアの王女

 

 お茶の用意は客間に変更してもらった。

 幸いにもノエルは腕の擦り傷と打撲だけで済んだようで、今は真新しい白い包帯が巻かれている。休んでいていいと諭したけど、彼は当然のように同席を主張した。


 広くはない邸だけど、アンナの掃除は行き届いているし、お茶やお菓子はシドニーが常にその日一番美味しいを思うものを吟味しているから変更はなし。そもそもまだ名乗っていただいていないから、過剰に気を使うのもおかしな話だよね。


 お茶の準備が全て整うと、マリーたちには下がってもらった。客間には私とノエル、向かいのソファには姫君が座り、その傍らにバルディさんが護衛よろしく目を光らせている。


「うむ、美味じゃな」


 儀礼的にカップに少し口をつけてから、姫君は隣のバルディさんにちらりと視線を送る。真顔のまま、バルディさんが小さく頷くのを見て、カップを置いた姫君はすっと背筋を伸ばし、真正面から私を見据えた。


「穏便に招いてくれたこと、感謝する。わたくしはエミリア。リデルフィア王国から来た」


 はい知ってますとも。隣に立っているノエルは未だにぴんと来ないらしく、口の中だけで「エミリア、エミリア?」と繰り返している。

 ノエルの様子にバルディさんがわずかに口の端を上げ、それから私に視線を移した。


「オーウェン嬢は落ち着いておられる」


 探るような口調だけど、あまんじて笑顔で受けましょう。


「ひょっとしたら、と予想しておりました」

「ほう。後学のため、どこで気が付いたかを伺っても?」


 あらら、もしかして探りを入れられてる?

 リデルフィアの王女を護衛する彼の立場からしたら仕方ないことだけど、正直心外ですわ。顔を見せたんだからバレるに決まってんじゃん!


「馬車に王家の紋章がありましたから、身分の高い方だとすぐにわかりました。バルディ様のお言葉にはわずかにリデルフィアのアクセントが混じりますし、何よりエミリア様の絵姿はふた月も前から市井に出回っています。ひと目見て、確信いたしました」

「……なるほど」


 リデルフィア訛りを指摘されたせいか、エミリア王女の従者は少し不満げにちょっと眉を上げた。質問に正直に答えたのに、お気を悪くされたかしら?

 なにか気の利いたフォローをしたほうが良いかなと口を開きかけたその時、隣のノエルが立った今思いついたみたいに声をあげた。


「……あっ! エ、エミリア王女!?」


 遅いよ。

 そして声大きい。下手をしたら不敬で罰せられちゃう。


「ノエル」


 たぶん君は主人公だから大丈夫だと思うけど、後々のことを考えてエミリア王女と侍従兼護衛役のバルディさんにはできるだけ印象を良くしておきたい。目顔で訴えると、ノエルはわずかに首を竦めてから姿勢を正した。


「失礼いたしました」

「護衛殿は率直な方のようだ」


 あ、鼻で笑われた。

 王女のほうはちょっと目を丸くしている。ノエルってば、エミリアルートのフラグが立っちゃったかもよー? 個人的にエミリア王女にはユリウス王子を推したいけれど、人の恋路は邪魔しませんわ。けっこう茨の道だから、頑張って!


「ノエルはまだ護衛についたばかり、騎士見習いの身なのです。どうぞ無礼をお許し下さい」


 素直に謝罪すると、エミリア王女がバルディさんを睨んだ。肩を竦めた従者が真顔をとり繕うと、王女様は再び私に視線を戻す。


「多少の非礼は許す。その者がいなければ、わたくしも無事ではいられなかった。ここは身を挺して助けてくれたことに礼うべきじゃろう」


 エミリア王女の言い回しが微妙に古いのは、きっと発音と文法に重きをおいているからだ。クラティア王国とリデルフィア王国の言語は似ているので意思の疎通はできるけれど、それぞれにクセがある。関西弁と関東弁みたいな感じだ。


「確かに、暴走しかけた馬の首に飛びつく勇気だけは買ってもいい」

「バルディ」


 王女は今度こそ従者の名を呼んだ。


「彼はわたくしの恩人、ひいてはリデルフィアの恩人であるぞ」

「――失礼しました。もちろん異論はございません、エミリア王女」

 

 王女の言うとおり、ノエルがいなかったら馬車はもっともっと暴走したかもしれない。怪我もなく済んだのは奇跡的とも言える。見習い騎士にして一国の王女を救い、直接お礼まで言われるなんて、やっぱり主人公補正が働いているんだろうか。


「命の恩人に、名前を聞いておこうか」


 わあ、王女様に名前を聞かれた!

 騎士にとってはこれ以上の名誉はないというシュチュエーション。少しは浮かれるかなと思ったけれど、ノエルは落ち着いて頭を下げた。


「ノエル・ダリューと申します」

「ノエル……、本当に助かったぞ。礼を言う」

「望外の栄誉です、エミリア王女」


 さすがノエル、やればできる子。

 王女の隣の従者さんが何か言いたげに口を開きかけたけれど、結局何も言わずに唇を結んだ。彼が余計な軽口を思いついて掻きまわす前に話を進めよう。


「エミリア王女、馬車の修理には時間がかかります。城では兄が働いていますから、よろしければ迎えを寄越すように使いを出しましょうか?」

「なるほど、やはりそなたはオーウェン伯の……、宰相の補佐官長をされている、ニコラス・オーウェン伯爵の妹君か」

「はい。ニコラスは上の兄です」

「ふむ。あの小うるさいオーウェン伯の妹にしては、話がわかるおなごのようじゃ」

「ありがとうございます」


 ニコラス兄様、小うるさいのかー。ちょっと意外だけどものともせずにっこり笑ってみせる。


「うちでは昼行灯の兄ですが、真面目に仕事をしていようで安心いたしました」

「昼行灯? あの男が?」


 あ、これはもしかして、警護が厳しすぎて煙たがられている感じ? 

『エミリア王女に何かあったら大変なことになる』と兄を脅しているのは他の誰でもない私だし、ニコラス兄様は私の言葉を信じて相当厳重な警備敷いているだろう。


「……実はな、市中に出ることは、ニコラスに止められたのだ」

「まあ」


 あらら、止められても出て来ちゃったんだ。それは気まずい。エミリア王女はそれでもわずかに顎をあげて、弱気なそぶりはみせなかった。


「では、今日はどうやって市中へ?」

「なに、宰相に直接直談判したまでのこと」


 そこでようやく、王女がきまり悪そうに首を振る。


「だが、結果的にはニコラス殿が正しかったな。わたくしを心配すればこそ止めてくれたのに、裏切るような真似をしてしまった」


 宰相に直接、かあ。

 それでも万が一エミリア王女に怪我でもあれば、責任はニコラス兄様がとることになるだろう。けど、宰相にとってもエミリア王女は大切なお客様のはずだ。この時期に騎士団もつけず王女の外出を許すのは、あまりに軽率ではないだろうか。


「……バルディ様、何故馬は暴走したのでしょうか」


 誰かの敵意が向けられたのかどうか、それが知りたい。私の質問にバルディ様は小さく顎を引いた。


「車輪が何かに乗り上げて大きく揺れた。それで馬が驚いたのだろう」

「では、誰かが故意に馬を驚かせたということは……」

「可能性は低い」


 今の私が演じるべきは世間知らずな伯爵令嬢、これ以上は追及できない。なるべく無邪気に笑みを浮かべてみせる。


「よかった。単なる事故でしたら兄はそれほど気にしないと思います」

「いや、相当気難しい男に見えるぞ」

「いいえ、……兄は基本女性には寛大です。どちらかといえばバルディ様が少し…けっこう…たぶん、辛辣な嫌味を言われるくらいですむと思いますわ」

「は、」


 くく、とエミリア王女が初めて楽しそうな笑顔を見せた。よし、掴みはオッケー!

 隣でバルディさんの口がへの字になったけど気にしなーい。


「では、迎えは頼まず兄への言伝だけにして、お二人は私どもの馬車でお城までお送りします。お許しいただけますか?」

「それは助かるぞ。しかし……そなたは良いのか?」

「平気ですわ。少し遠回りして市内見物をしながら参りましょう。安心してくださいませ、我が家の馬車馬は少し年をとっているけれど穏やかな馬ですし、伯爵家の馬車なら悪目立ちも致しません」


 最後の一言は仏頂面のバルディさんに向けると、彼はようやく少しだけ口元を緩めた。


「オーウェン嬢はなかなか気の利く方のようだ」

「お褒めに預り光栄ですわ」

「さすがあのニコラス殿の妹君だけのことはある」


 えー、それ、全然褒められている気がしないんですけど。てか、褒めてる表情じゃないよね。エミリア王女も『たおやかな姫君』って感じじゃないけど、バルディさんのほうがさらに上から目線なのは気のせいかしら。

『王女の従者ティート・バルディ』ってこんなキャラが立っていたっけ?


「まあ、兄が聞いたら喜びます」


 スーパー人畜無害な笑顔を繰り出しながら、私はこれからどうするべきかをフル回転で考えはじめた。





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