第14話 必然か偶然か
エミリア王女の歓迎セレモニー、そして舞踏会まで時間が無い。
兄たちはほとんどお屋敷に帰ってこなくなった。それほどに忙しいのだろう、心配だけど私にできることはない。そして帰って来ない兄の代わりに、ついにノエルが我が家に泊まり込むようになった。そこまでのお許しが出たということは、ノエル君はニコラス兄様のお眼鏡に適ったと思って良いのかしら。
ノエルは毎朝オーウェン家からお城へ出勤、騎士見習いとして雑用(本人談)をこなし、昼からは私の護衛として、そして便利な男手としてせっせと働いている。
今日もマリーがお茶の準備するのを眺めながらノエルを待っていると、通りのほうから誰かの叫ぶような声とひときわ高く馬のいななきが聞こえた。
思わずマリーと顔を見合わせる。
「何かあったのでしょうか」
「馬車の事故かもしれないわ。馬の声が普通じゃなかったもの」
馬車の車輪が外れたとか、なにかに驚いて馬が暴走したとか、さらに暴走した馬車に人が轢かれたとか、この世界にも交通事故は存在する。ノエルの到着が少し遅れているのも気になって、私は立ち上がった。
「私、ちょっと様子を見て来る」
「お待ちください、お嬢様がですか?」
「邸の前で何かあったのなら、何かお手伝いできることがあるかもしれないでしょう」
「でしたらシドニーさんに伝えて参ります」
「大丈夫よ、門まで様子を見に行くだけだから。マリーはお茶の準備をよろしくね」
反論する隙も与えず、私は大急ぎで部屋を出た。なんだか妙な胸騒ぎがする。
シドニーに見つかることなく玄関のドアを開くと、門の方角からノエルが歩いてくるのが見えた。
「ノエル!」
「アリス様、ちょうどよかった」
無事な姿にほっとしたのもつかの間、近づくとあまり無事でないことがわかる。シャツの胸のあたりは茶色く汚れていたし、袖は何かにひっかけたみたいに破れているのだ。普通じゃない。私は彼に駆け寄った。
「どうしたのそれ、何かあった?」
「お屋敷のすぐ前で馬車馬が暴走しかけたんです」
「暴走!? まさか、あなたが止めたの?」
「馬の扱いは慣れてますから」
ノエルはなんでもないことみたいに言うけど、興奮した馬を止めるのはとても危険で難しい。破れた袖のから大きな擦り傷に血が滲んでいるのが見えた。
「怪我をしているじゃない。とにかく、すぐ手当てしましょう」
「このくらい平気ですって」
「だって、血が出てるわ」
「後で洗っておけば治ります。それより壊れた車輪の修理と……馬車の主が中で休ませてもらいたいと言っているので、アリス様に確認しに来たんです」
「まあ、お怪我は?」
「怪我はないみたいですけど箱入りのお嬢様らしくて、相当驚いたみたいです。まだ壊れた馬車から出て来ないんですよ」
「大変」
さぞ怖かっただろう。私は顔も知らないご令嬢に心から同情した。
「今はお一人なの?」
「いや、従者らしき男がひとりいます。そっちも貴族かな。身なりはしっかりしていますし」
そこでノエルはぐっと声を潜めた。
「小型の馬車ですけど、かなりの身分じゃないかな、と」
「・・・わかったわ。中にお招きしましょう。私が行って来るからノエルは怪我の手当てを」
「だから、それは後で大丈夫ですって」
言いあっていても譲りそうにないので、二人で門へ向かうことにした。
下働きのゼト老人が裏庭から出てきたのでシドニーへの伝言を頼み、私はノエルと通りへ急いだ。ノエルの言葉通り、門を出てすぐのところに車輪の外れた馬車が止まっている。傍らの馬は御者に撫でられ、今は落ち着いているようだった。
壊れた馬車を守るように立っていた長身の男性が、私に気付いて丁寧にお辞儀をする。見れば、馬車は小さいながらも豪奢な作り、しかも扉のところに小さく王家の紋章が入っていた。てことは公爵家以上……、まさか、王族の誰かじゃないよね?
若干の警戒をもって手前で立ち止まると、男性は一歩前に出てもう一度会釈をした。
「お屋敷前をお騒がせして申し訳ありません」
顔を上げた彼と目が合うと、ほんの一瞬薄茶色の瞳が見開かれる。いきなり私が出てきたのは失敗だったかも。考えてみれば貴族のお嬢様が自らほいほい出て来る場面ではない気がする。
――ま、来てしまったものは仕方ない!
いかにもきょとんとした体で首を傾げてみせると、男性はたちまち何事もなかったかのように紳士然として胸に手をあてて、薄い笑みを浮かべた。
「失礼いたしました……私は、バルディと申します」
良く通るバリトンで男性はそう名乗った。良い声過ぎて微妙に嘘くさいのはどうしてだろう。推測するに、年齢は30前後かな?アクセントにほんの少しなまりがあるから、都の貴族ではなく、城の客人なのかもしれない。バルディ、バルディ、聞いたことある気がするわ。私は内心を押し殺して、貴族の娘らしくスカートの裾をつまみ、軽く膝を折った。
「はじめまして、バルディ様。オーウェン伯爵の妹、アリス・オーウェンと申します。あいにく兄は不在ですので、僭越ながら代理として参りました。聞けばお困りのご様子、さぞ怖い思いをされたことでしょう。よろしければ代わりの馬車を呼ぶまで当家でお休み下さいませ」
「ご令嬢自ら足を運んで頂き痛み入ります、オーウェン嬢。主に代わりご厚意に感謝いたします」
うやうやしく一礼して、バルディさんは馬車の中へと向き直った。物腰は柔らかいけれど、所作の端々に訓練された動きが混じる。はっきり言うと、軍人かなという印象だ。
「……姫、大丈夫ですか? どうぞこちらへ」
と、バルディさんは優雅な仕草で中へと手を差し伸べた。
とたん、私の脳裏に『ゲーム』の画面がチカっと浮かぶ。
ああ、これ、何周目の『ノエル』のイベントだっけ?
胸がドキドキしてきた。
バルディさんに支えられ、馬車の扉から音もなくフードの女性が降りてくる。
幸い、既に野次馬も撤収して他に周囲に目立つ人影もない。大丈夫だと判断したのだろう、バルディさんが小さく頷いて何事か囁くと、女性は頭を覆っていたフードをパサリと脱いだ。
「こちらはお屋敷のご令嬢です、姫」
「聞こえていた」
飴色の髪、水色の瞳、間違いない。
思わず息を呑んだ私を、隣のノエルが不思議そうに覗き込んできた。そうだった、私の隣には『主人公』が、ノエルがいるのだ。もしかしたら『クラティア戦記』の登場人物は、すべからくノエルに引き寄せられる運命なのかもしれない。
けど、それにしても。
「さぞ驚かれたことでしょう。狭い屋敷ですが、よろしければ中でお休み下さいませ」
立て直して笑みを浮かべ、私は最上級に丁寧に礼を返した。
「アリスと言ったな? よろしい、そなたの申し出を受けるとしようか」
緊張しているせいか硬い表情で、ご令嬢の唇が動く。
「わたくしの名は――、」
けれど彼女が自らの名を紡ぐ前に、バルディさんが目だけで制した。うん、さすがにこんな目立つ通りで名乗るのはマズイということだろう。
私は無邪気を装い、ひらりとスカートを返した。
「お話は中に入ってからに致しましょう。ちょうどお茶の準備をしていたところです」
「うむ、感謝するぞ」
くだんの姫君は、ようやくその頬に微かな笑顔を浮かべた。
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