第13話 ドレスは鎧 


 エミリア王女の訪問が近づくにつれ、王都の歓待ムードは高まっていく。

 クラティアとリデルフィアの旗が飛ぶように売れ、気の早い商店街の店主たちが色とりどりの花で店を、通りを飾り立てている。



「お嬢様、いかがでしょう?」

「ええ、問題ないわ。動きやすいし、サイズもぴったりよ」


 くるりとまわってみせると、お針子の二人が満足そうに頷いた。黙って着替えを手伝ってくれたメイド頭のアンナがゆっくり360度から私を眺める。一周して難しい顔のアンナに、私は恐る恐る感想を求めた。


「どうかしら?」


 そう問うと、アンナはようやく満足げな笑みを浮かべ、大きく頷く。


「よくお似合いです、お嬢様」

「ええ、本当に」

「お綺麗ですわ」


 にっこりと笑うアンナに、お針子さんとマリーも口々に褒めてくれた。お世辞が入っているとしても、やっぱり嬉しい。


「ありがとう」


 アンナたちのお墨付きをもらって、私はもう一度姿見に向き直った。ごく淡いミントグリーンの生地に、白い花の刺繍を散らしたドレス。鏡の中の自分はどこから見ても清楚なご令嬢に見えた。これなら見た目でお兄様たちに恥をかかせることもないよね、とちょっとほっとする。


 どれだけ頑張っても、アリス・オーウェンが『伯爵家の養女』『素性もはっきりしない拾い子』ということは知れ渡っている。ある程度陰口を叩かれるのは仕方ないことだ。はっきり言って自分が何を言われても興味はないけれど、オーウェン伯爵家のことをとやかく言われるのは我慢できない。『伯爵家のご令嬢』に相応しくふるまって、黙らせてやるくらいしか手段はないから、そういう意味でも舞踏会は真剣勝負だ。

 思わずぐっと握りこぶしを握ったとき、廊下が騒がしくなった。


『お待ちください!』

『待てない。時間が無い』

『いけません。ノエル、お止めするんだ』

『ええ、俺が?』


 聞き慣れた声のやりとりがドアのすぐ外から聞こえ、せっかちなノックの音がした。私は思わずアンナと顔を見合わせる。どうぞ、と応える前にドアが開いて、予想通りニコラス兄様が大股で部屋を横切ってきた。制止しようとしたらしいノエルとシドニーもドアの外にちらりと見えたけど、うら若い娘がドレスの試着中とあっては、さすがに入って来れないらしい。そう考えると当主で身内だとはいえ、迷いなく部屋に入って私に近づいてくるニコラス兄様ってすごいなー。

 私が妙な感心をしている間に、アンナとマリーが兄様の進撃を阻むべく立ちはだかった。


「ニコラス様、いくら当主様といえど、返事も待たず部屋に入ってくるなど、言語道断です。しかも今、何をしているかご存じですわね?」

「ああ、知っている。しかしもう3日もアリスの顔を見ていないんだ。仕方ないだろう」

「そんなお話が通るとお思いですか?」


 ニコラス兄様の無茶な主張がアンナに通用するわけがない。そしてこの家でアンナに逆らうことは当主であってもかなり勇気が必要だ。ちらりと伺うと、背の高い兄様と目が合ったような気がした。もう、仕方ないなあ。


「大丈夫よ、アンナ。着替えは終わっているわ」

「お嬢様」


 アンナの気持ちを損ねないように、私はにっこり笑ってみせた。


「私もこのところお兄様と会えなくて寂しかったの。お願い、少し話をさせて」

「……お嬢様がそう仰るなら、仕方ありませんわね」


 大きく息をついて、アンナが道を開けた。お預けをくらっていた犬のように、兄様が超速足で近づいてくる。部外者、つまりノエルの目がなかったらは走り寄ってきた挙句に有無を言わさず抱きしめられていただろう。


 白状すると、私も少し寂しかった。領地ではいつも一緒にいられたニコラス兄様と、王都に来てからまともに会話ができたのは最初の2、3日だけ、その後はお仕事が忙しく、ほとんどを王宮で過ごしている。それほどにエミリア王女の訪問は外交上の重要案件なんだよね。わかっているけど、寂しいものは寂しい。

 久しぶりに日の光の下で見たニコラス兄様の顔は、少しだけ痩せたように見えた。


「お兄様、お帰りなさいませ」

「ああ」

「少しお痩せになりました? 大切なお仕事なのは存じていますけど、無理しないで下さいね」

「アリス……」

「ニコラス兄様?」

「……やはり、舞踏会に出るのは止めておかないか?」

「ええ? 私、何かおかしいしょうか」


 おもわずドレスの裾を見おろす。生地も良いものを選んだし、縫製も丁寧だ。色がちょっと薄すぎたのかしら。もう少し濃い緑にして刺繍を目立たせるべきだった?でもでも、薄いミントグリーンに白と銀とほんの少しの金糸であしらった主張しすぎない刺繍が気に入っているんだけど・・・駄目?

 私の表情が曇ったのを見てだろう、ニコラス兄様が慌てて首を振る。


「おかしいはずないだろう! まるで春の天使だ!」


 と、オーウェン伯は真顔で叫んだ。

 春の天使?

 お兄様の頭の中にはどんなお花畑が広がっているのでしょう。


「は?」


 対応しきれず、思わず間の抜けた声が漏れる。しかしお花畑のお兄様は、臆面も無く大真面目に頭を抱えた。


「天使過ぎる。いやむしろ女神過ぎる! これで舞踏会に出て男どもに囲まれでもしたら、私は仕事どころではなくなってしまう」


 うわあ。

 やめてやめて、いたたまれない。皆が慣れっこになっている田舎の邸ならともかく今は皆の目がありますわ、ニコラス兄様。視界の隅でアンナが微妙に頬をひきつらせているのは、きっと笑いを堪えているのだろう。


「……お兄様、褒め過ぎです。舞踏会には出ます。私のことなど誰も気に留めたりしませんから、ご安心くださいませ」

「アリスは自分のことをわかっていない!」

「わかっていないのはお兄様ですわ」


 ニコラス兄様に意見を求めた私が愚かだった。このところ会っていなかったからとんでもない兄バカだということをうっかり忘れていました。

 しかし私の反省など吹き飛ばす勢いで、ニコラス兄様は熱弁をふるいはじめた。本気で舞踏会に出させない気になっているらしい。もう、絶対目的を忘れていますね? 私たちには『エミリア王女を守る』という大事な使命がありますよね……と、ここでそんな話をするわけにもいかないし。


「いいかい、当日は私もアーサーもそうそう持ち場を離れることができない。つまり、君のエスコートはできないということだ」

「承知しております。お兄様が無理でしたらエスコートはノエルにお願いしますから、ご心配は無用ですわ」

「ノエル?」

「ええ、護衛につけていただいたノエルです」


 私はドアの外で部屋の中を伺っているノエルに視線を移した。それを追い掛けて、ニコラス兄様が振り向く。


「そういえば、お会いするのは初めてですよね……ノエル!」

「は、はい」


 ドアの外から困ったような返事が帰って来た。

 困惑する気持ちはよくわかるけど、ここはお互いきちんと顔を合わせておいたほうが良いと思うの。


「入ってきて。お兄様に紹介するわ」

「はっ」


 騎士団式の返事とともに、何かを吹っ切ったらしいノエルが姿勢よくこちらへ行進してきた。





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