第12話 主人公補正とは


 お兄様たちはこのところずっと忙しそうだ。

 王都に来てから二人ともほとんど家にいない。王宮で寝泊まりしていることが多く、帰ってきても夜中なので顔を合わせることもない。


 そんななか、ニコラス兄様は宰相の第一補佐として警備全般の責任者となり、アーサー様は第一騎士団の副隊長として現場の指揮をとっているという。優秀なお兄様方を持って誇らしい反面、ちょっぴり寂しいのも事実だ。



「失礼します」


 お昼を少しまわると、ノエル君が出勤してくる。午前中は騎士団で訓練と警備のお仕事、昼から夜まで私の護衛というのが彼の基本スケジュールだ。


「ごきげんよう、ノエル」


 立ち上がって迎えると、ドアの隙間からするりとブランも入ってきた。賢い黒猫は、最近私の部屋へよく遊びに来る。誰もいなければ澄ました顔で私の膝に収まるところだけれど、ノエルに遠慮したのか今日は窓際の椅子にぴょんと登り、そこで丸くなった。


「ブランも、ごきげんよう」

「ニャア」


 返事をして、ブランは目を細めた。ひと眠りするつもりらしい。

 ノエルに向き直ると、彼もブランを見ている。そういえば、ブランは私には甘えてじゃれてくるけれど、ノエルに甘えているところは見たことがない。


「ノエル、ひょっとして猫は苦手?」

「いえ、動物は好きですけど。こいつ、なんか言葉がわかってるみたいだなって」

「そうねえ、ブランは賢いわ」

「それに俺、妙に警戒されてるような気がするんですよね」

「え?」


 警戒されている?ブランに、ノエルが?

 確かにブランはあまり人懐こい猫ではないけれど、ノエルにだけ特別ってことはないと思う。


「ブランは人見知りだから」

「ですかね。新参に縄張りを荒らされると思ってるとか」

「まあ、じゃあノエルはブランにライバルだと思われているのね」

「……それはちょっと、色々複雑ですけど」


 ノエルの視線の先で、ブランは丸くなったままだ。どうやら本格的にお昼寝に入ったらしい。

 ちょっと肩をすくめて私に向き直ったノエルに、私は恒例の質問をぶつけた。


「今日はアーサー兄様にお会いした?」

「はい」

「えっ、会ったの?」

「ちらっとですけどね。隊長格の方々はこのところ詰所にはほとんど顔を見せませんし」

「そう……、お元気そうだった?」

「いつも通りでしたよ」


 そっか、ならよかった。

 アーサー様は鍛えているし、多少の無理も乗り切れるとは思う。どちらかといえば心配なのはニコラス兄様かな。接点が無いのでこちらはノエルに訊いても無駄だろう。普段領地の屋敷でのらりくらりしているから、王都での激務は堪えるのではないかしら。体調を崩さないと良いけど……。

 思案していると、ノエルがちょっと首を傾げて、笑いを堪えるような表情をみせる。


「なあに?」

「や、アーサー様にも同じことを聞かれたので」

「え?」

「『アリスは元気か?』って」

「まあ……」


 目を丸くした私に、ノエルは例の人懐こい笑みを浮かべた。


「本当に仲良いですよね」


 何の含みも無くそう言われると嬉しい。

 そういえば、ノエル君は私が養女だということは知ってるのかしら。午前中はお城にいるんだし、私の護衛に選ばれたことは知れ渡っている、となれば、たぶんどこからか噂は耳に入っているはず。その上で『仲良いですね』と言ってくれているとしたら、ノエルって懐が深いのか、ただただ素直なのか、それとも鈍感なのか……、うーん、全部盛かな。これぞ主人公って感じ。


「そういえばアリス様、お城の魔法使いって、本当に魔法が使えるんですかね」

「え?」


 唐突な質問に目を丸くすると、ノエルはキラキラした目でわずかに身を乗り出した。


「ああ、この前言ってた宮廷魔道士の話?」

「騎士団で噂になっているんですよ。でも俺、魔法使いなんて伝説上の生き物だと思ってたんで、信じられなくて」

「見てみたいのね?」

「へへ、その通りです」


 好奇心旺盛なのは良いことだわ。

 でも、この世界では『魔法』は半ば滅びた存在だ。存在するらしいけど誰も見たことはない、ほら、UMAみたいな?


「私も噂だけはちらっと聞いたことがあるわ」


 エミリア王女を迎える王城は、厳戒態勢が敷かれている。王都に在中する騎士団すべてと宰相直属の補佐官・文官たちは例外なく働きづめだし、平時には表に出てこない”宮廷魔道士”の協力も仰いでいるという噂が、市民の間にまでまことしやかに流れているのだ。


「でも、噂は噂よね」

「そうですよね。この目で魔法を見られないのは少し残念ですけど、」


 ノエルは一瞬玩具を取り上げられた子供みたいな顔をして、それから秒でいつもの笑顔をみせる。切り替えが速い!


「さて、今日はどうします?稽古でもしますか?」

「あ、今日は駄目」

「え?」

「お昼過ぎに仕立て屋が来るのよ」

「仕立て屋?」

「そう。ドレスの仮縫いが出来上がったの。ノエルも感想を聞かせてね」

「えええ? 俺、ドレスのこととかぜんっぜんわかんないですけど」


 それはわかっている。

 これが普通の舞踏会だったら私もドレスのことをそれほど気にしたりはしない。けれど、今回は特別だ。エミリア王女の訪問という一大イベントでオーウェン伯の妹として、兄たちに恥をかかせるわけにはいかない。それでなくても私は『拾い子』で、どうしたって悪目立ちしてしまうのは避けられない。


「似合ってるかどうか客観的な意見を聞きたいの。お兄様たちは絶対褒めてくれるに決まってるから、ね、お願い!」


 軽く拝むように手を合わすとノエルは顎を上げて困り切った表情を浮かべた。駄目押しにもう一歩近づいて見上げると、赤毛の青年はきまり悪そうに視線を逸らす。


「わかりました。正直に、ですね」

「ええ、頼りにしてるわ、ノエル」

「あの、アリス様」

「なあに?」

「近いです」

「あら、ごめんなさい」


 ノエル相手だとついつい距離感を間違えてしまう。これも『主人公補正』なのかしら。ゲームでもノエルは出会う人出会う人を次々とたらしこんでいくのよね。しかも本人に自覚はないというあたりが凶悪だ。うっかりたらしこまれないように気を付けよう。


「アリス様」

「なあに?」


 椅子に腰掛けてノエルを見上げたとき、丸くなっていたブランがひょいと顔を上げてフニャオと妙な声を上げた。


「あら、起こしちゃったかしら。ごめんなさい、ブラン」


 そう声をかけると、ブランはゆっくりした動きでこちらに歩いてきて私の膝でまた丸くなった。目だけを開いて、ノエルを見ている。


「ブランは甘えん坊ね……えっと、何の話だったかしら、ノエル?」

「……いえ、やっぱりいいです」

「そう? あ、少し気安すぎたかしら? 気を悪くしたならごめんなさい」

「いえ、役得だと思ってますから」

「あら、お世辞も上手になったのね。さすがノエル」

「お褒めに預かり光栄ですが、俺は気の利いた世辞なんて言えませんよ」

「え?」


 見上げるとノエルはいつもの笑みで視線を受け止めて何も言わなかった。




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