第11話 レベル上げしています


『クラティア戦記』には様々なルートがある。


 エンディングは大別してベスト、グッド、ノーマル、バッド、死亡の5つ。

 そこに向かう過程はまさにプレイヤー依存、千差万別だ。誰に味方するか敵対するか、生かすか殺すか、主人公と各キャラクターの好感度も非常に重要だ。


 バッドエンドを回避するための第一目標は、我が国を訪問したリデルフィア王国のエミリア王女を守ること。

 さらにハッピーエンドが近くなるのはエミリア王女がどちらかの王子様と恋に落ちるパターンだ。二国の結束が深まり、古い体制が一新され、二つの国は友好関係を築いていく……、そうなればノーマルエンド以上は確定する。ただ、誰と誰が恋に落ちるなんて外からどうにかできるものではない。いかに主人公『ノエル』といえども、王子の恋模様をどうこうするのは荷が重すぎるだろう。




「ノエル様、カップをソーサーに置くときには音をたてないように」

「はっ」


 そんな重い荷物を背負った主人公は、お茶の時間である。

 丸テーブルについているのは私とノエル君。そして傍らではこの家の家令たるシドニーが彼の一挙手一投足に目を光らせている。ノエルがこの邸に通うようになってから一週間が過ぎた。食事も一緒、お茶の時間も一緒、ダンスの稽古だって一緒だ。

 その全ての時間が彼の行儀見習いの時間でもある。


「はい、結構です。だいぶサマになってきましたね、ノエル様」

「シドニーさんのご指導の賜物です」


 キリッとした顔でそう返すノエル君が可笑しくて、私は危うく吹き出しそうになった。危ない危ない。これでは私のほうがシドニーにお小言をくらってしまう。


「シドニー、今日はこのくらいにしておきましょうか」

「はい、お嬢様」

「お仕事があるのに、私のわがままに付き合ってくれてありがとう」

「いえ、なかなか鍛えがいのある生徒で、久々に楽しゅうございます。では、私はこれにて」


 完璧な一礼を残してシドニーが出ていくと、向かいの席に座ったノエル君からぷしゅうっと空気が抜けた。


「はああ、疲れた!」

「まあ、大丈夫?」

「誰のせいだと思ってるんです?」

「シドニーかしら。でも、彼は優秀な先生でしょう?」

「……アリス様、俺はお嬢様の護衛ですよね」

「ええ、おかげで心強いわ」

「護衛の仕事に、行儀見習いって必要でしょうか?」

「あら、良い質問ね」


 あの顔合わせから一週間。

 ノエル君が気軽にそう訊いてくるくらいには、私たちは打ち解けていた。ノエルは、付き合ってみるとなかなかチートな人間だった。頭の回転と運動神経が良く、飲み込みも早い。しかし適度に抜けていて人懐こく、誰からも好かれるとっておきの笑顔を持っている。おかげでシドニーやアンナのみならず、うちの使用人は皆すぐに彼のことが好きになった。

 うん、まさに主人公、さすが主人公。


「いいこと、ノエル」

「はい」

「ノエルはまだ見習いとはいえ騎士様で、これから公の場に出ることも多くなると思います。実際、エミリア王女の歓迎パーティでは私の護衛をしていただくつもりだし、お兄様方の都合がつかなければエスコートしていただくことになるかもしれません」

「エスコート? だ、誰のです?」

「だから、私のです」」

「むっ、無理ですって!俺みたいな田舎者がアリス様みたいなご令嬢のエスコートとか、ありえない」

「と、思ってしまうでしょう? だから、そういう時のための行儀見習いなの。王都で…というか、騎士として暮らしていくなら、礼儀作法やダンスは絶対に必要だもの。身に着けておいて損は無いはずです」

「………」

「折角ご縁があって、こうして一緒にいるのですもの。守っていただいてばかりでは申し訳ないわ。だから、ここで学べることは全部学んで行って欲しいと思っているの」

「アリス様……」


 ノエル君は感動したように私を見ている。

 うーん、さすが主人公、純真と言うかまっすぐ過ぎるというかバカみたいに単純というか、ものすごく御しやすくてこちらが気おくれしてしまいます。でも、嘘は言っていない。ここで主人公としてのスキルを上げまくっておけば、絶対後々楽になるから!

 ダメ押しに、とっておきの『にっこり』を披露して、ノエルを見上げる。


「一緒に頑張りましょう、ノエル」

「はい! ありがとうございます」


 扱いやすいノエル君はここにきて一番の良い返事をくれた。

 うん、これなら大丈夫かな?


 私は彼と新しいレッスンを始めることを決めた。




「ア、アリス様…」

「なあに、ノエル」

「行儀作法はわかります。ダンスも頑張ります。でも、これは…」

「大丈夫よ」


 場所は中庭。

 昼下がりの太陽は温かく、時折爽やかな風が吹き抜ける。

 うん、稽古には絶好のお日和じゃないかしら?


「何が大丈夫なのか、理解できないんですが…」

「だから、どこからでも打ち込んで来ていただいて結構よ?」


 言いながら、私は細身の模造剣を構えた。いきなり真剣だと、怪我しちゃうかもしれないからね。もちろんノエル君に渡したのも模造剣だ。当たったら痛いけど、最悪骨にひびが入るくらいで死にはしないから大丈夫。

 もちろん私はドレスから動きやすい乗馬服に着替え、軽くプロテクターも装着している。遠慮はいらないわ、さあ、どこからでもかかってきなさい。


「さあ、ノエル」

「……」


 促すと、しぶしぶといった様子でノエル君は剣を構えた。ああ、全然本気じゃない。そんな構えでは、怪我をしますわよ?


「では、こちらから行きます」

「えっ?」


 ノエル君が反応するより早く、私は地面を蹴って一気に間合いを詰めた。肩当てのあたりを狙って袈裟懸けに剣を振り下ろす。


「くっ、」


 その一撃で、ノエル君の目の色が変わった。私の剣が肩に当たる前に、ワンステップで横に避ける。わずかに崩れたバランスを見逃さず、空気を切った刃を切り返して横に払った。ガツ、と鈍い音がして、危機一髪ノエル君の剣が私の剣を防ぐ。うん、さすが騎士団へ推薦を受けただけのことはある。

 踏ん張った右足に左足を寄せて、ノエル君が中段に剣を構え直した。先刻とは顔つきが変わって、不覚にもゾクゾクしてしまう。


「――マジっすか」

「もちろん本気です」


 アーサー様ほどではないけれど、ノエル君と私では体格が違う。まともに当たったら力負けするのは目に見えている。距離をとってから足元を狙うか、隙を見て横か背後にまわるか。思案している間に、ノエル君が動いた。腕当てを狙っているのだろう、剣の動きが見える。なるべく相手を傷つけず、迅速に決着をつけるなら剣を落とすのが一番ですものね。しかし手を狙うと痣が残るかもしれない。だから腕当てを狙って、痺れさせるつもりでしょう? 一瞬の判断としては冷静だけど、それで勝とうとしているなら甘いですわ。


「…っ」


 剣先だけでノエルの一撃を払って、私は身体を沈め、地面に手をついて水平蹴りを繰り出す。前のめりになっていたノエル君の左足を祓うと、彼は完全にバランスを失った。倒れていく身体を見送り、体を入れ替える。かろうじて転ばなかったがら空きの首筋に刀身をピタリと寄せれば、勝負ありだ。


「私の勝ち、ですわね?」

「……」


 かなりの間フリーズしてから、ノエル君はゆっくりとこちらを振り向いた。戸惑いはほんの少しだけ、その目に浮かんでいるのは興味と喜びの色だ。ああ、それでこそ主人公。


 もっと強い奴と戦いたいですか?

 ワクワクしちゃってくれてるのかしら。


「アリス様、あなたは何者ですか?」


 ノエル君は一足飛びに核心を突いた。

 これだから主人公ってやつは、どうして妙にカンが良いのかしら。けれど私はにっこり笑って現在の私の全てを答えにする。


「私はアリス・オーウェン。オーウェン伯爵家の末の娘です」

「なるほど、剣筋はアーサー様によく似ておられる。参りました」

「まだまだよ。ノエルが油断してなかったら敵わなかったわ」

「ご謙遜を」


 剣を引くと、ノエルは立ち上がってうやうやしく一礼をした。うん、そのお辞儀は百点満点、どこから見ても立派な騎士様です。

 しかし顔を上げると、彼は悪童っぽくニヤリと笑った。


「貴族のお嬢様って、もうちょっとおしとやかなもんだと思ってました」

「あら、どういう意味かしら」

「入団早々最高の仕事にありつけたなって、お導きに感謝してるとこです」

「よかった。私も最高の護衛に来てもらえたって、今思っていたところなの」



 こうしてノエル君と私の距離はぐっと近づいた。

『クラティア戦記』のゲーム内なら、かなり友好度が上がったと思う。ゲームのキャラクターに『アリス』がいたら、ペアエンディングも夢じゃない勢いだ。


 真面目な話、ノエル君はゲーム内の女の子を次々落としていく、カサノヴァのようなポテンシャルを秘めているからなぁ。おかしなフラグが立たないように気をつけなくっちゃ……。


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