第9話 アリスの護衛


 お茶を飲み、旅の埃をお湯で流して、しばらく休憩したらもう夕食の時刻だ。

 

 今日は本当に挨拶だけで済んだらしく、早々に帰ってきた兄二人も一緒にテーブルを囲んだ。コックのバーナードが腕を振るった料理が次々に並べられ、私は歓喜した。だって、すごくお腹空いていたんですもの。


 デザートのベリーのタルトを完食して幸せな気持ちでお茶を飲んでいると、斜め向かいに座ったニコラスお兄様がおもむろに口を開いた。


「アリス」

「はい、お兄様」

「アーサーと相談したんだけれど、王都にいる間、君に護衛を一人つけることにしたよ」

「護衛?」


 思わず聞き返して首を傾げる。これまで何度も王都には滞在しているけど、護衛なんてただの一度もついたことはない。それに自分の身くらい自分で守れますわ。でなきゃ毎日泥だらけになって鍛錬してきた意味がありません。


「必要ないと思いますけれど…」

「アリスの腕は認めているよ。けれど、こういうのは看板も大事だ」

「看板?」

「この家は守りが厳重だ、手は出せないぞと思わせる看板だよ。アリスはどこから見てもか弱いお嬢様だから、看板にはなれない」


 なるほど、それはそうだろう。警備がしっかりしていると示すことは大切ですよね。私、今度闘技大会にでも出てみようかしら……。


「これまでは、私かアーサー、どちらかが早めに戻るようにしていた。しかし、今回ばかりは難しそうだ。ものすごく不本意だけど王女の訪問が終わるまで、私もアーサーも忙しくなるだろう。夜、城に泊まりこみでこの邸に戻れないこともある」

「まあ、そんなに大変ですの? ニコラス兄様、アーサー兄様、どうぞご無理だけはなさらないで下さいね」

「ああ、アリスはなんて優しいんだ!」


 いえ、普通に心配なだけです。特に大袈裟に感動しているニコラス兄様は普段鍛えてないから、無理が効かないと思うんだ。大丈夫かしら……。

 それにしても護衛かあ。考えたこともなかった。


「アリス、現在王都は表面ほど平穏なわけではない。この邸には万が一の場合、戦力になりそうな男は一人もいないだろう」


 ニコラス兄様の言葉を、アーサー様が補足する。

 確かにシドニーは大分お腹が出ているし、雑用をこなしてくれているゼトは戦うには歳をとりすぎている。コックのバーナードも刃物といえば包丁専門で、戦力になるとは言い難い。おそらく、兄たちのいないこの邸では一番の戦力は私自身だ。


「お兄様たちがそう仰るなら、もちろん異論はありません」

「うん。私も君の護衛を他人に任せるのは本意ではない。しかし、私も爵位を頂いている身だからね。たまには働かないと」


 意味も無く右手をひらひらさせて、ニコラス兄様はあいかわらず軽い。

 たまではなく今回だけはきちんと働いて下さい、お兄様。お兄様が本気になればこの国を覆すことも可能ですのよ? そういうエンディングもありましたもの。ただし、王家転覆からのクーデター、革命後の恐怖政治という絵に描いたようなバッドエンディングでしたけど……ぶるぶるぶる、やっぱりニコラス兄様は適当に働くくらいがちょうど良いのかもしれない。


「兄上はもう少し働いても良いと思いますが」


 とか考えていたら、真面目な次兄が私の心の内を代弁してくれた。


「アーサーは働き過ぎだと思うけどね」

「普通です」


 ばっさり切り捨ててからアーサー様は私に向き直る。


「護衛の話だが」

「はい」

「騎士団もしばらく多忙になることが予想される。伯爵家の令嬢を守るのに古参の手練れをまわすことは不可能だ。かといって、実戦経験のない者では話にならないし、貴族のボンボン共ならいないほうが良い」

「難しいですわね」

「よって不本意ではあるが、例の『新人』をお前の護衛につけようと思う。もちろん相応の技量があるか確認をしてから、の話だが」


 新人……というと、ひょっとしてノエル(仮)のこと?

 こんなに早く主人公に会えるの!? というか、私がぜひ会いたいと願っていたから、アーサー様が手をまわして下さったのですよね? しかしそんなことはおくびにも出さず、淡々と話は続く。


「彼を騎士団に推薦したノートン子爵は、父上の部下だった方で信頼がおける。自警団としての活躍が認められての推挙だから実践経験もあるだろうし、ある程度腕もたつだろう。アリスさえよければ話を進めるが…」

「もちろん、良いに決まっています! こちらからお願いしたいくらいのお話だもの」


 私がここぞとばかりに身を乗り出すと、ニコラス兄様が渋い顔をした。


「アーサー、その新人はやはり男か?」

「残念ながら」

「ふうん」


 あら、やっぱり男性でしたの?

 女主人公なら距離も詰めやすいと思っていたのに、確かにちょっぴり残念かも。けど考えようによっては男性でよかったかな。絶対数の少ない女性騎士は、色々な意味で安全な護衛として王族や公爵家のやんごとない令嬢のもとに優先的に配される。つまり、伯爵家の養女のところまでまわってくる可能性は低いということだ。


 その点、ノエル君は商家出身でポッと出の新人、推薦人は子爵、おまけに男性だもの、身分の高いご令嬢からは敬遠される。おかげで私の護衛にすんなり決まったのだから結果オーライですわ!


「男か……はあ、心配だ」

「何がですか?」

「ほら、よくあるだろう。護衛の騎士と姫君の道ならぬ恋とか、駆け落ちとか、心中とか」

「兄上、三文小説の読み過ぎです」

「あら、万が一恋に落ちたらきちんと報告いたしますわ。駆け落ちも心中もしないとお約束致します」


 幸いなことに私は姫君ではなく、伯爵家の養女だもの。騎士様との恋愛にさほど障害は無いはず。しかし、ニコラス兄様は深いため息をつき、アーサー様はひとつ咳払いをしたあと真顔で(アーサー様はたいてい真顔だ)私に向き直った。


「アリス、兄上の言うことは気にしなくて良い」

「はい、アーサー兄様」

「しかし、できれば恋に落ちる前に俺に報告してくれ」


 はい?

 聞き間違えかしら、それとも何かの冗談?

 そう思ってアーサー兄様の顔をじっと見詰めてみたけれど、どうやら本気らしいということがわかって私は困惑した。恋に落ちる前に報告って、可能かしら? 騎士団の皆さまは、恋に落ちる時に上司に報告をしなければならないとか? 

 

 うん、貴族の作法や慣習は死ぬほど勉強したけど、騎士の決まり事はまだまだ把握できていないのよね。勉強不足を反省しつつ、私は兄様に頷いてみせる。


「わかりました、善処いたします」

「ああ」


 なにやら黄昏ているニコラス兄様を背景に、アーサー様が口元を緩めた。やだ、超レアなアーサー様の笑顔! ほれぼれするほどカッコよいです、お兄様!


 ええ、ブラコンなのは嫌というほど自覚してるので放っておいて下さいませ。



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