第8話 王都の我が家


 クラティア王国、王都エルゼタ。


 王都の名にふさわしく、城壁に囲まれた華やかな都市だ。

 我がオーウェン伯爵領からはのんびり進んでも馬車で数日、存外近い。中央には王家権力の象徴ともいえる豪奢な王城、その周りを囲む市も広場も賑やかで、石畳の敷かれた通りは美しく整備されている。


 王都に入るには東西南北のどこかの城門を必ず通らねばならず、身分証明が必要なため治安も悪くは無い。まあ、身分証明といっても辺境の村長の紹介状とか、冒険者や職人ギルドの登録証などでもオッケーなので、抜け道も多いという話だ。



「アーサー様、お帰りなさいませ。ニコラス様、アリス様、お久しゅうございます」


 もちろん、オーウェン家は王都にもお屋敷を構えている。玄関まで迎えに来てくれたのは留守中王都の邸を管理してくれている家令のシドニー。ちなみに彼の妻のアンナはベテランのメイド頭である。


「シドニー、変わりはないか?」

「はい、邸も王都も、いたって平和でございます」


 アーサー様の問いかけに、シドニーは頭を下げて返答を寄越した。ここではどちらかといえば王都に駐在しているアーサー様が主、ニコラス兄様と私はお客様扱いだ。


「アリス、大丈夫かい?」

「はい、お兄様」


 先に降りたニコラス兄様の手を借りて、馬車を降りる。長い間座っていたのでちょっとお尻が痛いけど、表情には出さない。痛いとか辛いとか口にしたら最後、今日はベッドから出してはもらえないだろう。もっと小さいころ、うっかり『少し馬車に酔いました』と答えたら、ニコラス兄様が大騒ぎでお医者様を呼んだことがあって、流石に懲りました。ただの馬車酔いなのに、恥ずかしいったらない。

 お兄様は今も昔も変わらず過保護過ぎます。


「まあ、旦那様、お嬢様!お帰りなさいませ」


 邸に入ると、アンナが満面の笑みで迎えてくれた。

 早くに母親を亡くしたご兄弟にとっては母親代わり、見るからに肝っ玉母さん風で兄様たちも私も頭が上がらない。


「お帰りなさいませ」


 アンナの声が合図だったのか、使用人たちも一斉にお辞儀をした。

 練習でもしたのかしらと思うくらい動きが揃っていて、いつも感心してしまう。

 シドニー、アンナの他にメイドが数名とコックが二人、雑用をこなしてくれるおじいさんがひとり。どうしても手が足りない時には近所の少年が手伝いに来てくれる。領地の屋敷に比べたらここはこじんまりしているし、普段住んでいるのはアーサー様お一人なので、使用人はこれでも多すぎるほどらしい。


「やあ、アンナ。また厄介になるよ」


 にこにこしながらニコラス兄様が言うと、隣で真面目なアーサー様がわずかに眉をひそめた。


「兄上、この邸の主は兄上ですので」

「今はどっちかっていうとお前の家だろう? ずっと住んでいるんだし」


 どちらでも同じことだと思いますわ、お兄様方。


「ではアリス、私はチラっと城に顔を出してくるよ」

「ちらっとではなくきちんと挨拶をしてください、兄上」

「わかってるさ。アーサーはまったく冗談が通じないな」

「冗談か本気か判別しにくいから苦言をするのです」


 またつまらないことで言い合いをしてる。じいっと見ていると、私の視線に気付いたらしく、ニコラス兄様が両手をあげて首を振った。


「はいはい、わかったわかった――じゃあね、アリス。君はもう休みなさい」

「そうだな、疲れているだろう。ゆっくり休むといい」

「はい、お兄様。お帰りをお待ちしていますわ」


 玄関まで二人を見送ってから部屋に戻ると、待ち構えていたアンナが両手を広げ改めて私を迎えてくれた。


「まあまあ、慌ただしいこと。お嬢様、お元気そうでなによりです。ああ、またお綺麗になって」

「アンナはちっとも変わらない、いつまでも若いままよ」

「ま、お上手ですこと」


 コロコロ笑うと、アンナはポンポンと私の背中を叩く。


「さあ、お嬢様は少しお休みになってください。お湯の支度ができましたらお呼び致しますからね」

「ありがとう、アンナ」


 アンナは振り返ると、並んだメイドの一人を手招きした。


「さあマリー、お嬢様をご案内して」

「はい」


 マリーは、一昨年からこの邸に勤めている。いつも私の世話をしてくれているので、気安い相手だ。


「マリー、また会えてうれしいわ」

「お嬢様、マリーも同じ気持ちでございます。さ、お部屋へご案内いたします」


 階段を上っていくと、上の階から『にゃあ』と声が聞こえた。同時に黒猫が足元にするりと現れる。そうそう、忘れてた。『彼』もこの家の住人だ。


「まあ、ブラン。お前も元気だった?」

「ニャ」


 まるで言葉を理解しているように鳴くと、長いしっぽで私の足をくるりと撫でる。彼の歓迎の挨拶なのだ。


「ニャア」

「ニコラス兄様はお城よ、お仕事なの。たぶん今日はご挨拶だけだから、じきに戻られるわ」

「ニャ」

「ええ、またあとでね、ブラン」


 黒猫なのに『ブラン』。名付け親はニコラス兄様だ。

 優雅に去って行く黒猫を見送ると、マリーが感心したようにため息をついた。


「本当に、言葉が解かっているようですわね。お嬢様にちゃんとご挨拶しましたもの」

「ええ、賢い子だわ」

「あまり人には懐かないんです。姿が見えないことも多いし」

「そうねえ。ブランはニコラス兄様の猫だから、きっと特別なのよ」

「ま、だからお嬢様のことはお気に入りなのですね」


 マリーがふふっと笑う。

 意外なことに、ブランを拾ったのはニコラス兄様だ。ああ見えて兄様は動物に好かれる性質なのである。本人は特に動物好きというわけではないから、ちょっと不思議。領地の屋敷でもよく訓練された伝書鳩を何十羽も買っていて、時々アーサー様と連絡をとっていた。世話をするのはおおむね使用人なのに、猫も鳩も兄様の言うことはよく聞くのよね……ひょっとして一服盛っているとか……?


「さ、お嬢様、まずはお休み下さい。すぐお茶をお持ちしますわ」

「ありがとう、マリー」


 ちょっと首を傾げて微笑んでみせると、マリーは私の案内と言う仕事を終え、階下へ去って行った。




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