第7話 王子と兄弟


「アリス、疲れたかい?」


 話が途切れたので国を憂いながらぼんやり窓の外を見ていると、向かいに座ったニコラス兄様の声が私を現実に引き戻した。


「いえ、大丈夫です、ニコラス兄様」

「そう?」


 散漫なもの想いをどう勘違いしたのか、隣のアーサー様まで私の顔を覗き込んだ。普段ほとんど表情を変えない瞳が、ほんの少し気づかわしげに私を見詰める。


「心配しなくても良い。兄上が真面目に仕事をすれば、舞踏会の暗殺自体を防ぐことも可能だ」

「今日はずいぶん持ち上げるね、アーサー」

「事実を述べたまでです」


 わあ、ホント高評価だぁ。

 アーサー様はニコラス兄様の手腕を心から信用しているみたい、少し意外、だいぶ意外。お城では一緒に仕事をすることも多いというから間違いはないのだろうけど……領地のニコラス兄様はまごうことなき昼行燈だ。そんなお仕事ができるお兄様の姿はちょっと想像できません。


「そう褒めなくても、王女の警備には最善は尽くすって」


 ニコラス兄様はひょいと肩を竦めた。

 軽い。あまりにも軽すぎる。


「しかし、今回防いだだけでは根本的な解決にはならないだろう?」


 その通りなのだ。

 クラティア王国は今、非常に不安定な状態にある。国王はご病気で静養中、後ろ盾のない王太子ユリウス様に対して、弟のアルバート様には王妃と宰相がついている。この歪んだ力関係を解消しない限り問題は解決しない。


 ゲーム『クラティア戦記』では、ユリウス王子に味方するルートが『王道』で、多くのグッドエンドを迎えられた。対してアルバート王子に味方した場合はなかなかに茨の道が待っている。もちろん「ペアエンドを含めエンディングは50以上!」というのが売りのゲームだったので、私も全てを知っているわけではない。どうやら私はネタバレ否定派だったらしいですわ、残念。そうでなくてもこの『現世』での暮らしが長くなるにつれ、『前世』の記憶は薄れ続けている。


 考えてみれば私が最後にクラティア戦記をプレイしたのは、体感で10年以上前のことなのだ。忘れないようにとこつこつ書き溜めた覚え書きはあるけど、それだけでは心もとない。


 ああ、神様。

 今願いが叶うなら、『クラティア戦記』の攻略本を召喚させて下さい!!


「アーサーは、やはりユリウス王子が国王になるべきだと考えているのかな」

「第一王子が国を継ぐのは道理かと」

「まあ、制度的にはそうだね」

「制度や慣例は不要な争いが起こらないよう、定められているものです」

「本人の意思は?」

「それは」


 一瞬言い淀んだアーサー様に軽く笑ってみせて、ニコラス兄様は畳みかけた。


「アーサーは学生時代、王太子と親しかっただろう」

「あのう……ユリウス王子のお考え、私も知っておきたいです」


 私が口を挟むと、寡黙な次兄はデフォルトの仏頂面をこちらへと向けた。

現時点で王家に最も接点があるのはアーサー様だもの、できる限りの情報は共有しておきたい。ゲームの世界では主人公(プレイヤー)として物語に干渉し放題だったけれど、この現実ではそうはいかない。繰り返すが、私は主人公ではないのだ。お兄様たちはともかく、私は何の地位も無くお城に知り会いもいない、引きこもりがちな伯爵家の娘、それも拾われて育てられた養女に過ぎない。


「王太子は尊敬できる方だ」

「うんうん、文武両道、眉目秀麗、品行方正、王子としては申し分ないのは皆知ってる」


 おお、兄二人が口を揃えて手放しで褒めている!

 実際ユリウス王子は国民の人気も絶大だものね。サラサラの銀髪は亡くなったお母様譲り、紫紺の瞳は父親である国王陛下と同じ色。とはいえ、この情報はアリス・オーウェンとして得たものではなく、ゲーム『クラティア戦記』からの情報だ。残念ながら領地に引きこもっていた私自身には王太子を間近で眺める機会は無かった。


「それだけではありません。殿下は身分の上下に関係無く他者を思いやるお心を持っています」

「ご本人が微妙なお立場だ。人の痛みを我がことのように受け止める傾向があるね」


 うんうん、ほぼゲーム通りのできた方ということはよくわかった。

 知りたいのはその先だ。えっと、女性の好みとか? 人に言えないような性癖とか? 私個人としてはできればなにか王子に付けこむ……、じゃなかった、お近づきになるきっかけになるような情報が欲しいんだけど、真面目なアーサー様にそんなリクエストができるわけもない。


「王太子として責任は十分に果たしておられるが、実際のところ王座への執着は強くない」


 アーサー様はそこで少し迷うように言葉を止めた。眉間のしわが僅かに深くなる。


「……まだ学生だった頃だ。争いになるくらいなら王位継承権など要らないと、お心を明かしていただいたことがある」


 そっか。

 ユリウス王子の本音よりも、アーサー様とユリウス王子の関係に私は驚いていた。そんな話をするということは、ただの『ご学友』ではない。ユリウス王子はホントにアーサー様に心を許していたんだ。


「うーん、本人が良くても周囲がねえ。アルバート王子が世継ぎともなれば、権力はますます宰相と王妃に集中する」

「対立する重臣の方々からしてみれば、面白くない話だ」

「そうそう。そのへんについて、王太子はどう思っているのかな」

「いえ、そこまでは」


 つまり、ユリウス王子はほぼ『ゲーム』の設定どおり。少し不遇だけど清廉潔白で優しい王太子の鏡のような人。アーサー様の口ぶりから、ユリウス王子への忠誠は痛いほど伝わってきたから、迂闊なことは聞かないほうが無難だろう。


「ま、おおむね評判通りということだね。面白味には欠けるけど王太子としては申し分ない、と。誰かさんと気が合うわけだ」

「王太子や騎士に面白みが必要とも思えませんが」

「はは、そういうとこだよ」


 ニコラス兄様の軽口にややムッとしたのか、アーサー様は反撃に出た。


「では、次は兄上の番です」

「ん?何が?

「兄上は、アルバート王子のことをよくご存じのはず」

「まあ、そうなのですか?」

「王子の家庭教師だったからな」

「ええっ!」


 それは初耳です。ニコラス兄様が優秀な教師なのは身をもって知っていますけど、まさかアルバート王子も教えているとは思わなかった。


「他になり手がなかったから成り行きでね」

「難しい方でしたの?」

「いや、別に。ちょっと甘やかされすぎた嫌いはあるけど、バ……、単純で扱いやすい面白い生徒だったよ」


 いや、今完全にバカって言いかけましたよね?

 確かにアルバート王子はユリウス王子と比べて、色々と問題があるという噂は私の耳にすら届いている。『クラティア戦記』でもかなりの問題児として描かれていたからそういう性格なんだろう。

 私個人としては……、実は『アルバート王子』には特別な思い入れがある。


「優秀ではないが、我が強くて行動力はある。あの手この手で授業をサボろうとして飽きなかったよ。意外とああいうタイプの王も面白いかもしれない」


 あれ、ニコラス兄様からまさかの高評価?


「兄上」


 しかしアーサー様の声にわずかに咎めるような色が混じって、私までドキリとした。


「王太子はユリウス様です」

「まあまあ、単なる感想だ。そもそもアルバート王子のことを話せと言ったのはお前だろう、アーサー」

「しかし、兄上」


 不敬です、と言いたげなアーサー様をニコラス様は右手でひらりと制した。


「正直私はどちらが王になってもかまわない。けど、アルバート王子本人はユリウス王子を差し置いて王になろうなんて強い野心は無いと思うよ」

「どういう意味です?」

「言葉通りさ」


 アーサー様が口をへの字にした。

 ニコラス兄様、本当に人を煙に巻くのが好きなんだから。けど言葉通りに受け取るなら、問題はアルバート王子本人ではなくその周囲、つまり王妃と宰相。どちらにしても難敵には違いない。


 

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