第5話 はじまりはじまり


 語りはじめてみたものの、これは正気を疑われても仕方ないなと気付く。


 まず記憶の曖昧な前世の話で躓いた。次に『ゲーム』というモノの解説。さらにマルチエンディングの説明が難しすぎて、少し途方に暮れた。

 そもそも『クラティア戦記』は複雑過ぎて、分岐が多すぎて、相当やりこんでいた私でもすべてのエンディング、イベントをクリアしていたわけではない。加えてこの世界の暮らしが長く、記憶がかなり曖昧になりつつある。


 とりあえず、この世界は私が前世で遊んだ結末が変わる物語(ゲームのことだ)にそっくりだということ、いずれ王子二人が対立し大きな争いが起こる可能性があること、隣国の王女の訪問がその戦乱のきっかけになるかもしれないこと。とっちらかったまま話したものの、我ながら突拍子なさすぎてとても信じられる内容ではない。


 それてもお兄様たちは真面目な顔で耳を傾けてくれた。

 だから戦乱で二人が対立する未来を打ち明けた時は、勝手に涙がぼろぼろ零れた。何度も言葉に詰まる私を、アーサー様が背中を撫でて慰めてくれた。



「前世か。うん、なかなか面白い」


 一通り話し終えると、ニコラス兄様が真顔で小さくつぶやいた。


「いいえ、信じ難い話だとは思いますが、妄想でも空想でも面白い話でもありません」

「いや、私も覚えていたら面白いのになぁって意味」


 ニコラス様はにっこりと笑う。なんだかその笑顔が、いつもより生き生きしているような気がするのは気のせいだろうか。


「ではアリス、君は最初から私たちの未来を知っていたんだね」

「未来というか、あくまで可能性です」

「その、『ゲーム』? 読むたびに結末がかわる物語っていうのは、興味深いな」

「興味深い?」

「大切なのは運命は変えられるという事実、そこだけだ」


 ニコラス兄様の言葉を受けるように、アーサー様が囁いた。


「うん、その通り。決められた未来なんて面白くないからね。えーっと、エミリア王女の訪問がきっかけになるんだっけ?」

「そうです…、あ、その前に主人公!」

「主人公?」

「アーサー様!」

「アーサー兄様、だろう?」


 すかさずニコラス兄様のチェックが入った。そんなこと言ってる場合か!いや、反論するのも面倒なので従っておこう。


「……アーサー兄様、騎士団に新しい方が入団する予定はありませんか?」


 時系列でいえば、主人公『ノエル』の騎士団入りが先だったはず。

 果たして、アーサー様は頷いた。


「ああ、そういえば来週付けで一人」

「貴族か?」

「いえ、モーリス子爵領で自警団を結成していたとか。生まれは商家で、実績と腕が認められて、推薦されたと聞いています」

「やっぱり!」


 ああ、間違いない。彼だ。いや、彼女かな? とにかく、その人が『主人公』だ。不謹慎かもしれないけど、ものすごーく会ってみたい! 

 私の表情を見て、心を読んだらしいニコラス兄様が微妙な笑みを浮かべる。


「その新人も、物語に出てくるんだね」

「はい。重要人物です」

「それで、アリスはどうしたいの?」

「え?」

「とりあえず、私はアーサーと対立する気はない。アリスが悲しむし、可愛げは足りないけれど大事な弟だ」

「可愛げ云々はともかく、その件については兄上に同意します」


 断言された。

 ということは、一番回避したかった未来はとりあえずクリアしてしまった……のかな? ニコラス兄様とアーサー様が憎しみ合って敵対するのだけは絶対見たくなかったから、早くも肩の荷が下りたかも。こんなことならもっと早く打ち明けておけばよかった……いやちょっと待って、まだ問題が解決したわけではない。貴族や騎士には、面倒くさい人間関係があるのだ。


「だけど王子たちの争いを止めないと」

「王子のことは、まあどっちでもいいかな。あ、アーサーはユリウス王子と学友なんだっけ? 確か仲良かったよね」

「はい」

「じゃあ、ユリウス王子についておこうか? このさい私も付き合うよ」

「兄上の上司は宰相でしょう。宰相は王妃の叔父です。アルバート王子の大叔父にあたります。兄上がおおっぴらにユリウス王子につけば、新たな火種になりかねません」


 ほらやっぱり! 敵味方になってしまう。八つ当たり気味にニコラス兄様を睨むと、兄は何故か面白そうにふんふんと頷いていた。


「うん、なるほど。こうやってしがらみに逆らえず巻き込まれていくわけだ」

「楽しそうですね、兄上」

「アリスの言うこと間違いがないから、愉快なだけだよ」

「愉快なことなんて、ひとつもありません」

「そうだな……じゃあ、逃げようか」

「え?」


 兄様の声はお気楽そのものだ。


「ほら、うちの領地、南のはずれにもあるからさ。この土地は引き払って、そっちに移る? あっちは放牧地ばっかりだけど、アリスは動物が好きだろう。そこでなら平和に暮らせるよ。今まで通り」

「でも、ニコラス兄様にはお仕事が」

「アリスが望むなら喜んで隠居する。なんなら小さい畑でも耕して何か作ろう」

「でも…、でも、アーサー兄様は?」

「アーサーも来たければ騎士団を辞めればいい」


 ね、と話を振られたアーサー様はわずかに眉間にしわを寄せて、ニコラス兄様に冷たい視線を送った。


「すぐに職を辞するのは無理です。それは兄上も同じでしょう」


 うわあ、声も絶対零度だ。怖い、アーサー様が怖い。しかしアーサー様の冷気をものともしていないニコラス兄様も相当だ。


「そうだね。円満に辞めるには、半年…いや、2、3ヶ月でなんとかなるかな。ああ、それじゃ間に合わないね。ま、別に円満じゃなければいつでも辞めれるし」

「エミリア様の訪問はもうすぐです。兄上には、宰相から直々に招集がかかっていることをお忘れなく」


 アーサー兄様が怒るのも無理はない。なにせ、騎士の鑑だからね。ちゃらんぽらんなニコラス兄様と違って、この国に忠誠をちかっているのだ。


 でも、私はどうだろう。正直、自分のことだけ考えたら、『逃げる』という選択肢はアリだ。私の世界は狭い。愛する家族さえ平穏に暮らせたら、それでいいという心はどこかにある。だけど、兄たちの立場、貴族と言う身分を鑑みれば、それがとんでもなく常識外れで身勝手なことだということくらい、理解はしている。まあ、世界の果てまで逃げるというならともかく、逃亡先が南の領地では、逃げても結局巻き込まれる可能性大だ。根本的な解決にはならない。

 それに。


「私たちが逃げたらこの領地の方たちが困ってしまいます。王都から近いし、戦が起こったら戦場になるかも……、皆、兄様を慕ってくれているというのに」


 兄様はへらへらした昼行燈のように見えて、良い領主なのだ。

 ゲームでは陰謀渦巻く中央政界で剛腕をふるっていたのだから、平和な自分の領土を治めるくらいのことは朝飯前なのだろう。近所の農家のおじさんが毎日のように採れたて野菜を届けてくれるのを、私は知っている。視察に行けば、馬車にあふれるほどの果物を頂いて帰って来る。みんな兄様を『領主様』と呼んでにこにこ挨拶してくれる。そんな領民を放っておいて、逃げるのは……人としてちょっとどうかと思う。

 私の反論を、ニコラス兄様は軽く受け止めた。


「うん、言ってみただけ。私もこの領地には愛着があるしね」


 もちろん最初から逃げるつもりなんてないよ、というように兄様は首を傾げる。表情の読めない黒い瞳が、私を映していた。私は兄様の言葉を待って、沈黙を守る。


「……一緒に王都へ行こうか、アリス。君がいてくれれば、頑張れる気がするよ」


 何かを諦めた声で、ニコラス兄様は私の望む言葉をくれた。だから私は大きく頷いて、兄様の手をぎゅっと握る。


「勿論ですわ、ニコラス兄様。お兄様のことは私が必ず守ります!!」

「ええぇえ、それは何か違う気がするなあ……おいアーサー、にやにやするな!」


 まあ、アーサー様のにやにや? 慌てて振り返ると、アーサー様はデフォルトの無表情だった。ニコラス兄様の声が1オクターブ低くなる。


「お前、本当に良い格好したがるよね。特にアリスの前では」

「普通です。兄上が緩すぎなのでは?」

「くっ、可愛くない」

「この年齢で兄上に可愛いなどと言われたら、虫唾が走ります」


 まるで宣戦布告のようにそう言い放って、アーサー様は今度こそ不敵な笑みを浮かべた。

 あれ、二人は仲良しだよね? 喧嘩しないよね……?




 三日後の朝、私たちは住み慣れた屋敷を後にした。

 ニコラス兄様の仕事の都合で、王都へ行ったり来たりは慣れているけれど、今回は少し感慨深い。


「お嬢様、どうぞお気を付けて」

「うん、テイラーも。せっかく主が留守にするんだから、少しは羽根を伸ばしてね」

「いえ、主あっての私共でございます。ご無事のお帰りを、心よりお待ちしております」


 テイラーの言葉で、並んだ使用人たちが一斉にお辞儀をした。

 私は何故か胸がいっぱいになって、泣き出してしまいそうだった。無理矢理抑えて、笑顔を作る。


「お土産買ってくるから。皆、待っててね」


 アーサー様の手を借りて、ひらりと馬車に乗り込む。

 最後に残ったニコラス兄様は、顔を上げたテイラーに、いつものように声をかけた。


「テイラー、留守を頼んだぞ」

「確かに、承ります」


 アーサー様と私が並んで腰かけて、ニコラス兄様は向かいに座った。馬車はゆっくりと走り出す。私は、窓から顔を出して、テイラーたちに手を振った。


「お行儀が悪いよ、アリス」

「この家のみんなは家族ですもの。別れを惜しむくらい許して下さるでしょう?」

「すぐに戻って来るよ」


 兄様が小さく笑う。隣のアーサー様は、背筋を伸ばしたまま私の髪を撫でた。

 窓の外の景色が流れ出す。美しく整えられたバラ園を通り抜け、お屋敷の門を出て……、私たちは王都へと向かう。

 うつろう景色を、青い小鳥がついと横切っていった。


 そう、私たちの物語はここからはじまる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る