第4話 足りないもの


 キンキン、と金属のぶつかり合う音が響く。


 午後のお茶の後、アーサー様に稽古をつけてもらっているのだ。

 はっきりいって、まともに間合いに入ったら勝ち目はない。私がアーサー様より優れているところがあるとすれば、小柄で小回りが利くところだけだ。ヒット・アンド・アウェイ。小刻みに打ち込んで隙をつく。問題は、アーサー様にちっとも隙ができないことだ。すべての攻撃を軽く受け流されている。


「くっ、」


 このままでは体力が持たない。じり貧だ。私は距離をとって、投げナイフを放つ。足元を狙ったそれをアーサー様が薙ぎ払うその隙をついて、上段から切りつけた。バックステップであっさり躱されたけど、想定内だ。私は勢いのまま突っ込んで、振り下ろした剣を切り返して横に払った。切っ先があと数センチでアーサー様の上着に届く……、と思った瞬間、キンッと鋭い音がして、私の手から剣が弾き飛ばされる。負けた。力が一気に抜けて私は思わず座り込んだ。じん、と手が痺れている。


「くっそぅ、」

「アリス、言葉遣い」

「嫌だ、私ったら」


 痺れる右手を押さえて、私はにっこり笑ってみせた。


「さすがアーサー様。参りました」

「いや、今のはよかった」


 アーサー様が唇を斜めにして笑う。うわーい、褒められた! ちょう嬉しい。剣については厳しいアーサー様は、滅多に褒めてくれないのだ。私は喜びを押し殺して呼吸を整える。


「アーサー様、私、少しは強くなってますか?」


 座り込んだ私の前に跪き、心配そうに私の手をとったアーサー様に思い切って聞いてみた。幼いころから剣の稽古はしている。できる限りの努力はしてきたつもりだけど、未だにアーサー様から一本取ったことはない。たまにへこむ。

 アーサー様は、私の問いかけにちょっと目を見開いた。


「アリスは、十分強い」

「でも、それは貴族のお嬢様としては強い、というレベルでしょう?」

「……」


 アーサー様は複雑な顔をして私の右手を見つめた。剣ダコを撫でられる。いやん、恥ずかしい。


「どうして」

「え?」

「どうしてそこまで強くなりたいと願う?」

「それは……、」


 それは兄様たちが争うのを、この国が戦乱に落ちるのを、どうにかして救いたいからだ。無理かもしれないと思いつつ、私はできる限りの努力をしてきた。貴族の令嬢としての礼儀作法やダンスはもちろん、いざという時に色仕掛けが使えるよう、美容にも最大限に気を使ってきた。もともとの素材は変えようがないけど、胸のボリュームが少し寂しいこと以外はまあまあイケてる部類、という自己評価を下している。


 勉強もものすごく頑張った。お嬢様学校へは行かなかったけれど、ニコラス兄様は非常に優秀な家庭教師だったので、この国の歴史から近隣諸国との関係、王宮における勢力図、数学、語学、自然科学、一般教養、果ては初歩の魔術講座まで、学べることはすべて頭に叩き込んだ。

 だけど足りない。

 まだ、まだ全然足りない。


「アーサー様」


 何と答えれば良いものか、迷いは私の声を震わせる。けれど、アーサー様は珍しく悪戯っぽい色を浮かべて、優しく微笑んだ。


「アーサー兄様、だろう?」

「その通りだ」

「ひっ」


 あらぬ方向からの声にビクッと体が震える。ぎぎぎと振り向くと、私のすぐ後ろにニコラス兄様が立っていた。びっくりして心臓が飛び出すかと思ったよ。気配を消して近づいてくるのはやめてほしい。


「ニ、ニコラス兄様。いつからいらしたのですか?」

「割と最初から。アリスが怪我でもしたら大変だからね」

「お言葉ですが、アリスに傷をつけるような真似はしません」

「アーサーが傷つけなくても、勝手に転んで擦り傷だらけになるだろう」


 ニコラス兄様は私の身体を上から下まで眺め、ひとつ息をついた。芝生の上に腰を下ろした私は土埃にまみれ、ひっつめた髪は乱れ、手のひらには新しいマメができかけている。けれど、それはアーサー様の罪ではない。ひとえに私が未熟だからだ。


「擦り傷なんて、なんでもありません」


 私は唇を咬んだ。少し剣を扱えるくらいではお話にならない。今の私では、アーサー様一人にすら全然適わないのに、騎士団にはアーサー様のような使い手がきっとゴロゴロしているのだろう。いざ事が起こったとき、今の私では何もできない。何も。


「……アリス、いい加減教えてくれないかな」


 黙ってしまった私をどうとらえたのか聞き慣れた苦笑交じりの声でそう言うと、ニコラス兄様はすぐそばに腰を下ろし、私の左手をとって握った。

 黒い瞳が、私の顔を覗き込む。


「君は何をそんなに恐れているの?」


 どきりと心臓が跳ねた。

 ニコラス兄様を見詰める。思えば、私が私としてこの家に来てから、たぶん一番運命をねじまげて傍にいてくれた人。


「私たちはね、何があっても君の味方だよ」


 ニコラス兄様は困ったような優しい笑顔で、ね、とアーサー様に目配せをする。アーサー様は当然と答えるより重く、深く頷いた。黒い瞳が2対、私を見詰めている。あまり似ていない二人だけど、瞳の色は同じだ。そしてそのまなざしは、同じように温かい。


「兄上の言う通りだ。アリス、お前が何を恐れているのか知らない。けれどその恐れを払うため、力が足りないと感じているのなら、俺はお前の剣にも、盾にもなろう」

「アーサー兄様…」

「ほら、君のアーサーもこう言ってる。話してごらん、アリス」

「ニコラス、兄様」


 瞬きをしたら、涙がこぼれた。兄様はそれを指先でそっと拭って小さく笑う。

 そうか、私は一人じゃなかった。一人だったら、これまで生きていることすら難しかった。私は空を見上げた。木々の間から覗く青は、どこまでも高く。


「……とても、突飛なお話なんです」

「うん、当たり前の話よりは面白そうだね」

「信じられないような話なんです」

「お前が語るなら、どんな話でも信じよう」


 二人の兄の言葉と、握られた手の温かさに励まされ、私はゆっくりと語りだした。




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