第3話 妹の気持ち


 心残りは、ある。


 私をひきとるとすぐに養子縁組をしてくれたけれど、ジェームズ様を『お父様』と素直に呼べなかった。呼んでくれと頼まれた時以外は、『ジェームズ様』と呼んでいた。二人の義兄に対しても同じだ。優しく頭を撫でてくれて、一緒に駆け回って遊んでくれて、時々は私を思いやって叱ってくれる年上の少年たちをすぐに大好きになったのに、なかなか素直に兄と呼ぶことはできなかった。


 今にして思えば、もっともっとジェームズ様に甘えてべったりくっついていれば何かができたかもしれないのに。


 私は、この世界の私の素性を思い出せない。おまけに奇妙な前世の記憶がある。この世界を心のどこかでゲームの世界だと認識していて、傍観していて、半ば諦めていた。そしてゲームの設定通り訪れたジェームズ様の死にショックを受け、泣き続けた。


 部屋に閉じこもって泣き続けた幼い義理の妹に、ニコラス兄様もアーサー様も、泣くなとは言わなかった。一度も言わなかった。二人は毎日交代で部屋に食事を運んでくれて、泣いている私の背を撫でてくれた。時には一緒に泣いてくれた。天気の良い日に私の好きな本を読んできかせてくれた。雨の日にはジェームズ様の想い出を話してくれた。


 私は、ゆっくりと立ち直った。二人の義兄によって再びこの世界に迎え入れられたのだ。今も、優しい兄たちの腕の中で生きている。生かされている。


 だから私は兄たちのためなら何でも、そう――何でもする。



「アリスは本当に可愛いな」

「あの、そろそろ離してください」

「ええ?嫌だよ」

「子供ですか?」

「兄上」

「む…」


 アーサー様の声で、ニコラス兄様も我に帰ったようだ。しぶしぶと言った様子で、腕の力が緩む。首だけで振り向くと、アーサー様は真顔だった。少しだけ緊張しているようにも見えて、何故かドキリとする。


「兄上、お話が」

「うん?そうか、今日帰ってきた理由をまだ聞いてなかったな」


 うわあ、やっぱりただの帰省ではない予感。ニコラス兄様も何か察知しているようだ。私には『心配性だね』なんて笑っていたくせに。食えないところはゲームの面影を残している。


「来月の末に、リデルフィア王国の王女のご訪問があります」


 前置き無しの淡々とした台詞に、私は叫び声を上げそうになった。


 来た! 

 ゲームのオープニング、来た! 

 しかしかろうじて表には出さない。そっと見上げると、ニコラス兄様もさほど興味なさげな表情だ。


「ああ、王子の見合いだろ?」

「おそらく」

「面倒だな」

「そうも言っていられません。当然王女は国賓ですから歓迎の宴が盛大に催されることになっています」

「うん」

「いずれ招待状が届くでしょうが、子爵以上は強制参加になるでしょう。人数が多くなれば危険も多くなる」

「うん」

「宰相からすぐに城に来るようにと、伝言を承っています」

「こき使うつもりだな。あの古狸め」

「そのような口の利き方は不敬かと」

「ああ、わかってる」


 どうやらニコラス兄様もお仕事に駆り出されるようだ。

気の毒に……じゃなかった。どうしよう。このままでは、ゲームの展開通りにことが進んでしまう。ニコラス兄様について王都に行くのは決定として、ここは私も宴とやらに出席したいと駄々をこねてみるべきだろうか。

 などと考えていたら、アーサー様の視線が私を捉え、名前を呼ばれた。


「アリス」

「はい」

「お前も舞踏会に招待されている」

「は…、」

「妹は体が弱いからと言ったのだが、断り切れなかった。すまない」

「アーサー様…、」


 頭を下げられて、私は慌てた。

 いやいや、渡りに船ですわ、アーサー兄様。舞踏会は若者の集いなので、ぶっちゃけ家柄子爵以上の未婚の男女が総動員されるんだろなあ。隣国の王女を歓迎するセレモニーの一環なら、盛り上げないわけにはいかないのだ。


 私は一応今年16なので、社交界デビューは済ませている。一度だけお城の舞踏会に出席して、ニコラス兄様とアーサー様と、一曲ずつ踊った。


 オーウェン家の末の妹が拾い子で養女であることは公然の秘密なので、当然好奇の目にさらされたけど、実はまったく気にしていない。気にしたのは兄たちのほうだった。誰かがこっそり影口を叩いたのを耳にしたらしく、珍しく二人して不機嫌になった。不機嫌ながら、その日は舞踏会の間中、私を女王さまのように恭しく扱った。

 以来、私はお城には行っていない。招待状は時々届くけれど、ニコラス兄様が握りつぶしている。


 私としても、ドレスは面倒だしダンスは恥ずかしいし、知らない人とうわべだけの会話は疲れるので、積極的に参加はしない方向でこれまで過ごして来た。

 しかしとうとうエミリア王女が来る、となれば話は別だ。


「いいえ、アーサー様」


 私はアーサー様を見据えた。


「私もぜひ、参加したいと思いますわ」

「アリス……」

「エミリア王女はお美しい方だと評判の方ですもの、一目拝見したいです。それに、ニコラス兄様もアーサー様もお城に行かれるのでしょう? 置いてけぼりは寂しゅうございますわ」

「アリス!」


 ぶふっ。

 再びニコラス兄様のほうに抱きしめられました。このシスコン兄貴、楽しんでるな、絶対。いえ、私も兄様のことは敬愛しております。本当です。でも、離してくださいってば!


「アリス、ひとつ言っておかねばならないことがある」


 もがいていると、ニコラス兄様の声が至近距離で囁いた。大事な話かと思わず身構える。


「何でしょう?」

「アーサーのことも、ちゃんと兄様と呼びなさい」

「……」


 そこお?

 脱力して首を巡らせるとアーサー様と目が合った。


『諦めなさい』

 

 目は口程に物を言う。アーサー兄様の声が、はっきりと聞こえたような気がした。




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