第2話 二人の兄
珍しい話なのか、それとも誰も言わないだけでよくある話なのか。
この世界は前世で遊び倒した『クラティア戦記』というゲームにそっくりだ。
ざっくり言うと身分の低い側室を母に持つ第一王子ユリウスと、王妃を母に持つ第二王子アルバートの王位継承権をめぐる争いを描いたゲームで、選択肢によるマルチエンディング有り、好感度によるペアエンディング有りという非常に自由度の高いゲームだった。
宰相、大臣、貴族、騎士団、果ては隣国の王女までを巻き込んで繰り広げられるこの争いに、お兄様たちも巻き込まれ、敵味方に別れて戦うことになってしまう。
アーサー兄様が生き残る確率は50パーセント、ニコラス兄様に至ってはほぼ0パーセント、最悪どちらも死んでしまう!
だから――、だからこそ、私は二人が争うのを絶対に止めたい。
この歳になるまで何不自由なく生きてこられたのは、お義父様と二人の兄のおかげだもの。私は絶対に――この身に代えてもこの家を、兄様たちを守ってみせる。
「アリス、そろそろ到着するよ」
あくる朝、部屋で本を読んでいたら昼行燈の兄が呼ぶ声が聞こえた。窓から外を見ると、遠くに豆粒のような馬車が見える。
「今行きます、ニコラス兄様」
私は窓際の椅子から立ち上がり、小さく息を吸った。毎晩ベッドの中で考えること、その続きを頭の中で展開する。現状ではニコラス様とアーサー様が対立する可能性は低いと思う。
だけど、王子二人はどうだろう。王位がかかっているうえ、それぞれの後ろ盾が対立しているのだから、王家の兄弟の諍いを止めるのは骨が折れそうな気がしますわ。
「アリス、早く」
ぼんやり考えていたら、しびれを切らしたのかニコラス兄様がドアを開けて呼びかけてきた。
「はい、ニコラス兄様」
私はもう一度窓の外をちらりと見て、ニコラス兄様と部屋を出た。
階段を降りると、テイラーが玄関の扉開けて恭しく頭を下げた。お礼を言って外に出ると、ちょうどアーサー様の馬車が到着したところだ。馬車の扉が開き、略装のアーサー様が降りてくる。
「アーサー様!」
私は彼の名を呼び、駆け出した。アーサー様が仏頂面のままこちらを見る。ぎりぎりのタイミングで、私は隠し持っていた投げナイフを兄めがけて放った。全部で6本。自分的には一本くらいアーサー様の服でもかすめてくれればいいな、と期待していたのだけど、下の兄は上の兄のように甘くはない。
腰に履いた剣を一瞬だけ閃かせると、アーサー様は全てのナイフを叩き落とした。
「ずいぶん熱烈な歓迎だな」
アーサー様が私を見て、ふっと笑う。いやだもう、さすがアーサー様、強い! かっこいい!
「おかえりなさい!」
私は今度こそ素直にアーサー様に抱きついた。渾身の体当たりだったというのに、アーサー様は微動だにせず、私の背中に手をまわし抱きしめて頬にキスをくれる。背後から、ニコラス兄様の苦笑交じりの声が聞こえた。
「やれやれ、お帰り、アーサー」
「兄上、ただいま戻りました」
私をぶら下げたまま、アーサー様はニコラス兄様に向かって器用に礼をした。
ベテラン執事テイラーは、アーサー様のためにいつにも増して完璧な午後のお茶を用意してくれた。ニコラス兄様は一人掛けのソファに座り、姿勢よくティーカップを傾けている。私は、帰って来たばかりのアーサー様と並んで座って、スコーンを頂いていた。とりあえず、アーサー様との距離は0である。くっついている。だってくっついていたいのだ!
「態度が違い過ぎると思うのだよ」
ニコラス兄様の声は不満げだ。何がそんなに不満なのかは知らない、知らない。
「顔を合わせるのは久しぶりですから、はしゃいでいるのでしょう」
アーサー様は常に平常運転である。時々わざとやってるのじゃないかと思えるくらいに、柳に風だ。私もアーサー様を見習うことにした。
「アーサー様。あの、後で稽古に付き合って下さいますか?」
「ああ、もちろん」
「わあ、嬉しい!」
何を隠そう、アーサー様は、私の武道の師匠で、いつでもかかって来て良いという許可も頂いているのだ。だから隙あらば師匠に挑むことにしている。体格的に劣る私に、剣だけでなく投げナイフを使うことを勧めてくれたのもアーサー様だった。アレのおかげで攻撃の幅が格段に広がったと思う。
私の攻撃がどんな形であれアーサー様の服でも髪でも掠めれば、一応一人前と認めてもらえる約束だ。義兄にして師匠。そして騎士の鑑。私は心からアーサー様を敬愛している。
「アリス」
「はい、ニコラス兄様」
「少し離れなさい」
「…はい」
アーサー様に蝉のようにくっついていたら、ニコラス兄様が不機嫌になりました。
もう、たまにしか会えないんだからいいじゃん。ニコラス兄様には毎日会えるじゃん。もちろん、私はニコラス兄様も大好きだ。だけど、思い切りぶつかっていくならやっぱりアーサー様でないと。
私の様子を見て何を思ったのか、ニコラス兄様はため息をついた。
「どうしてアリスはそんなにアーサーが好きなのかな」
「あら、ニコラス兄様も大好きです」
「だって、私にはあんなふうに思い切り抱き着いたりしないだろう」
「その前にナイフを投げますけど。ニコラス兄様、生きていられます?」
「む…」
「それに思い切りぶつかったら、転んでしまいません?」
「そ、それは大丈夫だ……たぶん」
「本当ですか?」
疑わし気に首を傾げてみせると、ニコラス兄様は立ちあがった。
「よし、今試してみよう。おいで」
両手を広げて胡乱な笑顔。うーん、やっぱりニコラス兄様ってシスコン? ゲームの中では冷静で頭が切れて時に非情な策略家だったのに、目の前の兄にはその面影はない。喜んでいいのか悲しんでいいのかわからなくて、私はふるふると首を振った。
「遠慮致します」
「ええ、ひどいな」
「……アリス」
いい年をして拗ねる兄を見ていられなかったのか、隣のアーサー様が私の名を呼んだ。ほとんど無表情だけど、その目に窘めるような色が浮かんでいる。私は仕方なく立ち上がって、ニコラス兄様に近づくときゅっと抱き着いた。毎日会っている兄様にべたべたするのは、本当はちょっぴり恥ずかしいのだけど。
ほら、私ももう(推定)16歳です。お年頃なのですよ?
「ニコラス兄様、久しぶりに家族が揃って、私、本当に幸せです」
「アリス!」
あーあ、ニコラス兄様に抱きしめられた。くんくんと匂いを嗅がれている気配もする。この人本当に大丈夫だろうか。慇懃無礼冷酷非情なゲームのニコラスとはまるで別人で、逆に心配になってくる。
「幸せ者は私だよ。こんな可愛い妹がいるのだからね」
耳元でニコラス兄様の声が囁いた。温かい気持ちと同時に、かすかな不安が胸に広がる。私は本当に欲張りなのだ。
「ま、可愛くない弟もいるけれど」
「お兄様ったら」
――本当の本当は、ジェームズ様の死を回避したかった。
『クラティア戦記』の開始時点でジェームズ様は既に亡くなっていたから、その死をどう阻止すればいいのかわからなくて、結局何もできなかったけど。ジェームズ様は、3年前王都で執務中に倒れ、それきり帰らぬ人となった。いまわの際に傍にいることすら叶わなかった。
あの時は泣いた。運命は変えられないのかと恐ろしくもあったし、何もできなかった無力感にさいなまれもした。自分を助け、育ててくれた大事な人を失ったことが悲しく、傷ついた。
ただ泣いて泣いて、泣いて――、それでも泣き止まない私を癒やしてくれたのは血の繋がらない二人の兄だったのだ。
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