エネルギー吸収→(3)

 夜間、若い女性が一人で外へ出歩いても日本では心配することはない、それが素晴らしいとラテン系の外国人が日本の良い所をテレビで語っているのを観た記憶がある。

 襲われるなんてはつゆほども思っていないが古谷はそれに近い不安があるのは間違いないと自覚している。ならどんな恐怖が待ち受けていると言うのか? 気持ちだけが早くとかしてアパートへと帰る。

 駅からアパートまで誰ともすれ違うことはなかった。車が数台、横の道路を通っただけ。これはこの不安を和らげるようで、また別の不安がやってくるような微妙なラインであったが、ここまで来ればもう大丈夫と、階段を上り鍵を開けて部屋へと入る。誰ともすれ違いたくないと思いつつも、一人もなんか嫌だというややこしい心境だった。

 電気を点けて廊下から部屋へ、鞄を床に置いて古谷の今日一日が終わる合図。後は空気が抜けたように脱力して、ベッドに寝転がるなりリラックスすればいい……。

「里英はきっと人混みとか関係なく周りの影響を受けやすいんだよ。しばらく引きずるくらいに。これからはもうちょっと私みたいに自分だけを考えて生きてみたら? これからもこんな風に自分には全く関係ないのに体調崩していたらバカらしいでしょ?」

 別れ際、角岡から言われた一言が何度も頭の中で再生される。部屋の中は無音に近いので本当に聴こえているようである。

 そう言われてみて思い当たる節はある。他人の失敗を目の前で見ると自分まで失敗してしまったのかというくらいに胸を痛める事は多々ある。それどころかフィクションであるドラマや映画を観ている時も同じように人並み以上に感情移入してしまうかもしれない。

 そんな性質を持っている人を共感性羞恥しゅうちとも言うそうだ。他人が叱られていたり、恥をかいている姿を見てしまうと自分ごとのように捉えてしまう人の事。

 今のご時世これらの情報がインターネット、SNS上で共有されて次から次へと新しい知識が身に付くのは難しい事ではなくなっている。古谷もこの分野の知識が少しずつ、着実に付き始めていた。

 では、今日は一体なにを受けて刺激されたのか?

 原因と思われているあの男。見るからに普通ではない、悪い意味で。足が放置しておけないほどの怪我しているはずなのに病院へ行き治療しているのか疑わしい。きっと訳あり、不幸な境遇であるのは容易に察しがつく。

「それだけで……?」

 例えば自分の目の前で怪我をしたわけではない。あくまで外見からそのような事が過去にあったかもしれないと言えるだけだ。古谷はその点に関して釈然としていない様子だ。

 あの男からはそのようなができるというだけで、なぜここまで影響を受けないといけないのか。さすがの古谷もそんなの嫌だと拒みたくなった。角岡の言う通りそんなの馬鹿げている。

 それでも今日、起きた事実は消えない。本当に自分は異常なまでに周囲の刺激で泣いてしまうくらいの影響を受けてしまうのか。原因は別の所にある、そうであってほしいと願い古谷は探究心を燃やす。

 一旦、立ち上がり部屋着に着替える事にした。そしてティファールでお湯を沸かしてホットココアを飲む。冷えた体を温める共に心を落ち着かせる。

 ここまで考えた事をまとめると、今日の件に関しては勝手な妄想が働いて悪化させているようにしか見えないような気がした。まさかとは思いたいが。

 あの幻は? 幻覚みたいなものが見えた。真っ暗な穴、青白い煙、見知らぬ男の声……あれも自分の妄想から生み出した産物なのか?

 それは違う、首を横にブルブル振った。己の内面から出てきたものではない、明らかに外部から奇襲をくらったようにやって来たはずだ。

 残りのココアをぐいっと飲み干す。一気に体が熱くなった。舌が痺れるようにヒリヒリした。その飲み干した勢いのままベッドへと潜り込み身を潜める。

 妄想、幻覚、幻聴。それらを体験した事のない古谷にそれは違うと断言できる事はできない。もしかしたらこういうものなのかもしれない。知らぬ間にそんなものを見る、聞いてしまう体、心になってしまったのかと思うと精神的ショックは思いの外、大きかった。

 次の日。古谷は最寄りの駅前のコンビニに寄りペッドボトル飲料を買おうと中に入る。飲料棚から今日はどれにしようか、選んでいる。

 棚からは背を向け横に立っている古谷と同じくらいの歳であろう女性が真っ直ぐ、奥の方をニヤニヤしながら見つめている。その女性を見られていると気づかれないようにチラッと横目で見る。

(彼氏がここで働いているのか。いいな。私もそろそろ彼氏欲しい)

先ほどの笑顔がさらに弾け飛んで手を振った。それを見た古谷は……。

(あっ、違った。どうやら片想いなのかな。気がついて手を振ってくれたからすごい喜んでいるみたい。……なるほど、あの子もここで働いているのか)

 買う飲料を手に取った古谷は振り返る。奥の、レジに立っている男性。斜め下を向いて何やら困っているような様子。目的を果たした女性は背を向けて満足そうだ。

(まだあの人は気がついていないみたいだけどさすがに今、あんな事をされてまさかって思っているみたいだね。この恋、実るのかな)

 会計中、その男性を間近で見るとまぁまぁ、かっこいい。いや、今は個性が埋没する仕事着を着ているからあまり冴えていないだけで似合う服装に変わればかなり良くなるのではという見込みがあった。

(私のバイト先もカッコイイ男子がいればいいんだけど)

そんな感想を漏らしつつ店を出た。

「ちょっとまって!」

「うわっ、なんだよ」

通りすがりの男性が思わず口に出してしまった。古谷も突然、道端で大きな声を出してしまい穴があったら隠れたかった。ちぢこまる古谷。

(どういうこと? なんで私、そんな事を知っているの……)


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