音を鳴らす者(4)

 中へ入るとひんやりとした空気が顔から胸、そして全身へと伝わる。三橋は目を閉じて、やや顔を上に向ける。その冷たい風を吸収するように受け止める。

 真夏の太陽が容赦なく照りつける時間帯を避けて夕方に外へ出たものの、顔を歪めてしまうような暑さである事には変わりなかった。その厳しい暑さに耐えながら自転車を漕いでようやくと言っていい気持ちで辿り着いた目的地のスーパーマーケット。自転車であれば10分足らずで着くがそれでもこの暑さではかなり体力は消耗する。今日はここで夏休みの宿題をやるのに必要な原稿用紙を買いに来ていた。

 原稿用紙が置いてある文房具売り場は三階、本屋と隣接している。早速エスカレーターに乗る。店内にはBGMが程良い音量で流れていた。それはどこから流れているのか、思わず天井を見上げてしまう。

 音。もはや三橋はこのような施設から流れる音を聞くだけでトラウマを刺激されたようにチクッと胸が痛んでしまう。実際、誰からも咎められる事はないがその音を操って無用に他人を驚かせたり、恐がらせたりしていた。

 あれからあの力は使っていない。他にはどのような物が対象となるのかその実験すらしていない。それでもどうしても携帯電話から着信音が鳴るたびに、音は鳴らなくても時計を見るたびに時おり思い出してしまう。

 昨今の夏は外へ出る気温ではないとこの夏休みも基本、家から出る事はなかったがこうして久しぶりに外の空気に触れた事によって、暑さも相まってその嫌な記憶を忘れる事ができていたとプラスの面を見出した矢先、それはなかなか困難だと天から降ってきた音で知る。

(こういう所から流れる音でもできるかもな)

 もう一つ、もしかしたら対象とできる『音』を見つけたかもしれない。同時にこんな事も考えてしまうのはまだ興味は捨て切れていない証か。まるでやめようと思ってもやめられない煙草や酒のように愚かにも同じ事を繰り返しそうになる。

 買うべき物を買ったら直ぐに帰る、その気にはなれないくらいまだ半袖Tシャツは汗で湿っている。もう少し、汗が乾くまで店内を適当にうろつく事にした。

 周りを見渡すとまだ子供だなと思う。年齢的にはまだまだ子供なのは間違いないが。

 特にあてもなくぶらぶら歩いているつもりだったが無意識に足を運んでいたのはおもちゃ売り場であった。もうキャラクター物の人形やぬいぐるみ、玩具を欲しがる歳ではないがゲームソフトもこの一帯にあるため暇つぶしにはちょうど良いと思いやって来た。真っ先にここへ来てしまうのが自分が思っているより子供だなということであろう。

 幼稚園児が目を輝かせて寄ってくるような売り場を通っていると手に取れるように見本品が置いてあった。遊びながらひらがな、カタカナを覚えられる玩具のようだ。持ち去られないように輪っか部分にある程度、長い鎖で繋がれている。小さな穴が何個も同じ箇所に集中していた。スピーカー部分、この玩具は音、音声が収録されていると分かる。

(やめておくか)

 これはもはや発作の一種かもしれないと自覚するようになった。が、公衆の場である。もう他人が気味が悪がるような事は止めようとなんとか踏み止まる。だが家にはすっかり姿を消してしまった玩具の数々にはこの力を使って音を鳴らせそうな物が幾つも有りそうだとは判った。思えば三橋も昔、ボタンなどを押せばアニメキャラクターの音声が流れるおもちゃを手にした事があるとふと過去を振り返る。

 ワクワク、ドキドキしながら触れていた。その音にときめき、笑顔が咲いたあの頃……三橋は立ち止まり床を見る。

(どうせ使うなら)

 はしゃぐ声がする。四、五歳くらいの男児がおもちゃ売り場にやって来た。その嬉しそうな様子を見つめた三橋。

 教会にある鐘のような音が幾つか鳴り反響している。その荘厳な音に三橋も耳を傾ける。十七時を知らせる鐘の音であった。本物の鐘が鳴っているわけではなく録音された音を流している。

 このスーパーには一階の食料品売り場のレジを抜けた先、広いスペースに先端が尖っているおしゃれな時計台が設置されてある。建物の構造が吹き抜けになっており各階ごとに天井がないためそれなりの高さがある時計台だ。時計台を囲むようにベンチも有り憩いの場のような場所。

 その鐘の音が鳴り終えると今度は柱の側面に設置されてあるハット帽を被り正装を着た人形の手が動き出して音楽が鳴る。まるでその人形達が持っている楽器で演奏していると見せる演出が施されていた。からくり時計のような仕掛けだ。

 これは一時間に一回、見る事ができる演出。久しぶりにタイミングが合い遭遇できたので三橋はその音楽が鳴り止むまで眺める事にした。

 時計の針が動き十七時一分になったところで終了した。人形達の動きも止まる。

「あぁ〜おわっちゃった」

 この世が終わってしまうような悲しみの声が聞こえてきた。走りながら時計台の周りに設置してある柵の手前まで寄って来た幼い女児が目を潤ませながら上を見上げる。

「あぁ〜残念だったね〜。間に合うと思ったんだけど。また今度だね」

 母親が直ぐに追いかけてきて娘を宥める。

「いやだ! つぎのがくるまで待つ」

 何かをつんざいてしまいそうな金切り声を上げる。近くにいる者は耳を塞ぐたくなる。

「今日のお買い物はそんな時間かからないから。それに次の待っていたら観たいアニメに間に合わなくなるよ」

「んっー」

女児は納得できないといった表情。こうすればなんとかなるのではないかと地団駄しながら抗議をしている。

 三橋は胸に詰まっていて息苦しい原因になっていた何かが不思議なくらいに瞬く間に溶けて下へきれいさっぱり流れていく感覚になった。おかげですっきりするくらいスースーする。迷わず時計台の方へ視線を移す。

(その願い、叶えてあげよう。えい)

 あの鐘の音が再び鳴る。これを聞いたベンチに座っている人々は時間が戻ったのかという錯覚に陥りながら驚いた様子で時計台を見上げる。

 辺りが大勢が集まっているスーパーとは思えないくらい不気味に静まり返っていると鐘の音が止んだと同時に分かる。

 華やかな音楽、誰かを祝福しているように奏でられている気がした。なんだか人形達も意志がありできるならこうしてあげたかったと張り切っているように三橋には見えた。

「やったー」

 無邪気に飛び跳ね喜ぶ女児。湿らせた頬の筋肉が上がり白い歯を見せる。やがて時計台に釘付けになり黙って見つめるがその笑顔は絶やさなかった。その笑顔には感謝の意も含まれていたかもしれない。

 それを確かに見届けるとその場からそっと気づかれないようにと忍び足をイメージして立ち去る三橋。周囲は時が止まったように微動だに動かないので一人だけ何事もなかったかのようにその場を立ち去る姿は印象的に映った。


 外に出ると相変わらず暑さが厳しい。蝉の声もどこかから聞こえてきた。

 後ろを振り返る。またやってしまった……と思うも今回、異なるのはそれによって笑顔になった者が確実に一人居た事だ。その姿を忘れないように必死に思い浮かべる。自分にはもう出来ないと思うくらい純真、無垢な笑顔であった。


(これでよかったと思うことにしよう)

 またちょっとした騒ぎになるだろうが、誰か一人でもこの力によって大袈裟かもしれないが救う事が出来た、ならそれでいいじゃないかと満たされた気持ちが勝った。あの弾ける笑顔を胸に刻み込み帰路を辿る。その足取りは鼻歌でもしたくなるくらいに軽かった。


(了)

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