第218話 頬を濡らすもの

 オレの頬を濡らした主。

 その姿を見ようと目を凝らすが、どうしても視認できない。


 輪郭を決める、今まで当たり前にやっていた意識の焦点を合わせる作業が、全く機能していない、そんな感じだ。


 あの声…… そうなのか。

 オレがそう思った時、優しく揺すりつづけている存在は語りかけてきた。


「あたしは…… ずっとあなたのそばにいるよ…… 生まれる前から、そして、これからも。

悲しまないで…… あなたが悲しんだり、苦しんだりすると、あたしもつらいんだ。

あなたが気づかないくらいずっと前から、あたしはあなたを……」


 オレは存在の手に触れた、確かに触った。

 姿は見えなかったが、体温も感じることができた。


 悲しむのはダメなのか。


 ……



    ◇     ◇     ◇



 目が醒めた。


 そこはシールドされたハッチの中で、ハッチの前には細胞の状態がモニターされているボード、数値とゲージが緑色のラインに位置している。


 以前ちらっとしか見ていないが、間違いなく未来の医療技術の結晶、連邦のメディカルベッドの中だ。


 詳しくは聞いていないが、細胞を損傷前の状態に戻し劣化したテロメアの修復もできる、とか言っていたな。


 呼吸は安定していて、まるで心地いい綿毛のベッドに寝かされているような感じだ。


 マシンの中で、意識を飛ばす寸前まで感じていた信じられないような肉体の重みは、今はない。


 原因がわかっているだけに、どうしようもないものだった。

 だが今、オレは自分の力で起き上がることが出来そうだ。


 ハッチの中から、最初にバラムの顔が視認できた。

 シールドが静かに開くと、オレはゆっくりと起き上がる。



 あの状態でここに寝かされたのだ、頬に感じた涙も、手の感触も、ここにいるみんなの中の誰かではないな。



「……みんな、心配かけました」


 バラムのうしろにいるカミオは、微笑むほどではないが、確かに口元が緩んだのが分かった。


 どうやら、その他の問題は生じていないようだ。


 バラムは小刻みに震えているが、怒っているようではなく、その心中を察することはオレには無理だろう。



 アンナとレイラが手を握り合っている。

 アイラやイリーナまでいる……



 連邦の船…… オレが保管域の窓を開けない限り、彼らは帰れない。

 なんて危険な綱渡りだったんだろう。


「一洸、無事でよかったわ」


 エイミーがみんなの反対側から声をかけてきた。

 オレは状態の良好さを笑顔で返すと、みんなに向いて行った。


「戻ろう」



    ◇     ◇     ◇



 一旦仲間たちと機体を保管域の養成ドームに直接転移させ、オレはホワイト大佐やエイミーたちに、事の次第の報告と謝礼を行った。



「今回は去ってくれたが…… これで終わりになるとも思えない。

あの通信を聞く限りでは、ネクスターナルの説得を聞き入れた形になっているがね」


 オレも同感だった。

 彼らに元あったヒトに近い感性がどれほど残っていてくれるのかによるだろうが。


「……あの、医療ベッドですが、すごいものですね。

身体の調子がすごくいいんです、まるで…… まるでミーコの治癒魔法で癒されたような」


 それを言った時、確かにズキリと胸が痛んだ。

 自分で例えをだしておいて、おかしな話だ。


「あれは、身体の最もよかった状態を再現するものだよ。

無制限というわけではないが、若返ることもできるんだ。

リバースサイクルのパターンを決めて、定期的にね」


 彼らが年齢のことに言及しなかったのは、そういうことだったのか……


 とすると、エイミーの年齢は……

 やめておこう。


 ここで今、彼女の顔を見る勇気と神経の図太さは、オレにはなかった。



 ラウンドバトラーデッキにあるオレの機体。

 先ほど生まれ出でた死神の鎌は、今は具現化していないようだ。



「一洸…… ミーコちゃんは、その、本当に残念だったわ」


「……」



 エイミーはオレの手を握って、体温を伝えてくる。

 オレはそれに返すように力を入れて握り返した。


「いずれまた…… ね」






 保管域に戻ったオレは、ゆっくりと機体を大地に着地させた。

 一部のメインパイロットたちを除き、バトラー戦士たちは元のエリアに戻してある。


 オレを待っていたネフィラの顔を見た。


 この人は今、生きてないんだ。

 その現実が、今更ながら信じられない気持ちで一杯になる。



「お帰りなさい、何か飲む?」


「ええ、いただきます」



 ネフィラが出してくれた果実酒を飲みながら、オレは自分の黒い機体を見上げる。


 あの黒い鎌、また出すことになるのだろうか。


「……ね一洸さん、アールの中に一緒に来て、大事な話があるの」


 ネフィラはそっとオレの手をとって、アールの方へ導こうとする。

 手から伝わる感じで、オレはいいものと、そうでないものを感じた。



 これから知ることにより、心の負担が増えるだろう予感だ。

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