第200話 愛、微かな震え
馬酔木館、この時間ならまだ風呂には間に合うかな。
オレはミーコたちに見つからないように、気配を察しながら入り口を伺った。
誰の気配も感じない。
三人娘たちは、ダンジョンの後にここへ降ろしているので、買い物でもしているに違いない。
フロントには誰もいなかった。
いきなり後ろから目を塞がれる。
ネフィラ?
いや、とすれば後は一人だ。
「なにこそこそしてるの?」
ミーコがそういいながら手を放そうとしない。
少し力が入っているのは、自分の表情を見られたくないからか。
「上の方に…… 連邦の船に行っててね、ちょっと疲れたんだ。
風呂に入ってゆっくりしようと思ったんだよ」
ミーコはやっと手を放してくれた。
確かにこの顔は初めて見る顔だ。
悲しいのか、嬉しいのか…… 何かをせがむ時のものなのか、その時のオレにはわからなかった。
「おにいちゃん、本当に疲れてるんだね……」
その時、フロントのジュリアがやってきた。
「一洸さん、お久しぶりですね」
彼女は優しく微笑みながらも、気疲れしているのを察してくれているようだった。
部屋をとったオレの手を離さないままのミーコは、さすがにこの後、わがままに付き合わせようという気はないようだ。
「おにいちゃん…… 静かなところに行こうよ、森の中の。
お風呂はその後ゆっくり入ればいいし」
オレはあまり考える力がなかったのもあるが、ミーコの言う通りに従った。
部屋に入ると、オレは岩場の“1”にミーコと転移して森に入っていく。
アンナやレイラはそれぞれ用事をしているらしい。
彼女たちがいないことを歌うように話すミーコは、久しぶりにオレと二人きりになれることが嬉しいようだったが、闇雲にはしゃがないところから、少し大人になった印象を受けた。
この子も成長する、当然だろうな。
森へ少し入ったところにある大きな木の下に着いたオレたち。
オレはがっくりとうなだれて、木の幹に倒れこんでしまった。
ミーコは膝を崩して傍らに腰かけると、オレの頭をそっと膝にのせて頭をなで始める。
いつも自分がそうされていたように、優しく、愛おしく……
「な、ミーコ…… 尻尾さわっていいか?」
ミーコはちょっと驚いたように目を開けたが、また細めるとためらいがちに言った。
「……いいよ。
触っていいのは、おにいちゃんだけなんだからね」
オレはミーコの尻尾を触った、というより頬でモフモフする。
もっと早くこうしていればよかった。
優しくモフっていたのだが、ミーコは目を閉じて何かに堪えているような表情だ。
尻尾のない自分にはわからない感覚なので、許してほしい。
ミーコはオレの頭を抱え込むように抱きしめてきた。
微かに震えている。
もういい、このまま少しでも幸せに浸りたい、素直にそう思う。
ハッとして目が醒めた。
何かが震える感じで目を醒まされたオレは、ミーコの身体の震えだと知るのにしばらくかかった。
ミーコは自分の頬をオレの顔に押しつけて、まるですすり泣くように震え続ける。
「……ミーコ、ごめん、尻尾が気持ちよすぎたからつい」
ミーコは何も言わなかったが、応えるようにさらに頬を強く押し付けてくる。
両手で自分を抱きしめるようにし、うつむきながら言った。
「すごく、なんていうか、変な気持ちになったの」
ひょっとして発情期のスイッチを入れてしまったのか。
「ミーコ、ネコにはね、人間と違って発情期というものがあるんだ」
「知ってるよ…… あたしが人間になった日の少し前、おにいちゃんが出ていった後に、身体がすごく熱くなってどうにもならなかったの」
そうだったのか……
それであの日の前から日中鳴いていたわけだ。
ほどなく隣から管理会社に苦情、なるべくしてなった。
おかげで今のミーコにも出会えたわけだからまんざらでもないかな。
「その後に、体が熱くなるのは治ったみたい。
でもおにいちゃんに尻尾を触られた時、体中がすごく敏感になって…… だからすごく我慢してた」
ミーコの表情を思い出して、ちょっと申し訳なくなってしまった。
結局発情期のスイッチは人間と同じで、外部刺激から入るということか。
ミーコはいつものようにオレに抱き着いてくる。
しがみつくのではなく、正面から全身を押し付けるように。
「あたし、たまにこうしてお兄ちゃんに抱っこしてもらうと、自分が生きてるって感じられるの」
これは抱っことは言わない、言おうと思ったが黙っていた。
かなり力の強いミーコが思いの限り抱きしめてくるのは少々苦しかったが、ミーコのしたいようにさせておく。
今はこの力強さが、オレを縛り付ける感覚が、むしろ心地いい。
これがミーコの愛情表現の一つになるなら、オレが応えることもそうなるんだな、と思った。
何か来る。
危険な魔獣?
いやそんなものではない、もっと別の次元のもの……
ミーコはオレが感じているものに気づいて、抱き着く動作を緩めた。
「……おにいちゃん」
コミュニケーターの振動がした。
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