第5話 異世界で病気になったら大変


「あたしね、おにいちゃんてすごく意地悪なんだと思ってた」


 突然ミーコはそんなことを言い出した。

 なんとなく予想はついたが、恐らく食べ物の事だろう。


「あのチョコとか、食べさせてくれなかった」


「さっきも話したけど、ネコは人間と同じものを食べられないんだ。人間にはよくてもネコが食べると病気になったりするものもある」


「……」


 ミーコはオレの口の微かな動きまで見逃さない、そんな彼女の様子が、しがみつかれている自分には生々しく伝わってくる。


「チョコケーキにはさ、ネコの体にはよくない成分が入ってるんだ」


 ミーコはうつむき加減だった顔をあげて、極端に明るい表情になる。


「じゃ、意地悪してたんじゃないんだね……」


「意地悪なんてするもんか、ミーコに長生きしてもらいたかっただけさ」


「……よかった」


 泣くまでではなかったが、彼女の眼はうるうると潤んで美しく輝いている。


「人間のこともっと教えて、あたし頑張って覚える」


 これはいい傾向だし面倒になりそうなことは先に言っておこう、そう思った。




 軽く寝息を立て始めたミーコをしげしげと観察してみる。


 耳は、普通にある位置からはずっと上にあって、ネコの耳そのまま。

 そっと触れてみると、ピクっと動いた。

 本人は相変わらず眠ったままである。

 

 Tシャツ姿から見てわかる範囲では、耳と尻尾以外は普通の女の子のようだ。

 ホワイトクリーム色の髪の毛、先ほど見た限りでは、臀部の尻尾のわずかな周囲だけきれいな毛並みのアメショーカラーで毛が生えている。

 

 その尻尾は、まるでオレがいるのを確認して安心するかのように、下腹の上に置かれていた。


 何度もモフモフしたい衝動にかられたが、その誘惑にはまだ負けていない。

 他は普通の人間と変わらないようだ。




 朝は清々しかった。

 小鳥のさえずりで目覚めるなど、何年ぶりだろうか。


 あれ?


 ミーコがいない。


 トイレだろうか、恐らくそうだろう。

 オレはあまり神経質になっても仕方無いと思って、顔を洗いに川にいった。


 そういえばトイレはどうしよう。山で済ませるのとよろしくすればいいのかもしれないが、後の処理などどうしてよいものか。

 

 全くの想定外なので、なし崩し的にまかせるしかないのだろうが、自分の性格的にきちんとしておきたいと思っていた。


 小一時間ほどだろうか、しばらくするとミーコが走って戻ってきた。

 呼吸はほとんど乱れておらず、どこもケガや汚れはない。


「おにいちゃん、木の実をとってきたよ!」


 ミーコはポケット一杯につめられた赤い実をだした。


「ミーコ…… 心配するから一言いってから出かけようよ」


「だって疲れてるみたいだったし、よく寝てたから……

頬に触っても起きなかったんだもん」


 ミーコは少々バツが悪そうにしたが、広げられた木の実はとても美味しそうだった。


「もう食べてみたから大丈夫! あたし生きてるし、おにいちゃんもへーきだよ!」


「ミーコ……」


 オレは彼女の天真爛漫ぶりに言葉を繋いでも仕方ないと思ったが、言うべきことはおさえておこうと思った。


「ここは異世界でまだ何を食べていいかとかわからないからさ、

これがもし毒のあるもので、ミーコが病気になっても連れていく病院もないんだ」


「なんて言うかあたしわかるの、これが食べていいものかそうでないかとか」


 野生の感性か。

 そう言われると、ほぼ持ち合わせていない現代人にとって否定する言葉がでてこようもない。


 オレはミーコの採ってきた赤いラズベリーを少し大きくしたような木の実を服で拭いてから口に運んでみた。

 ほのかな酸味を含んでいたが、とても甘い。

 ビタミン豊富なのはすぐわかったが、これはかなり美味しいものだった。


「すごく…… 甘いな」


「あたし酸っぱいのはちょっと苦手なんだけど、

おにいちゃんはきっと美味しいって言うと思った!」


 ミーコが自分のためになっていることに、心から喜んでいるのが伝わってくる。

 

 食べる前に川で洗ってこよう、オレはミーコと一緒にキイチゴもどきを洗って歯磨きを済ませてから朝食にした。


 ポケット一杯のキイチゴもどきは皿にあけるとかなりの量で、二人が食べるには十分な量である。


 ボックスからまぐろの缶詰をだし、皿にのせて二人で食べた。

 フォークだけ使ったが、ミーコはオレの動きを真似てすぐに覚えてしまった。


 石を積み上げて小さな囲炉裏のようなものを組み上げ、そこで焚火をしてコーヒーを沸かす。

 

 インスタントではあったが、ミーコにとっては初めてのコーヒーのはずだ。

 彼女は自分がそうするのと同じように少し冷ましてから香りを嗅ぎつつ口に運んだ。


「これいつもおにいちゃんが飲んでたもの…… 

匂いは嫌いじゃないけど、絶対に飲ませてくれなかったやつ」


「昨日話したカフェインがたくさん入ってるんだ。

眠りにくくなるけど頭がすっきるするんだよ」


 ミーコはちょっと複雑な表情をしたが、初めてのコーヒーはまんざらでもない様子。


「昨日のチョコケーキにちょっと似てるね、苦いっていうか、嫌いじゃないかも」


 ミーコは少しずつコーヒーを口に運んで、苦味と香りの余韻を楽しんでいるようだ。

 キイチゴもどきとまぐろ缶の朝食は、二人で摂るには十分だった。



 食器を洗いに川に向かったその時だった。

 急に体をこわばらせ、ピンと耳を立てるミーコ。


「気をつけて、何か来る」


 オレはとっさに身構えたが、ミーコが素早く手を引き隠れようとしたので、食器を岩陰に隠して従った。


 しばらくして現れたのは、何かの集団。


 冒険者というのだろうか、そうでなければ盗賊のようにも見えた。

 川沿いの山道を、間隔をあけて行進している。


 隊の中心に、ひと際異彩を放つ人物。


 一見知的な風貌であったが、全身清らかなオーラを纏っている。

 その神々しさは絶対に敵にはしたくないと感じさせた。


 息を殺しじっとしているミーコ。

 野生の所作というのか、彼女の嗅覚と野生の勘はあてにさせてもらおう。


 集団が過ぎるのをやりすごし、その場をあとにする。


 戻りがてら食器を回収しようと岩陰にいくと、ピカピカになった皿とコップ。

 時間にして10分もなかったはず、一体なにがあったのか。


 そこにいたのは、小さなスライムだった。


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