第3話 ネコにチョコレートをあげてはいけない
この子はチョコケーキを一気にたべてしまうつもりのようだ。
そうだろうな。
自分は、いつもこの子にただ与えるだけの存在だったのだ。
あればあるだけ与えられたものだと思うのも無理はない。
今後はその辺もしっかりせねば。
ミーコはずっとこのまま人間の姿でいるのだろうか、
ひょっとしたら一時的なもので明日には……
などと考えながら、その間にボックスから自分のTシャツと下着、黒いジャージの上下をだした。
174センチの自分より恐らくは10センチ近く低いくらいの身長なので、とりあえず着る分には問題ないか。
なんというタイミングだろう、随分前に少しサイズが小さくて棄てようと思っていたスニーカーがあった。
靴下もだしたが、土台女物の衣類など持っていようもない。
「人間はミーコみたいにいい毛皮を…… そうか、もうないんだった」
「毛皮? あ、あたし毛がなくなってる! うわーつるつる」
そう言うと、ミーコは今さらのように全身を手で触って確認している。
すると、急に何かに気づいたかのごとく前をふさぎだす。
体毛の有無が、服を着る人間の倫理観と常識の代わりをしていたというのか、とても興味深い反応だ。
ミーコはうつむいたまま恥ずかしそうにうずくまってしまった。
「これを着てみようよ、両手を上に上げて」
小さくうなずくミーコに、前から両手を伸ばさせて、Tシャツを着せた。
白いふくらみがぷるっと震える。
下着は男物のボクサーショーツしかなかったので、新しいのをだして着せようとしたが、ミーコはオレから素早く奪って、
「向こうむいててね」
そう言った時のミーコの声音には、強い意思と主張が感じられた。
仕方ないので後ろを向いたが、ついさっきまでネコだった自我が、人間の羞恥心を持ったというのだろうか。
「大丈夫かい?」
「へーきだよ、おにいちゃんのいつも見てたし」
ミーコが下着を着た後、ジャージの上下を着せてみる。
尻尾はショーツとジャージを少し下にすればなんとか外にだせるようだ。
しっかり見たわけではないが、体毛は頭髪と尻尾の根元意外生えていず、この娘の体毛はすべてシルバーグレーのアメショーカラーなんだと理解させられた。
「わ、これいい! いつものおにいちゃんの色、おにいちゃんの匂いがする!」
ミーコはジャージの袖を鼻にあてて深呼吸していた。
洗濯かごの洗濯ものの中に紛れてよく眠っていたミーコ。
ちゃんと洗濯してあったことを伝えたが、ミーコが喜んでいるので当面はこの格好でやってもらうことにした。
靴下も穿かせて、スニーカーを履かせてみる。
「サイズはどう?」
「大丈夫だよ、これだと足があったかいね」
白いTシャツに上下黒のジャージ、白いスニーカーでシルバーホワイトの髪と尻尾が上にのびたショートカットのネコ耳美少女。
まるでJKがふざけてコスプレしたようなまんまの姿に、見ている自分が気恥ずかしくなった。
この時、しっかりと全身を見てわかったのだが、眼がネコの時と同じうすいブルーとグリーンの中間色だった。
ミーコはそんな自分を見て、くるっと一回りして見せると軽く首をかしげて微笑み、その場でバク宙をしてみせる。
尋常ではないジャンプ力。
見事な着地のあとそのままバック転を繰り返し始めた、凄すぎる……。
今度はまるで忍者のように器用に木登りを始めた。
いや登っているのではない、枝跳躍といった方が正しいだろう。
ネコとしての身体能力は人間とのハイブリッドで倍化したのだろうか、ありえない程見事なアクロバット。
木の上から周囲を見回しているその目は、正に狩人のそれである。
ミーコは軽やかに枝を飛び移りながら降りてきた。
「これ、とってもいいね!」
彼女にとって生まれて始めて着た衣服だが、どうやら気に入ってくれたようだ。
例えば学生服などのような固く厚い生地だとしたら、こうはならなかったろう。
ミーコはジャージの伸縮性を確かめるように様々な身体のポーズをとっている。
オレはちょっと確かめてみたいことがあった。
「ミーコ、手を見せて」
ミーコの手、肉球がどうなってしまったのか確認したが、残念なことに普通の人間とかわらない5本指の手がそこにあった。
ほっそりときれいな女の子の手と指。
肉球を触るとミーコは嫌がったが、それでもたまに触らせてもらっていた。
爪は?
この子にとって爪は、噛む以外唯一の反撃手段なはずだ。
ここだけはちょっと違い、形は人間のそれであるが先端は若干鋭くなっており、全体に少し硬いようだった。
表面は健康的なピンク色で半月もでている。
少々尖っているようなので、いつものように切ってみるか。
多分普通の爪切りで大丈夫だろう。
オレはボックスのミーコ用グルーミング用品より爪切りをだして……
そうか、もう人間用なんだ。
自分がいつも使っているものを出してみた。
「ちょっと爪が伸びてるから切ろう」
ミーコはオレの動きを黙って見ている。
「あ、おにいちゃんが抱っこしながらたまにプッチンするやつね」
この子の中では“プッチン”。
なるほどそういう認識だったわけか。
ミーコはネコだった時のように、オレの懐に背中を向けて入ってくる。
この子は、動画などでみるような暴れる困ったちゃんではなく、爪切りも風呂の体洗いも大人しい手のかからない子ネコだった。
しかし人間サイズとなった今、彼女との爪切りは普通に恋人が後ろから抱きすくめるような絵柄そのままになってしまい、少々やりずらかった。
ミーコは黙ってされるがままになる気まんまんである。
「爪はね、伸びてきたらこうやって切るんだ」
オレはかなり窮屈だったが、腰かけた状態でミーコの背後から爪切りを試みた。
ミーコの首筋からはとてもいい匂いがする。
相当機嫌がいいのだろう、尻尾がオレの太ももたたきを繰り返していた。
あまり切りすぎないように気をつけてはいたが、問題ないようだ。
「次からはもう自分でできるよね」
「……うん」
何故だろうか、ミーコはちょっと寂しそうにうなずいた。
彼女は感慨深げに自分の手を見つめている。
もう自分はネコではない、そんな現実を一つ一つ受け入れている。
オレにはそんな風に感じられた。
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