将門公異聞(『偽太平記』より)

舶来おむすび

将門公異聞

「我らの大将を成仏させておくんなせえ!」

「頼むぜ、あんた歌がうめえんだろ! ここらの連中に聞いて回ったぜ! なあ頼む、この通りだ!」

 ひどい関東訛りに、藤六左近は目眩がした。見るからにみすぼらしい風体──そのくせ刀だけは後生大事に抱えている──の連中を、家の者は何を思ってここまで通したやら。

 左近は決意した。案内した者をあとで必ず見つけ出し折檻せねばならぬ、と。何度目かになる決心が実を結んだためしがないことは脇へ置き、とにかく現状を切り抜けるべく口を開く。

「……うむ、あのな、悪いことは言わぬ。帰るがよかろう」

「何故じゃい!」

「あれか、わしらが謀反を企てたからか!」

 声量が倍になって返ってきた。危うく上座でひっくり返りかけた体勢をどうにか立て直し、頼むから静かにしてくれ、と消え入るような声で応える。こっちは役人は役人でも木っ端役人なのだ。謀反人の出入りがあったという密告ひとつで首があっさり飛びかねないことを思えば、彼らの主をちっとも笑えない。

「というか、むしろそれ以外に何があると思うた……?」

「新皇を侮辱するか貴様ァ!」

 鞘が飛んだ、と思ったらもう目の前に抜き身の刀があった。それを手に睨み付ける男は、さっきまで十歩は離れた位置にいたはずだ。怖っ。坂東武者の速度おかしい。正直ちょっと漏れた。

「おいおい待て、待て、落ち着け」 

 後ろからのそのそとやって来た熊のごとき男がいなければ、己は間違いなく首と胴が生き別れになっていたと思う。幸い、この男は連中を率いる立場らしい。そういえば、先の陳情も彼一人だけ関東訛りが少なかった。よかった、誰もが話に聞くような蛮族ではないらしい。

「我らの目的を忘れるな。それにわざわざ斬るまでもなかろう。見てみい、しょぼくれた瓜のような男ではないか。断られたとてその時よ、わしが刀も使わずくびり殺してやろう」

 訂正。安堵の息より先に吐き気が込み上げてきた。どうやら、この屋敷に上げた時点で逃げようもなかったのだろう。何なら先程まで内心責め立てていた家人もこの調子で脅されたのかもしれない。勝手に悪者にしてすまなかった。

 こうなると、残された道はひとつしかない。

「……わかった、わかった。ならば早いに越したことはないからな、さっそく今宵向かおうぞ。護衛は主らに頼む」

 皆まで聞くより前に、うおおおお! と屋根を震わす歓声が響く。

 左近が役人になった己を恨んだのは、後にも先にもこれが初めての事だった。


 *


 七条河原まではそこそこ離れているが、迷う心配はない。

『身体はどこだああああ! 俺の身体はどこだあああああ! 身体をよこせえええ! 今一度戦ってやるぞおおおお!』

 死んだというのにやたら血気盛んな叫び声が道案内の代わりになっていた。間違いなく左近の生涯で一番元気な生首だ。斬られてから大分長いはずなのだが。

 噂には聞いていたが、なるほどこれを毎晩聞かされては都の民も気が狂うだろうな、と他人事のように納得する。

「大将……ごめんな、もう少し待っててくれッ……」

「もうすぐあんたを仏さんにしてやるからよ……!」

「首だけになっても解脱はできるらしいぜ大将……頑張ってくんなせえ!」

 背後から時々聞こえる涙声は無視した。鼻をすする音なんて聞こえないったら聞こえない。主従関係は美しいと思うが、自分の命がこの物騒な泣きべそ達に握られていると考えただけで悠長な思考は吹き飛ぼうというものだ。

「で、何を詠めばよいのだ。郷里の歌か? 言っておくが、私は生まれてこのかた都から出たことがないゆえ、他の国の歌はわからんぞ」

「えっ」

「えっ」

 思わず一同の足が止まった。どこかで犬の遠吠えが聞こえる。

「……歌人というのは、あまたの国の歌に通じてるんじゃなかったのか?」

「……皆が皆そうであるはずなかろうが。仮に私がそれほどの歌人であったとしたら、主らは天地がひっくり返っても目通りなどあり得なんだわ」

 呆れ声の左近に何を思ったやら、武士のなりくずれ達はおもむろに額をつき合わせてぼそぼそと話し込み始める。時折「殺す」という言葉が聞こえるたびに逃げ出したくなるのは生き物としての性だ。頼むからやるなら一思いにしてくれ、と半ば諦めつつ神仏に祈っていたが。

『俺の身体はどこだあああああ!!』

 ひときわ強く叫ぶ声で、一同の腹は決まったらしい。真っ先に振り向いて口火を切ったのは、やはりあの熊めいた男だった。

「あいわかった。ならば、せめて将門公の前でよい歌を詠んでくれ。わしらの大将が気に召すような歌だ」

「せめて好みを教えてくれぬか、なあ」

「知らん。新皇が気に召したものが御身の好きな歌よ」

 いよいよ帰りたくなってきた。一人くらい頭が回る者はいないのだろうか。悩む頭とは裏腹に、足は前へと進んでいき、叫び声は徐々に近づいてくる。

 己とて、噂話以上のことは知りようもない。都の中枢に仕えるとはいっても、下から数える方が早いのだ。入ってくる話といったら、他愛のない虚言の類い、あるいは誰それが出世したとかいう妬み嫉みばかりだ。

 ───ああ、そういえば藤原秀郷様が従四位下になられたのだったか。

 それこそ今回の将門公討伐の功績で冠位を得たのだと記憶している。弓が巧いのだったか、いや刀だったか? 首を取ったのがかの人物だと聞いてはいたものの、肝心要のところがあやふやな辺り、情報源の貧困さが察される。

「…………」

 ふと、頭に浮かんだ歌があった。万が一にも本人の前では詠えないものだが、出来はなかなか悪くないと思うだけに、このまま胸中にしまっておくのが惜しまれる。

 ちらりと、それとなく後ろを向いた。あの落武者連中は仲間内で何やら盛り上がっているし、いくらか距離が離れている。おりしも将門公の首が再び雄叫びを上げ始めた。日頃から「葉ずれの音より小さい」と揶揄されることのある声だが、今ならばこれほど適当な声音もあるまい。

 歌人の性という衝動に誘われるまま、藤六左近は口の中で音を転がす。


 将門は

 かみよりぞ

 斬られける

 俵藤太が

 はかりごとにて


「……悪くない」

 会心、とまではいかずとも良い掛詞ではなかろうか。ひとりニマニマと笑いながら、叫び声の方へ変わらず進もうとして、おもむろに気づいた。

 いやに静かだ。先程までかき消されていたはずの風そよぐ音、虫の鳴く声までよく聞こえる。

 あれほどに激しく叫んでいたのがすっかり止んでいるということに左近が思い当たった瞬間、目の前に現れた影があった。

『今の歌を詠んだのは主か』

 首だった。

 首だけだった。

 ざんばらの頭を振り乱して、斬られて久しいのに朽ちもしない。宙に浮かびながら、ただ眼光だけが夜闇にぎらぎらと、月のごとく輝いている。

 どうしてここへ、だとか飛んできたのか、だとかいう問いはひゅうひゅうと喉をすりぬける風に替わった。あんまりに驚くと人間出るものも出なくなるのだと、左近はこの夜に初めて知った。

「大将!?」

「大将……!」

「再びお目通り叶うとは、大将……ッ!」

 男らがいっせいにひざまづいたと思しき衣擦れの音が耳に入ったが、片端から素通りしてゆく。

『おお、お前たちか。俺への忠義、しかと受け取った……大儀であるぞ』

 首は満足げに頷いている。どうか頼むからそのままこっちを見ないでくれ、という左近の願いむなしく、『さて、』と文字通り眼前までわざわざ移動してきた。心なしか腐りかけの臭いがする。本当に勘弁してほしい。

『改めて問おう。今、身の程知らずの歌を詠んだのは主か』

「へ、は、はい……左様、でございます……」

『そうか、主か。……主、俺を見たことはあるか』

「ま、まあ一度、日中に」

 遠目から、野次馬のごとくにではあるが。何がおかしいやら、首はくつくつと宙に浮きながら頷いてみせる。

『ひとつ、間違いがある。俺はあの秀郷めに、こめかみを “射ぬかれて” のちに “斬られた” のだ。ゆえに、先の主の歌はひとつ手を飛ばしていると言うことになるな』

 これがそれよ、と器用に首の角度を変えて髪の分け目をずらし、こめかみを見せてくれた。なるほど確かに古傷のようなものが見えるが、さてこれは親切心なのかそれとも怒っているのか判りかねる以上、左近はどうにも反応を返せなかった。なにしろ死体と話した経験がなかったので。

「し、失礼をば致しました……」

『おうおう、何も俺は主を叱りに来たではない。ただ過ちを正しに来ただけよ。これが後々まで伝わっては口惜しうて口惜しうて、うっかり呪ってしまいかねんからな』

 どうやら将門公は冗談が上手くないらしかった。自分を叱咤し、左近はどうにか両足を踏ん張る。漏らしていないのは感覚でわかるが、そろそろ自分の目と耳と正気を怪しんだ方がいいかもしれない。

「そ、その、将門公。御身は、成仏してくださいますかな」

『仏になど成るものかよ!』

 何の前触れもなく雷が落ちた。ものの例えではなく、文字通りに。空気の焦げる臭いに、慌てて飛び退き平伏するよりほか、左近のとれる道などあったろうか。

「どうかご寛恕くださいませ! で、では、何故御身はこちらへ参られたか!」

『決まっておろう。主に礼を言うためよ』

 地面ばかりが映る視界に、ぬっと首が潜り込む。目を見て話すのは悪いことではないが、さすがに一言欲しい。心の臓が止まりかけた。

『主の歌が俺に怒りを与えた。死んでわかったことだがな、死人は感情の揺らぎが弱まるゆえ、動くための力に欠けるのだ。外からなにがしかの助けがなければ、俺はただ毎夜呻き声を上げるだけの骸よ。成したいことも満足に成せん』

 ───何やら、己はとんでもないことをしてしまったのではなかろうか。

 藤六左近の心中を知ってか知らずか、首は天を仰いで哄笑する。

『そう恐れるな。さすがに首だけの身で天上天下に君臨せんよ───愉快ではあろうがな。俺はただ、生まれた地へ還りたいだけなのだから』

「そんな……大将!」

「申してくだされば、わしらがお連れしたものを!」

『このうえ主らに手間をとらせはせんよ。苦労を掛けたな、俺のことはもう忘れろ。めいめい生きたいように生きるが良い』

 うってかわって優しげに言葉を投げる様は、在りし日の姿を思わせる。きっと生前は、こんな部下思いの人間だったのだろう。

「ここに俺の身体があれば残らず手討ちにしたがな」

 上げて落とさせるのが坂東武者の流行りなのだろうか。びくびくする左近を眺め、もう一度声高らかにからからと笑って、首は再び天へ舞い上がる。いつの間にか空が白んでいた。

 今、夜が終わろうとしている。

『では、さらばだ。主ら、輪廻の果てで再び合間見えようぞ』

 そして東の空へ跳んでいった。

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将門公異聞(『偽太平記』より) 舶来おむすび @Smierch

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