23


「私はポップリンド・ローランド。錬金術師のローランド」

ローランドが思わず周囲を振り返らせるほどに優雅な美声で宣言し、それからローブを脱ぐ。

視線が、男のそれのみならず女の目までもが、集まった。

安っぽい化繊の下に隠れていたのは、クラシカルなドレスに彩られ、絢爛に美しい魔女、若き淑女としての姿だ。

 ローランドはホールを横断し、グリフォニカへと。

「『踊リマショウ、後ノコト、先ノコト、難シイ話ハ、ソノアトデ』」

完璧なマナーに則った仕草で『一足目』を申し出る。

もう、無礼千万なんて言葉では足りないはずの恐ろしい年上女。そんな相手からの完璧な礼節にグリフォニカは戸惑いを隠せなかった。だが、こんなにマナーで押されては、決闘でもはじめるつもりでない限り拒否できない。

グリフォニカがローランドの手をとる。

ドレスの裾が優雅に舞った。

「僕は『砂糖菓子使い』のグリフォニカ・グリフォール。――『今宵は楽しもう、この世界に生でたことを喫するとしよう、星の元、月の明かりに目もくれず、オーロラを選んだ我々だ』」

 王子様の一人目が決まり、応えるように明かりが揺れて、嬌びた声と、どこからともなく音楽が響き出す。

緩やかなワルツから、星の夜会が始まった。

 それはひどく雑多なダンスパーティのようだった。大半が勝手気ままに振る舞っているだけに見える。目につく限りの魔道士に嫌味を飛ばす錬金術師もいれば、敵味方などという考えなど関係ないとばかり、好みの相手に色目を使う者もあった。

敵方、異類、慮外の者。そんな要素は一夜限りの遊びには程よい香辛料だ、何よりコレが目当てという者も多いだろう。

星と雪の火遊び。

たしかに〈魔〉らしいといえば、らしい。


〈この国は何度きても音が聞こえなくて嫌になるわ〉〈こんな場所でなければギロチンにかけてやりたいのに〉〈黒髪の『風使い』だと聞いていたけれど〉〈妻たちに買って帰りたいものがある誰か手配できないかな〉〈裏切り者のタチバナだ、おもしろい〉〈もっと暖かくしてくれない〉〈美味しいでしょぅ? ただのチーズじゃあないのよ黴をあててみて〉〈そこの楽器は配置が違う〉


 ――音楽にまぶされる声――


〈ススキノハラ? あの『時使い』がいないの?〉〈私の生まれた土地を辺境とか言うヤツはどいつ?〉〈来てくれていないのですか? 私、とても見てみたかったのに。ひどく老いているという『時使い』の顔〉〈まったく『時使い』が顔を出すというから賢連総出になって鉢合わせを抑えたというのに〉〈それを言うならもう一人はどうしたの? もうだいぶデビルスホースもまだ行方知れずでしょうに〉〈ススキノハラ? 黄色い肌の魔女だなんてそもそもが〉〈三強は顔も見せない星夜会。形骸〉


 ステップでホールを動くたび、グリフォニカとローランドの耳に入るサザメキのような魔法使いたちの――会話、独り言、口説き文句、嘲笑――。


〈魔道士に実と名の伴うものがアルかな〉〈争うのはやめなさいな、気の毒だわ〉〈実力者とは言えないかもしれない〉〈古い方々〉〈『時使い』が来ていないのか?〉〈なんのためにわざわざこんな辺鄙まで、我らが集まったと思っているのか〉〈魔に辺境などというものは存在しない〉


曲が僅かばかりハイテンポなメロディに変わる。

ローランドはグリフォニカとの本体ならば幅が違うはずのステップを、しかし完璧に調和させていた。

それこそ川面を流れる泡のように、金髪をゆらし風の魔女は舞う。

(……どうしよう、すごく踊りやすい……)

 グリフォニカは戸惑いみたいなものを感じていた。

渋々だったというのにローランドはとてもダンスが上手かったのだ。巧みなダンスはなにより相手を心地よく浮遊させる。

陳腐だが「空を舞っているような気分」になるという、その表現が使い古されているのは主に本来、女性側ではあるのだが。

「ワルツがお好きですか? サー・グリフォニカ。やっと表情が和らがれましたね」

 ローランドが柔らかに英語で紡ぐ。

美女にも淑女にも慣れすぎるほど慣れているはずのグリフォニカが感心するほど、ドレスと母国語を纏っている時のローランドは優雅だった。


〈拡散さえしなければ混乱しなかった〉〈モーランドの責任はどうなる〉〈自ら滅した〉〈処分されたようなものよ〉〈なぜあんな魔女を混ぜたのだろう。紫煙姫が目に余ることは誰にでも予想できた〉〈錬金術師は解さぬな〉〈なにを〉


「ええ。こんなに心地よいダンスは、久しぶりです。――不本意ですが」

「Oh、ツレナイデスネー」

「ああ……どうか、そちらの変テコな日本語のほうで僕に接して下さい。あなたが誰なのかわからなくなりそうです……」


〈手綱を取れるような魔女に強い魔女はいないよ。それこそ煙がどうなったか知らないらしい、いや、知らされないのかな〉〈魔眼適正というのは確率論で説明がつくもの〉〈いつまで刺青施術になぞ頼る魔道士ども。不適不足〉〈理想ばかりの、だが美しい女(ひと)だった〉〈城持ちの器ではなかったさ、煙草の白花など〉


 グリフォニカのステップが


〈自ら城を持つより妾が向いていたろうに〉


ひたりと止まる。

ローランドの手を振りほどく。


〈魔眼に選ばれたのが不幸の始まりだ〉〈チャンドラー〉〈ああ、あの山ぐらしの魔道士〉〈辺境に逃れた亡命貴族さ〉〈そんな子知らないわ〉〈煙の魔女の下流〉〈愚かな白花、――チャンドラー〉〈イザラ・チャンドラー〉


「我が妻を侮辱したのは誰かッ!!!!!!!!!!!!!」


 グリフォニカの声はピアノのようだと、ススキノハラは言った。だから、そんな彼がどれほど怒りを叫ぼうと、魔法使いたちを黙らせるような圧は出せない。

 グリフォニカの容姿を王子様のようだとセイジは感じた。だから、そんな彼がどれほどの怒りをその愛らしい顔に浮かべようと、大人を震えさすような様は呈せない。

 だが今、そのグリフォニカによって星夜の宴は。

「臆病者ども。どうした。僕のような若輩が恐いのか? 貴様らの半分、四半分すら生きていない、こんな僕が」

全く、凍りついていた。

 グリフォニカの声と同時に響き渡った巨大な結晶を引き裂くような音圧、その音を立てながら一瞬で凄まじい形に広がった――カラメルの異様な造形のせいだ。

 砂糖が焦がす香ばしさも、しかし端々に炭化するほどに熱された糖分が発する、ともすれば、そう、火葬を想起させるような異臭に飲まれていた。

 グリフォニカはほぼ常に菓子袋と氷砂糖を持ち歩いている。彼に取り弾丸でもあり万能の造形素材だった。

 それにしても、なんと喩えれば良いのか。

今グリフォニカの周囲に浮かぶ砂糖菓子細工たちの、この刺々しさ、禍々しさ。

ハリネズミなどという生易しいものではない。

トゲ状のもの、ノコギリ状のもの、叩き割られたガラス破片状のようなものも――とにかく思いつく限りの『痛そう』な形状が総合を成している。悪夢的でもあった。幻想的な悪夢だ。

 しかもそれらは、どこか、フルフルと液状のままに、震え揺れている。……灼熱のままなのだ。げんに氷の議事堂の空気はその熱で白濁していた。

「名乗り出ろ。紫煙の魔女とその伴侶に、許しを請え」

 愛らしいはずの両の眼をギラつかせるグリフォニカ。

その異常(コト)に気づけた魔法使いの多くは既に畏怖していた――片目を一度も閉じていない――。

両目を見開いたままに、瞬きすらないというのに。カラメル色の異形が、使い魔の唸り声をあげている。途切れもない。

 グリフォニカは両目魔眼というわけではないが――ただ彼は……一度たりとも魔眼幻視を“苦”と感じたことがないのだった。

ゼラが「死ぬほど辛い」と表現し、それで狂う者すら珍しくもない魔眼に関わるあらゆることに、グリフォニカグリフォールは、理不尽なほどの『適正』を持っていた。例えるなら本来地獄の苦しみとされるはずの無重力状態訓練を、辛くない、むしろ楽しい、と宣う者がごくごくまれに現れ、宇宙飛行士となるように。

グリフォニカの魔眼操作は孤高の天秤。

恐らく彼には川魚曰くの“息継ぎ”が必要ない。きっと、息を我慢する苦しみはグリフォニカには永遠に解らない。――この少年には鰓がついているのだから。

「グリフォール卿」

 ふいに、ローランドが静寂にふさわしい声で呼びかけた。

「あなたの怒りは正しいデスネ。ファミリー is ナンバーワン」

 グリフォニカが微かに、笑みのような、しかし恐らくは笑もうと思ってはいない表情を浮かべてみせる。

 同時、すべてのカラメルの棘が柔らかな音を立てて砕けちった。まるでダイアモンド・ダストのようにスクロースが微細の結晶と舞う。

立て続けに見せた鮮やか極まる魔眼操作と、幼すぎるほどに幼いながらも紳士然と猛々しく振る舞った砂糖の王子。

関心と視線が注がれていた。

すぅ、と。

彼はまるで、聴かせるように息を吸い、そして、

「魔道士グリフォニカ・グリフォールの名のもとに申し上げる。すべての魔法使いに、一切の休戦を提案したい」

 ピアノの声が氷の館に響き、ほんの僅かな空白の後。

ざわめいた。

殺気立った、といったほうが正しいのかもしれない。

ウルトの視線が心配に揺れる。凍結した湖上、氷のダンスホール。強度など当然に自負するところだが、それでも魔法使い同士がなにか争いを始めたりなどすれば所詮カマクラ、限度というものがある。

 こんなこと、聞いていません、グリフォニカ様。

 味方のはずのマダムカルヴェールが小声で、しかしキツく、グリフォニカを睨みつけながら言う。

ミスウィックがカルヴェールの視線を逸らすかのように割って入った。

「坊ちゃま」

「いいんだ秘書さん。マダム、申し訳ない。しかし続けさせてもらう」

婚約者(イザラチャンドラー)へ対する侮辱が耳に入ったのは間違いなく偶然であったし、それで激昂したのもグリフォニカとしては在るが儘に信じるところを振る舞っただけであるから『成り行き』であったといえる。

しかし結果として星夜会に沈黙と静寂が生まれ、おかげで敵味方どちらにも決して聞き逃すことを許さないカタチで休戦という言葉を届けることが出来た。

「争わないべきだ、今は」

 子音まで歯切れよく、明確に。

「勘違いはしないで欲しい。僕は決して、そう、断じて。錬金術師との融和を求めているわけではない。相容れない。君らは敵だ」

あくまで紳士然とした発声で、しかし語気を強めて。グリフォニカがそのピアノの声をフォルテにあげる。

「美しいと思う事柄が違い、遺したい伝統の異なる僕らと彼らとは、相いれぬ。敵同士であるべきだ。互いに。お前らのことが好きではない、と牙をむくことになんの衒いもあろうはずがない。――だが、今まさに共通する困難に直面している。コトの大小の区別も出来ない愚を晒してはいけない」

この愛らしさが具現化したような少年が。愛玩物のようにすら見えていた王子様は、しかし雄弁(ルビ:カリスマ)を奮っていた。

「『こちら』と『あちら』は、滅ぼしあう日が来るだろう。それは良い。良いんだ。けれどそれは今であってはならない。互いに斃せぬ強大であるからこそ命をかける意味がある。ならば、今は嫌だ。インスタントにかき回されての争いなど、まるで水槽のなかで飼い主を喜ばせるために突き合う魚だ」

 座り込んだまま、ハノンが、ふぅん、と微かに頷くような素振りをした。タナベは欠伸をし、それをトウスイは咎めた。

「巧みな罠を張ったと笑うことも出来ない勝利など欲しない。今のこの時では仮に『こちら』が『あちら』を滅ぼしても『こちら』もすぐそのあとに滅ぶ。しかも最悪なことに『あちら』と『こちら』を入れ替えても、いまこの式はなにも変わらないのだ。屠るのならばそれを飲み込み血肉に変える覚悟のある朝に牙を剥き、かち合いたい」

 上手い、といえた。

ともすれば臆病風とも聞こえる休戦という言葉を、寧ろ今では最も争いに絢爛が欠けてしまうではないか、と。闘争を愛する魔法使いならば今はそうはすまい、と、矜持やら美学やらは守りつつの流れ――要は、キモを外さず筋を通している。

 今はその時ではない。

 今は闘争の節ではない。

 争いを避けよう、という提言でありながら、これに対論しおようとする相手に争いへの覚悟を問う。

「愛する妻を失った僕が誰より願い、考えるのは『僕ら』の存続と繁栄だ。在り続けるためにも栄えある闘争が必要なはずだ。――賢明は、義務だ」

「気にいらないわ」

 グリフォニカの澄んだ声をピアノとするなら。その声は、まるでシンセサイザーの如き不安定だった。

 その声を発した喉は、ヒトですら無い。

――蝙蝠(コウモリ)。

 雷雨が脆屋根を連打(トリル)するような音の群れ。

飛来する影は、あるいは冬の海を、あるいは森を、あるいは吹雪く湖面を飛び交っていた小さなコウモリたち。

 蝙蝠が飛び交い、互いを喰らい、一塊の黒い影が出来上がっていく。

もはや完璧に過ぎる、あまりにも、象徴そのもの。

やがて姿を現すのはスコーピオンレッドのドレス。

自称するところ夜の眷属。『闇使い』の魔眼。

ガブリエラ・カーネーション――錬金術師の吸血姫(カルナミラダ)。

「それは、なんだか気に入らないわ」

 三日月色の髪が透けている。

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