21


天井に突きそうな古時計のオルゴール。

木製のプロペラ(にしか見えないもの)。

新聞の一面。

雑誌の切り抜き。

かけた白磁。

色付き水のはいった小瓶。

接着剤のこびりついた石ころ。

どれもこれもが、古い、旧い、故い。

「――価値あるガラクタ……か」

セイジが気になったのは、まず展示物の並べ方だった。

 モノの新旧からして、どうやら古い順に並べている、というわけでは無さそうだと思っていたのだが。

どことなく奥に進むほど、まるでその空間ごと包み込まれる空気感そのものが、古く遠くへと迷っていくような不可思議な感覚があった。

「……これは――」

 一つの展示台に、セイジの歩みが止まる。

 バイオリンの弦。

錆びた鈴。

女物の可憐な革靴。

色あせた淡い桜色のリボン。

英字の日記帳。

錆びついたインスタントコーヒーの缶。

古びているが高級品そうなティーセット。

小さなルビーで彩られた簪。

椿柄の鞘。

泥染めの反物。

白手袋の片方。

(――ススキノハラさん…………?)

 同時に殆ど確信を持って、もう一人。

嗜虐に燃やす紅の両目、意地の悪そうで、けれど寂しく捻くれてしまった表情。その口から語られたススキノハラという名前。


 ――ああ、その本『あなた』でしたか――


「……この博物館は――このコレクションは、つまり……」

 冷たい汗が背中を伝った。

(……『誰か』ってことか……?)

『誰かの』コレクションではなくて『誰かを』コレクションしている。

誰かの、記憶を。

この博物館のどこかに『セイジ』という展示があるとしたら――いや、恐らく確実にあるような気がするが――そこには、きっとセイジの過去の記憶――『あの銘柄のカップ麺』とか『あの10円玉』が、展示されているのだ。ひょっとすると、眩しい膝が乗っていた『あのパイプ椅子』も。

それは、それそのものである必要は無い。どこにでもある10円玉が、セイジという人間にだけは特別なのだから。

お金がかからなくていい、とマーガレットは言っていたが、たしかにそうだ。10円玉は10円玉でさえあればいいわけだし、カップ麺にしても銘柄さえ同じであればいい。

仮に『本人に思い出させる』ことが目的なのだとしたら。

ああ、これはあの時の。

ああ、これはあの時の。

誰もが、そう呟きながら、立ち尽くす。

そういう博物館、なのだとしたら――、

「――……過去の標本……まるで……」

まるで走馬灯。

そして、この空間はその羅列なのだ。

だとしたらこの忌避の嫌悪を伴う薄ら寒いような恐怖感にも説明がつく。

セイジはiPhoneを取り出し、何枚か撮影をした。本来であれば博物館の展示物を無許可に撮影するようなことをしないが……。

(いったい『眼使い』というのは――マーガレットさんというのは『どこまで』見る魔眼なのだろうか……? こういう発想に、いたるには……なにがどこまで見えれば、こうなるのか……部屋全体が入るような一枚も撮っておこう……)

画角のために、壁に背がつくまで後ずさる。

(――…………?)

壁越しに、気配と水音。

ずる、びた、と滴るような海に近いのだから水音くらいどこからでも……、と一瞬だけは思えたが、その直後、衣擦れがその水音に混った。

それが人なのか、人以外の動物とかなのかまでは、セイジには分からない。

敵の気配を壁越しに感じる、なんて、よく物語では簡単にやってのけているが実際のところは無理だ。少なくとも常人のセイジには出来ない。

殆ど反射的に指がポケットを探り、iPhoneを操作していた。

 なにかあれば叫べとゼラには言われているが、この近さでは声を上げた瞬間に襲われることもありえる。

息を殺して、用心深く、片目を閉じてiPhoneの画面を押し付けた。極彩色の映像による色彩が視覚から脳に刻まれ、その場限りの魔眼を作り上げる――『ソーマト』だ。

 幻視光(M線の)効果がでて重たい頭痛めいた感覚が体全体を覆う。『ソーマト』の効果は『集中力のオーバークロック』ともいうべきもので、数秒を数分に匹敵するほど擬似的に引き伸ばす。名付けの由来はそれこそ走馬灯だ。

不測の事態に陥っても、十分に驚いてから行動に移れる。もう幾度これに助けられたかわからない。

 セイジが扉に手をかけ扉を押し開けた。

この動作だけでも、じれったいほどユックリ自分の身体が動いているふうに感じる。ソーマトが効いている証拠だ。

仮に扉をあけた途端に、なにかよくないことが――たとえば襲いかかられても、逃げて助けを呼ぶくらいは――。

スローモー化したセイジの視界。

(……)

そこにまず見えてきたのは、

もう、そこだけで、十分すぎるくらいの。

(…………!?)

眩しいくらい。

血管が浮かんで、シミひとつ無い。

丸くて。柔らかそうで、弾力感が

 あるいは、そこにいたのが同じ『女の子』でもナイフの一つでも持っていれば。

 あるいは服を着ていれば。

あるいはセイジが女の裸に慣れているような男だったなら。

 セイジはこの時の『ソーマト』で引き伸ばした数分間。

凝視、狼狽、(ゼラへの)懺悔。

凝視、狼狽、(ゼラへの)懺悔。

この三拍子を、エンドレスに繰り返していただけなのだった。

裸の女の子がいた。

きれいな裸。

銀色の髪に、ピンクの毛先という、バンキッシュな髪色。


* * * 




あ、またきたっ! 


小娘が、また魚をひっぱりあげた。

 しかし小さい。

そのうえにそれは不味い。


入れ食いってやつ? 食べる?


食わない。

そう云うと小娘が魚を逃がした。


あたし才能あるじゃん。スオミの血だよね。

 

我が魚の匂いの溜まり場所に連れてきてやったからである。

 小娘が触れてくる。

 触るのが上手い。

心地よいところを心地よく触てくる。

 それにこの小娘は声が心地よい。

 我は雌であるから同じ雌とくっつくのは本当はあまり好きではない。

 だが小娘は許すものだ。

幼い奴。


マタ釣れた、ほらほら。これはどう?

 

それは食えるが骨が硬い。

 梟が啼くような声を小娘があげている。

笑っている。


ダッキ、貴女つやつやで良い匂い。ねえ、キレイ好きなの?

 

我は水浴び好きなのだ。


あたしね。あたしの元いた家。たくさん貴女みたいな子と住んでいたの。もちろん、

どの子も、貴女ほど立派じゃあなかったけど。

 

ああ、そうなのか小娘。

我を見て怖がらぬのは識っているからか。

独りか、お前。


みんな可愛かった。家を離れた時、お母様とお父様の次くらいに、あの子達がどう

なったかと思って、ひどい目にあってるかもって、泣いたよ

 

小娘の目を覗き込んでやる。

もはや殆ど見えもせぬ我が眼。

だが人を相手に云うための道具としては、まだまだ使える。


なに? 私になにを云いたいの? 

 

小娘。

お前のそれは要らぬ悲しみだ。

お前はとても見当違いの不安で泣いたな。


……あ。

 

彼奴らが我に似るという血族の者ならば元来、生きるに人の助けなぞ必要としないのだ。

奴らがお前と居たのは、ただお前を気に入っていたからだ。

そこに居たかったから居ただけだ。


あなた……。

 

寂しがっただろう。

惜しんだろう。

 だが我等は【別れ】に寛容である。

人より【死生】に鋭敏である。

 その時、お前と別れなければならぬと解った。

この時、お前が別の地で生きていることも分かっている。


ありがとう……。


新たな心地よさのため、獲物を喰らい新たな群れを見つけたろう。

 お前を無闇に追うようなこともない。

懐むことはあっても縋りは求めない。

 我らは死と別れを解さぬ愚かを起こさない。

人とはこのあたりが我等は違うのだ。 


ありがとう。ありがとうね。……優しい。あなたは優しくしてくれる……。

 

小娘が我にしがみ付く。

ただの雌ならば振り払うが。

小娘なので、許してやる。


分かる……慰めてくれてる……。

 

慰めではない。

教育えているのだ。

幼い奴。



 ゼラの携えていた竿が、またもツンと動く。

「あっ! きたきた、まただ! あ、これ大きくない?!」

 ぐいっと引き上げようとすると、いっそう竿が大きく曲がった。ダッキも水面を覗き込む。

「よーっ、と!」

 タイミングを見計らって、抜き上げた。竿が折れそうな持ち上げ方だった。飛んできたのは25CMを少し上回るくらいの鯵だ。

「おおおおでかーいっ!? 大きいよねコレ!!」

 釣りを知るものからすればそれほど大物ではないのだが、今日これまでずっと10センチ程度の小魚と遊んでいたゼラには、かなり大きく写ったのだった。

「あはは、これは美味しそう! ――あっ!」

 鯵がビチっと動いて、針が外れた、

コロコロぴちぴちと地を転がって、水面のほうへ。

 瞬間、ダッキが飛び降りた。滑りやすそうな消波ブロックの上を巧みに跳ね、水面直前で鯵を、ばくん、と口で咥え、捉えた。

「あ。骨あぶないよ」

 ゼラの声を無視し、そのまま。がぶり。バリ、バリ、と丸呑みにしてしまった。口の箸から血がポトポト赤く滴った。

「ふふ。お行儀が悪いなあ。でもあなたは犬じゃないから、仕方ないか。でものどは大丈夫? 小骨でも、刺さると痛いよ」

 ダッキが凄まじい身軽さで斜面を登り、戻ってくる。バケツを覗き込み、レロリと舌なめずりをした。

「やっぱりあたし釣りの才能あるみたい。知ってる? フィンランドって世界一の釣り道具を作る会社があるんだって、セイジの大学の先生さんが言ってた。ちょっとお腹空いたね。ラーメン食べたいな。あなた、ラーメン好き?」

 ゼラの手がダッキの耳と首後ろを撫でる。撫でる、というより爪をたててカリカリする。心地よさそうにダッキがゼラに背中をくっつけた。

「ねえダッキ。あなたの友達のマーガレットって、どう? いいヤツ?」

 ダッキは応えない。ただ「なかなか気持ちいい」とだけ伝えてくる。賞賛? にほんのりと頬を染めながらゼラが微笑む。微かに恥ずかしそうで、けれどなにか、誇らしそうな笑みだった。

「このなで方も、お母様から教わった通り」

 その言葉を聞いても、やはりダッキの表情はとくに変わらなかった。その翡翠の瞳と優雅な灰色にゼラは見惚れていた。

――ひくん、と。

 ダッキの耳が。

円を描くように動いた。

「……っ、セイジ――ッ!」

 ゼラが叫ぶそれよりも、早く。

 空気を爆発させるかのような音を立て、ダッキが駆け出していた。


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