20
そうか。見えていたし、分かっていたんだね。マーガレット
――ええ。
なのに、あたしに言わなかったんだ。そうだね? マーガレット
ええ。
そうか。
ごめんなさい。
ALIのなかに、また裏切り者がいた。しかも私と直接に会ったっことがある奴で、最近私が少々信用してナニかを任せようとした奴に。そうだね?
……スミちゃん。
ああ、君に訊くのは駄目だったね。
私はどちらの味方もできないの。私は、加担すれば必ずそちらを勝たせてしまう。それに私の参加は被害を拡大させすぎる。スミちゃんだって本当は同じなのよ。本当は、ツバキちゃんもね。
ごめんマーガレット、あいつの名前だけは言わないでくれ。――すごいな、今けっこう自分でも驚いた、まさか君の口から君の声で聞いてもこんなにムカつくか――はは、これじゃあまるで条件反射だ。
変わっていないわね、スミちゃんは。本当に。
皮肉かな? 見た目だけなら君だって変わらないじゃないか。
信じているから怖いし、信じていたから腹が立つのよ。スミちゃんは昔っから、優しくっておせっかいで――強くて素敵な、お姫様。
君じゃなかったら、それは私の逆鱗なんだけどね。……反論する気にもなれやしない。だがもう私はそうじゃないよ。なにせババアだ。
ね。スミちゃん、あんがい分かっていないよね。
なにがだい?
お姫様っていうのは、生まれたときからお婆さんみたいな人のことなのよ。
……イヤな言い方してくれるね。
セイジさんもレーベルウィングの娘さんも、本当に良い子。二人とも可愛いわ。どちらも歪だったり生意気だったりするけれど、それはきっと若くて頭がいいからよ。
ふん、自分で育てりゃ、猿だって可愛いよ。
幸せに生きてほしい。早死なんてしてほしくない。そうよね?
君、そんなの、特別なことじゃなく、そりゃあそんなの――。
そうよね?
おい、嫌だよ。あたしはもう、君にそんなことを伝えに来たわけじゃないんだ。こんなこと言われるために会いに来たんじゃない。イヤなことのために来たと思うのか、あたしが。あたしはただ君に――。
スミちゃんが嫌だって言うときは、もう駄目なのよ。
なにを。
嫌ダ嫌ダ、と言いながら、いつもいつも自分を犠牲にしてしまうじゃないの。あのねスミちゃん、スミちゃんは、嫌な思いを他人にさせることが、自分が嫌な思いをするよりも、嫌なのよ、スミちゃんは。スミちゃんは自分のお腹が空いていたって酷く機嫌が悪くなる程度だけれど、目の前で誰かに飢えられると正気を失うの。たとえそれが、世界を滅ぼすような、本当に、本当に駄目な人であっても。どうしようもない疫病を宿した鳥みたいな人だとしても――あなたは、目の前で苦しむ人を、絶対に見捨てられない。ツバキちゃんにも、私にもそうしたのだもの。
マーガレット――。
赤の他人に、心の中で舌を出していたような他人にまでそうしてしまったのよスミちゃんは、どんなスミちゃんが、自分で育てて自分に懐いている女の子と、その女の子の好きな男の子に、そうならないわけないじゃないの。
言わないでくれ、頼むよ、そんなことは、ない。
あるわ。ある。
そんなことはないんだ。――マーガレット。それ、
自分が嫌なことは他人に押し付けるっていう、人として一番大事な楽の仕方を、スミちゃんは知らない。出来ないの。これはもう育ちなのよスミちゃん。育ちっていうのは、どうしようもないのよ。どうしようもない。どうしようもないの。スミちゃんはね、どこまでいっても、どんなになっても。優しくってお節介な、お姫様なのよ。
マーガレット。なあ、ちょっとそれ――、
けれど私の前でだけは。そうはさせない。見たくない、私にだって、こんな目でだって、見たくないことだって、あるのよ。
鍋が。
え。
「呼びましたかスミ先生。あ、なんか焦がしましたコレ?」
「呼んだ呼んだ。カワナ、私の代わりに――お前泣いてたかい? ……目が、鼻まで赤いじゃないか」
突然大声で呼ばれてやってきたカワナは、なんだか目が潤んでいて頬もかすかに色づいて、普通の男だったら一撃で恋に落ちるくらい可愛かった。
「泣くまでいきませんけどね。でも涙腺に来ました」
「そんなに思い出深い本だったのか」
「まあ、ええ。いろいろと。――にしても、いったい何品つくろうとしてるんですか、コレ」
「たぶん沢山。だろ?」
カワナが積まれた材料の量を見て、呆れるように目を丸くした。
ススキノハラとマーガレットが二人きりでキッチンにいたのは2.30分ほどだけだったということになる。
新しかったり豪華だったりということはないが、妙に広くて使いやすそうなキッチンだった。キッチンというより台所というほうがイメージにあう様だ。
「カワナ、マーガレットの料理てつだってやっとくれよ。あたしは駄目だやっぱ、慣れないことはするもんじゃないね」
「またそうやって面倒を私に押し付けるんですね、先生は」
「……」
「なにか? 手伝う事自体は嫌じゃやないですよ私」
「あ、いいえ。――では、イズミさん、そちらの豆を剥いていただけますか」
呼びつけられてイキナリ炊事をしてくれと言われる。
カワナは寧ろ「そういうことは慣れっこだ」という感じで、ちゃっちゃと手を洗い、袖をまくって言いつけられた作業をテキパキこなしだした。
カワナが件の雑誌を読んでいた部屋からここの台所は、それこそスミが大声をだせば気づけるくらいしか離れてなかったわけだが、しかしカワナは、スミとマーガレットの話し声の一切が聞こえてこなかったことに、読書に没頭していたからだけの理由ではないだろう、とは気づいていた。
「ローランドはうまくやれているかな」
「ポップリンドのことなら心配ありませんよ」
「社交界なんてもんに慣れがあるのかね、アメリカ娘が」
「ええ。アメリカ娘でそのうえ貴族でもお姫様でもありませんが、それでもあの子は、ああ見えてなんというか、如才ない子ですから」
ボールいっぱいの豆の下処理が終わると、もうカワナは指示を待たずに次の作業を自分で考えてやりだしたので、マーガレットは感心し阿吽に任せつつも、普段ほんとうにスミがカワナをこき使っているのだと、少し可笑しかった。
「マーガレット。君のことは、どこまで話していいかな?」
緩みかけたマーガレットの頬が、また固まる。ソースにでも使うつもりなのか開けてあったパインの缶詰を、スミが勝手につまんで食べた。
「カワナは実質、あたしの指示など待たずに行動するし、またそうしてもらわないといけない。カワナにはある程度伝えておかないといけないと思う」
「……スミちゃんに、任せるわ……」
「いいのかい? 君の恥ずかしい過去を話しちまうかも」
「恥だ、なんて言い出したなら、それは私の過去全てだもの」
努めて明るくしようとしたスミの言葉がマーガレットの上を悲しく通り過ぎて、スミがまた所在なさげにパインをちぎって食べる。
「どの順番で話したらいいもんかな……――そうだな――カワナ、もしもこの先、なんかがあってマーガレットがあたしのことを裏切るようなことがあったなら、その時は確実に、あたしがトチ狂ったのだと考えて、あたしから離れたが良かろうよ」
カワナがスミからパインを取りあげた。
缶を覗き込んで呆れたような顔をする。
「食べ過ぎです。一気に1缶食べるつもりだったんですか。――まあお二人の様子から並々ならぬ友情があるのは分かりますが、にしたって、たいそうな言い様ですね」
「そういうことだけじゃない。マーガレットの魔眼は『眼使い』というんだ」
カワナがマーガレットに確認して、パインを何枚か取り出しナイフで一口大に揃えた。缶に残った甘いシロップを、ひょっとして飲みます? とスミに訊く。全部は飲まないけど一口ほしい、とスミが答え、缶を受け取った。
「マナコとかいて『眼使い』――その名の通り、とにかく『見る』、『見える』、『見えすぎる』――まあ、分かりやすく言うとあれさ、千里眼だな。『遠見(とおみ)』『透視(すかし)』『見当(みあて)』――」
缶からガラスの皿にシロップをわざわざ移し、それをスプーンでチマチマ掬って味わいながら、スミは言葉を選ぶ。
カワナは作業の手を止めないが、すでに表情は深刻だった。
「一度見た相手ならそれがこの世のどこにいようとも見ることが出来るのが『遠見』。距離だの壁だの物理的に遮られてても何もお構いなしに見えてしまうのが『透視』――」
ススキノハラが軽い口調で、甘いシロップをナメながら言い連ねていく度、カワナの表情が、少しずつこわばっていった。
「もうひとつの『見当』は、あたしもマーガレット本人じゃないから感覚までは分からないが――順序としてこうだ、わけあってマーガレットの魔眼は強弱もオンオフも出来ない。サミ君が前に言ってたが弱静電界作用してるタイプは、そうなりやすいのかもしれないが――これによってあたしらの想像を絶する程の視覚情報がマーガレットの頭には流れ込んでいる、常時、だ。その結果としての、これは殆ど副産物なんだが。――カワナ、ちょうどこのまえテレビでやってたのろ見たろ? 将棋の棋士は時間切れに山勘のつもりで刺しても、じっさいは精神や意識が追いつかないだけで無意識に最適解をだす、ってやつ。それだよ」
カワナの手がついに止まり、固まった。
「――……予知……?」
カワナの震えたつぶやきをスミが静かに首肯する間、何かを我慢するように、マーガレットは俯いていた。
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