18


「博物館というのは、とても良いんです。興味が素通りしていく」

 セイジに車椅子を押してもらいながら、マーガレットが嬉しそうに話す。

「展示物に興味をもって探ろうとする人は資金や私個人のことには頓着しません。逆に、私個人のこと、例えばお金や立場に興味がある人は、なぜここが博物館なのか、ということに気づけない。どちらも曖昧にしてくれます」

「いつかミュージアムを、というのは君の悲願だったね」

「いいでしょう?」

「いいですね、家が博物館だなんて最高だ」

「ほらねスミちゃん。学のある殿方は、こう言って下さるのよ」

「あいあい。資金はどうしたんだ?」

「宝くじが当たったの」

 小学校の建物らしいが、たしかに展示室と廊下のつなぎは、空間の間取りがちょうど校長室と職員室が廊下を挟んであるような具合だった。

 中庭も、見ているだけで気分が子供に戻るようなサイズだ。

「ここの博物館の展示、テーマはなんですか?」

「道楽みたいなものですから、館長(わたし)のわがまま。少しカッコつけて言うなら――『価値あるガラクタ』、でしょうか」

 展示室にはみっしりと。

 ガラクタ、という館長(マーガレット)の言葉が確かに相応しいくらい、本当にとりとめなく、大小古今、さまざまなものが飾られていた。

「誰彼にとっては全く無価値でも、誰彼にとっては代えがたい。価値などというのは相対的に移ろうから。それに、このテーマを建前にしておくと、なにせ、お金がかからなくって、いいんです」

 腕時計、壊れた壁時計。

 ティーカップのセット、ひどく汚れた乗馬帽子。

 何処の国のかはい分からないが恐らくパイロットスーツ、皮の靴、大量の写真、銃 弾、錆びついた勲章、なにかの記念メダル、お箸の片方だけ。

 破れかけた大量の映画ポスターに、制服、軍服、舞台衣装みたいなドレス、寝間着みたいな浴衣、虫食いの空いた反物、陽気にペイントされた髑髏のアート、どこかの 旗に沢山のサインが入ったもの。

 飯盒、なにかの流木、和風な仮面、乾いたインク瓶。

(……古いってだけしか共通してない感じか……でも、とりとめないのが逆に面白いな……ジックリ見たい……)

 あるいはその陳列にセンスめいたものがあるのだろうか、などとセイジは思考と視線をウキウキと巡らせていた。

 展示方法は、簡素なガラスケースに鎮座。

 なかには触れる用に丸出しで、ただ置いてあるだけ、というものある。絵画やら写真の類は、キッチリ額縁つきで掛けられている。

 博物館というより資料館みたいだとセイジは感じた。たしかに、個人管理の戦争歴史資料館などと雰囲気が似ている。

「あたし、博物館って楽しみかた分かんないんだよね。絵とか見るのは嫌いじゃない、っていうか、むしろ好きだけどー、あれ? 絵があったら美術館だっけ」

「ゼラさんそんな。面白いよ、博物館って」

「セイジ、好き?」

「勿論」

「ふぅん」

「そうだ。ゼラさん、博物館は4段階で出来ているんだよ。収集、管理、研究、公開ね。これら段階の全てにドラマがある。でね、ここのキュレーターはどういう人だろう、ハンターは? バイヤーは? って感じで、そういうのを想像すると面白いよ。それに博物館の空気が僕は好きだ」

「空気? ニオイとか?」

「匂いというより、雰囲気。静かなのに刺激的でさ」

「ふーん。でも、デートに誘う時には、あたしに合わせてね。おーけ? 同じ館なら映画館がいいなあ」

 セイジがまた目を泳がせる。とくに見ていないように振る舞っているがゼラはそんなセイジの動揺を見て心でほくそ笑む。

「やっ」

 不意に小鳥のなくみたいな声が。カワナだった。

 わざとでもなくこんな声を出すなんて珍しい、とゼラやスミが思う。カワナは展示物の一つ――古い漫画の雑誌だ――その表紙に釘付けになっていた。

「ああ。その本は『あなた』でしたか。イズミさん」

 マーガレットの声に、カワナがビクリと震える。マーガレットはその包帯の下できっと朗らかにえんでいたが、カワナのほうは幽霊でも見ているような顔だ。

 この雑誌、『古い』といってもせいぜい10年くらいだろう。それは表紙でポーズを決めている日本人なら誰しもが主人公とタイトルくらいは知っているキャラクターからも分かる発行部数で日本トップを誇るあの誌名。

「ち、ちょっと……説明してください。なんで……」

「カワナ。マーガレットには、なんでも『見える』んだよ。お見通し、ってやつさ」

ススキノハラは事も無げな様子で笑う。

「眼そのものを冠して『眼使い』。見えるというより『見えすぎる』といったほうが良いかな。包帯は目隠しじゃない。サングラスみたいなものさ。このままでも、この中の誰より見えているだろう。見えすぎるというのは困る、見られた方も良くない。強すぎて焼けてしまうんだ」

「や、焼ける……?」

「――スミちゃん――」

「要は『受け取る』のでなく『放つ』域に達した視覚とでもいうか。晒されているものを見るのが本来の眼とするなら、暴き見ることのできる眼、かな。この魔眼は――」

「スミちゃん。サミさんと代わって」

 マーガレットが微かに語気を強くして、スミの言葉を途切れさせた。

「マーガレット?」

「久しぶりだもの。先に、二人で話したいことがあるの。まずは、そうした方がいいと思う。本当よ……サミさん、ここまでどうもありがとう」

「先生、セイジさんから離れていいんですか? 何者も何事もない、と? 保証できるんですか?」

「ああ」

「……言い切りますね」

「君たちはマーガレットの言うとおり自由にしてなよ。なにか良くないことがあるなら、先にマーガレットは教えてくれてる。私にね」

「スミちゃん、料理するのを手伝って。話しながらでいいから」

「ええー」

「食べる専門は相変わらず? 私にあわせた台所だから腰が痛くなっちゃうかな」

本当に友達同士みたいに話しながら、スミとマーガレットが地下階へのスロープを降りていった。スロープの前までダッキがついていっていたが、何か言われたのか、一人で戻ってきた。

「……さって……どうしましょうかね」

 カワナが困ったような顔で言う。ダッキはただ微笑んで、手持ち無沙汰に首を傾げている。

「僕はもう少し博物館の展示を見たいな。ゼラさんは?」

「えー。まだ見たい?」

「まだって、そんな。ゼラさん、最後まで行ってないし」

「んー……ホントはセイジさんといたいけど、あたしもう飽きちゃったもん。どうしよ。ねえ、なんか他の遊べるものある? ここの博物館。漫画とかさ、もっと無い?」

 ゼラが笑顔でそう問いかけたのは、ダッキだった。まるで応えるように、ダッキが瞳を大きくパチリパチリとさせる。

「日本語で聞いても分かるわけ無いでしょ」

「そんなことない。この子はなんでも分かるよ。カワナは?」

「私は……そうね、じゃあ茶飲み部屋で一服」

「あ。その本読みたいんだ?」

「ゼラ。この本のことで不用意に私をイジる気なら、マジギレするわよ」

 マンガ雑誌を、それでも大事そうに抱きかかえたままカワナが睨んだ。カワナの切れ長の瞳は相当な眼力だが。ゼラのほうは口笛さえ吹いていた。弱点を見つけて楽しくて仕方ないとでも言わんばかりだ。

「――あっ、うわ! なにそれっ?」

 がしゃかしゃと軽い物音を立てて、ダッキが戻ってきた。四角い水入れバケツと、なにやら折りたたまれた釣り竿みたいなものを運んできていた。

「へえ、魚釣りでもしてようぜってこと? そうだよねえ、島だもんね。ねえ、いい場所知ってるの?」

 ゼラがはしゃいだ様子でダッキから竿を受け取ると、ダッキもどことなく足早に、ゼラを案内するように廊下を歩き出した。

「ゼラさん、魚釣りするんだ?」

「したことないけど、ちょっとやってみたかった気もする。スオミ(フィンランド人)だしねあたし。釣り狩りは国技だから」

「外は、たぶん寒いよ?」

「平気。私、日本の冬で寒いって感じたこと殆どないの。これもスオミ(フィンランド人)だからかな」

 魔眼でない方の瞳でウィンクをして、ゼラがダッキと駆け足に外へ。

 一度だけダッキはセイジのほうを、来ないのか? とでも言いたげに振り返ったが、ゼラにそのままついていった。

「セイジさん、まあ、同じ建物に私とスミ先生がいるわけですから、大丈夫とは思うんですけれど。――なにかあったら、大声出してください」

「……ありがとうございます。その――」

「はい?」

「なんというか……一人に、してもらえるのも、ありがたい……。もともと一人が結構、好きなので……いや、違うかな……こういう時って多分、俺は一人のほうがいいんです、周りに気が配れなくなってしまうし――」

 言葉を選ぶセイジにカワナが笑った。

「セイジさんは映画館にも一人で行きたいタイプですよね」

「……まあ、はい。そうです。お恥ずかしながら」

「そのくらいの塩梅わかりますよ私も。たぶんゼラも。一人の時間は好きな人といる時間と同じくらい大事なものです。だれにとっても」

 普段のカワナであれば、ここでもう一度んふふと笑って、もう少しセイジをドキリとさせるようなことを言ったりしそうなのだが。

 この時はじつに大人しく、やっぱり大切そうに雑誌を抱えて茶飲み部屋に引っ込んでいった。

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