17
乃姫湖の夜は、まるで夕方が存在しないかのように訪れる。
七角館(しちかくのやかた)の周囲山々は雪で白く染まっていた。
湖面には雪が浮かび薄く氷が漂い、湖畔にはそれらが打ち寄せて出来の悪いパズルみたいな模様を作っている。
月が出ていれば湖面の黒に白い氷のモザイクが浮かびあがって、なんとも幻想的なのだが、今は分厚い雪雲で完全に月光は遮断されている。
極寒の水を深く広く張る湖。
一度積もれば春どころか夏まで消えることのない雪。
湖と雪と一体化して迷路と化す森。
これらが三重に自然の結果となり、この乃姫湖の入江とその周辺を含んだある一帯のエリアは、冬の間、ほぼ完全に陸の孤島となるのだった。
その湖畔に『氷使い』ウルト・ラヴィオレッタが歩み出る。
乃姫湖の水面に指を伸ばす。
片目を瞼で閉じるのではなく、左手で覆い隠しての、深く、長い魔眼操作を重ねた。
砕氷のパズルが浮かぶ湖面は『氷使い』の魔眼を通せば、視界にはもはや幻視光しか見えないほどに、手繰るべき光に溢れかえっていた。入江全域に浮かぶ砕氷のパズルが、キシキシと音を立てて動き出し、集まっていく。重なりあい、組み上げられていく。
頃合いを見計らうように、ひゅぅ、と口笛を吹くみたいに吐息を吐いて『雪使い』のフユノ・シゴセンがウルトの隣に並び立った。
『雪使い』の魔眼で雪風を手繰り寄せ、ウルトが組み上げた氷の道に、一直線に舞わせた、まるで白い絨毯を敷くように雪氷が分厚くなっていく。
二人の若く冷たい魔女の瞳が、湖に純白の道を浮かび上がらせていく。
そこへ『風使い』のフィーユ・カルヴェールこと、マダム・カルヴェールが、唸り声を上げ、ダメ押しに轟々と零下の風を吹き付ける。
マダムの有様は、まるで古めかしい物語に出てくる恐ろしい魔法使いそのものだ。雪と氷の若き魔女二人とは段違いの力強さがあった。
氷の床に雪の絨毯の道。
星夜会はこうして、厳冬を司る三銘の魔女が両陣営それぞれを雪と氷でつなぐところから始まる。
完全なる人工でもなければ自然在るが儘でもない白氷は魔法使いの有様を映し出す。
最年長者であるマダムが、先頭を切って歩み出る。
大柄で肥えた肉体を、豪奢なドレスと迫力のある化粧で色どった壮齢の魔女が、小さな松明を手に、雪氷の道を進んでいく。
「ハハァーハ……彼女が乗って割れないなら安心だ」
「……聞こえたら怒られますよ……」
その後ろを、ぞろりぞろりとマジックローブ姿の魔道士達が歩んでいく。
なにも無ければ凍死すらしかねない寒い雪風のなか、『風使い』が拵えたヴェールがそれらを遮っていた。
グリフォニカが最後尾一つ前で、ハノンがシンガリだった。遠目にもグリフォニカの影は、ひときわに小さかった。
真夜中の湖。
水面を歩む影の群れ。
小さな松明の明かりのみが、ユラユラと揺れていた。
人目に触れることを避けつつ仮に見つかろうとも、幽霊怪談の類としか思われない。少々台無しに言ってしまえば、ネッシーとかの仲間となって生きていく。この有様こそ魔道士の姿そのもの。
「……きた」
グリフォニカがつぶやく。雪の湖面を同じく、こちらに向かってくる明かりが見える。錬金術師の連盟ALIからの面々だ。
ローランドが先頭だ。
こちらもマジックローブを全員が纏っているが、しかし先頭を歩く者の手に光る明かりはLEDとかの懐中電灯で、さらに全員いわゆる現代人然とした科学の恩恵、フリースだのなんだのを、防寒具を下に着込んでいた。
そのせいか本来はこれも星夜会の慣わしの一つであるはずの『風使い』による空気の防寒ヴェールを、ローランドは使っていない。
魔道士側のなかの何人かが、そんな錬金術師達の有様に、眉をひそめる。
――魔法使いとしての誇りを失った連中。不遜で、怠慢で、恥知らず、と――。
だが、錬金術師も今のこのローブを着込んだ魔道士の姿を冷笑するのだった。
――意味もなく魔法を使いたがる愚か者ども。浅薄で、傲慢で、恥知らず、と――。
「あ」
と、グリフォニカがローランドの姿を認め目を丸くする。そのグリフォニカにローランドはウィンクとキスを投げてきた。
キスを受けるわけにも、はたきおとすわけにもいかず。ならばとなにもかもを見落としたふりをして、グリフォニカが進み出た。
松明の炎と、懐中電灯の電球のライトが、互い同士を、それぞれに信じるものが違う同胞を照らす。
「……――葉蝶、また葉帖 ※ルビ:ReefWing ReefEdge」
雪に反響するほどに高い、ピアノの高音域のようなその声で、第一小節目を郎じたのは、グリフォニカだった。
「……七と一と分かれ :Seven fly One of」
第二小節目はトウスイ。グリフォニカにあわせたのか、英語で諳んじた。
――画くは梨花の如く――
――透すは月に似たり――
魔道士、錬金術師。交互に陣営から声が連なる。
魔道士でも錬金術師にも同じ意、数限りない言語に訳され伝わるそれは、あとから共有した詩ではない。
まだ二陣営に分かれる以前。
最古の魔女の時代より更に前に紡がれたというそれは、いわゆる『呪文詠唱』の雛形のようなものと言えるかもしれないが、もはや意味を完全に解する者は、御座なりにすら残っていない。
人なのか、人でない何かの化身としてなのかすら知れないが、ともあれ何かの魔眼と魔法使いの、おそらくは女性を姫のように敬い、延々と詠う長い詩だ。
※
葉蝶また葉帖 ルビ:ようちょうまたようじょう
七と一に分かれ ななといちにわかれ
画くは梨花の如く えがくはりかのごとく
透すは月に似たり すかすはつきににたり
涙は極光を点じ なみだはきょくこうをてんじ
爪は雪より出づ ツメはゆきよりしょうず
さらに鱗粉を舞わす さらにリンプンをまわす
香膩は自ら光纏い こうじはみずからひかりまとい
簪は赤瞳と共に かんざしはひとみとともに
髪は赤血を揺らす かみはちをゆらす
弱光 螺鈿を導き じゃくこう らでんをみちびき
細光 きららに格る さいこう きららにいたる
手に杖扇を携え たにじゃくおうをたずさえ
眉に罪穢を見る みにつみけがれをみる
識らず故縁の筆なるを しらずこえんのふでなるを
妙画 贋殺せんと欲す みょうが がんさつせんとほっす
氷の人 五湖に沈み こおりのひと ここにしずみ
なんぞ図らん蝶円の寿美 なんぞはからんちょうえんのすみ
我円これ紙上に在り がえんこれしじょうにあり
老いず また衰えず おいず またおとろえず
然として病むことなし つれずれとしてやむことなし
恨むらくは虹光を共にして うらむらくはななとひとつをともにして
ともに斃悦をなさざるを ともにえみてのたれじにをなさざるを
※日本語で訳文はまだどこに書くか未定ですが、いくつかの言語(だいたい)この意味の文を添えたいので、チェックしていただければ幸いです(微妙なところは気にしません。音の語感を最優先しています)
「「ともに斃悦をなさざるを Una muerte sin sentido Caminar con dos personas」」
最終小節に、異なる言語で声を重ねたのは『氷使い』の二人、ウルト・ラヴィオレッタと、カガ・ヒコ。
靡くようなウルトの声と、センの男性としては高いような声は、混ざり合うには相性が悪かった。
錬金術師と魔道士。
それぞれ二人の若き『氷使い』が進み出て、相対した。
――互いの目が合った時――。
ヒコが息を呑んだ音が、ウルトにだけ聞こえた。
「fuck……――雷だぜ……」
「はい?」
ひどく苦そうに『毒使い』は笑っていた。
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