15


「……君たちで多分、最後だよ……」

 七角の館は、中心にある部屋でつながる構造で、なるほど広さのわりに会食会合に向いていそうな作りだった。

 ハノンの声は聞き取りづらく、部屋の説明を受けている間、グリフォニカは何度もミスウィックに視線を送った。

 そのたびにミスウィックは「自分はきちんと聞き取れていますからご安心を」と無言の目元で主に答えていた。

「他のみんなは……話したり、コーヒー飲んだり……社交してる、うん、社交……さっき言ったけど。リビングで……キミ達、寒くなかったかい? 暖炉もあるから、温まって……そちらの……美人な……。……君は誰さん?」

「彼女は僕の秘書です」

「……ああ、秘書の人……うん、そうか……」

 グリフォニカとミスウィックの革靴と、ハノンのそこの分厚い黒ブーツでは、立てるお足音がだいぶ違った。

 体格のせいもあるだろうが、なによりも歩き方だろう。ハノンはまるで、あえて音をつけるならヨチヨチとでもいうような、一挙一動が不安定な感じで妙な足音がたつのだった。

「……秘書の君、家事は出来るかな……? 特に、料理。メイドあつかいして悪いと思うけど……」

「私はグリフォール家のメイドです。グリフォニカ様の秘書も兼ねておりますが。家事の類は、まあ相応に」

「秘書さんの料理は美味しいですよ」

「坊ちゃま」

「……いいね。……見ての通りなんだけど、最近ここの家は使ってなかったんだ。特に冬に使うなんて本当マジ久しぶり……それで食べ物は、日持ちしそうなの色々買ってぶちこんでは、いるけど、僕は料理が……嫌いじゃないけど得意じゃない……」

「それで、私に炊事を、ということですね」

「そういうこと。……悪いね、料理は得意じゃないんだ。僕に出来るのは、せいぜい地元野菜を使ったピザくらい」

「それは十分おいしそうですが」

 ハノンから視線を向けられると、身長差のせいでギュルンと見下ろしているようなカタチになってグリフォニカは気圧された。 

「――僕の魔眼。有名だろ。手料理は喜ばれない……食中毒おこすみたいに思われてるのは凄く誤解なんだけど…………でもそんなに悲しんでないよ…………キッチンも食材も自由にしていいから、お願いしたいんだけど……できる?」

「秘書さん」

「承知しました、適当になんとかしましょう」

「……ありがとうね」

「家の人間をお褒めいただき恐縮です、サー・ハノン。偉大なる薬と対なす魔眼」

 グリフォニカが魔道士式の文言を流麗にこなし、ハノンと目を合わせる。ハノンのほうが呆気なく視線をそらした。 

「…………『イヴ』とか『おじさん』とかでいいんだよ……別に『ハノン』でもいいけど……君は大人びているけど無理してないかい?」

「……。生意気がすぎぬよう心がけます。けれど僕は無理はしていない」

「そう……。――子供が良い子すぎるのは、なにか悲しいな……なにが、とはいえないけれど……なにか悲しい…………君、煙草すうかい?」

「え? いえ、吸いません。まだ僕には早いです」

「僕も吸わない。……体に悪いらしいから」

 ハノンがそっと、グリフォニカに手をゆるく掲げて、またすぐ引っ込める。撫でようとしたけどやめた、というようにみえた。

 扉をハノンが軽くブーツのつま先でそっと押して開ける。扉は玄関と同じく、やはり全く音もたてず動いた。

「……僕の妻は、僕が魔法使いだって知らない」

「え、……とてもめずらしいケースですね……。とくに僕達(魔道士)では本当にめずらしい……しかし、信頼のなせる技かと思います」

 リビングは賑わっていた。扉が開いてグリフォニカ達がはいってきたことに、誰も気づかなかったほどに。

「……嘘をついて、普通の女性と結婚したのさ……」

「それは、……大変そうだ」

「彼女は普通だけど、平凡じゃないぜ……賢いんだ……僕はいろいろ彼女に隠し事しているし彼女もそれを察してる――けど……、浮気じゃないなら、気にしなくていいのよ、夫婦でも秘密はあっていい。惚れてさえいればいいじゃない、なんて、言っちゃうんだ……言ってくれてる……………僕は妻が大事だ……本当は隠し事はしたくないんだ……――――だから――もしもッッッッ!!!!!!!」

 唐突に、凄まじい剣幕でハノンが怒鳴った。思わずグリフォニカがよろめき、ミスウィックが腰をあて支えた。

「無関係の俺の、妻にッ!!!!!! なにか危ないことが、あったらッ!!!!! あったなら――ッ!!!! 俺はたとえ誰が相手でも、容赦しないぜ!! 、誰も無関係じゃないッ! 八つ当たりに何人殺すかわからないからなッッ!!!!!!!!!!!!!!」

 リビングにいた全員が固まっていた。

魔女達と、それにその従僕たち。

「…………驚かせてごめん……」

 ハノンが、手をヘロヘロと振る。

「みんなに聞かせようと思って。……大事なことだから……別に、いま怒ってるとか苛ついてたりとかじゃない……僕は声が小さいってよく言われるんで頑張っただけなんだ……僕は自分の部屋に引っ込んどく……みんな自由にしてて……あ、そこのコーヒー豆、くそまずいから気をつけて……膨らむ代わりに沈んでく。まるで底なし沼の奇跡さ……――ハハハーアァ」

 全員の視線から逃げるように、ゴソゴソ足音を立ててイブ・ハノンが――『毒使い』が、去っていった。

 数秒の間をおいて。

――……あ……グリフォール卿――

――サー・グリフォール――

――グリフォニカ様、お久しぶりです――

――光栄だわ。『砂糖菓子』のグリフォール――

――グリフォニカ・グリフォール――

 リビングにいた魔道士達と、その下僕たちが、つぎつぎとグリフォニカに『社交』をはじめた。

 魔女本人らだけではなく、下僕らも、強弱は別として異能の持ち主らしい。

「皆さん、壮健そうで」

 気を取り直して、グリフォニカも一人一人と、平等に時間を分けて接し、カンペキな挨拶と紹介を繰り返した。

 とくに三銘の魔女には格別の態度で接した。

『氷使い』ウルト・ラヴィオレッタ。

『雪使い』フユノ(冬ノ)・シゴセン(子午線)。

『風使い』フィーユ・カルヴェールこと、マダム・カルヴェール。

 両陣営『氷使い』『雪使い』『風使い』の三銘を必ず揃える。これは星夜会の伝統(ルール)でもある。

 なにせ『氷』『雪』『風』の彼らがいなければ星夜会が始められない。

 三銘ともそれぞれ『氷』『雪』『風』の魔眼を持つ魔法使い達のなかで見れば、決して上位とはいえない家からなうえに、城主や家長は一人もなく『~~の妹』とか『~~家の次女』『~~夫人』とかで説明されてしまいがちな者たちだ。

 『氷』『雪』『風』などというと自然の根源的な要素に近い響きのせいか実に強力そうだが、じつのところこれらの魔眼は、さほど戦力になる魔眼ではない。いや、最早『弱い』の部類にはいるかもしれない。

 世界中どこにいってもいわゆる『雪女』の類いの伝承はあるせいで『湖を凍らせる』とか『口づけした相手の全身の血を凍結させる』だとか――そういう凄まじい光景を想像しがちだが、現実の『氷使い』にそんなことは出来ない。

 少なくとも『水を凍らせる』というプロセスになると、実際のところそれは水温、つまり『熱使い』とでもいうべき領分になるからだ。

 聞けば『水使い』には水を湯にまで変えることの出来る者がいるそうだし『巨大な湖をまるごと凍結させる』ようなことが出来る魔法使いは何人かいるが、ひとまずそれは今日の『氷使い』の領分ではない。『氷使い』が操れるのは、あくまで『氷(水が冷えて凝固した状態)』なのだ。

 だから、氷河とか、雪山の中でとかでなら、かなり恐ろしいのかもしれない。

 が、逆に常夏のビーチにぶちこまれでもしたら、なんの活躍も期待できない。業務用の特大冷凍庫でも持参しないと。

 それは似たようなことが『雪使い』にも言える。

 ここにいる『氷使い』『雪使い』『風使い』、戦力という意味だけで考えると……例えば、あの紫煙姫(シガレッタ)あたりだったなら、三人同時にかかっても、恐らくは粉砕されただろう。

 グリフォニカ自身でも恐らく本気になれば粉砕(それ)が可能だ。『砂糖菓子使い』は決して古いだけの理由で敬われている魔眼ではないのだから。

 往々にして一聴してもそんなものでなにをするというのか分からないような銘がついている魔眼ほど、恐ろしかったりするものだ。

 だから、そう。

 あの泉川魚は例外中の例外だ。

 脆弱の代表としてあげられてしまうはずの『風』であるはずなのに、今いる全ての魔法使いを上から順番にならべても、恐らくは一桁台に入ろうかという出鱈目の前代未聞。

 それがあの嫋やかな黒髪の正体なのだ。

 所謂『桁代わり』で考えるなら、元が弱いとされる『風使い』だけに、ヘタをすると二段三段、一気にカワナの一代で上がっているかもしれない。

(互いに『古いが弱い』三銘を揃えるのも星夜会がそのまま戦争になるのを防ぐ意味合いがあったそうなのに……向こうはその『風』が強い。ズルい)

 一巡の社交を終えたグリフォニカが、ソファーに座った。ふぅ、と息が漏れた。

 ミスウィックが差し出す温かいブラックコーヒーを受け取って、一口含む。

 確かにハノンの言ったとおり薫り高いとは言えない代物だった。それでもそこそこ飲めるように仕上げているのは、ミスウィックの腕前だ。

(今、魔道士は錬金術師に組織の力で負けているんだ。上の連中はそれに気づいていないのか、それとも気にしないふりなのか……。それに『雪』と『氷』の最上位というなら――本当は、レーベルウィングだ)

 カップから視線を上げたグリフォニカに『雪使い』ウルト・ラヴィオレッタの瞳の光が飛び込んだ。

 すぐに応えて、互いに微笑む。

 ウルト・ラヴィオレッタは、その銘にふさわしく、冷たく見えるくらいに美貌の若い魔女だった。黒髪がかかる白い鎖骨(デコルテ)が眩しい。

 しかし、じつは彼女はそんな風貌目鼻立ちとは対照的にかなり温厚というか、良識的な性格の女性であることをグリフォニカはよく知っている。

 なにせ、何度か食事とお茶を――つまり『お見合い』をしたことがあるからだった。

 ウルトは『雪使い』ラヴィオレッタ家が三姉妹の次女。グリフォニカには何度か公式な面識があり、イザラが現れる前のグリフォール家への花嫁候補の、それも最有力株の一つだった。

 グリフォニカと笑み合うウルトを、マダムが何か囃した。

 ウルトは痩せているせいもあって、大柄なマダムの後ろにはいると完全に隠れてしまうくらいだ。ユキノが混ぜっ返すようにウルトをからかう、喧しくも和やかに、魔女たちが笑いあった。

 王子様に憧憬と夢を想う女性達。彼女達が、この笑顔のとおり平凡(まとも)であることをグリフォニカは願わずにいられない。

 なにせ――『強い』とか『偉大』とかといわれる魔女ほど。往々にして何かしら『おかしい』のだから――。

 天災の級(レベル)だとか言われる魔女が何人かいるが、彼女たちが『災』呼ばわりされる理由はその力の巨大さより、何より。その性格が、人格が、趣味嗜好、話の通じなさが厄災めいているからに他ならない。

(組織力で負けている上に、この大事の最中、初動の対応でミスを連発した。僕ら魔道士は危機にあるんだ。――僕が頑張るんだ……)

 グリフォニカは苦いコーヒーを飲み干し。何かに挑むように笑顔をつくって、社交の輪に戻った。

(もし争いになったら……僕が出る……そして最小限で終わらせるんだ―――見守っていて下さい、僕の妻(ルビ:イザラ))

 ところで、まさか自分を圧死させかけた相手(ルビ:トラウマ)が、ちょうど今ヒッチハイクで到着したとは夢にも思っていない。


# # #


「お土産よ」

 錬金術師の『氷使い』、夏画(カガ)桃水(トウスイ)は、ペンションのリビングに入るなり、大きなコンビニ袋をテーブル向かって投げた。

「やぁやぁモモ(桃)ちゃん、バイクで来たの?」

「屋根のついた乗り物が嫌いなのよ。知ってるでしょ」

「あ。ボクの好きな『オランダせんべい』。嬉しいなあ」

 コンビニ袋からのぞくワッフルを踏み潰したようなカタチのお菓子を、タナベが嬉しそうに戸棚に並べた。

「北海道からロングドライブ? 疲れたでしょそれー」

「好きだもの。長距離」

「駐輪場、わかった?」

「適当に停めさせてもらったけど。問題ある?」

「ないねえ」

 トウスイの格好は、膝下までぴっちりと包み込む黒革のレーシングスーツだった。

 ブーツも黒く、駐められているアプリリアの250CCにひっかけてあるヘルメットも、また黒だった。

 細身とかいうには厳しい腰回りで、肉厚な唇をしたグラマラスでセクシーな女性なのだが、どこか愛嬌のある顔立ちで、ひょっとすると化粧を上手く施せば大学生にだって少しくらい化けられそうだった。

 夏という字が入っている姓に、桃という初夏の果物を関した名前だが、その魔眼は『氷』だというのだから、皮肉めいた名付けだ。

「お風呂、使うからね」

「先客がいるよ」

「わかったわ」

 ペンション魔法の家の部屋数は20もあるがバス・トイレは共用で、男女別でもない。

 トウスイは浴場への入り口がある二階へ階段をあがりながら、もうレーシングスーツの前を開けだした。

 曇りガラス越しに人影。

 しかも男性らしきそれが見えていた。

 だが、更衣室に入るなりトウスイは服を全て脱ぎ、タオルを身体に巻くこともせず浴室に踏み入った。

ひぁっ、

 と小さな悲鳴をあげて慌てて前を隠したのは、しかし男性のほうだけだった。いっぽうトウスイは前を隠そうともせず、

「気にしないで」

 と言い……。

 目を、丸くした。

 少し痩せすぎなくらい痩せている青年の姿。

 背は普通くらいで、かなり色白。

 顔立ち自体はなかなか整っていて――。

 というより、似ていた。

「なんで、あんたがいるの」

「なんで、姉さんがいるの」

 二階から聞こえてくる姉弟の声に、タナベが美味しそうにオランダせんべいを齧りながらウフフフ、と笑った。

「地味に5年ぶりの再会なんだよ、あの姉弟。ねえ」

「そうですか……」

 薪ストーブを景気良く燃やしているせいで、外は次第に吹雪いてきているというのに、ペンションの中は上着を脱がないと汗ばむほどだ。

タナベが瓶のオレンジバヤリースの栓を抜いて、ユナに渡した。

「雪と氷の姉弟か……」

「これで風、雪、氷、そろったねえ。いよいよ聖夜会らしいよ」

 とくに警戒するような様子もなくうけとって口にしたユナに、タナベは少し気を良くしたようだ。

「夏画(カガ)家はボクの家と付き合いがあってね。カガの家は『雪』が本家なんだけど。姉のほうが分家に行っちゃって穴の空いていた『氷』を夏画火粉(ヒコ)君が埋めたパターンね。あ、トウスイのことはモモちゃんって呼んでOKだよ。本人、そう呼ばれるのが好きなんだ。モモの天然水って感じ? 懐かしいパターン?」

「……あなた、何歳なんですか」

「しっかしこのアメリカンさん、おっぱい大きいねえ。ねえ?」

「……」

 ローランドは上着を脱いでTシャツ一枚だ。前にA&Wハンバーガーズのロゴプリントがしてある。

 相変わらず下着をつけてないのか、仰向けの胸のあたりの肉が、まるで雪崩れていた。本当は小さいはずの「&」の文字が引き伸ばされ、AやWと同じくらいの面積になっている。

 ローランドは着くなり、コーラ一缶を飲み干したと思ったらシャワーも浴びずハンモックに飛び乗って眠ってしまった。可能な時にすかさず休んで体力を回復しようとする姿勢は、ある意味で剣士らしいのかもしれないが。

「モモちゃんもたいがい大っきいのに、桃ちゃんが控えめに見えるパターンだもんねえ、ボクこんなん初めてみたよ」

 タナベはれっきとして男性。

 しかも本人曰く(信じられないが)三十路過ぎだという。

 それが目の前で寝ている若い女性のバストサイズの話を、それも会話の相手にユナという若い女性を選んでいるのだから、ハラスメントも甚だしいのだが。

「でもさあ、もしモモちゃんのほうが本家をついでたらって思うと、あっつくるしい雪女になってたんだろうねえ、ってコトなんですよ」

「……二人組で来たのは、私達ローランド組だけですか?」

「錬金術師は、家来とかそういうのもう時代おくれだって嫌いだから。こういうときはワンマン、本人だけって子が多い」

「……となると、数で向こうは、おそらくこちらの倍以上いますよ。魔道士の魔女が下僕を連れないなど、ほぼ、ありえない」

「こっちは五人しかいないっていうのに。魔道士って連中は偉そうなくせに徒党を組みたがるよねえ」

「……」

「あ。ユナ・タチバナ。ボクは君のことを、過去で差別する気は、ないからね」

「構いません。私は卑下されて然る身だ」

「いやあ、頼りになる味方と思ってますよぉ」

「悪いが戦えません、今の私は。――いや、私は戦わない、決して誰とも……なにがあろうとも、なにをされようとも……」

「――そっか。事情か」

 ユナのうつむいた顔を、恐るべき童顔が覗き込む。

シニカルな笑みとぶらぶらと動き続けるこの落ち着きのない仕草が、どうもこの子供の姿をした男の癖らしい。

「……伺ってもよいですか」

「いいよお」

「貴方の魔眼のこと」

「いいよお」

 まったく即答されてユナは驚く。

 魔法使いは基本的に自らの魔法を、手の内を、他人に話したがらない。これは魔道士でも錬金術師でも同じことだ。

 ましていわゆる「裏切り者」に、誰が話してやるものか、という反応をされることをユナは想定していたのだが……。

「……『夢使い』というのは、魔法使いとしてのルーツは、その名も広き『眠り姫』にまで遡ると高名です」

「レアなだけが取り柄なんだよねえ。僕の右目」

「あなたのそのオッドアイは何が見えるのですか。何を出来るのですか? クリスケイプ」

「うふふ」

 タナベがアッカンベをするみたいに、オッドアイの片方、右の瞼を引っ張って、その魔法陣が刻まれた銅色、コパーの眼球を指差した。

「ボクの『夢使い』に出来ることは、ただ一つだけ。その名の通り『夢を操る』ってこと、これだけですよ」

「……自由に、他人の夢に介入が出来る、とでも?」

「うーん、じゃあ、少しだけ見せちゃおっかなー。ちょうどコンコラコンコラと寝てる子もいることだし」

 言うと、タナベがゴールドの左目を閉じた。右の、より色素の強いコパーの眼で見据えるのは、ハンモック上のローランドだ。

 ぱち、ぱちぱち、と。 

 何度か夢使いの魔眼がひらめきを繰り返すのを、ユナも黙って見つめた。

「――Siーーッ!!!」

「っ」

「わお。いい反応」

 いきなりハンモックが千切れそうなくらい揺れ、思わずそれにユナが驚いた。

 ローランドが両手を天に向かってビーンと伸ばし。なにか、モグモグ……うごめいていたが、またすぐに安らかに寝息をたてだした。

「さすがアメリカン。寝相がワンダー」

「……今のは?」

「アグレッシブなパターンの『夢』を見せたんだね。楽しいやつ。細かい内容まではわかんないんだ。起きてから本人に聞いてみないと。アバウトなパターン付けがだいたい限界かなあ――お腹が空く夢、好きな人を思い出す夢、怖い思いをする悪夢、なんか腹立つ夢――そういう、ざっくりと一言で説明の出来る範囲かな。ちなみに自分の夢にはできない。つまんないよね。寝ながら(瞼を閉じて)魔眼の操作は出来ないからなあ。あ、勿論エッチな夢もいけるよ!」

「例えば、相手をバタリと眠らせるとか、あるいは延々と眠らせるとかは出来ないのですか。眠り姫の逸話からなら出来るように思えますが」

「セクハラが無視されると悲しいなあ。……んー、眠らせるのは、難しい。それって起きてる人間が相手になるじゃない?」

「……ああ、なるほど」

「夢で眠りから覚めにくくする、なんてことは出来る。でも残念なことに、そもそも夢見ている状態ってのは、イコール眠りがさして深くないってことなんですよ。怖いんだよ、けっこう、人の夢を侵害するってことはさ。――あ、ここ大事だから、よく覚えといて。ボクは『眠ってる無抵抗な人しか、相手にできない』。もうね、非戦闘員枠も甚だしい、ってことなんですよ。役立たずな魔眼さ」

「……それでも、極めて希少な魔眼だと聞きました」

「でも僕、子供を持つ気ないからさ。相手もいないし。ユナ。君、どう? 正直、僕君みたいな子タイプなんだけどな」

「お断りします。血縁で紡ぐのが望み薄というのなら、養子をとればいい。貴重な魔眼だ、それだけで、なんとかなるでしょう」

「いや。ボクの代でこの魔眼は終わらせていいんだ」

「馬鹿な。そんな――」

 目を丸くするユナに、しかしタナベは少しも動じず微笑みかけたまま、言葉を続ける。

「真面目だねえ魔道士は」

「先祖に申し訳ないと思わないのですか、クリスケイプ」

「なくはないけど、そんなでもない。タチバナを捨ててまでチャンドラーになった君には、ひどく失礼に聞こえるのかもしれない。傷つけたごめんよ」

「――……私は」

「あ、でもさ。宿屋するには役立つんだよねえ、この魔眼。感じのいいお客さんには、素敵な夢を見せてあげる。で、もう二度と来るなって客には悪夢をブチ込んでやるの。だから口コミサイトの評判が『最高』と『最悪』で二極化してるんだよね」

「えっ……、こ、ここ、インターネットの口コミサイトに、載っているのですが、仮にも魔法使いの住処が……っ!?」

「おお。『インターネット』なんてー、言うところ元魔道士らしいねえ、インターってあたりー。ねえー?」

 にんまりとタナベが笑ってみせる。

 笑うと童顔がいっそうに強調されて、すこし怖いくらいだった。

「あ。そうだ。紅茶をいれようか? ユナさん」

 タナベがユナの返事を待たず、台所に引っ込んでいき、カチャカチャさせながらトレイを持ってきた。

「うちのペンションの名物なんだ。ジャムティーですよ。このジャム瓶にこのまま紅茶をそそいで、カップ代わりにして飲むの。オッシャレでしょー?」

 カップはなく、イタリア趣味な陶器の紅茶ポットの周りを、なぜか空のジャム瓶いくつもが囲んでいた。

 ユナが、先程の既成品とはちがって、今回は訝しむのを隠しもせず、その瓶の一つを受け取った。

 ジャム用のガラス瓶に注がれた紅茶はたしかになにやら欧風趣味的というか趣があると言えなくもなかった。

「熱っ……」

 とはいえ、薄ガラスは紅茶の熱がダイレクトに伝わるせいで持つところを違えると火傷しそうだし、蓋ねじり溝が唇にあたって、飲み口の感触も酷かった。

「……の、飲みにくい……悪意すら感じる……」

「女の子を変な趣味に付き合わせるのって楽しいな」

 紅茶の味自体は、悪くなかった。

 いや、むしろ、甘さの中にジャムの香りが優しくて、暖かさが重たく腹に沈んでいくジャムティーは、冬の一品としては、殆ど最高といってよかった。

「僕は役立たない魔眼の持ち主だからね。そこだけ覚えておいてよ。戦いになったら守ってほしいな」

「……クリスケイプ、今の私に、他人を守れる力はない。守ろうという気もないのだ。誰か他のものを頼ってくれ」

「ボクよりは強いでしょ。ナイフとか僕は投げれないものね。ジャムティーのおかわりはいかが?」

「いただきます」

「お?」

「味はいい」

 この時タナベは、どうしてそんな無力な『夢使い』が、あまたある魔眼のなかで『最も危険』と謂われ、無理やりにでも存続させられてきたのか、その理由を一つも話さなかった。

 その性質ゆえ。使われた相手が自力で気づくことは、ほぼ不可能に近い、ということも。


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