14
「うそ! ネット繋がんない!!」
「あ、ホントだ圏外だ。」
「ダメじゃん日本! えーやだー! ログボが貰えない!」
カワナが言ったとおり、船から降りて1分もしないうちに、ゼラの本当に船酔いはケロリとなくなってしまった。
「あたし『でじたるねーてぃぶ』だからきついなあ。ノキアの国の人だもん」
「電子レンジすら使えなかった娘が何を言う。この島に検索するようなもんはないよ。売店の一つも無いんだから」
「え、えーっ! コンビニないの!? 日本にそんな国土があるの!?」
「ゼラさん、それわりといくつかの県とか市の人に言ったら怒られるよ」
「お前はそうでなくてもジャンクフード食べすぎだよ。太ってきてる」
「まって、それちょっと流せない」
「ゼラがプクプクお肉ついてきてるのは誰が見たって明らかよ」
(――ゼラさんは、そもそもが痩せすぎくらいだから、むしろ――)
なんて思ってもセイジは口に出したりしない。
こういう話に男が不用意に混ざろうとしても碌なことにはならないと、妹のいる家に育った彼は知っていた。というか、ここのところのゼラの毎日の食事はだいたいセイジが作っているわけだから責任問題に波及しかねない。もちろん個人の間食はセイジのせいではないがーー。
島の景色のなかには、潮風でくすんだ色合いの建物がポツポツとあった。島自体はこんもりしたシルエットの本当に小さな島で、一時間もかからず歩いて周れそうな程度の広さだった
(……インディーズゲームとかのモデルになってそうな島だな……)
ふと、港(ルビ:こちら)に向かって海沿いの道を勢い良く駆けてくる人影のようなものが、現れた。
ようなもの、現れた、というふうにしか表現できないのには理由がある。問題は速さだ。速すぎる。輪郭がぶれて見えていた。遠目に見ているというのに顔も服装も見取れないし、瞬きするたびにぐんぐん近づいていく。
分かるのはなんとなく灰色っぽいということだけだった。こんな速さで動くシルエットが人間であるはずがない、と常識が訴えている。
そして、風斬りの音すら巻き起こしながら、
「……ダッキ……、かッ――?!」
セイジたちを貫くように横切って、そのままススキノハラに激突した。
ススキノハラが悲鳴をあげた。
でも、歓声といってよい声色だった。はしゃぐ少女みたいな声だった。
「ダッキ! 君か!? 君か!!」
ススキノハラが『ダッキ』と呼んだその影の主は、
「おおっ、おい、ははは! くすぐったい! そうか、でかくなったなあ! もう死んだかと思っていたよ! あははははは!」
人間の女性の姿をしていた。
そして、押し倒したススキノハラの顔にキスの雨をふらせていた、びちゃびちゃ音がするくらいに。
「なになに!? あなた、スミ先生の友達なの?!」
ゼラのはしゃいだ声に。
ぐるん。
と、ダッキが飛ぶように立ち上がる。
灰色の女性、とでもいおうか。
彼女の風貌は神秘的なほど精悍だった。そう、美形だとか美人だとかいうのとは、違う。眼力が強い、とかいうのでもなく。ただまるで、その髪と肌から、なにか光る粒子がほとばしっているふうに見える。
女性には相応しくない表現かもしれないがーー雄々しい、というか。
「――あなた、すごくきれい……名前を教えて……?」
「『ダッキ』というんだ。みてのとおり喋れないから、あたしが代わりに言う」
「ダッキ……ダッキねっ! かわいい響きじゃん。すごくいい名前」
「かわいい? 知らないって怖いわね。スミ先生、ダッキって、あの悪女の妲己のことですか? 中国の?」
「難儀な名前だろ。中国の方で生まれた上に、ほら、こいつちょっと狐顔だろ、だから冗談半分でそんな風にあたしが呼んでたら、本人が気に入っちまってさ、コレ以外は認めないんだよ」
まるでスミの言葉を肯定するように、ダッキが首をユックリと傾げてみせた。はらり、と灰色の髪が揺れた。
「よろしく、ダッキ。あたしは、ゼラ。ゼラよ。友達になってくれたら嬉しいわ」
なんて珍しい、とセイジは思う。
ゼラが初対面の相手に、まして魔法使いに対して、いきなりこんなに好感を持ってそうに接しているのを少なくともセイジは初めて見た。
セイジに理由は分からないが『喋れない』とスミが断言したとおり、言葉でなく瞳で伝えようとするような仕草が、さらに神秘性を増しているようだった。
ダッキが顔を覗き込むと、ゼラが笑みを浮かべる。その灰色の瞳に真正面から見つめられても、ゼラは目を微かにだって反らさなかった。
バクリ、と。
ダッキがゼラに、やはり齧り付くようなキスをした。ゼラが、あふ、と笑いながらそれを受けて、自分からもキスを返す。
「ゼラ。よしなさい」
「大丈夫、少しも汚くない、この子。あたしには理解る」
その声に応えるように、ダッキが今度はカワナを見やる。しかしカワナに対しては、ゼラよりも一歩遠い距離からしばし見つめただけだった。キスをする気は無いらしい。
「カワナのこと嫌いだって」
「尊重されているのよ」
そして、
「え、あ、あの」
ダッキがセイジの方に近づいてきた。
ぐ、と接近されてようやくセイジは気づけた。ダッキは、180のセイジと、なんと目線が変わらなかった。
(こ、この人、カワナさんよりも大きいのか……!? そうは見えなかったのに……え、あ、ちがう! 俺よりもでかい? え、そんな風に全然……ーー)
ダッキの瞳は翡翠だ。翡翠のような、とか翡翠みたいな色とかいうのでなく、もう本当に翡翠石がそこに埋まっているとしか思えない、濁緑の美しい瞳だった。
その翡翠が視界いっぱいに近づいて来て、
「あ、あの。はじめまし――」
思わず、セイジがゼラの方を見やったが、次の瞬間やっぱり、ガバッとちょうどスミにやったような感じで口を舐めてきた。ベロン、ベロン、と音がしそうな、ものすごく雑なディープキスだった。
「あははっ! ダッキ、セイジのことは好きだって! 嫌いなのはカワナだけー」
楽しそうに笑うゼラに、セイジは戸惑った。反応が思ったのと違ったからだ。仮にも他の『女』にディープキスされたというのに。口では優しくても目が笑ってない――とかそいうのでも、なかった。
(……)
セイジには、まだ分からない。
同級生の女子と話すだけで咎めるゼラが、このディープキスに怒らない理由。
やがてダッキはセイジから離れ、またゼラのほうへいってキスをした。さらにススキノハラのところへ戻ると、もう一度、べろりとキスをした。
カワナには、視線。たしかに敵意とか嫌悪とかではなく同等の存在として敬意を払うような仕草に見えた。
そして、その表情だけで。まるでテレパシーみたいな明確さで。
よく来た。
ついておいで。
と云い、ハンドポケットで歩き出した。
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