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 日本という国は、周知のとおり島の群れで出来ている。

 卓上地球儀なんかで眺めていても分からないが、実はその『日本』とされている島の数は、大小あわせると(換算方法によって差異は発するも)六千を超える。

 だが、そのなかで公式に《人が住んでいる島》、有人島となると、おおよそ400程度となり、一挙に桁が変わる。

 そして有人島のなかから、それなりの人口、具体的には学校やら商店といった社会が成立している島となると、ここでまた桁が変わり、50を切る。

 さらにここに例えば観光地として、ある程度以上の知名度が在る島――『賑わっている島』となると、これは数え方にもよるが、どう足掻いても10あるかないかとなる。

 つまりこの島国には『人が住んでいるらしいが(あるいは不明だが)、殆どの国民がその存在も内情も知らない』島だけでも300以上あるということになる。

 公のデータだけでこんな有様だから、非公式や換算漏れ、故意の隠蔽を数にいれると、また今度は逆に桁が戻るだろう。

 それらの『島』は、日本という、一応アジアの中では先進国の、その一部であることは間違いなくて。小さな船でも、せいぜい数時間で、それこそ東京とか、福岡とかの都市にいける。更に言うなら、そんな国際空港のある都市にまでいけば、あとは空路で世界中どこにでもつながっていることになる。

 極端な話、日本の無人島とニューヨークは、その気になれば一日以内で繋がるのだ。民間のまっとうな移動手段で。

 こんな、じつは地球規模でみても貴重な環境のせいで、この国の『離島』を住処にしている『魔法使い』は、思いの外に多いのだった。



 12月25日、昼過ぎ。

「……暖冬だな、今年」

 大きなボートのデッキで、セイジが呟く。古い船外機(エンジン)に特有の燃料を焦がすような臭いがベタ凪の海を漂っていた。

(例年の晩秋なみの暖かさ、じゃないかな……去年も、こんな感じだったかな……温暖化してる……)

「――来年は果物の出来が心配だ」

 そんな思考が言葉で漏れた。

 クリスマスの翌朝。

 セイジ達一行はカワナの運転する車で、チャンドラー邸からそのまま隣県の港まで赴き、そこから、このボートに乗った。

 誰の名義なのかは知らないが、レンタルという感じではなく真っ当に係留してあった漁船タイプで、個人所有だとしたら船舶自体はまあまあ大きい、サイズクラス的には40フィートほどだろうか。

 スピードは20ノットも出ていないが、小さな船室にはシートもちゃんとあり、そこにはのんびりとヤクルトを飲んでいるスミと、その傍らには、

「ぅぅ……ぅぇ……ぅ……っ、……ゔっ」

 船が揺れにあわせてリズミカルに呻くゼラが横たわっていた。冷たいだろうに床に直寝で、生あくびしながら悶ている。顔色はもう、青というか緑といってもいいくらいだ。

 ゼラはあのあと、友人達とほぼ夜通しヤケクソに暴れ遊び楽しんで、朝には起ききれず、昼に起きてもまだグロッキー状態だった。

 目覚めと同時にカワナから狭い車内にぶち込まれ、そのまま山のグネグネ道を揺らされ、港についたときにはすでに車酔いしていたのに、そのまま渡船にまたカワナによって運ばれた。

 そこからはもう無残なもので、会話もままならない船酔いに堕ちた。

「……ねえ、ゼラさん、少し吐いたほうが楽になるかも……」

「もう全部はきました……」

「そ、そう……」

「冷めた唐揚げなんて朝から食べるからよ。おバカ」

「……朝は食べときなさいって言ったのカワナじゃん……」

「んふふ、ヘルシンキでは船にはのらなかった? 森育ちって言ってたかしら。陸に上がればすぐに治るわよ。まだ上からゲロ吐いてるだけでしょ。下からウンコ漏らさないうちは大丈夫」

 しれっと凄いことを口にするカワナにセイジが内心ぎょっとした。

 ちなみになんと、操船しているのはカワナである。

 乗り込んだ時、船の免許を持っていたんですかと驚いたセイジに、車の免許よりずぅっと簡単ですよ、道路が無いんだから、と笑い、じっさい慣れた様子で操船している。

「眠るなら奥に入っておきなさい。雨がくるかもしれないから濡れるわよ」

「晴れてるじゃん」

「雲の気配が変わってるの。遅くても夜には雨雲が出来ると思う。キャプテン・カワナの天気予報、当たるわよ」

「やだなあ、冬の雨嫌い。師匠(カワナ)って雨女?」

「雨は好きね」

「雪は?」

「嫌い」

「じゃ、雪降りゃいいのに」

 ゼラが船室に引っ込みながら吐き捨てた憎まれ口を、

「クリスマスだものね」

 カワナは全く流した。

 ゼラとカワナの時折見せるこういう間柄は、友達というよりはまるで姉妹のようだ。

 セイジにも妹がいるが、彼と妹との会話は、子供の時から今にいたるまでも、こういう感じではない。

 もっと、なんというか。

 よく言えば、互いに優しい。

 悪くいえば、気を使っている……とも言えるかもしれないが。けれど少なくとも「自分は妹に気を使っている」と感じたようなことは、ほぼ無い。

(……今は実家で。どうしてるかな……)

 妹とは、世間一般に「仲がいい兄妹」と言われてきたし、セイジとしてもその通りだと思っていた。

 趣味嗜好などは正反対、とまでは言わないものの、かなり意趣異なるものを愛好していたし、それがゆえにか一緒に遊ぶとかいうのは少なかったが、何かを競ったり、これといって酷い喧嘩をしたような記憶もない。いや、あるにはあったろうが、あっさりとお互いに謝って、仲直りしていたような気がする。

 通った学校も、幼稚園以外は全て違う。隠し事とか、話していないこととかは互いに沢山あるだろうなと分かっていたし、けれど別にそれは普通のことで。

 思い返しても、妹はセイジに妹として程よく甘えてくれていたし、セイジも自分が心地よい程度に、お兄さんぶれていた。妹はセイジのことをお兄ちゃんと呼び、セイジは妹を名前にちゃん付けで呼ぶ。

 いわゆる思春期に差し掛かったある日、ちゃん付けするのはやめたほうがいいかな、とセイジから訊いたが、別にいいんじゃない? と笑われたので、子供の時から慣れたままに、それからもちゃんちゃん呼び合った。

 そんなだったから。

 大学に入るのをキッカケにセイジが家を離れて、少し経ち、院生になったころ。妹が子供を連れて家に帰ってきたと知らされた時は、驚いた。

 男、つまり相手と一緒で無かったことも凄まじい衝撃だったが、それより、もっと、そのあまりの唐突、突然。

 それはたしかに、互いの悩みを打ち明け合うようなことは、してこなかったわけだけど。それでもさすがに、つまり妊娠とか、出産とか。そんな時に伴ったであろう面倒や苦労、あれやこれやを、兄である自分に助けを求めるどころか、一言も相談すらしてくれなかったのか、という思いが、呆れや怒りを伴いながらセイジの気分を沈ませたものだった。

――妹というのは難しいものだよ、なぜならサミ君、いつから女として扱って良いのかが分かるまい? 

 研究室で愚痴をこぼしたセイジに湯香教授が答えたこの言葉が、今も奇妙なほどハッキリと思い出せる。

――私は男五人兄弟の末っ子だから、すべて想像で言っておるのだがね。

(イイカゲンなことを言ってくれるよ……)

 あるいは、あえて、イイカゲンなふうに、言ってくれたのか――。

「船、ひさしぶりで気持ちいい、楽しいな。私、船は好きなんです。そういえばセイジさんは船酔い、しないんですか?」

 頬を微かに赤くしながら、カワナが笑みを浮かべる。

 冬の済んだ空気に太陽は爽やかな光で、そのせいかカワナの肌の白さは眩しいくらいだ。冬服姿はシンプルにふわふわ暖かそうで、彼女の日本人らしからぬ頭身の高さを引き立てていた。

「なんでか子供のころから船には強いタイプみたいで。一度も酔ったことないんです」

「あら男前」

「あ、で、でも祖母の運転する車に乗ったときは、いちど酔いました。あの、運転が荒い祖母でしたので」

 セイジは、ゼラに一途だ。

 浮気心など実のところ欠片もないはずなのに、カワナが笑うと、一瞬見惚れて、そのあとで視線をそらしてしまう。

「そのお婆様、ご壮健ですか」

「元気です、いまのとこ。80歳超えてるのに免許の更新はいつも一発合格だ、って自慢してきます」

「んふふ。いいですね」

 泉川魚という人は、容姿とかだけなら、誰もが認めざるをえない美形というか、非の打ち所がない美人だ。

 それに加えて、大人っぽくてキレイなだけでなく、仕草の一つ一つがどことなく少女っぽいというか無邪気な感じで。つまりすごく可愛らしいのだ、色っぽいのに。カワナが同性から『ズル』と睨まれる最大の理由だろう。

「私、山育ちなのですけれど、川にも海にも近かったから、舟にはいつも乗って遊んでいました。名前も川の魚ですからね。故郷は水も空気も綺麗で、それ以外は何もないような場所。まあ、田舎モノってことですね」

「そうだったんですか。でもカワナさん、田舎って感じ、全然しませんね」

「あら? そうですか? 嬉しい。都会的ですか私。シティーガールに見えますか?」 

舌の根本で転がすみたいなカワナの声。

 ――これで無類の男好きときてる、困ったものさ――。

 セイジの脳裏をスミの言葉がよぎる。

 こんな女性(ひと)が、そんなである、と。

 少なくともカワナの周りは全員が口をそろえて言う。さらには本人も、そういえば一度だって、それを否定したことがない。

(……男性アイドルが好き、とか、歌手を追っかけしてました、とか……そういうニュアンスじゃ、絶対ないんだよな……どう考えても………)

「どうかされました?」

「あっ、いえ! えっと、あ……カワナさんのお家って、魔法使いでもあるけど、剣術の道場をされていた、とかなんですよね」

 セイジが視線をそらしたついでに、話題も変える。

「ええ。まあ、そのあたりは前もお話したとおり、そんなに詳しく話すようなことでも、本当はないのですけれど。でも私の『氾流』は、もともと侍が主君とか戦争とかのために作ったモノではないんです」

 鳶色の目が微かに深くなる。

 黒髪がユラリと潮風に舞う。

「氾流は、漁民が漁場を守るために作り出したんです」

「漁民? というと、漁師さんとかですか」

「まあ、そうらしいんですよね。だから正確には剣術ですらないのかも。ただの戦闘法というか、喧嘩の仕方というか。破壊の術(すべ)」

「物騒ですね、でも面白いな、興味深いというかユニークというか……」

「獲物も櫂ですし。となると木剣術ですらないわけです。どういう経緯で魔眼持ちが漁民を守ろうとか思ったのか、それも剣術という表の顔をなぜ持ったのか。そのあたりは私もよく知りません。――私、不まじめな跡継ぎでしたから」

 海面近くをゆらりと軽快に横切る小さな黒いコウモリが見えた。海に慣れている者、あるいは知識がある者にとって蝙蝠はなにも驚くようなものではない。ただ単に、もう陸が近いというだけだ。

「そういう実家の歴史とかって興味なかったので。それで今はもう勘当されてるから調べようないですし。けれどなんでしょうね。……やっぱり水――川辺とか海とか魚とか、船も。なんだか私、嫌いじゃない……いいえ、好きですね。自分が魔法使いの『氾流』であることは別に当たり前すぎて好きも嫌いもないのですけれど。泉川魚という自分の名前、好きなんです。んふふ、おかしいですよね。勘当娘なのに」

この日、冬だというのに海は穏やかだった。天候も朝からこのとおりカラカラに晴れていて、雲もほとんど見えない。

 カワナが船のスピードを落とした。

 蝙蝠が船より先に島に帰っていく。


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