09

        * * *


 クルセスカ・ビアッシモは説明するのが少々面倒な魔女だ。


 魔道士で『船使い』の魔眼を伝えるビアッシモ家の現主。

 表の顔として海運業を営む家の理事の一人でもある、大富豪。

 ここまではいい。

 ここまではまだ、つらりと流せる。

 問題はここから殆ど全てだった。

 クルセスカ・ビアッシモの有様を伝えるために、まずは『シーメール(shemale)』というものについて記さねばならない。

 クルセスカは母親の胎内からこの世に生まれて堕ちたときには、その肉体は男だった。しかし今現在、彼女の胸には豊かに張り出した乳房と優美な乳首があり、腰骨からは丸みを帯びたヒップラインが描かれている。

 その身長は八フィート(183)を上回る。

 紫がかるような黒髪は長く、瞳も同じ色、先祖代々の海運という生業もあってか、顔立ちは何かオリエンタルというか無国籍(コスモポリタン)で、鮮かさで他人を射抜くような印象があった。

 誰しもが皆、男は勿論、女でも振り返る。


 悲鳴というには、粘性のすぎる声。

 クルセスカの腕の中でよがり果てた女の喉が上げた音だった。

 女体を抱えていた腕は肌こそ白かったが、なにか妙に筋張っていて矢鱈と無骨で、なにせ片腕一本で女一人を殆どぶら下げていたのだ。

 女の尻肉にその鋼のような指が食い込む。振り回し、枕でも投げるみたいな軽々しさで、ベッドに放り込んだ。

 ほぼ気絶していた女が、ぼんっ、と無抵抗にベッドの上でバウンドする。

 その傍らには、同じような女達が、何人も。

 痩せた女、豊かな女、肌の黒い女、白い女、小さい女大きい女、痙攣している者、瞳孔が開いている者、シーツにくるまっていて定かではないが少年の類もまざっているようだ。皆ことごとく美形、優に十人はいるだろう。とにかくパッと見で数が分からない程度には、積まれていた。

 裸の隷、クルセスカのための愛玩用の下仕えたち。

 船長室は、米資本シティホテルのスイートを思わせる誂えだ。空間を広く使い機能性を重視しつつ、構成する全てを惜しみなく高級品で揃える。

 クルセスカが長い髪をザワリとかきあげる。

 汗と体液にペトペトと滑った体に、紫がかる黒髪がまとわりつき、白と黒の絡み合うマァブルが肌に彩られる。その優雅なウェストの、臍のあたり、臍孔の窪みなどはるかに超えてそそり立つシルエットがあった。

 禍々しいほどの巨根。

 男性器がクルセスカの股間から起立している。それが脈打つ根本の尻は、いかにも柔らげに豊かで女性的だというのに。寒気がするほどのコントラストだった。


 敢えて誤解を恐れず端的に記すならば『シーメール』とは、そのまま『両性具有』を表す単語の一つである。

 しかし『両性具有』というものは、ただの一言ではとても表せないほど、実際は多種にわたるのだ。

 男性がホルモンバランスの異変などで大きな乳房を持つケース。

 女性が本来もつべき女性器と陰核として退化しているはずの男性器の両方を備えて生まれるケース(その中でも陰嚢が在るかないかでこれも大きく性質が違う)。

 他にも、完全に男性の肉体だが、心が女性であるケース。その反対、そのねじれ、その対、ETCETC――。

 そんななかで、俗語としての『シーメール』という言葉が示すのは、その組み合わせとしては、

『一見の外観が女性で』『しかし男性器を持つ』

 を指す場合が多い。

 しかし、シーメールという言葉は、みだりに使われない。

 使ってはいけない理由は、シーメールという呼称、その性の組あわせの如何ではなくて、ここへ至る『理由と経緯』が最も大きな条件だからだ。

『生来のそれではなく』

『自らの意思と趣味嗜好で』

『肉体を改造し』

 そしてなによりも、その動機は――『ただ楽しむため』。


 クルセスカがシャワーを浴びて、シルクのシャツを羽織る。

 喉を潤すのはアルコールの類にするかどうか一瞬まよってから、ノンアルコールのGARANAを一缶てにとり、あけた。

 だがGARANAは一口だけのんで、それはテーブルに置いて、TONIKAを取りだし、また開けて飲んだ。

 特に理由はなかった。ただ『飲む前はそれが飲みたかったが、飲んでみると他のものが飲みたくなった』だけだ。

 甘苦い炭酸で喉を潤しながら、ほんのしばしのあいだ、フアヌの来訪を待っていた。

 だがほんの数分で、どうもまだ来ないと勝手に見きったらしく、再び、服を脱いだ。ボタンが弾けとんた。

 クルセスカの、彼女の視界。足元が見えないくらい視界を遮る大きな白く丸い乳房。その先端には淡い紅色の乳首が見えて、その谷間の先には、しかし自らの男性器の先端の濃い紅色が見えた。

(ふぅん、美しいわ美しいわ)

 自らの肉体がつくる、この円と円と線。紅と肌色のいびつなトライアングルを、クルセスカは愛していた。

 ベッドの上では、香水と体液が混ざった匂いが立ち込めている。

積み込むみたいに押し込まれていた愛玩奴隷達が、主の寝床への帰還に、甘い啼き声をあげた。

「早い者勝ちよ早い者勝ちよ。どの子でもいい、はしたないほど素敵だわ」

 フラフラ足をもつれさせながら、クルセスカの前に隷女たちが跪く。思い思いに、舌で、指で、主を悦ばせようと蠢いた。

 くすぐったそうにクルセスカが、笑みをこぼす。

 その笑みの視線を、一人の女が掬い取った。

 舌を突き出し、ウットリと舐め返すように、自らも笑み、返した。挑発的に、あるいは哀れみを乞うように、目ざとく。

 それが間違いだった。

「――ねえお前」

 クルセスカの眦がつり上がり、その指が女の髪を掴み、握りしめた。それは、頭皮ごと引きちぎれるような力だった。


 完全な娯楽、享楽。

 愉楽が目的の肉体改造、それによる性別の曖昧化。

 なるほど人生の歓びを求めるのは人間当然の権利ではあろうが……歓びのためにここまで思い切れるというのは、少なくとも一般的とはいえない。

 シーメールは、忌まれる言葉だ。

 持って生まれた肉体の性と心の性とが違う等の、個性と社会との齟齬やら葛藤といったような、慎重に論を交すべき繊細なアレコレなどが、そこには無い。

 精神と肉体の悩みとか、深刻な問題とか。そういうものが介在していない両性具有。

これを『シーメール』という。

 例えば、ファッションピアッシングを医療行為とは言わないように。『シーメール』と『両性具有』は、そういうレベルの大きな違いがある。

 故に『シーメール』という言葉は侮辱を孕み、忌まれる。

 軽々しく使われない言葉。

 そしてクルセスカ・ビアッシモは『自他共に』認める『シーメール』だった。


 クルセスカの、その腕。

 白い肌に、筋繊維がビッシリと浮かび上がるその肉体。

 施している改造は乳房や臀部などといった部分の女性化だけではない。

 生まれついてそもそも巨大だった男根をさらに凶悪化し、同時に『便利そうだから』という理由で筋力の怪力化も施している。勿論そこに使われているのは医学ばかりではないし、魔法のそれも所謂「まとも」な範ちゅうの術式ではない。

 クルセスカが哀れな女隷の髪を掴み、振り回す。

 ばちばちという髪がちぎれる音が立って、女の身体がカーペットの上を転がった。ごっそりと抜けた長い髪毛が指に絡むのを、クルセスカが忌々しげに振るい捨てる。

他の性奴たちが恐怖に震えた、その前で、クルセスカが自らの弾痕に、避妊具(コンドーム)を装着した。

 それは特注の避妊具だった。

 というか、そもそもそれは、避妊を目的で作られているとは、誰がどこからどう見ても思わない造形をしていた。

 たしかに男性器にかぶせて使う形状なのだが、その表面が――鮫肌だった。それも天然の、いまや絶滅を危惧される、ある種のサメのもの。

 そのヤスリ状の凸凹は、どれほど豊かに潤滑があろうが物ともしない、なにせタロイモをあっという間にペーストにしてしまうのだ。

 女隷が顔をあげ、そんな『避妊拷問具』を見て、喚いた。こんなものを使われたなら、女であろうと、男であろうと、どうなるか。苦痛とかいうレベルの問題ではない。命にかかわる。

「――ナゼ泣くの?」

 女隷の顔は血に汚れている、床にぶつけて鼻血でも出たのか、頭皮が裂けての出血なのかは、分からない。何にしても、蹲って泣いて『みせた』のは、これも間違いだった。それも取り返しがつかない間違いだ、クルセスカの表情を見れば分かる。

 その声こそ、静かで滑らかないつもの調子だが、

「ナゼ泣くの? ねえ」

 顔面は激昂していた。

 無造作に、クルセスカがグラスを手に取って、うずくまる女隷に投げつける。ガラスが甲高い音を立てて飛び散り、肌を切り裂いた。

「ナゼ泣くのナゼ泣くの? ねえ、ただ泣きわめくことは『抵抗』にも『許しを請う』ことにもならないわ」

 次から次へと、グラスを投げつける。怒張はマスマス角度を増す。ついでとばかりに空いている酒瓶まで投げつけた。

「泣く暇があるなら叫んで噛みつきなさいな、蹲らないで逃げなさいな。ねえ、ねえねえ、泣くことで、泣くだけで? 座って泣いてなにかどうにか? なにかどうにかなると思っている? 思っているの? 女だから? ねえ?」

 クルセスカが女隷の足首をつかみ、持ち上げ、引きずって船長室を出た。女隷が頭を扉に勢い良くぶつけた。

「女だからどうにかなると思ってるのでしょう? ねえ? 女だから憐れまれると、女だから嘆くことが武器になると?」

 まるでぬいぐるみでも抱きかかえるみたいに、あっさりと、なんの抵抗もないみたいに、クルセスカのそれが女隷に打ち込まれた。

凄まじい悲鳴が上がった。

「自分がっ、女だからっ、泣きわめけばっ、なんとかなるッ!? なにか、よくなる、事態が好転するって? 若くて、きれいな、女だから? こう、すればいいって? 染み、付いてるの、ねえ? ねえ、ねえ?」

 ざくり、ざくりとクルセスカが歩くたびに。ぼと、ぼとぼと、ぼとぼとぼとぼと。血が滴り、肉が摩り下ろされる。

 まるで山男がズタ袋でも運んでいるようだ。デッキまで抱えたままクルセスカは移動した。船内にはとても鮮明に血が足跡になって残っていく。

「バカのくせに自分が女であることを利用することだけには頭まわります、みたいな? ねえ? いるわあ、お前みたいなの。イッパイ、イッパイ」

 クルセスカは女を片腕で逆さ吊りにして、ぶらりとデッキに吊るす。

 女の脳天、その下に夜の遠洋が広がった。

 すぐに血が滴って髪まで赤くなる。逆さまになった女の喉から混濁した悲鳴が漏れるが、もう声にも力はない。

「そういうの、きらいなのよねえ」

 忌々しげにクルセスカが顔を蹴り上げると声が途切れた。完全に意識を失った。あるいは命が絶えたのか。女隷の血が滴る顔を覗き込み、無造作ともいえるしぐさで海に向かって投げ捨てた。

「あー、萎えるわあ」

「……勝手に駒の数を減らさないで」

 声にクルセスカが振り返ると、ラムジェシカがいた。壁に頭をもたれさせ、こつ、とその形良い頭骨を壁にあて音を鳴らす。

 クルセスカが彼女にまったく気づけなかったのは、嗜虐に気を取られていたからか、それともラムジェシカが気配を消すことに長けているのか。

 あるいは、その『人形遣い』の魔眼を使い、クルセスカの五感どこかを、鈍らせでもしたか。

「あら? フアヌは? ノリピーは?」

「食事と仮眠をとるなり、先んじて島へ飛びました」

「若いわね若いわね。食事は口にあったかしら?」

「……美味しいと、言っていましたよ」

「あの酸っぱい葡萄ピザを? あまり良い物食べてないのねえ」

「彼女は少し前から日本に暮らしています。舌は肥えているでしょう」

「それは誤解よそれは誤解よ。ラム、日本って国の食べ物はねえ、だいたいスコア70点なのよ。まあまあ美味しいのよ。まあまあ。100点満点中の70点。安心安全の70点が安価安牌に消費される国なの。スコア100以上は少ないわ。これ本当よ。世界の海を食べ歩いた私がいうんだからマジマジよ。だいいち治安が良すぎなの」

「……治安?」

「あのね、治安が悪い場所にほど、本当に美味しい料理は、あるものなのよ」

「クルセスカ」

「だから思うのよ、日本で一番治安が悪いところにいけば、最高のSUSHIがあるんじゃないかしら、って、私ねえ、SUSHIは好きだし、それで――」

「クルセスカ。私は貴方に、今、怒っている」

「ん、あん」

 斜めに並んだラムジェシカの瞳は不満げに静かに灯っていた。はだけたデコルテが眩しい。美しいものを見たことに気分をよくしたクルセスカに笑みが戻る。

「ごめんなさいごめんなさい、ラム。――あなたはキレイ」

「使える屍(駒)は一つでも多いほうがいい」

「なら今からでも、今の子、死に物狂いで泳がせる? ギリで間に合うんじゃないかしら。ねえねえ死んでても瀕死でも関係ないんでしょう? あなたの魔眼は。ねえラム、この船は私が急ブレーキかけて停めてあげてもいいわ」

「……いりません。水死体は扱いにくいですから。それに――……あなたの魔眼。その『船使い』は、素晴らしい。船を動かすのに動力というものがいらない。静かでいい……。レーダーの類にも引っかかり難いのでしょう」

「今の海洋GPSは、そんなにバカじゃないわ、ラム。この船がねえ、こうして国境もなにもかも無視した航路をするする航行できているのはねえ、魔法じゃないわ。ひとえひとえに、お金の力よ」

「……この船どうやって動かしているのですか」

 魔法使いは、自らの魔法を他人に語るのを嫌う。それはクルセスカもそうだし、ラムジェシカも知っているはずだが。

「は? だからあなたが言ってる通り、私が魔眼で動かしてるのよ」

「ですから、どういうふうに? スクリューを動かしているの?」

「ああね。そうねえ……。まあ、船の周りの水を動かしてる感じかしら? 船の真後ろで横向きの渦巻きを作ってやるやり方もあるし、帆船ならその周りの風を少しくらいなら操れているわ。でもそういうの、深く考えてない、直感よ。分かるでしょ? 女の勘で動かすの」

「私は個人的にあなたのことは男性だと思っています」

「全ての船は、女なのよ」

「……結局は、何にしても、もしこの船が一度とまれば再加速には時間がかかるという物理からは逃げられないのですね。……それなら、着くまで停まらないで」

「ラムジェシカラムジェシカ、世界中の女が全て、あなたみたいに美しくて物分りがよければいいのに」

「私は愚か者です」

「違う、違うわ」

「違いません。今の私は、愚か者。なにのひとつもわからない、何の一つも考えていない。分からなくていい。……お兄様のこと以外は……」

 ぽぽ、ぽぽ。

 ラムジェシカの唇が、また震えて音を転がす。

 そうして、まるで月でもを眺めるみたいに『人形遣い』の魔女がその千年に一度の眼を、閉じた。魔眼に操られた幻視の光(M線)が糸状の意図になって走る。それは船のなかを逃げ、あるいは隠れていた『人形の材料』を捕えた。クルセスカの隷達を。

 続けざまに起こる音と叫び。

 飛び散るような音、許しをこうような叫び。

「ねえ、ねえちょっと、ラム。いま全滅させてる?」

「……なにか問題が?」

「殺す理由があるの? あなたって、生きていても死んでいても人形として使えるんじゃなかった? 生きてたほうが便利なことない? ああ、別にいいんだけれどさ殺してること事態は、ハナからそういうふうに使われるかな、ってくらいは私も思ってたし」

「……船と同じです」

 ある者には自ら喉を切らせた。

 ある者にはシンプルに死ぬまで息を止めさせた。

 最も幼かった者には慈悲で楽な薬を酒とともに飲ませた。

「死んでいる方が……静かですから」

 船のなかにいた人間のすべてを殺した魔女が。

「静かな方が……いいですから」

 人間から命を消して忠実な人形に仕立てた魔女が、閉じていた片目を開く。

「恐ろしいわ、恐ろしいわ。ラム。自覚の在る狂気だなんて。コントロールされた暴走だなんて。まるで核兵器」

「恐ろしいと思うのなら、せいぜい従ってください」

「そうするわ、そうするわ。ただし私は喜んで従う。ねえラムあなた、よくもまあ、あんな兄君の下で我慢していたわね」

「我慢なんてしてないッ!」

 まるで火がつくみたいに人形姫が喉を震わせる。月が夜の海に反射して作る光を、ラムジェシカ・アーヴォガストの瞳が帯び、青く燻っていた。

「我慢も、遠慮も、なかった……。私にとってはお兄様が……お兄様の妹であることが、もっとも心地いい私の在り方だったのに……。魔女に生まれた私の、この世界との在り方だった………」

「――悲しいわね。辛いわね」

「……クルセスカ。貴方に、伝えるべきか悩んだことがあります」

「なに?」

「島に『氾流』がいるようです」

 船が震えた。

 恐らくクルセスカの代わりに。

 波に船底を叩きつけ戦慄き、不意の加速に船首が持ち上がる。ざうっ、という軋音が暗黒の海に響いた。

「その、その、はんりゅう、って」

「落ち着きなさい……! 船が、壊れる……ッ!」

「まさかカワナ以外じゃ……カワナじゃなければ今アナタを殺すわよラム!? カワナよね!?!?」

「……『氾流』でなければ、貴方に伝えるかどうか、迷ったりしません……、大方の予想に反し『時使い』は星夜会に違う者を遣わせました。『箒』と『氾流』と『インスタント』は『眼使い』の元へ……」

 クルセスカの顔面には青ざめた血管が浮かんでいた。

 横に縦にと、船が揺れる。

「貴方と犯流の過去を、私は知らないのです、ただ、っ――」

傾く床に、ラムジェシカがバランスを崩して尻餅をつくみたいにして座り込んだ。そんなラムジェシカに目もくれず、クルセスカは甲板をあがる。

「カワナ。︙︙カワナ、カワナ……」

 クルセスカの指が自らの乳房をかきむしる。

 紫黒の魔眼が、悶えるみたいにして閃いた。

 視界を踊り狂う幻視光(M線)を集め、手繰り、キャプテン・ビアッシモは『船使い』の魔眼で、船の竜骨に鞭を入れた。

「カワナ――カワナカワナ……カワナカワナカワナ……カワナカワナカワナカワナカワナカワナ――――――………………………………………………………………カワナ」

 船体が軋みの悲鳴をあげる。

 死んでもいいからひた走れと無慈悲な船長(キャプテン)が命じる。

 魔眼を酷使に充血させて、涙ぐみながら。クルセスカはそれでも、口角を釣り上げて笑っていた。

 人形(屍体)を満載した船が、恐ろしい速度で波を切り裂いて進んでいく。

 床に項垂れたラムジェシカは、そのまま起き上がらなかった。膝を抱え込み、海に映り込む星空をぼんやり光る濃紺の蒼瞳で眺めていた。

「……――お兄様……」

 兄のことを思い出していた。

 まるで最早、それが今の彼女の、もうひとつの癖みたいに。

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