06



 傘が。


「 ♪ Karate uma geração.

    Jurei do dia.

    A vida foi descartado.

    Inesperado precisa mesmo nome―― ♪」


 月の浮かぶ夜空に浮かんでいた。

 鼻歌まじりで、フヨフヨと。傘を差した人影「らしき」ものが飛んでいた。

空の風にローブドレスをノンビリ棚引かせながら、飛行、滑空している。

 歌声からして、どうやら女性らしかった。

 傘の魔女だ。

 月光に幻想的なシルエットが浮かび「傘をパラシュートみたいにしてフワフワと飛んでいる」といえば、まあまあファンタジー映画などでもよくある様なわけだから、想像しやすいといえば、し易いだろう。


「  De Invincible

   Uma estrela de karate」


 だが一度でも、それこそ物理というものに実感のない子供の頃にでも、傘をパラシュート代わりにどこか高いところから飛び降りた経験があるなら。その思い出はきっと足の怪我とか、怖くて痛くて泣いただとか、親からしかられたりする記憶と共に思い出されるはずだ。

 人は傘なんかで飛べないのだ。当然のことだが。それをみんな子供心に度合いは人それぞれとはいえ学んだはず。だから、そんなものが実際に飛んでいたら、どれだけ非現実的で、違和感の塊みたいに映るか。


「De Invincible Uma estrela de karate―― ♪ 」

 傘の魔女が欠伸をした。

 大きなあくびで歌声も伸びた。この魔女にとっては、こうして傘で空を飛ぶことも欠伸と鼻歌が伴うくらいには当たり前のことなのだろう。

 欠伸のあとで、右目を閃かせた。その右目は『傘使い』の魔眼だ。まつ毛を閃かせて網膜に映り込む幻視の光を操り、傘がたたまれると同時、魔女が、頭を下にして、堕ちた。

 高度が一挙に下がっていく。殆ど自由落下の速さだ。ローブの裾が高圧の風でビリビリ震えている。落下する視線の先には、闇夜の海にポツリと浮かぶ一隻の船があった。

 魔女の傘が開く。ぱすんっ、と軽い音がたって、落下の勢いがほぼ完全になくなった。なにかの力、明らかに『揚力』とか以外のものが働いている。

 革靴が甲板を踏む。船は真っ暗で一切の明かりがついていない。夜の海の暗さそのままの闇だ。

 これは少しでも船とか海洋というものを知る人間なら相当な違和感を覚えることだ。

 夜の海で照明をつけない船舶などありえない。闇のなかで船を浮かべる危険さは海を知らない人間の想像を遥かに絶している。

 つまりこの船は、常識的に考えれば難破船、密航船――あるいは、そうでなければ、あとはもう幽霊船の類で――。

ふいに魔女の気配が動く。

 破裂音。

 それが銃声であることに、この魔女はすぐに気づいていたし、その銃弾が自分を狙っていることにも気づいていた。

 それなのに恐怖は霞ほどもなかった。

 ぽつん、と。銃弾は弾かれていた。

 その魔女が闇夜にかざす可憐なレースで彩られた、日傘に。傘を差す指にはそれこそ、雨音を受けた程度の事もなげな衝撃しか伝わっていなそうだった。

  なにもこの傘が防弾布地とカーボン骨組みで出来ている、とかではない。

いかなる傘であっても、例えばそれがレースの日傘だろうがコンビニのビニール傘だろうが、極論、蓮の葉っぱだったとしても。『傘使い』がその手にさす『傘』は、雨も光も弾丸も、等しく『遮る』のだ。

 くるりと魔女が闇に振り返ると、暗黒のなかにうごめく人影の数は、ちょうど十。全員が銃器で武装しているが、それは傘使いの目では暗すぎて見て取れない。

 闇のなかで飛び道具に狙われている、それも複数。くどいようだが、それなのに傘使いの魔女には動揺どころか、その影の正体とかすら気にする素振りも無い。

 ゆえにきっと、その武装した人のカタチをしたものが、人形遣いに操られる骸なのだということも。

 気にならないから、気づかなかった。

 銃声が連続する。

 誰(どれ)か一人(ひとつ)は、なにかマシンガンのような連射するタイプのもので武装しているのか、途切れなく激しい炸裂音が続いた。


「Teatro Amazonas(華麗なる大歌劇場)」


 魔眼が瞬くと、大量の傘が突如その場に現れて、どんどんどんどんどんどんッ、と、爆発するような音を立て連続して開き、重なりあう。

 幾重のバリア状に広がっていく傘は、独裁色の絵の具を溶かしたシャボン液を沸かしているかのように、非現実的なまでの華やかさだった。

 展開された傘の群れは、まるでそれぞれ己の意志がある獣かのように機敏にうごき、すべての銃弾を遮り、あるいは弾き返して跳弾させ、幾人(いくつか)を砕いた。

 まるでファンネル。あるいはシールドビット。ただしレース柄だが。

「Grande valse brillante(ルビ:華麗なる大円舞曲)」

 弾丸の豪雨が弱まったのを見計らったかのように、魔女が下僕の傘たちに命じると、傘は全てが綴じられた。

 まるで槍となった傘たちは鋭角軌道で飛空して、残っていた人影を貫いた。槍と違うのは突き立ったあとだ。

 傘は『遮る』。

 傘は『開く』。

 傘は『閉じる』。

 そして『撒く』。

 ぞぶりと突き刺さった傘たちは、それぞれが弾けるみたいに『開いた』。

 死肉の内側から強引に、しかし何も抵抗すら無いかのように、爆散すら思わせる勢いで、人形たちが血煙となって『撒かれた』。

 それが、一度に十体分。

 ここが漆黒の闇夜の海でなければ、いったいどんな色彩が巻き散らかされたのか、想像するのも悍ましい。

 傘の魔女は、血煙の霧雨を手傘でやり過ごし、そのまま、とくに感慨もなさげに数歩進んだ。

 暗さが気になったのか、どこからか小さな照明器具らしきものを取り出して、それで足元を照らしながら、迷うことも臆することもなく、甲板をおり船内へと入った。

「ひゅーぅ」

 魔女が小さく口笛で戯けた。

 暗黒の船外から一転。

 その幽霊船の内部インテリアは眩しいほどに明るい。明るいだけではなく豪奢だった。

 夜の闇で分からないが、じつは外観も相当なものだ。

 全長は恐らく80mに届かないだろうが、非塗装の金属色がむき出しになった流線型のフォルムで、優雅さと威圧感があった。

「……ふん、金があるんですのね」

 舌打ちするかのようにつぶやいた傘の魔女は――若かった。

 肢体の伸びやかさ、肌ツヤ、背格好、どう見ても十代の中頃がいいところで、さらに何よりその服装が、若さの記号そのものだった。

 制服なのだ。

 それも、どう見ても日本の女子高生の。

 ニーソックスに短いブリーツスカート。

 胸元には校章らしきものが見える。

 その上から、色合いだけで長い時を感じさせるような蒸した紅茶葉色のマジックローブなんてものを羽織ってはいるのだが。

 マニキュアで可愛く飾られた指が、さきほどまでつかっていた『照かり』を撫でた。

 それは魔女のカンテラなどではなくて、ただのアンドロイドのスマートフォンだった。しかも台湾メーカーの。

「いいかげん挨拶とか出迎えとかないんですのッ!?」

 声はよく響いた。声質はまるで大型動物の〈吠え〉のようだった。

 ローブのフード部分を払い除けると、長い髪がバサリと落ちた。

 一見して混血(ミックス)の特徴が見て取れる顔立ちだ。

 割合的に多いのは白色人種系なのかもしれないが、ほんのりとした肌の色素が中東とかのあたりの人種を思わせるし、しかし顔の彫りはそこまで深くないから、アジア系のそれの香りもする。

 敢えて誤解を覚悟の表現をするなら雑種も雑種――ただしこの雑誌は美しかった。

 瞳の色が紫がかっているのも、ビジュアルの現実感のなさに拍車をかけていたが、それよりもさらに髪の色が特徴的だ。

 なにせ銀(プラチナ)と桃色(ピンク)なのだ。それが染髪なのか奇跡のような自毛なのかは分からない。

「ねえ、どなたかッ!? クルセスカの『船使い』さんは、いらっしゃらないんでございますの!?」

 髪が揺れて見えた耳にはいくつかピアス穴がある。

 大股に踏み出すと長身で腰の位置がやたらに高いうえ、凹凸の豊かな体つきだとわかった。ビーチで水着にでもなったら悪目立ちするだろう。

「当代『傘使い』の私(わたくし)フアヌがッ! 古の盟約に従い、遠路はるばるやってきましたのよッ!!」

 この若く目立ちすぎる風貌の魔女。

 名をフアヌ・ノリーズという。

 魔眼は右目に魔道士式で銘は『傘使い』。

 あまたある魔道士の家系で『傘使い』のノリーズは古い貴族だ。力にもまして旧さを重んじる魔道士にあって、この若き魔女の地位も、いわゆる『お姫様』のうちの一人であることは間違いない。

「返事をくださらないッ!?」

 ならばこのなにやら横行な言動も頷ける……とはいえ、いくらかの事情があり、フアヌが『ノリーズ』を名乗りだしたのは、まだほんの数年前からのことなのだが。

「……まさか小娘がきたからって、舐めてたりしますの。それは、無礼を通り越して喧嘩うってるってとられても――」


ごめんなさいごめんなさああああああい、フアヌぅううううううう


 突如、艦内に響き渡ったのは、轟音じみたシナを作ったクルセスカの声。

「っ~~……ッ!!!」


ねえフアヌぅうううう?


「き、聞こえてますわッ! 聞こえてますわ死ぬほどッ!! 音量をおさげになって! 耳が痛い!!」


 ゆっくりきてねゆっくりきてねええええええええ それまでにギリギリ人が入れる状態にはしとくううううううちょっとちらかってっててっ

 

 クルセスカの声にまざり、

「……? ナニ? うえ、ナニやってやがるんですの」

 同じ部屋にいるのだろう女達らしき声が、漏れるように聞こえてきた。媚声だ。

「……や、ヤッてますの……? 金持ちだからってヨットでパーリー? なんてアカラサマな。ーー酒ならともかく、ドラッグの類は誘われると面倒ですわね……」

「そんな非常識なこと、させないから」

 舌で転がすような声。

 フアヌが振りかえると、

「はじめまして。フアヌ」

 ラムジェシカの姿があった。

 腕をなだらかに組み、壁に軽くもたれたまま。シャツのボタンは上から二つ空けられていて胸元の白さは同性であるフアヌにすら眩しかった。

「……あなた様が、ラムジェシカ・アーヴォガスト?」

「ええ。『傘使い』のフアヌ・ノリーズ。ーー『セキュリティ』をそのままにしていてごめんなさい。怪我はありませんか?」

「ご心配には及ばないんですのよ。その『セキュリティ』とやら、全部ぶっ壊してしまってゴメン遊ばせ。ぶっちゃけ聞きますけど、あれって私(わたくし)を試した?」

「……だとしたら?」

「返事しだいで、私(わたくし)の機嫌がとても悪くなりますわ」

「……ほんの10程度の人形に負けるような魔女なんて要らない……。とは正直、思っていました。それだったらもう20ほど死体を用意したほうが、早いので……。聞いていたとおり麒麟児のようですね。フアヌ・ノリーズ」

「まあ。けっこう褒められたり妬まれたりしてますわ。自覚ありましてよ」

「想像していたよりも、さらに若いので、驚きました」

 ラムジェシカは、服装も態度も無礼と言っていいほどにラフだが、不思議とフアヌは悪い印象を持たなかった。気取りがない(ラフである)が、粗野(ラスティック)ではないと感じさせた。

 あるいはラムジェシカとは、一事が万事、これなのかもしれない。

「ラムジェシカ様。あたくし、あなた様のことよく知りませんわ。『船使い』のクルセスカ様とも前に少し話したことがあるだけ」

「そう」

「それなのに、この力を貸すために来ました、それも命ごと。理由は一つ、家どうしの事情ですわラムジェシカ様。アーヴォガスト家とノリーズ家のそれはもう昔の盟約。互いに大きな大きな貸しがあるそうですわね」

「友情も」

「知ったコッチャないですわ」

「……」

「過去の当主同士のことなんて。たしか『いついかなる時にでも一度限り力を貸せ。一切事情を問うな』とかなんとかって内容ですって?」

「『Tempus unius usque ad tempus illud vim praebet. Non pro aliqua re(ルビ:きっとタマリンドの大樹に乳が滴る地獄の日々が訪れようとも、君と私は夜とトカゲのように共に現れそして消える)』――ですよ。アバウトな覚え方をしているのですね。三百年より前からのとても大切な約束です」

「ぶっちゃけ言わしてもらいますと私、自分が生まれる前のよく知らないヤツの借りで他人に命を貸すなんて、まっぴらゴメンですのよ」

「そう。それでは。――いまから、裏切る?」

 ラムジェシカの魔法陣の刻まれた瞳が、微かに歪む。

 ちり、ときらめいた髪の毛よりも細い人形遣いの幻視光糸は、フアヌの魔眼を持ってしても識別困難極まるものだった。

「裏切りは、いたしません。ただし」

「ただし?」

「ノリーズ(わたくし)にも、その盟約の『一度』が未だあることをお忘れなく、ラムジェシカ様。ノリーズにも使う権利はある。そうでしょう?」

 フアヌが、自らの差し傘の1つを掴み、掲げた。まるで、剣士が自らの剣を掲げるような仕草だった。

「ゆえに。もし、我が意思とノリーズの美学に背くようなことを貴方から命じられたならば、この瞳と我が誇りがゆえに――じゃなくて、ええっと……――って、ああ! いいですわもう。とにかく私! マジで嫌になったら、キレて普通に帰りますわよっ! それだけですわ!!」

 ラムジェシカはしばし、姿勢を崩さずフアヌを見つめていた。

 ぽ、ぽぽポ。

 と、また唇の中で空気を転がすあの音をさせていた。

「ええ、承知しました。……まあ、了承までするかどうかは、分かりませんけれど」

「口約束もしてくださらないのね」

「不可能な約束だもの。私は『人形遣い』。その気になれば、あなたにそれを言わせない、させないことくらい、容易い」

「んなことしたらアーヴォガスト家の名誉、ぶち壊れますわよ」

「……名誉、ですか……。さあ、どうでしょう。それも、もう分からないです、私、客観的に考えて、自分が今、正気だとは想えていないので」

「――ふん。でも、あなた様の反乱の理由は、あたくし、嫌いじゃないんですの。いいえ。むしろ、ちょっと好きですのよ」

「……どういう意味?」

「敵討ちなのでしょう?」

「……」

「あなたの兄上様のために。それも御無礼ながら、評判のいい兄上様ではなかった」

ラムジェシカは視線を不思議な角度に傾斜して、首をかしげるような仕草をした。

「︙︙私にとっては。お兄様は、優しくて、ハンサムで……本当に、私のことを愛してくれる素敵な兄だった……」

「そうですのね」

「それは絶対に変わらない…………たとえば、お兄様が、世界の全てから、嫌われる男だったとして……そう、仮に周りが、いくら嘯いたとしても……私のお兄様への気持ちに、私とお兄様のことに、そんなもの、何の一つも、関係あるものですか」

「それですわ」

「……どれ?」

「理屈の損得など、顧みない感情。世間体など、顧みない家族愛。胸を討ちます。仁義ですわね」

 何かに挑むような笑みを浮かべてみせるフアヌに、ラムジェシカが腕を組み直して、眉を撥ねさせる。

「そういう、そこが、それさえブレないのなら、あたくしは貴方の味方をしてあげられますわよ、アーヴォガスト様」

「……貴女は、けっこう、おかしな人」

「『義をもって尊しとなす』ですわ。古い日本のことわざですのよ、ご存知? 『その場限りの平和なんかより、気持ちよく暴れるほうが大事』っていう意味ですのよ」

「…………」

 それはまずコトワザではないし、覚え間違いをしているし、さらにその独自解釈した意味合いは大本のそれが訴えたかったことのほぼ正反対にきてしまっていることをラムジェシカは知っているが、言わなかった。

「魔道士、フアヌ・ノリーズは、ラムジェシカ・アーヴォガストを守ろう。この瞳と傘(さしがさ)にかけて。――ひとまずは」

「……盟約に感謝します。ノリーズ。そして私個人としても、ありがとうフアヌ。……ひとまずは……ね」

「よろしくて。ですわ」

「……ねえ、あなたって美しいけれど人種が分からない……。あなたの、その『ジンギ』も……不合理なアジア風なのか野蛮な欧風なのか……南米かどこかにも似たような言葉があった……あなた、どこの国の生まれ?」

「それは、もっといつか親しくなったりしたなら話すこともあるかもしれない、ってところですわ。たぶん」

「そう」

「生みの親の顔を知りませんのよ。あたくし」

「そういうものなら、永遠に話してくれなくても、いい」

 ジーンズと、制服のプリーツスカートが、同じ歩調で進みだした。

「……いまはクルセスカのところへは行かないほうがいいと思うわ。彼――いいえ彼女。大勢の娼婦みたいな女たちと船長室にこもって遊んでいるの」

「お下品なクリスマスですわー」

「フアヌ。お腹は空いていませんか? 食事を用意します。ブルーベリーのピザを焼きましょう。昔、お兄様と日本に来たときに食べたのです」

「あたくしピザはキノコとか卵のやつが好きですわ。でもそれも、変だけど面白そう。食べながら作戦会議ですの?」

「カタチだけです。――特攻(カミカゼ)に、作戦もクソも、無いでしょう」



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