05


 時を少し戻って。

 セイジたちのいる部屋から、壁を一枚隔てた隣の部屋。

「お茶どうぞ」

「お気遣いなく」

 グリフォニカの秘書と川魚がそれぞれの主を待つカタチで控えていた。

 カワナが笑顏で茶をすすめる。

「グリーンティー、お嫌いですか?」

「大好きです」

 主を待つ従者同士。

 つまり隣の部屋で事が起これば、すぐさまここでも争いになる。

 そんな状況に、よりにもよって泉川魚と二人きりだというのに、この「秘書さん」は、本当に微かばかりも怯えたり慌てたりだのの素振りを見せなかった。それどころかグリフォニカ心配するような気配すら、欠片もない。

「良い匂いですね。」

「ススキノハラの趣味で。ダージリンの若いやつを」

「まあハイカラ」

 グリフォニカに『秘書さん』と呼ばれているスーツ姿のこの女性。

 無表情というのではないが、有り体にいってしまえば「クール」とかそういう印象をあたえるタイプの風貌だが、話しぶりは妙に呑気だ。

 メガネが似合う、揺らぎのない目元。

 特徴といえばアメジストを思わせるような深い紫色の瞳の色だ。

 そしてどちらの瞳にも、魔眼施術らしき模様は見当たらなかった。

 カワナがつい先程、なんと呼べばいいか訪ねた時にはまず『秘書さんとお呼びください』と応えた。

 さすがにそれは、とカワナが渋ると、では、と面倒くさそうに前置きして『ミス・ウィック』と彼女は名乗った。 

 ――どうかフルネームは訊かないで欲しいのです、ウソを付くことになってしまいます。

 なんてことまで、しれっと付け足して。

 そのミス・ウィックは日本の礼節にも慣れている様子で、高麗焼の湯飲みから、お茶を下品にならない程度のかすかな音をたてて啜った。

「これ、美味しいです。色も香りも良いですねえ。これは葉もさることながら、淹れかたが良いのです」

 それが本心なのか社交辞令なのかは分からないが、ひとまずカワナはその賞賛に、笑みで答えた。

(――妙な、感じ……)

 どこか。

 自分が微かに、緊張てしまっていることに、カワナは気づく。

 こんな状況なのだから、当然ではある。しかしそうであったとしても泉川魚が、改めて構えていなければならないような相手など、実のところ数えるほどしかいない。

はずだ。

 魔眼すら持たない、ただの『秘書』だという。

 それでもカワナはこの手の『彼我の実力』のような、自らの勘頼りの『測り』には、ある種の絶大な自信があり、天稟と自負するところだった。

 もっとも、スミと初めて会った時は完璧な読み違えをやらかし酷い目にあったが。

 ――帰ろう、秘書さん。

 隣の部屋からグリフォニカの声が届く。

 本当にピアノみたいな声、とカワナが思った。

「グリフォール卿がお呼びですよ」

「大丈夫です。急ぐことはありません。坊ちゃまは、だいたいここから、いつも長いのです」

「なんというか、フランクな主従関係ですね」

「坊ちゃまがそう望まれているものですから、そう努めています。それに――こんなに美味しいお茶を残して帰りたくありません。勿体無い」

 ――カワナ、グリ坊さまがお帰りだ。

 ――他の人にまでその呼び方を共有しようとするのはやめていただきたい!

 カワナは少し悩んだが、ミスウィックに会釈し、部屋を出た。

 カワナのいなくなったあとも、ミスウィックは特にペースを上げることもなくお茶を楽しんだ。挙げ句は急須を手ずからに最後の一滴まで、キレイに飲み干した。

 湯呑についた口紅を拭き取り、裾襟を正して。

 ミスウィックも部屋を出た。


     *


「だから、とくに日本の洋菓子は、本当に砂糖がすくないんですよ」

「そんなに思われているとは知らなかったな。日本人だって甘いものが好きなのに」

「和菓子は砂糖を沢山使っているように見えて、そうでもない。日本に僕らはお菓子を輸出するとき、砂糖の量を半分くらいにするんです」

「半分もっ!?」

「甘さを控えるというのは世界的に流行ではあるのですが、日本はちょっと特別だね。砂糖の味より素材の味というか、ヘルシー志向というか。でも、本場の僕らには日本のお菓子は甘さが物足りません。やっぱりお菓子は砂糖が主役なのです!」

「ああ、でも僕も『甘さ控えめ』みたいなのって、あまり好きじゃないな。食べた気がしない感じがする」

「セイジは僕と味覚が似ているのかな。だとしたら嬉しい。砂糖菓子というのは噛んだ時にじゃりっとなるくらいが本式なんですよ。ワッフルとか」

「……いや、じゃりっ、てなるほどのはさすがに……あ、ジャリパンがあるか……」

「クレープもシュガーバターのシンプルなやつが僕は一番好きだな。今度、本場の味をごちそうしたい。きっと気にいると思います」

 すとんすとんと。セイジとグリフォニカは、互いに言葉遣いが親しげになっていく。もう互いに名前で呼び合っていた。

「――すっごい仲良くなってますね……」

「困ったもんだよ……ほんとに」

 ひそひそカワナとスミが話す。

 セイジとグリフォールは、誰がどこからどう見ても『仲良し』だった、それもかなりの。年は離れているが、妙にバランスが取れている。

「小さい方が大人びていて、大きい方が子供っぽいからかね」

「正直、見ている分には微笑ましい光景ですけど」

「いま『この二人は兄弟だ』と言ったら通じそうだ」

「人種が違うのに? あ、でも『腹違いか種違いで仲睦まじい兄弟』なんてのだと思うと設定的にちょっと素敵かも」

「悪趣味な……」

 スミとカワナの結構酷い内容のヒソヒソ話など『ガクセイボウ』は、全く気にもしてない。

 セイジはグリフォニカのために、少し屈んで歩みも遅くしているし、グリフォニカもちょこちょこ背伸びをしている。とくにグリフォニカの嬉しそうな様子は、少年趣味のないカワナですら何かモゾリとくる愛らしさがあった。

「カステラ、スイートポテトベイク、ドラヤキ、マッチャ、ソルトサクラ、バナナパイ、パイナップルケーキ。このあたりはフランスやゲンシュブールでも特に若い人たちを相手に流行ったんですよ」

「なんか日本のじゃないのが混ざってるそれ」

「え、そうかな。韓国でしたか?」

「中国というか、台湾のだと思うけど」

「じつは日本にうちのお菓子のアンテナショップを作りたいという話があって――」

「いた、セイジっ!」

 ゼラの声が、セイ坊グリ坊の糖分高めな会話を遮った。

「よかった、セイジ。なんか変なことあったりしなかった? されなかった?」

「全然だよ。むしろすごく有意義だった」

 ゼラは駆けつけてきたらしく、かすかに息があがっている。セイジにまずは安心で笑みを浮かべたゼラだったが――、

「――あんたが『砂糖菓子使い』?」

 その表情は傍らのグリフォニカへ向くと、一挙に険悪になった。セイジから見れば子供に向けていい目つきではないほどだ。

「あなたがレーベルウィング。『箒使い』の。魔道士最古の血統の一人」

 しかし当のグリフォニカは、それを慣れた様子で受け止める。

「はじめまして、だっけ? あたし、子供の時に自分の家とかで会った人、ほとんど覚えてないから」

「はじめまして、です。僕の知る限り。――会えて嬉しい。光栄に思います。『箒使い』のレーベルウィング」

「あたしは、全然、うれしくない」

「ぜ、ゼラさん、グリフォニカ君はさ――」

 耐えきれず、セイジは間にはいろうとした。そこに、

「ゼラ。ちょっと」

 交差するように、スミがゼラを呼びつけた。

「話したいことがある」

「え、今?」

「うん。今」

「……ん。分かった。セイジ、すぐ戻るから。――ねえ、生意気な『砂糖菓子』。セイジになにか余計なことをしたり、言ったりしたら、あたしは子供でも容赦しない。――お前達が、子供だったあたしと、子供だったあたしを抱いたお父様やお母様に、したように。なにも容赦しない」

「……――いつか、話をしましょう、レーベルウィング。僕はできれば、セイジと友達になれたらいいと思っています。だから、彼を愛している貴女とも」

「ふぅん。でも勘違いしないほうがいいよ砂糖菓子。セイジはね、お年寄りや子供には優しく『しか』出来ないから。――カワナ師匠、セイジお願いね」

「今までだってずっと私が《お願い》されてたのよ」

 ゼラがスミに引っ張られ上階へあがっていく。その背中を、セイジとグリフォニカの男子二人が、なんとなく見送った。

「レーベルウィングが失礼を。グリフォール卿」

 ゼラが引っ込むと同時、すぐさまカワナがグリフォニカに頭を垂れた。

「気にしていません。『風使い』。魔道士の代表の僕は彼女に嫌われて当然だ。僕らはそれだけのことをしてしまった……」

「あとで少々、きつく言っておきます。弟子の無礼は師である私にも責任が」

「……いま、弟子、とおっしゃいました? そうえいば、レーベルウィングはあなたを、師匠と呼んでいた……?」

「んふふ、ええ、そうですよ。お伝えそびれていました。でも魔道士側にあえてお知らせするようなことでも、んふふ。最早ありませんので」

 無邪気を装うような物言いをしたグリフォにカに、カワナは微かに、だが明確に、歯を覗かせて笑った。

 白くつるりと並んだ歯だった。

「まあ『箒』と『風』だなんて妙な組み合わせですが、術式体型や文様構成自体は、よくよく見てみると、それほど理解し難いものでもなかった。――私と相性が悪いということもありませんでした」

「……――」

「これは、内密に願います。出来るだけ、ね。んふふふふふ」

カワナの『風使い』の魔眼が、卑らしい、とすら感じられるくらいに、なにか喜色をたたえて細まった。

 魔眼の、その術式と文様。それは魔法使いにとり秘儀にして骨髄のどおりだ。

 レーベルウィングの『箒使い』は、魔道士側がどれだけ多大な犠牲を払ってでも、引き止めておきたかった、最古の魔眼の一つ。

 それを、もはや『暴いた』と。

 さらには『大したことはなかった』と。

 イズミカワナは暗に、いや露骨に、そう魔道士の大貴族であるグリフォニカに聞こえるように言ったのだ。

 カワナがこんなちょっとした挑発じみた意地悪をしたのは、決して相手がグリフォニカだから、とかではない。

 この黒髪は、相手が誰であっても、こういう物言いをする。

 自然に、無邪気に、どこまでも遠慮なく。

 その時ちょっと楽しいなら、あとで大変になりそうなことでも、つい言ってしまう、ついやってしまう。

「裏口からお帰り下さい、グリフォール卿。秘書の方もお待ちです」

物腰外見こそ嫋やかに見えても。

 泉川魚とは、こういう魔女なのだ。なにせ、そもそも『争い』が嫌いではないのだから。

「裏口から、そっと」

「……いいえ」

 しかしグリフォニカ(王子様)のほうも、

「僕は正面玄関から帰らせて頂きます」

 ここまで煽られて黙っている性分ではなかった。

「――は?」

「セイジ、一緒に見送って下さいますか!」

 カワナが声を漏らし、すでにグリフォニカはセイジの手を取り、走るように進み出していた。

 見せつけるみたいに白い歯をむき出しに笑っていた。

「あ、えっと、カワナさん、これなんかまずいんですか?」

「当たり前でしょ! とめてセイジさん! グリフォール卿、困ります! グリフォール卿ってば!」

 カワナは、少なくともセイジは見たことがないほど慌てていた。それがグリフォニカには会心だ。

「悪いけど、先にイヤミをふっかけてきたのは、そちらです!」

「一般人がクリスマスのパーティをしているんです。本当に普通の子たちが!」

「いいじゃないですか、クリスマスパーティ。我がグリフォールの家訓は『公明正大たれ』です! 僕も混ざりたいな! なにせ僕は! 子供ですので!!!」

 セイジの手を引いてグリフォニカがずんずん行く。

(そう、なにもかにも想う通りになって、したがってやるもんか、僕だって――僕は、魔道士の、グリフォールだ!)

 グリフォニカは考えていた、その小さいながらもよく回る頭で。

 ――たしかにここは厳重に包囲されているが、その包囲させられている錬金術師の面々は、自分が、恐らくグリフォニカ・グリフォールが来ているとは知らない――。

 さっきのカワナの慌てぶりから、グリフォニカはそう確信した。きっと理由はボカされているに違いないのだ、と

 今この場所に彼がいることを知っているのは、賢連の中にすら殆どいない。その理由は簡単でもありヤヤコシくもある。

 王子様の外出は大変だ。

 ドコへ行くにも、味方からは「殺されたらいけないからやめて下さい」と泣かれるし、敵からも「殺してやるという者が出るからやめて下さい」と嫌がられる。

なかには「ちょうどいいから殺さえてしまえ」という味方すらいる、それの逆もいる。暗い思惑が逆へ裏へ対偶へと、際限なく広がっていく。

 だから大事(オオゴト)になる。だから王子様は「お忍び」になる。

 王子様というのは、命以外のものを沢山背負わされてている子供のことをいう。

(それでも、少しくらい、迷惑かけさせてもらうさ!)

 そして事実、庭にいた面々で、グリフォール来訪のことをあらかじめ知っていたのは、ゼラ・レーベルウィングだけだった。

「皆さん、メリークリスマスっ!」

 勢い良く扉を開け放ち、庭に降り立った美少年に全員の視線が注がれる。グリフォニカが背筋を伸ばし、そのピアノみたいな声を響かせる。

「はじめまして! 僕はグリフォ――」

「FOOOOOOOOOOOUUUUUUUU!! ファッキンパーフェクXXXXボーイ!!!!」

「ぅぎゅ」

 挨拶の途中でグリフォニカが轢かれた。ローランドだった。

「ぶ……っ! う―っ! ……ッ! な、なにをっ! 僕は――ッ」

「WOOOOW! Nice Blondy……! XXXXー! モガマンデキナイ」

「ひっ……!」

 暴走トラックみたいな状態になったアメリカ娘が、つい先刻よりはるかにアルコール濃度の上がった息を吹きかけながらグリフォニカの髪をワニゃわにゃ揉みくちゃにしていく。さらに、

「イザラ! いけないですよイザラ!!!! 慎みなさいイザラッ!!」

「ふぶっ」

 横から混ざってきたメイド服の女、ユナがドミノ倒しにローランドごとグリフォニカを地面に転がした。

 女性二人分の体重がかかって怪我をシなかったのは巨大なクッションのおかげか。

「欲しくても女から年下に襲いかかるのはいけません! 虐待になる!」

「NOOOー! ナゼユナは私ノオッパイ二話シカケマスカッ!!?」

「ぁなっ!? だ、た、助けてセイジ! 僕は――っ!」

「グリフォニカ! アナタもアナタだ!」

「ぃたっ」

 グリフォニカの頭をがっ、とユナがつかみ、頭突きでもかましそうに睨みつけた。こちらの吐息も、酒臭い。

「み、ミス・タチバナ……? どうして貴女がこんなところで……」

「グリフォニカ……。あなた、なぜ、イザラをさっさとXXXさない……?」

「……――え」

 あまりにひどい言葉だったせいで、育ちのいいグリフォニカはその単語の意味が分からなかった。

「イザラは身持ちをこじらせて、大人の男より自分がお姉さんブレる男の子が好きだった……だからあなたじゃなきゃだめだ……もうそれは夜ごと貴方を慕っている……」

 拘束の力が緩んだのをついて、パタパタとグリフォニカが床を這って肉の檻から脱出しようとする、が、

「待ぁってえー」

「あぅっ?」

 また一人酔っぱらいが増えた。

 今度はメガネの女学生だ。

「きゃあああああすっごい可愛いいいい……」

「……は、離して……! 誰ですかあなた……」

「星の王子様ってきっとこういうのだろうなーって思うの……ねえ、お姉さんのファーストキスって今でいいかなあ……?」

「……え……、え、いやです……ッ」

「――なんで?」

「し、知らない人じゃないですか……」

「かわいいからって調子乗ってる……?」

「ーーせ、セイジ、助け――っ」

 助けを求め、視線を泳がせたが、セイジの姿を見つけることはできなかった。その代わりに、見つけたのは、

「んふふ」

楽しそうに笑む黒髪だった。

「メリークリスマス。パーティごゆっくり。――グリ坊くん」

「な……い、今のは失礼です! 大変な無礼です! 秘書さんを呼んで下さい! これはださふゅっ」

 裾が引っ張られて、グリフォニカが顔からぺたりと転ばされる。

 グリフォニカの目尻に浮かんだ恐怖の涙を、

 べろん、

 とビール臭い舌が舐め取った。

「ゲージュツ的デスネ君……。OK、レッツ####」

「ひっ……」


――ぁぁぁぁ――


 声変わり前の儚い声色で、悲鳴が長くあがる。

「……折本さん」

「なに?」

「タズネはなんかアルコール飲んだのか? これカクテルかな。未成年だぞ」

「うちらも同じの飲んでるけど大丈夫じゃん」

「ならなぜヤツだけ……プラシーボで酔ってるのか。酒乱願望か……」

「ね。ヒノイケさんて実はおもしろいよね。友達になってよ」

「……」

「よかったら」

「……う、うん……、お、折本、さん」

「さんづけしてくれるんだ。でもうちからはコトリンとかって呼んでもいい?」

「……へ、へへ……。いい、よ」



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