04
砂糖細工の波刃がパリっと音を立てて砕けた。キャラメル色の破片が宙を舞い、膨らみ、引き伸ばされて糸になり、さらに割かれてついには綿毛になって絡んでいって。
褐色の剣は、あっという間に、白金色の綿になっていた。
「できたての綿菓子を、いかがですか? 虫歯の治療中とかでなければ。『時使い』、あなたも」
甘い綿花の花束を掲げ、お菓子の国の王子様(グリフォニカ)が微笑む。
「下さいな。ふふ、心底に羨ましい魔眼だよ全く。魔法なんて、こんなのばかりならいいのに。ほら、サミ君」
「い、いただきます……」
「綿菓子なんて久しぶりだ。気が利いてる」
スミが匙でくるくると器用に綿飴をまるめとり口に運んだ。セイジも隣で、おそらくは好奇心が勝っているのだろう、勢いよくあむりと食べた。
二人、殆ど同時。
齧りついた一口目の咀嚼が始まらず、固まった。くっと頬のあたりが震えて、それを見てグリフォニカの笑みが少し深くなる。
その綿菓子はただ甘いだけの代物ではなかった。
恐らくは一度カラメル状にしたせいかもしれないのだが、なんとも表現しがたい、喫茶店に入った瞬間のような、あの香りがした。それのおかげで少しも甘みに重さがないのだった。
「お気に召しましたか?」
声に、はっと我に返ってセイジが顔を上げる。グリフォニカの幼い顔にはしかし、職人の自負が滲むような、なんともいえない嬉しげな笑みがあった。
「……あ、ええ、美味しすぎて驚いて……」
「それはよかった。グリフォールの表の顔は菓子職人の家です。いくら砂糖嫌いの日本人が相手とはいっても、当主の僕が砂糖菓子でまずいと言われたら立つ瀬がない」
「綿菓子にここまで上手い下手があるとは知らなかったねえ、なにより粋なのがいいよ、この味は。まるで和三盆で出来た霞を食ったようだ」
「本当は、もっと等級の高い品をお持ちしたかったのですが、なにぶん僕とそちらの立場では、持ち込んだものをさあ食べろというわけには、いきませんから」
「いちおう改めておくが、君のフィアンセを害したのは、そこのサミ君ではないよ。うちの者、護衛の子が手痛くやり込めはしたがね」
「僕が呪うべきは『紫煙姫』だ。そんなことは知っていますとも」
グリフォニカがため息をつく。
「ドクター・セイジ。僕はあなたに危害を加えようとか、恨み言を吐こうと思ってここに居るのではない。どうか信じてほしい。……勿論あなたが僕の目の前で我が妻を侮辱するようなことを口走ったなら、戦う覚悟はしていましたが」
「……」
「サミくん。『星夜会』というのがあってね」
スミが綿飴をコーヒーに浮かべてみたりしながら言う。
「年に一度、錬金術師と魔道士の懇親会というか、まあ『脅しあい』みたいなのがあるのだけれど。その子はこれからそれに出席するんだよ。『賢者の集い』代表として」
「えっ……」
こんな子供が? という言葉を飲み込んだセイジだったが、その言おうとしたことは恐らくグリフォニカにも伝わっている。
「知っての通り、君が原因。いや、ここのとこでいうと正確には君と君のインスタントマギを公開放送してしまったヒロセ君のあれが引き金だが」
「そう。魔法使いに『ドクターセイジ』と『インスタントマギ』が知れ渡った。恐ろしいことをしてくれたものです。『反響使い』は」
「茶海星从郎くん。いまや君の、このややこっこしい非漢字圏の人間にはグチャグチャに見えることこの上なかろう字名をね。『サミセイジュウロウ』という音で読めない魔法使いは、もういないんだよ」
スミが、珈琲にとけかけた綿飴をスプーンで掬ってつぅ、と吸った。
「甘露」
ドクターセイジ。
茶海星从郎。
少なくとも本人の思う限りでは、地方の理系大学院生でしかなかったはずの青年は、いま『魔法使いの争い』という、あまりに非現実的な響きを持つしかし現実に巻き込まれていた。
いや、巻き込まれたというのは正確ではない。むしろ彼はこの争いの原因であり、起こした張本人ともいえるのだから。
IM(インスタント・マギ)。
即席の魔法使い、とセイジが名付けたそれは、要は映像だ。
その映像を眺め、視覚から脳を刺激することで――セイジはまだこの表現に納得していないが――科学的に原理未解明な分野での物理現象を引き起こす能力をえる。
映像による電子ドラッグ、という捉え方をするなら、もはやドラッグと言うより神経科学的なドーピングだ。
ともあれ、このIMによる視覚操作は、魔法使い達の言葉で表すなら――ただの映像を見るだけで、一時的とはいえ魔法の根幹技術であり同時にアイデンティティでもある『魔眼』と同じ効果を得る――と、表現できるのだった。
そもそも『魔法』とは、『魔眼』とは、なにか。
ススキノハラは『魔法』とは『魔眼』による『幻視光』の観測、それによる世界への干渉である。と、セイジにそう云ったことがある。
眼球に手術や義眼などで魔法陣を刻み込んでこしらえる『魔眼』。
その《魔眼》を通して世界を見ると、この世界には通常の瞳では見えない『光』があちこちに様々なカタチで見えていて、その光は見ることさえできれば直感的に操作することも出来る――彼ら魔法使いはそれを駆使し、例えば箒で空を飛んだり、他人の心を読んだり、あるいは大気に作用させて兵器並の爆裂をおこすのだった。
セイジの発明した『IM(インスタント・マギ)』は、云わばこの『魔眼』を、大幅に利便化する技術だ。
簡易性、安全性では本家の魔眼と比較にならない。さらには組み合わせと多様性では本家の魔眼を凌駕した力すら見せている。
――科学が『魔法使い』を暴きつつある。科学が魔法を、あるいは魔法という一つの世界を、破壊つつある。
対応を巡って魔法使いは真っ二つに割れている。
彼らはそもそも大きく二つ勢力に別れていた。『錬金術師』と『魔道士』。それは敢えていうなら左右の翼めいた派閥だった。
革新と発展を愛し、科学文明との融合も厭わないとしてきた『錬金術師』。
伝統と美学を重んじ、科学文明とは距離を置く選択をしてきた『魔道士』。
錬金術師の連盟『ALI』は、茶海星从郎(ルビ:インスタントマギ)を、早急に魔法使いとして取り込むべきと訴えた。
魔道士の共同体である『賢者の集い』は、すぐさまインスタントマギ(ハリボテの賢者)を亡きものとすべきと動いた。
インスタントというブレイクスルーが、魔法使いというひとつのコミュニティの分断を、決定的なものとした。これまでの分立とは違い、今回ばかりは互いにどちらかが滅ぼうとも、という対立だ。
さらにここへ先日おこった『反響使い』の広瀬階鍵(ヒロセカイケン)による『無差別反響の情報公開』が拍車をかける。
インスタントマギの現時点。
出来損ないと揶揄された当代『箒使い』が稀代の『煙使い』を圧倒するドーピング効果。本人への負担が大きすぎた『反響使い』の魔眼症状、その中和。極めつけは『魔法使いですらない』セイジ本人が、インスタントを組み合わせただけで――たしかに相手の慢心につけこんだ上に、ほんの数分が限界であったとはいえ――最強の一角であるはずの『魔法使い』と、正面から渡り合ったという事実。
インスタントは想像を超えていた。その『最良』も『最悪』も、どちらも。
ヒロセが反響させた情報に、それこそ魔法使い達の「反響」は凄まじく、単なる左右では最早おさまらないヒビ割れとなって歪み捻じくれ、分断と火種が拡がりつつあった。かつてないほどに。
「いまはALIも賢連も大わらわさ。毎日のように離反、裏切り、訴え、寝返り、密告密会その他もろもろ」
「そんなに酷いんですか?」
「先の月だけで10と2名の錬金術師がこちらにーーALIを裏切り魔道士の側につきました。――『罅(ひび)使い』に『弓使い』、『紙使い』も。『紙』のケンサンセン姉妹は二人同時だった」
「あたしの知る限りならそっちからも9人。だが半分もたどり着いていないよ。たどり着いたやつもだいたい死にかけてる。『引き止められた』せいで」
「本意ではありませんでした。本当です」
「なに、引き止めてくれるのは結構なことなんだがね。逃げようって子を片っ端からブチ殺そうってのはどうなんだ? 『鬣(たてがみ)使い』だっけか。数減らしたくなくて引き止めてるんじゃないのかい?」
「……『鬣使い』ローゼ・シュテーケルは……どうもなんというか……手加減とかそういったものが理解できない女性(ひと)のようで……しかし言わせていただくと、そちらからの離反者も、五体満足のままは少ない。ALIも、なかなか過激だ」
「どうにも『血使い(Carmina Burana)』のカーネーションが絡むとね」
「吸血鬼の姫(カルナミラダ)が引き止め役を?」
「違う。カーネーションは違う、ガブリエラ・カーネーションは自己完結した美学『しか』ない女だ。だから手に負えない。まさに吸血鬼を『気取っている』んだ。ありゃあ、後天的な魔法使いの気性というより、先天的な首狩り族の気性かもしれない。スパニエラだよあれは」
キュウケツキ、なんていう、あまりといえばあまりの音色が出て来て、しかもさらっと流されていることにセイジが驚く。
「ドクター。僕は魔道士だ。僕は貴方の発明を、嫌悪し、恐怖している側だ」
グリフォニカが一度言葉を切り、ふぅ、と息を吐いた。
「貴方さえいなければ。こんなことにはならなかった」
そこまで言って……グリフォニカが、ため息をついた。まるで苦笑して、温くなったブラックコーヒーを一口、傾けた。
「――と、そんなふうには、僕はどうしても、思えない」
子供だからコーヒーを無理している、という感じではない。
「一度見つかってしまった発明を……、例えば発明者を殺すだとか禁書するだとか、そういうことで本当に潰せたことなんて、人類の歴史で一度も無いじゃないですか。遅れさすことはあっても。必ずどこか、違う国や違う場所で、違う誰かが、けれど同じものを考え出す。人は、そういうふうに出来ている」
グリフォニカは、恐らく普段から砂糖なしで飲みつけているのだろう、甘いお菓子と一緒に。
そしてそんな彼にセイジは破顔していた。
(この子は、なんて賢い……)
まるでクラスのなかに天才を見つけたときの数学教師かなにかみたいだった。
感動にすら近い気持ちでいるセイジの隣で、
(ああ、この子は、なんて……)
スミはうんざりとしていた。
かといって、それを態度にだそうと言うほど、ススキノハラスミは若くなかった。
「こんなことを魔道士の僕が言うなんて、きっとおかしいのでしょう。けれど『反響使い』の一件もあります、インスタント・マギを解明しようとしている魔法使いは既にきっといるでしょう」
「そう! というか魔法使いは、そも科学に明るい。科学と親和性が高い。科学的な考察なくして魔眼の効果的な作用は考察し得ない。科学を好まないなんて嘯いているらしいけれと、やってることは完全に科学者だ。経験に偏重したアプローチだけど、でも、まさにそれこそ科学の原点みたいなやり方だし――」
「僕らが科学者的、ですか? まあ、言われてみると僕は『砂糖』というものをまず学びましたね。そこがわからないと、どんな光陣を描くかが考えられないから」
「そう、そういうところ。知を体系化しようとしているでしょう。ファンダメンタルだ――恐らく魔法の世界には、科学の大発見が眠っている……だから、なんていうか……無駄に争ったり滅ぼしあったり、それだけは避けてほしい。ーー知が勿体ない」
「積み重ねてきた美学が、憎悪の連鎖に潰されてしまうことを避けたい。そのあたりは同じです。ドクターセイジ」
スミがわざとらしく大あくびをした。
「……乃姫(ノビメ)湖のあたりでやるんだろ? 星夜会」
そして呆れたような声色で、話を戻す。
「なんだろう、聞き覚えがある気が……」
「北関東の境目にあるハイランドレイクだよ」
「あ、思い出した、恐竜の骨が出たところだ」
「恐竜」
恐竜、という単語で微かに声のピッチがあがったグリフォニカだが、すぐに咳払いして態度を戻す
「なんだって男ってのは恐竜が好きかね……。湖畔の一部が山で隠れて陸の孤島じみたことになるエリアがあって、近くには外人村ーー今は国際村って言わなきゃだが、古い外国人居留地もある。魔法使いには使い勝手がいいんだよ」
「魔法使いの集まりが日本ってのが。意外ですね」
「日本で星夜会やるのは17年ぶりだよ」
「どうして今年にかぎって」
「そりゃ君のせいさ」
「ドクターセイジ。貴方がいるところが、イコール僕らの最前線です。そこはご自覚を。くれぐれも。――僕はこの星夜会でこれ以上の犠牲者を出さないよう訴える。僕みたいに感じている魔法使いは、きっと多い」
「じゃあ、提案っていうのは」
「ええ。『休戦』です。それで、ぜひ――」
「私は、賛成する! するとも!」
スミがついに我慢できず眉間にシワを刻む。
「いいのですか。言質をとったと僕は言いますよ」
「完全に本心ですから!」
「ありがとう……! 会えて良かった」
身を乗り出してセイジに握手を求めたグリフォニカの小さな手を、セイジは両手でしっかりと受けた。
グリフォニカの指はセイジの手で殆ど隠れてしまうくらい小さい。
「僕らは、公明正大に、違うもの同士でいましょう。信じるものが違っていても互いを尊重していれば活かしあえる。……そう、ちょうど、男と女みたいに!」
ぶふッ――!
スミがお茶を吹き出した。
皮肉や演技ではなく本気のそれだったようで、セイジよりもグリフォニカよりも、スミ本人が慌てて口元を拭う。
「……『時使い』。僕はなにか、失礼なことでも?」
「い、いや。今のは、あたしが悪い。たいへんすまない、――うん。ふふっ……ふ、ふふっ、お、男と女か、あはは、ははっ……ふう、よし、じゃあ、そのあたりにしておくれ、お二人さん」
ぽんぽん、と手拍子するスミの様子に、さすがにグリフォニカがなにか感じて面白くなさそうな顔をした。
「やい、グリ坊」
「ぐ、ぐりぼっ……!?」
つい今しかたまで、少年とはいえ客人として扱っていた態度を、スミはいきなり豹変させた。”子供扱い”だ。
「坊で十分だろ、あたしときみの年の差を考えな」
「ぐ、ぐり、ぼう……」
「グリ坊とセイ坊だ。グリ坊セイ坊ガクセイボウ、ってね」
「……『時使い』。僕はドクターセイジを信じます。同じく想いを持つ友として。彼のことをどう思うかは僕の自由のはずです」
「小賢しい物言いは損をするよグリ坊。まあ、子供のウチは、そうであったほうが良いとも思うがね」
「……そろそろ僕は、失礼します。『時使い』。――今日は歓迎、まことに、ありがとう。珈琲も美味しかった。――帰ろう! 秘書さん!」
外で待つ自らの従者に声をかけ、グリフォールが席を立つ。
「あ、ち、ちょっと待って! もう一つだけっ!」
だがセイジが、そこに慌てて呼びかけた。
「サミ君、しまいだと言ったろう」
「いや、もうホントに、この一つだけなので」
「あたしが笑ってやっているうちに引っ込めなよ」
「ほんとうにこれだけ」
「……なあ。これ以上あたしを――」
「なんでしょう? ドクターセイジ。なんでも聞いて下さい」
「……」
スミはこの時、見るものが見れば背骨が冷たくなるような目をしていたのだ。だが、幸か不幸か、子供2人は気づいていなかった。不識の為せる勇しさだ。
「さっき言ってた。お菓子のことで」
「はい。……はい?」
「――『日本人は砂糖が嫌い』ってことに、なってるんですか?」
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