02
「そんな緊張しなくて大丈夫ですよ、セイジさん」
「は、はい……」
「万が一に。相手がその気になったとしても、なんにも心配いりません。だって側に私がいます。んふふ。私、多分ゼラより頼りになりますよ?」
チャンドラー邸の三階にある書斎でカワナに手伝ってもらいながらセイジが身支度を整えている。
「セイジさんネクタイ、ほら、こっち向いて下さい」
「じ、自分で出来ますので大丈夫です」
「あ、いけません。こういうのは他人にしてもらわないと、本当にきっちりとはならないんです。んふふふ、照れないで下さいよ。私まで恥ずかしいです」
カワナの指がセイジの胸板のあたりでコショコショと動く。
彼女の身長は170を超えているが180のセイジと並ぶと、目の高さやらが、ちょうどよかった。
「はい。OKです。相手を待たせてますからね、セイジさん」
「は、はい」
ちょっと会わせる人がいるんで、ちゃんとした格好で来るように、なに、それなりの格好でいいんだよ。
昨日いきなり、セイジはスミからそう言われたのだった。
だから自前のスーツに健気にも朝アイロンまでかけて来たわけだが、しかしスミはセイジをひと目見るなり、舐められるから着替えろ、と断じた。
セイジは普通の大学生、それも院生だ。
スーツといえば成人式のときのスーツしか持ってないし、それでもたしか三万円くらいは親が払ってくれて感謝した覚えがあるから、そこまでひどいもの、というわけでも無いのだろうが。ススキノハラの目には『それなり』と映らなかったらしい。
そして着せられたこのスーツだが、サイズこそセイジにほぼドンピシャではあるのだけど、とてもではないが、学生が着るような仕立てではなかった。お値段的にも、まさに桁が違うだろう。微かに香水(コロン)らしき残り香もある。
「ーーあ、あの……」
セイジが何かに気づき、恐る恐るカワナに尋ねる。
「どうしました?」
「これ。ひょっとして――ヒロセさんのスーツだったり、しませんか?」
「あら。よくおわかりで」
「や、やっぱり……」
「大丈夫ですよ、ブリティッシュスタイルだからちょっとラインが方のあたりが緩めですし、イタリアのとかより潰しがきくんです。似合ってますよ。何よりヒロセくんなら喜ぶでしょう、たぶん」
「……汚さないようにしないと……」
「あ。いっそ今日、もうこのまま着て帰っちゃえば?」
カワナはセイジに寄り添って廊下を進み、扉の前で歩を止めた。いくつかある応接に使えそうな部屋のなかで、最も狭い部屋だ。
たしか古くなって赤が霞んだような色のソファーが2つと丸テーブル、物入れ、それと小さなオルガンが置いてあった。
一瞬、ノックをしようとして、止めて、ただ無言で扉を押し開けた。入室を尋ねる立場はこちらではない、というところだろうか。
扉が開く。
ソファにはススキノハラと、少年が一人、テーブルを挟んでいた。
「……ん、ま、よかろう」
セイジのスーツ姿を見て、足を組んだススキノハラが呟く。
「――あなたが、ドクターセイジ」
少年がセイジを迎えるために立った。さらりと音がするような所作だった。
「はじめまして。僕の名前はグリフォニカ。グリフォール家の、グリフォニカ・グリフォール。当主です」
セイジの感じた第一印象は――
(王子様だ……)
という、ある種なんともシンプルなものだった。
まず、グリフォニカはとにかく姿勢が良かった。それこそ定規でも入っているようだ。可愛らしい、将来はたいそうハンサムになりそうな顔立ちで、子供特有の髪の艶が少年というより美少女をイメージさせる可憐さがあった。多くの女性が歓声をあげたくなるような、とでもいおうか。
着ている服がまた記録映画かなにかに出てきそうなくらい『西洋のお坊っちゃん』で、蝶ネクタイなんてものが、凄まじく似合っていた。
「グリフォール家の当主として、また『賢者の集い』の一人として。加えて魔法使いの末席としても。お会いできて大変うれしい。ドクター」
彼はなんだかピアノの高温域みたいな声をしていた。話しぶり、言葉遣いは大人びているというよりも『大人になる努力』をしているとでもいうか。しかもそれを『し慣れている』。だからとてもある意味『子供らしい』のかもしれなかった。
「あ。こ、こんにちは。……えと、はじめまして、グリフォール、さん。あ、違う、グリフォール卿――で、いいんですかね」
「どうかご自由にお呼びください。僕は全くの若輩なのですから」
「ああ、ええっと。それじゃあ。……ミスター・グリフォール。私は、茶海星从郎、と申します。ええ――あ、どうぞ、お掛け下さい」
ミスター・グリフォール。そうセイジが口にすると。
ぱちぱち、と。グリフォニカが大きくその瞳を瞬きさせた。
「は。ミスターねえ……ミスターかねえ……」
ススキノハラが足を組んだまま苦笑した。その姿は二十代後半くらいの容貌だ。
普段通りの――これが普段着なのは本当に恐ろしいことだが――超高級和装。この日は合わせの重ね着、見るものが見れば魂消るほど貴重な代物だ。そしてその上から洋風のショール。
和洋を組み合わせたのはグリフォニカという異国の客のためのコーディネートなのか、それともたんに今日(クリスマス)の気分なのか。
ススキノハラ寿美。
最強の一角とされる『時使い』の魔眼を持つ魔女。
実際の年齢は、セイジの見立てでは下手をすると100を超えているかもしれないのだが、このとおり、肉体の年齢を変えることが出来る。
外観の年齢をある程度は自由にできる魔眼の持ち主はいくつかいるが、ススキノハラの場合は、老若自在でかつ『本当に若返ったり老いたりしている』というところが脅威だ。見た目だけ繕っているのとは違う。
そんな彼女は、普段「楽だから」という理由で子供の姿でいることが多いが、今日は流石に来客と同じ年齢に見えるのはまずいと思ったのか。
あるいはある程度の成人の肉体でいることは、つまり臨戦態勢であるという意思表示になるのだが、そのためか……。
「それにしても、あの……日本語が、お上手ですね、本当に……母国語じゃないんですよね?」
「外国語だけは、子供の頃から僕の取り柄なのです。私の家にはいろいろな国の人が出入りしていますから、教材にも教師にも困らなかった。もう6ヶ国語くらい、わかるようになりました」
「6……っ!? すごいな……」
「イタリア語、スペイン語、ポルトガル語を、それぞれカウントしていますから、少しインチキですけれど」
「いや、しかし……それにしても、日本語が、すごいな……外国の人からはすごく難しい言葉とされてるはずなのに」
「日本は家の商いの関係で、子供の頃から触れる機会が多かったのです。少し特別な国でしたから。それに個人的に、僕は日本が好きなので」
「英語なら、僕も、まあまあ分かりますので、厳しい時は、いつでも英語で(※ここを英語でルビ振り)」
「お心遣い、痛み入ります。ーードクター。あなたは聞いていた通りの方ですね。いいえ、ボクが聞いていたよりも、ずっと『らしくない』ですね」
グリフォニカはそこで一度言葉を切り、
「あなたが破壊者か」
口調こそ柔らかかったが、しかしグリフォニカはハッキリとそう言った。セイジが微かに息を呑んだ。
「我ら魔道士、いや、魔法使いにとり、受け入れがたき異様。魔法とその過去を破壊しかねない存在。忌々しくも恐ろしい。『インスタント・マギ(ハリボテの大賢者)』」
「……それは」
「サミ君。いちいちその子の言葉に応えなくて良い」
スミが遮った。
「そこのお坊ちゃんからのお願いは、君と会うこと。顔を少し見ること。そして『自己紹介程度の話を』とのことだったはずだ。もう、なら、今ので十分だろう」
「はい。ですが『時使い』。もう少しだけ」
「かわいい『はい』だ。本当にピアノみたいな声をしてる」
「……――二重三重に及ぶ厳重な人の網。しかしこれは若輩であるにもかかわらず、僕ごときに払っていただいた破格の丁重と、光栄に思っています」
話しながら、グリフォニカがコーヒーのために用意されていたテーブルシュガーの入った器を、そっと手元に寄せた。
「眼前には、その名轟く『時使い』の貴女。一枚の壁を隔てて、あの『氾流』が控える。下の階には『箒使い』と、さらにまた、もう一人『風使い』」
「手は出させないから心配しなさんな」
「それに一般人の子女まで。……『時使い』。貴方なかなか非道なことをなさいますね」
「君のほうも護衛を連れて邸に入ってきたろう」
「彼女はただの『秘書さん』です」
「クリスマスだからだよ。若い衆がパーティをやりたがった。あの可愛らしい女子校生達はゼラの学友だ。本当にそれだけ。……とはいえ、まあ好きなようにとってもらっても構いやしないけどね」
「――僕がなにか自棄を起こせば、彼女たちが巻き添えになってしまう」
「な、自棄……ってどういう……」
「ええ。そうですとも、ドクター」
セイジの漏らした言葉に、グリフォニカが視線を戻し、応えた。
「僕にはこの場で、命も大義もかなぐり捨てて牙をむく理由がある。ここは我が妻、イザラ・チャンドラーが眠る邸(しろ)なのだから」
セイジが言葉の意味を理解するよりも早く、
――革留滅比留(ルビ:カルメイル)
グリフォニカの魔眼が世界を幻視した。次の瞬間、べっこう色に光る剣が、セイジの眼前につきつけられていた。
珈琲のために用意されていたグラニュー糖(ルビ:テーブルシュガー)が、一瞬で解け広がり、焦げながら造形され、砂糖細工の刃と化していたのだ。
「サミ君。その子のそれは『砂糖菓子使い』という魔眼なんだよ」
「砂糖……?」
「面白いだろう。いい匂いだ、コーヒーが飲みたくなる」
砂糖。
口に入れれば甘く溶けるそれ。しかし砂糖(スクロース)というものの性質を知っているセイジには、その恐ろしさがすぐに理解できた。
加工次第で強化プラスチック並の強度になり、万能とすら言えるほどの造形至便性を誇る。現にこれほど素材科学が発展しても未だに世界中の映画などの現場でオブジェクト制作に砂糖が多用されている。
さらには突きつけられた甘い刃の、その色。
いわゆる焦げ茶のカラメル色だが、砂糖というものは200度に迫る温度に達しなければこの色にならない。
もしその状態でぶちまけるような使い方をしたなら、壮絶に悲惨なことになるだろう。
「――イザラ・チャンドラーは、僕の婚約者(フィアンセ)だった」
砂糖菓子の王子がセイジを見つめた。
「家同士と組織が決めた結婚ではあった。けれど僕たちは尊敬し合えていた。……きっと、良い家族に、なれたのに……」
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