第10話 25日 警察署にて

「三屋が逃亡した?何やってんだ、くそ!」


 穀京警察署内に女の怒号が響いた。

新人刑事の松野は、怒りに声を荒げる有栖から目を伏せた。有栖は湧き上がる怒りを言葉に変化させて吐き出す。


「大体、課長はこの件を甘く見すぎだろう。機動隊相手に大立ち回りを広げた男に、軽装備の二人だけの警備で足りると思ったのか?おかしいだろ!奴を押さえつけるのには電撃銃しかないっていうのはビルの暴動の時で痛いほどわかってただろ。結果、護送車は破壊されてこのざまだ!犯人は人間離れしたバケモンなんだよ。だから警備は厳重にしろって忠告したのに、稲妻男に邪魔された挙句にこの失態。ボケしかいないのかよ!」


 松野は有栖から目を背けた。

彼は有栖はこの先のことを知らないのか、と思う。そしてそれを知らせるのは自分の仕事らしいと察した。


 もともとは課長が伝えるはずだったのだが、彼と有栖は犬猿の仲だ。ふたりが喋っているところを、松野は見たことが無かった。自分の地位を脅かす存在である有栖に対して一方的に敵対心を持っているらしい。

 そもそも、有栖の協調性の無さと、横暴さが、署内であまりよく思われていない。

だから、知っている上司は、皆、知らない顔をして自分の仕事に向き合っている。

それにこの荒くれようだ。そりゃ誰も伝えたくないよなと思い、ため息を着いた。


 彼は数回、深呼吸をして言う。


「す、すいません、有栖さん」


「なんだ!」


 怒りの矢を向けられた松野は上ずった声になりながらも続ける。


「ぬ、抜けてる情報がありまして……三屋は留置所で警備員と水橋、そして銀行強盗に加担した火喰鳥のメンバー数人を殺害したのち逃亡したようです」


彼は、きっと来るであろう、怒りの爆発に備えた。


「そうか……おい、松野!三屋の関与が疑われる過去の事件は?」


その声は異常なまでに冷静だった。


 松野は考える。人は一度怒りを覚えると、なかなか収まらないはず。有栖と言う人は感情で動いているようで、そうではないのかもしれない。

この人のことがますます分からなくなり、恐怖を覚えた。

そして、なによりも唐突に始まった”テスト”に怖気づいた。


「過去……過去……」


 彼は三屋について個人的に調べていた。そして一年前の暴力団員殺人事件から連なる殺人事件に三屋が関わっているに違いないと確信していた。

そして、三屋の正体を突き止めなくてはいけない、という正義感が恐怖を上回ったからだ。

彼は一度捕まったが、有力な情報を得る前に逃げられた。


 これが世間に報じられれば、警察の信用は失墜する。

犯罪が多発する時代。マスコミは警察の失敗ばかりを報道し社会不安を煽る。

それでも、警察は市民を守らなければいけない。警察がその役目を放棄すれば、この国は混沌に巻き込まれるからだ。


そう思うとすぐに平静を取り戻すことができた。


「過去……僕が思うに、一年前の暴力団員殺人事件、その半年後の建設会社員殺人事件、そして最近の水橋の母親、そして黒曜会構成員殺人事件、これらに関わっているのではないのかと思います」


「聞かせてくれ」


 有栖が鋭い目を松野に向けるが、落ち着きを取り戻した松野は滞りなく返した。


「……一年前の暴力団殺人事件、ご存じだとは思いますが遺体は肋骨が露出するほどの暴行を受けており、さらに頭部が刃物を使わずに引きちぎられていていました。殺された暴力団員は、金糸会系三次団体頭黒森組の敵対組織黒曜会の構成員でした。


さらに、その半年後、市内の建設会社に勤める二十代男性が殺害されるという事件。この男性は頭黒森組の構成員でしたが一年前に脱会。その際に警察にかなりの情報を流したらしく組から恨まれていたようです。恨みを表すためなのか、拳銃で手足に発砲して動けなくなった後に頭部の原型が残らないほど滅多打ちにされていたようです。これも武器は使わずにです。見せしめに遺体を男性の勤めていた建設会社に放置したようですが、この時、犯人を社長が目撃しています。ちなみ目撃情報は三屋の外見と一致しています。


そして、直近の水橋関係の殺人。


これらの犯人はいまだに不明ですが、人間の仕業とは思えないほど人体を破壊する手口が共通しています。衝動的に殺しているというよりかは、見せしめ的に殺害しているようです。あの成田ビル前の事件で機動隊相手を蹂躙した際もパフォーマン的行動を好んでいました。そしてあの身体能力は人間のものだとは思えません」


「何故、三屋は関係の無いはずの水橋を殺害した?」


「三屋が頭黒森とかかわりのある人物だから、ですか?」


「ああ、そして成田ビルは頭黒森組が所持している建物だ。いい線だ」


 有栖から初めて褒められて松野は驚いたが、表情に出さないように努めた。話を続ける。


「三屋は頭黒森組の殺し屋なのではないかと僕は思います。ですが一つ疑問があります。頭黒森組は金糸会系の三次団体ではありますが、構成員は10人程度の弱小です。そんなところがここまで派手にやる度胸はあるのでしょうか?」


「名簿上では弱小に思えるだろうが、奴らは半グレの火喰鳥を支配して操っているんだよ。火喰鳥はもともと貧困ビジネスで資金を得ていたグループだ。三年前に警察当局の一斉摘発を受けて裏社会から姿を消していた。一年前、リーダーの金石が刑期を終えて出所したのをきっかけにグループを再形成し、再び穀京市の裏社会で力を持ち始めた。


三十名程度の規模だが、かなり合法のビジネスが得意らしく、資金が潤沢との噂だ。そして銀行強盗未遂まで起こすほどの度胸もある。強盗も、頭黒森が計画し、火喰鳥を利用して実行しようとしていたんだろ。まあ稲妻男に邪魔されることになるのだがな。黒曜会を潰すつもりが、逆に己の面子を潰された頭黒森は、雑で場当たり的な犯罪予告をしたんだろう。


話を戻すが、構成員名簿上は頭黒森と三屋は関係無いことになっている。だが三屋と火喰鳥との繋がりを見つけることができたら、そして、火喰鳥と頭黒森の繋がりを見つけることができたならこいつらを一網打尽にできるだろう。


実際に奴から押収した拳銃は隣国で密造されたトカレフで、建築会社社員を撃った銃も、旋条痕からトカレフと割り出されている。珍しい拳銃ではないが、この一致には意味があるだろう。


成田ビルにいくぞ、直接話を聞いたほうが早い」


と、言う有栖の顔からは、怒りは消え去っていた。


 松野はテストに合格したという確信があり安堵した。彼女から肯定的な言葉を聞くのは初めてだった。


「ついに認められた」と達成感が湧き上がり、松野は気合の入った声で「はい」と返事をした。



 二人が覆面パトカーに乗り込むと有栖が口を開いた。


「なぜ水橋は殺された」


「頭黒森の報復ですかね?」


「いや彼は明らかに生かされていた、意図的に警察に逃げ込ませたような気がする。そして用済みになったため殺した。きっかけは?」


 松野は考える。

今までの殺人には共通して、見せしめと言う意味があった。よく考えると見せしめをしている時点で警察など恐れていなかったのだ。俺を捕まえることができるかという、挑発。


 むごたらしく殺人を行い、銀行を襲い、わざと犯人を自首させる。これらはすべて挑発だ。警察だけでは収まらない。住民すべてへの挑発。そうやって人々に恐怖を与えるのだ。反社会的な組織は人を手っ取り早く支配するには恐怖が一番適していると理解している。


 だが、それを止めることのできる人間が現れた。稲妻男だ。


 自分を止める人間が現れた。だから、獣が縄張りを賭けて威嚇し合うように、成田ビル前で機動隊を蹂躙し、刑務所で殺戮をした。


「……稲妻男……ですか?」


有栖は無言で頷いた。


「お前、稲妻男の捜査していただろ?何かわかったか?」


「稲妻男が初めて現れた穀京銀行で、未成年と思わしき女性と話しているのを火喰鳥の一人が目撃しています。また人質にとらわれていた女性も声が若かったと証言していました。火喰鳥も同じことを思い、学生を殺すと、脅したのでしょう」


松野は一呼吸おいて言う。


「俺は最初、稲妻男は黒曜会の殺し屋だと思っていました。この一連の事件は暴力団同士の抗争なのだと。ですが、今は……万が一ですが、稲妻男の正体が学生という可能性も無くはないのでは……?」


松野はあり得ないことを言っていると分かっていた。だがあり得ないことを常に警戒するのが治安を守る人間の役目だと思い、恐る恐る言った。


だが有栖は何も言わない。しばらくして呟いた。


「この事件は、弱小ヤクザの抗争なんて話じゃないと思っている。世の中の常識が変わるような、そんな事件なんだ。だから万が一なんて考えを捨てて、ただただ、結果だけを見つめろ。じゃないと命を失うぞ」


その口調には肯定の意志が含まれていた。



 車を飛ばし、昼の十二時ごろに目的地に着いた。

成田ビル二階(株)ジョナサンとプレートが張られた扉をノックするが誰も出ない。扉はオートロックタイプで社員証がないと入れないだろう。


 松野は壁に耳をそば立てる。

しかし、休憩の時間で社員が出払っているのか、この前の事件で人がいないのか、中は人気が無くて静かだった。


 その状況に違和感を覚えた松野は独り言を呟いた。

 

「ここのはずですけど、誰もいないですね」


有栖は辺りを嘗め回すように見回しながらそれに返した。


「逃げたか?尚更怪しいな」


「やはりなにか関係があるのでは……ん?」


松野の話を遮るように物音がした。部屋の中からだ。


「有栖さん今の音は……?」


「誰かいるな……警察だ!中にいるのは分かっている、さっさと鍵を開けろ!」


 有栖が殴るように扉を叩きながら叫んだ。さらには怒りをぶつけるように思いっ切り扉を蹴飛ばす。だが部屋の中から反応はない。


「おい、松野、管理人から鍵借りてきて来い」


「それなら、もう貰ってきてます」


 松野が管理人から借りたマスターキーをポケットから取り出してゆっくりと扉を開けた。

警戒をして直ぐに中には入らない。外から観察するが誰もいない。

だが明かりはついていた、そして部屋が荒らされている。明らかに何者かがいたようだ。


「用心しろよ」


「はい」


 松野が一歩足を踏み入れた瞬間、横から何者かが飛び掛かってきた。

しかし、それを素早く感知した松野が身を翻したことによって何者かはバランスを崩した。


 松野はその瞬間を見逃さず、首元を掴んで、柔道仕込みの投げ技で放り投げた。だが、それと同時に松野の体に電流が走り、体のコントロールを失う。


 まず”誰か”が地面に叩きつけられ、覆いかぶさるように松野が倒れた。

両者共に苦しそうに呻き声をあげる。


「おい、お前動くなよ」


有栖はその人物に拳銃を突きつけた。

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