第8話 7月24日

 火喰鳥による学生脅迫事件から五日たった。

三屋が逮捕された後も、数日間は登下校の際には親の同行が必須となっていた。


 それは火喰鳥自体の摘発には至ってないからという理由があったが、土日を経て、警察が地域一体の見回りを強化したことで通常通りになった。だが部活動や放課後の活動は禁止となっていた。


 昼休みになって桑原がこちらにやってきた。にやけ顔で、なにかを言いたそうな顔をしている。


「おい、聞いたぞ?やったな?」


「え……?知ってる?」


「いやー、おめでとう!」


 彼がこんなにいそいそとするのは大体、恋愛がらみの時だ。ということは、俺と重が付き合っていることを知っているのだろうか。


 学校の中では、特に重と仲がいい素振りは見せていない。いや重のことだから、自ら言った可能性もある。彼女はクラスの情報屋だ。


 ここはおとなしく白状することにした。


「そう、重と付き合えることになった」


「重と付き合う?そうなの?いや、俺が言ってたのは、部活が休みになるってことだったんだけど……。やっぱ、そうだった!もしかしたらと思ってカマかけたけど、やっぱそうだった!」


 桑原は目論見が当たって嬉しそうに言った。彼に見事に騙されてしまった。

だがよく考えたら、もしクラスに漏れていたら真っ先に女子に絡まれるはずだ。


 迂闊だった。

桑原が付き合っていたことを隠していたのだから、俺も隠そうと思っていたのに、あっという間にバレた。


 何故なのだろうか。彼に聞いてみた。


「ど、どこで分かった?」


「おまえ学校に来るの、いつもより三十分早かったからなー、それで分かった」


「え、そんなことで?」


「そんなことでよ」


「すげえな、おまえ探偵になれるな。じゃあ、俺の筆箱の場所当ててよ?朝から無くて」


「いや、知らんよ。菅原が分かりやすいだけだわ。てか今までどうやって授業乗り越えてたの?」


「自分の筆箱見てみ?」


桑原は自分の筆箱を取り出し、その中をまさぐって、あることに気付いた。


「俺のボールペン無いじゃん!いつの間に」


「朝、筆箱無いのに気づいたから、桑原の借りてたわ」


「お前はスリになれるな。じゃあ、今までのノート全部赤ペンで書いてたの?」


「うん、ノート真っ赤」


「こわ!人殺す奴のノートじゃん」


「うるせえ!」


 そんなことを言っていたら重が来た。俺の肩に手を置いて「ちょっといい?」と言う。

ちらっと桑原の方に目をやると、そっぽを向いて知らんぷりをしていた。

これは多分「俺のことは気にせず行け」と言う意味だ。


ありがたく好意に甘えさせてもらうことにした。

 

 誰もたむろっていない教室の隅まで移動する。


「どうしたの?」


「いや、渡しておきたいものがあってね」


「うん」


渡されたのは俺の筆箱だった。


「あ、それ、探してたんだー。ありがとう」


「落ちて頼みつけたんだ、それじゃあ、これから友達と購買行くし、じゃね」


あまりに会話がそっけなくて、後ろ髪を引かれる思いで言った。


「今日は一緒に帰る?」


「ごめん!用事があるから」と教室を出て行った。


「あ……」と俺の口から出た情けない声だけが残った。


 仕方なく桑原の所まで戻る。

桑原はその様子を見ていたようで、気まずそうに苦笑いを浮かべていた。

俺はその場をつくろうために言った。


「まあ、そんな感じで付き合ってるよ」


「お前の春もあっけなかったな……」


「はあ……」


 その後の授業はまったく記憶に無い。

ほんのわずかの期待を持ってバスに乗ったが、中には重はいない。

一人で乗るバスがこんなに寂しく感じるとは思わなかった。


 スマホでサブスクを開き、イヤホンを耳に入れて、普段は聞かない失恋ソングを聞いた。

こういった曲を自分から聞く機会が来るなんて想像もしていなかった。


そのうち、もっと音楽の世界にもっと浸りたくなって、徐々に音量を上げるようになった。


 家に着いた。


母は仕事を終えて帰宅しているようだった。


「おかえりなさい」と言ったようだが音楽が大きすぎて聞こえなかった。


 その後も何かを言ったようだが、よく聞こえなかったし、あまり聞く気もなかった。

部屋に入ろうとしたら、耳元で爆音の通知音が鳴った。


思わずイヤホンを放り投げた。


 画面を見ると重からメッセージが届いていた。


――今日はそっけなくしてごめん!明日は一緒に帰ろうね


 その言葉を見て、胸を撫でおろした。


 いままでは口元に汚れたフィルターを付けていたような感覚で息を吸うのもつらかったのに、その言葉を見た瞬間、早朝の山頂にいるようなさわやかな気分になった。


――ぜんぜん気にしてないから大丈夫!


とメッセージを返して、リビングまで行った。


 母が困ったように言った。


「もう、なんで無視したの?今日はお菓子貰ったから食べる?」


「ごめんごめん、ちょっと考え事してて」


「そういうところ、お父さんそっくりね」


 母はそういって貰い物のお菓子を運んできた。

彩度の高い青色系を配色したパッケージに、おしゃれな文体でSummerDaysと書かれている。

これは重が言っていた、ダーナにできたケーキ屋のお菓子だ。

中を開けると、青い着色がされた二枚のビスケットに、青緑色の着色されたクリームがサンドされている。


 確かに可愛かったが、その色合いに少し驚いた。

それを一口にしたが、かなり甘くて、それだけで十分だと思ってしまった。


だが『美味しい、美味しい、美味しい』と心の中で反復する。


そして「美味しい」と口に出して言ってみた。


 母は「なら、よかった」と笑顔で言っており、俺が虚偽の発言をしていることに気が付いていないようだった。


「このお菓子結構あまいけど、中にサンドされている苦いグレープフルーツの果実がそれを中和してくれるのよね」と母は教えてくれた。


 そう言われて、ビスケットを開けると、鮮やかなだいだい色をしたグレープフルーツが乗っかっていた。


どうやら一口が少なすぎて甘いところしか食べていないようだった。


 これなら俺でも食べられると思った。


もうひと口を食べる気にはならなかったが、明日、重に美味しいって言おう、と心に決めた。

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