第6話 7月19日

 銀行強盗から翌日、体に何かの異常が出たりしないか心配していたが、全くそういうこともない。寧ろ力が漲っている。強いて言えば、食欲が増えたことぐらいだろう。朝飯はご飯の二杯お食べたが、足りなくて、通学途中でコンビニに寄ってメロンパン2つを買った。


 一時間目は化学だった。いつもだったらすぐに眠くなるのだが、そういうこともなく集中できた。これもスーパーパワーの力だとしたら、一番ありがたいかもしれない。


 何事もなく一時間目が終わり、休み時間になった。俺が教室でいつのように桑原と会話をしていると、重が話しかけてきた。


「おはよー、体、大丈夫?」


「あー、ぜんぜん平気」


「昨日、あんなことしたのに?傷とかないの?」


「ぜんぜんないよ」


「へー、やっぱ、すごい体だね、あ、ちょっと友達に呼ばれてるから、また放課後ね」


「じゃあ、また」


 重は、風のように教室から出ていった。


 隣で会話を聞いていた桑原が言う。


「今の会話は教室でしていいやつ?」


「あたりまえだろ、勘違いすんな」


桑原の言ったことに対して、叩いて抗議する。そういうコミュニケーションは初めてかもしれない。


「いてっ、叩かれた」と桑原が言って、少し驚いた顔をした。


 桑原の勘違いはともかく、銀行強盗と戦闘しただなんて、教室で話していい話題ではないことは確かだ。銀行強盗を阻止した件は、ニュースでも稲妻男がどうとか、言われて報じられている。客観的に自分のしたことを見ていると、自分がどれだけ無鉄砲だったか思い知らされた。昨日は偶然上手くいったが、少しでも状況が違っていたら命を失っていた可能性だってある。気が付かないうちに、興奮して平常心を失っていたいたのかもしれない。


 考えてみると、その綱渡りぶりに身震いする。

もし強盗がもっと多かったら?もし俺が刺激したせいで人質の命が失われたら?もし俺が電気を飛ばすことができなかったら?

落ちたら即死だ。

もう、ああいったことには関わらないようにしたほうがよさそうだ。



  *



 予期せぬ事態が起こり、四時間目の途中で授業が中断した。

校内放送で、クラスを持つ教師は職員室に集まるように、という趣旨の放送が流れて、授業をしていた先生がいなくなったのだ。


 予想外の出来事にクラスは騒々しくなる。


「やっぱりあの、鉄砲の奴のせいかな?」


「多分そうだろねー」


 女子たちが、こうなった原因を予想し始める。中には、禁止されているはずなのに、スマートフォンを取り出して、ネットを見始める人もいた。


 十五分ほど経ったら担任の先生が神妙な面持ちでやって来て、騒がしいクラスを鎮めると口を開いた。


「えー、ニュースで見た人もいるかもしれませんが、昨日、東地区の銀行で強盗がありました。その関係で、先ほど、実行犯が所属していたグループから市内の学生を殺害するとの脅迫声明が出されたとのことです。警察から、この声明が本物であると発表があったため、皆さんの安全を考えまして、犯人が捕まるまで休校とすることになりました。帰宅の際は必ず大人の方と一緒に帰るように。携帯を使っていいので連絡してください。都合がつかない方は先生が送り迎えするので必ず申し出るように。もちろん毎日、宿題は出ます。校内サーバーで配布しますのでかならず確認するように」


先生の最後の発言で教室から軽いブーイングがおきた。だが場合が場合なのですぐ治まり、各々スマートフォンを取り出して連絡を取り始めた。

真剣な顔で怯えてる人もいれば、友達と楽しそうに騒ぐような人もいる。

みんなこの状況に現実感がないのだろう、まるでアトラクション前の行列のような空気だ。


 桑原もその中の一人のようで嬉しそうに寄ってきた。俺の神妙な面持ちを見て、茶化すように言った。


「どうした怖いのか?」


「いやそういうわけじゃないけど」


今はあまり話す気にはなかった。もし本当に学校が襲われて、怪我人が出たら?そう思うと、気が気ではなかった。この状況は、俺にも原因があるのではないかと思っている。


 銀行強盗を阻止したのはヒーロー的行動だったと自負するが、実は火に油を注いでいたのではないのだろうか。もしこの予告が通りに学校が襲われでもしたら、俺の責任でもあるのではないかと考えてしまう。


 また、綱渡りが始まってしまった。


 重はどこなんだろうか。と、ふと思った。

心に引っ掛かる異物を早く取り除きたくて、同じ秘密を抱えている人と話をしたかった。昼休みにタイミングを見計らって重に喋ろうとしたが、どこかに消えてしまい会えなかった。


――声明が出たのは三時間前のことだ。


穀京銀行を襲ったと自称したグループがSNS上に現れた。


自らを”火喰鳥”と名乗り、ピストルのような物の発砲動画と共に「銀行襲撃を邪魔した奴がいる、そいつらが名乗り出るまで無差別に学生を襲い続ける」とSNSで発言した。


 最初は悪質な悪戯と思われたが、警察が総力を挙げて調べあげた結果、アップされたピストルの発砲動画が本物であり、強盗犯が半グレ集団、火喰鳥の構成員だったということが分かったため、大事を取って休校となった訳だ。


市内の学校はすべて休校となり、なるべく大人数での帰宅が推奨された。


 スマートフォンを確認すると母親から「学校から連絡が来ていました。今日は仕事休ませて貰うので、家まで送ります。一時間くらいで着くと思います」とメッセージが届いていた。


 その画面を覗き見ていた桑原が「それはそうと、いやー困ったな」とわざとらしく肩を落として言った。


「俺、家近いから送迎いらないかと思って先生に聞いたら、だめだって言われたわ、どうしよっかなー親は電話でないしなー」


「……ちゃんと言葉に出したら送ってやるよ」


「えーどういう意味ー、いや迷惑はかけられないしなー」


「……」


「頼む送ってくれ」


「いいよ、母さんは一時間後くらいに着くって」


「菅原いいやつだなぁ」


 桑原は両手を合わせて大仰な仕草で頭を下げた。大げさな動作をするほど感謝の気持ちが感じ取れなくなるな。桑原が頭を戻して言った。


「てか、火喰鳥っていうの?邪魔した奴に報復したいのはまだ理解できるけど、学生を襲うのは理解できないよな。関係なくないか?」


「ほんとにな、変なことするよな」と適当に話を合わせる。


桑原が言うことも一理ある。俺が高校生だと見抜いて、この声明を出している気がする。だが、どうやって俺が高校生だと気付いたのだろうか。どこかのタイミングで強盗の奴らに顔を見られたのだろうか。


 記憶をたどると、銀行の裏口を守っていた強盗が重を見ているはずだ。そこで俺たちが未成年だと見抜き、炙り出そうといているのだと考えた。


となると、顔が割れている重が危険になる。


無差別に学生を襲い続ける、という発言から俺達のことを特定はしていないだろうと思われる。それに特定していたら声明など出さずに直接襲ってくるはずだ。


だからと言って安心できない。


「俺の推理では、火喰鳥を邪魔したって奴が学生なんだと思うな。だから襲うんだ」と桑原が俺と同じ推理にたどり着いたようだ。彼はありえないこととして、冗談で言っているが、真実だった。


だが、ここは当事者として否定しなくてはいけない。


「いや、それはあり得ないって。ニュースでやってたけど相手は武器を持ってたんだぞ。しかも集団で。学生が太刀打ちできるかよ」


「――何の話してるの?」


と入ってきたのは重だ。いつの間にか教室に戻って来ていたようだ。


「なんで脅迫されてんだろうって考えてたんだけど、俺は学生に犯行を阻止されたんだと睨んでんだよ」


 桑原の持論を「俺はそんなことはあり得ないって何度も言ってるんだけどね」と俺が反論したのを見て、その意図を察したのか、少しにやけて言った。


「ふむ、いやあり得るよ、ニュースでやっていた、人質に取られていた人の証言を聞いた?雷を操るって言ってたよ。たとえ学生でも、相手が武器を持ってたとしても、雷を操るんだったらなんてことないでしょ。悪を成敗するヒーロー稲妻男はまだ学生だったてことだね」


「重さんのいう通りだな!」


 嬉しそうに桑原に乗っかって、一番危険なのは重だっていうのに危機感が無い。だがその態度が不安を緩和してくれるような気がした。


「そういえば重さんってどうやって帰るの?」と桑原が重に聞いた。


「足がないから先生に送ってもらおうかなって思ってたけど」


「だったらさ、菅原に送ってもらえば?な、菅原もいいだろ?」


「え、俺はいいけど」


「ほんと?ありがとっ!」


と、なし崩しに二人を送っていくことになった。

 

 すると桑原が、得意げに俺の肩を叩き、耳元で「一つ貸しだからな」と囁いた。送っている時点でこっちに貸しがあるのだからチャラになると思うのだが。一応、スマートフォンで母に二人を送ることを確認してみたが、二つ返事で了解を得た。



 一時間ほど教室で待っていると着信があった。母が着いたようだ。

そのことを伝えると、重は教室に残っていた友達に挨拶して、その場を後にした。


 校内の駐車場にはいつもより多くの車が停まっていた。三人で、母の車である白いコンパクトカーを探す。


「もしかして、あのカッコいい車?」


 重が指さした先に母の車があった。二人は「お邪魔します」と挨拶して車に乗り込んだ。俺が助手席に、後部座席に二人が座る。母はハンドル右下のスタートボタンを押しエンジンをかけ、後ろを振り向いて二人に話しかけた。


「桑原君、お久しぶりね」


「あ、お久しぶりです」


 母が小さくお辞儀をし、桑原も同じくらいのお辞儀を返す。その後、重の方に向き直り、挨拶を始めた。


「そちらのお嬢さんは初めましてね。いつも璇臣がお世話になってます」


「初めまして、重桃っていいます。今日は乗せていただきありがとうございます」


「あらあら、ご丁寧にどうも」


「重ちゃんのお宅はどちらなのかしら?」


「東地区の穀京銀行前バス停の近くです」


「あら!事件があった場所じゃない、最近、物騒で大変ね」


「そうなんですよ」


「帰ったら一人でお留守番になるの?」


「はい、しばらくは帰ってこないと思います」


「だったら、もちろんご両親が良ければだけど、お母さまが帰ってくるまで夕飯一緒にたべましょうか?」


重は「え、いいんですか?ぜひお願いします!」と嬉しそうに首を縦に振った。


「桑原君もいかがかしら?」


「俺は遠慮しておきます。もう母さんがもう作ってると思うので」


「あらそう、遠慮しなくてもいいのに」


「――母さん、そろそろ出発」


 このままだと話が終わらなさそうなので、出発を催促した。


「あ、ごめんね」


母はそう言って、ギアをドライブに入れてアクセルを踏んだ。


 学校近くの道路は、送迎車が多数でいつもより混んでいたが、五分ほどで桑原の家に着き、彼を降ろした。


 車は自宅に向かう。


 重と母は十分ほどたわいのない話をしていたが、カーオーディオのラジオから流れてきたニュースで話が止まった。


――時刻は四時となりました。速報をお伝えします。先ほど火喰鳥から追加の声明が発表されました。そのままお伝えいたします。


――稲妻男へ告ぐ。今から二十四時間以内に顔と名前を公開しろ。さもなくば市内の高校生を一人殺す。以降、要求を呑むまで一日一人ずつ学生を殺していくからな。


――以上です。この声明はいわゆる稲妻男に向けられたものでしょう。椿さんいかが思われますか?


――これは迷惑な話ですよ。あの銀行強盗を警察に任せていたらこんな大ごとにならなかったはずです。


――自分勝手に正義を執行した自己陶酔野郎のせいで未来ある若者の命が危ぶまれているんです。


 重が真剣な顔でこちらを見ていた。不満げな顔をして、何か言いたいことがある顔だ。


 言いたいことがあるのは俺も同じだった。だが重とは意味合いが異なるだろう。こうなったのは俺のせいだ。反省と後悔で心がずきずきと痛い。


「怖い話ね、あなた達絶対に外に出たらだめよ」と母。


「そうだね」


と返事したが、守れそうになかった。


 自分が起こした火種は自分が消さないといけないと思う。



 その後、弾まない会話が続き、家に着いた。

着くなり、母親は食事の用意をするため、きびきびとキッチンに向かった。重は、脱いだローファーを丁寧に並べている。


 俺は母が完全に視界から消えたことを確認して言った。


「俺考えてたんだけど、ほかの人に被害が出るぐらいだったら、いっそ名乗り出たほうがいいのかな?」


重が答える。


「きっと名乗り出たら殺されるよ。わざわざ言うことを鵜呑みにする必要はないと思う。それに、私、火喰鳥と関わったことある人を知っているの。時間はまだあるし、そこに行ってみようよ。火喰鳥とやらも璇臣くんの力なら一網打尽じゃないの?」


 食卓からは、食器がこすれる音や、包丁が振り落とされる一定のリズムが忙しなく聞こえた。料理を始めたようだ。


 部屋に重を案内し、母親に聞かれないように扉を閉めた。

この部屋に女性が入ることに少し緊張したが、今はそんなことを気にしている状況ではなかった。


 重は部屋を一回見回して、言った。


「お母さんには悪いけど、夜ごはんまで待ってられないかも。早く火喰鳥を探さないと。なんとか被害者が出る前に探し出して、警察に突き出してやるんだから」と重は意気込む


その気持ちに俺も呼応する。


「警察に任せる時間はないよ。俺が叩きのめしてやる」


「よっしゃ、ちょっと電話かけてみるね」と重は言い、火喰鳥と関わったことある人物とやらに電話を掛けた。


「久しぶり、うん、ちょっとお願いがあるんだけど、あ、ほんと?よかった。うん、ありがとう。なるべく早く来て欲しい、うん」


 誰かに頼み事をしていたようだが、上手くいったようだ。ほっとした顔で言った。


「その友達に向かえに来てもらえることになったから、二時間くらいで出発できるから用意しておいてね。あ、お母さんにそのこと伝えて、謝りに行ってくるね」


 誰をよこしたのか知りたかったが、あっという間に部屋を出て行ってしまったので聞けなかった。仕方ないので重についていって、母に迎えがすぐ来ることになったから夕飯は食べれないと伝え、一緒に謝った。


 父は最近は家に帰ってこないので、料理はどうしても余る。それは明日の朝にでも食べることにしよう。無事に帰ってこれたらの話だが。夕食の件について母は心よく了承してくれた。母は心の底から優しいので後から小言を言わない安心感がある。


 部屋に戻ろうとなった時に、重は少し表情を硬くして言った。


「あの、トイレ借りてもいい?」


「あ、うん。廊下の奥にあるよ」


 少しどぎまぎした返答を返しつつ、先に部屋に戻った。

 

 これから銀行強盗を起こすような集団を探すのだから、荒っぽいことからは逃れられないだろう。それに奴らは俺のことを探っている。顔を見られないように注意するとしよう。目元を隠すための適当な布をリュックに詰め込み、動きやすいジャージとパーカーに着替えた。


 どうも落ち着かないので、どうやってここから出るか考え、気を紛らわす。

こんな状況で母に断りなしに抜け出そうもんなら、大騒ぎになるのは間違いない。

余計な心配を掛けたくないし、警察を呼ばれたりして詰問されたら面倒だ。


まずは重が先に帰る。


俺は夕食を食べてから、自分の部屋で勉強すると言って、部屋に鍵をかけて窓から外に出る。


部屋は二階だが、雨どいが地面につながっているので滑り落ちることができるだろう。


ふとしたきっかけで母に外に出ていることが知られる心配もあるが、母に勉強すると言うと、自室に入って来たりなどのコミュニケーションを取ろうしないので、発覚する可能性は少ないはずだ。


出発できるのは六時ごろで、帰ってくるのは十時以降だ。母は十時くらいに寝る、父は最近帰ってこないので、十時以降に戻ってくれば、外出したことを気付かれずに済むはずだ。


 おおまかな計画が決まったころに、重が帰ってきた。


「待たせてごめんね」



 二時間が経過した。時刻は六時半、夕飯もそろそろできる頃だろう。


「迎えが来たみたいだから出発できるよ」


 重に先ほどの計画を説明し、そのまま実行することにした。母に重が帰ることを伝えると、一緒に見送ると言ってキッチンから出てきた。


「気を付けて帰ってね」


「はい、今日はありがとうございます。ご飯、すいませんでした」


 重は綺麗にお辞儀をして出ていった。


「いい子ね、お友達かしら?」と母が言う。その質問の真意は他にあるような気がしたが、気付いていないふりをした。


「うん」と簡単に答えそのまま食卓に座った。


 さすがに俺も夕飯を食べないのは不審がられる。二十分ほどで飯をかき込んで「テスト勉強するから部屋に入らないで欲しい」と伝え自室に入った。


 スマートフォンに連絡が入り、重は近くの郵便局の駐車場で待っていると知った。


 さあ抜け出そうと窓を開けて外を見る。この部屋は二階なので高さはかなりあるが、不思議と恐怖心なかった。計画では、地面に繋がる雨どいにぶら下がり、滑り降りようと思っていた。だが、いざ窓を開けると、そのまま飛び降りるほうが早いだろうと思った。自分の体は普通ではなくなっている。普通の人間より強靭になっているのだから飛び降りても平気なのだと本能的に分かったからだ。躊躇することなく、下り階段の最後の段を飛び降りるぐらいの気持ちで、ジャンプした。


体が宙に浮き、一瞬で地面との距離が縮まり、着地した。


下半身に軽く痛みは走ったものの、すぐに治まり、動けるようになった。


どうやら体にダメージはないようだ。走ってもどこも痛むところはない。走って郵便局まで向かった。


 郵便局はもう閉まっている。数台分しかない駐車場に停まっている車は、黒いミニバンの一台しかなかった。俺がその車に近づくと、助手席側の窓が開き、重が顔を覗かせる。


「あ、来た、さあ、早く乗って」


 促されるままに後部座席のドアを開けて、乗り込んだ。車内はココナッツの芳香剤の匂いが充満している。唸るようなエンジンの起動音と共に、威勢のいいヒップホップが流れてきた。

ミニバンは、体が座席に押し付けられるほど勢いよく車道に飛び込んだ。唸るようなエンジン音とは反して、車の中は振動は少ない。


「ど、どうも」


 そういえば、そもそも友達が誰なのかも聞いていない。どういう交友関係を築けば高校生で、車を所有する友達ができるんだろうか。それに火喰鳥を知っている人物だなんて、そいつもまともなのか不安だ。


 運転席から返事が返ってきた。


「君がももちゃんの友達だっけ?」


「はい、よろしくお願いします」


「そう固くならないでよー、俺、タケル。知ってるでしょ?韻暴論のタケルだよ?」


韻暴論は地元出身の人気ヒップホップグループ。前に桑原から教えられてPVを見たときに、この人のことを見たかもしれない。確かアルファベットでTAKERUと書くんだったと思う。

 重が知り合いとは、前から言っていたけど。だけど、まさか呼ぶことができるほど仲がいいとは。


「ええ、まさか会えるなんて嬉しいです」


と、彼のぐっと距離を縮めてくるコミュニケーションに合わせるために、少し過剰に喜んだ。


「やっぱ知ってくれてるんだ?ありがたいねー。まあこのあたりで俺のこと知らないやつのほうが珍しいか?まあ曲の再生数が五百万超えてるからね、しかも公開初日で五十万回再生だぜ」


「俺のクラスではみんなが知ってるくらい人気です」


「おー、ありがたいこと言ってくれるね。そりゃあ再生数五百万だから知ってるよね」


 再生回数について二回も言った。そのことについてよほど自信があるようだ。



「そうだ、火喰鳥を探してるんだって?俺も一人知ってるよ。いやーそいつさ、駆け出しのころは俺らのことを野良犬を見るみたいな目で見てたくせにさ、有名になった途端に逆に尻尾振りやがってさあ、まあムカつく野郎だとは思ってたんだけど、まさか銀行を襲うような極悪だとはな。すると、君も相当痛い目見せられたんだろう」


「はい」


「まあ、詳しいことは聞かないよー。仕返しだろうが、弟子入りだろうが、もし、あんたが警察だったとしても、何だってすればいいよ。ただやりすぎんなよー。クスリでもなんでもパクられねえ程度にやるのがここで上手くやっていくコツだからね。あと、万が一、もし殺しちゃった場合は穀京商事っていうスクラップ工場で隠蔽してくれるって噂だよ、あくまで噂ね」


「は、はい」


タケルさんがハンドルを握る腕から、ちらちらと入れ墨が顔を出す。彼は喋るのが好きなようで、一言、返事するだけで立て板に水のように喋る。それに本気なのか冗談なのか分からない情報を教えてくれるので、返事に困る。


 ただの喋ることが好きな、若い男性のように思えるが車のシートからはみ出る程、体に厚みがあって、絶対に怒らせていはけない人だとわかる。


 だから、尚更、返事に困る。見かねて重が助け船をくれた。


「タケルさん、璇臣くんに変なこと教えないでよね」


「ちょっとちょっと、変なことじゃないよー。いまから相当やばいやつに会うってこと忘れてない?ちゃんともしもの時を考えないと。火喰鳥ってかなりやばいところとつながってるって噂だよ?気を付けてね。こんな、いいところに住んでる坊ちゃんと交わるような人種じゃないよ?」


 彼は、最後に、皮肉交じりの心配を口にした。

その軽く見下した言い方が頭にきて、突っぱねた言い方で返してしまった。


「まあ、みててくださいよ。目にもの見せてやりますよ」


「お、いいじゃない。その言い方、意外といいタマしてんじゃないのよ。それだったら大丈夫だー。今から行くのは東地区のクラブ、ニルバアナ。火喰鳥の田山がそこのオーナーやってる。この時間帯だと客はまばらだろうから邪魔されることは無いはずだよ。さあ、急ごうか」


 ミニバンは込み合う車の間を縫うように走る。

あっという間に東地区に着き、歓楽街に入った。



 今の時刻は八時。


 道は人の騒ぐ声とクラクションの音が混じりあって、妙な騒々しさがあった。

ある路地の一角に極彩色の光が漏れ出ている施設があり、そこに車が停まる。その光の漏出先である入り口の上には、青いネオンサインでNIRVANAとある。


「俺が連れてきたって絶対に言わないでよ、面倒事はごめんだからねー?まあ、ももちゃんなら大丈夫だろうけどね」


 俺たちがお礼を言って車から降りた瞬間、逃げるように車を走らせてどこかに消えた。


リュックから布を取り出し頭に巻く。準備はできた。いざ守山とやらを探さねば、と思っていたが重に止められた。


「待って、どこから入ろうとしてたの?」


「普通に入り口から」


そう返すと、重は財布から何かを取り出して言った。


「璇臣くん、これ使いなよ」と渡されたのは運転免許証だった。


 氏名には重 敏(かさねさとし)とある。


「入り口で未成年を入れないためのIDチェックがあるだろうから、それみせたらいいよ。蒸発したお父さんのだから無くさないようにね」


顔写真を見ると、精悍な顔だが、目元が重に似ていてくっきりとしている。


 俺の顔とは全然違うし、生年月日から計算すると今年で45歳になるはずだから、さすがに別人だとバレる気がする。だが入り口以外の入るところがわからないので仕方ない。IDチェックがないことを祈ろう。ポケットに免許証を忍ばせ、入り口に向かうとまた止められた。


「あ、あと顔の布、付けたままじゃさすがに不審者すぎるよ」


「あ、そうか」


 頬が少し熱くなった。

顔の布をほどき、ジャージのポケットに詰め込んだ。


 当然、免許は一つしかないので、未成年である重は中に入れない。重は外で待っていることになり、俺一人で乗り込むことになった。


 入り口に料金が書かれていて、見ると3000円もするらしい。財布を確認すると8000円しかない、痛い出費だが仕方ない。



 ニルバアナの中に入った。

中は妙に湿気がありジメジメしている。ミニカウンターにいる店員が俺に何か喋りかけてくる。

何かを要求されたようだが、バスドラムの音にかき消されて、何も聞こえなかった。

さっき言っていたIDチェックだろうと予想して、財布から運転免許証を出して見せた。


 店員はそれをちらりと見ただけで済ませた。

恐らく運転免許を持っている、ということだけで未成年ではないと判断したようだ。


 料金を払い、ドリンクチケットとやらを受け取り、階段を下った先にあるらしい、ダンスフロアに向かった。



 ダンスフロアの中はアルコールと香水の匂いで充満している。バスドラムのタイミングに合わせて、照明が万華鏡のように移り変わる。音楽に合わせて踊っている客や、男女でじゃれ合う客など、誰も俺のことは見ていない。


 顔を認識されないよう、目元を、持ってきていた布で隠した。


 ドリンクの受付口にいる店員に「ここのオーナーに用事があるんですけど、どこにいます?」と音楽に負けないように大声で言う。


店員は怪訝な表情で俺の顔を見ながら「はあ、何の用事?」と言った。


「ここでライブしたいので、話をしたいんですけど」と適当に話を作る。


「そんなもん、知らんよ。で、飲み物は?」


「え?」


「ここ飲み物販売するところなんだわ、案内所じゃないの、分かる?」


「……」


その馬鹿した言い方を聞いて顔が熱くなったが、ぐっと堪えてこの場を離れた。


昂った気持ちを抑えるためにうろついていると、流れていた曲が止まった。


「「この素敵なクラブを提供してくれたオーナーの田山に声援を!!」」


 ステージに立つDJが叫んだ。

すると舞台袖から、得意げに手を挙げた男が出てきた。それと同時に音楽が再開する。

短い金髪を整髪料でかっちりと固めた頭で、張り付いたような笑顔。光沢のある青いストライプスーツを着こなしている。


 彼の登場とともに曲が盛り上がり、観客が黄色い声援を送った。ここでは随分人気者のようだ。彼は田山と呼ばれていた。探していた男が、まさか向こうから出てくるとは、探す手間が省けた。


 昂る気持ちが、揺れる観客たちを押しのけ、ステージに向かわせた。


「おや、随分、熱狂的なファンがいるようだね?」


 田山は恐らく俺のことをファンと勘違いしているようで、ステージまで上がってきた俺を、両手を広げて迎えてきた。


もちろんそれに答えずに、首元を掴んでDJブースに押し付けた。


その振動で、曲が不自然に飛んでそのまま再生が止まった。


先ほどまでの喧騒とはうってかわって静まり返る。


 DJは既にどこかに消えていた。田山は腰を抜かしたようで、尻もちをついたまま後ずさりする。


「お前、火喰鳥の一味なんだって?」


「な、なんのことだよ?知らねえよ」


 田山は「離せよ」と叫んで、俺の太ももを蹴った。


「……そうか」


 彼が逃げないように肩を掴み、尋問をする。

手に軽く力を込めて電流を流してやると、田山は「あああ!」と叫び、跳ね上がる。


「いいか、本当のことを言うまでやるぞ」


「あ、あんたが例のい、稲妻男か?がきだっていうのは本当だったんだな、お前のせいでうちはボロボロだ、許せない、あああ!」


 その口ぶりからして火喰鳥ということで間違いないだろうと確信した。だがまだ反抗するようなので、念押しで電撃を食らわせた。


 田山は弱弱しく言った。


「いてえよ、くそっ……分かったよ、俺が火喰鳥だよ、だからどうしたってんだ、俺は銀行強盗なんかしてねえぞ。俺はまともに金を稼いでるんだから許してくれよ」


「火喰鳥の他の奴らの居場所を教えろ」


「それはできねえよ……」


 彼は会場を見渡し、助けを乞う。


「誰か見てるだけじゃなくて、こいつをどうにかしてくれよぉ」


 会場から助けが出る気配はなく、ただただ、この一部始終をスマートフォンで録画している連中がほとんどだった。どうせその動画はSNSに公開される。だったら利用してやろう。


 拳をスパークさせて、見せつけるように田山の顔の前まで持っていく。

すると彼の顔面はみるみる青白くなり怯えた表情を見せた。


「わかった……教えるから、もう電気はやめてくれ……成田ビルだ」と小声で言った。


「成田ビル?南地区の成田ビルか?」


「ああ……そこの二階を事務所代わりにしてる……教えたろ?これ以上は勘弁してくれ……」


 成田ビルのことは知っている。俺の家から二十分ほどの五階建てのオフィスビルだ。

中学の頃に通っていた学習塾のはす向かいが成田ビルだったので、なんとなく記憶に残っている。


「嘘じゃないという証拠は?」


「これを見てくれ……入館証だ」


 彼はジャケットの内ポケットから財布を取り出し、そこから黒いカードを抜く。

そのカードには、金色の字で”成田ビル入館証”と書かれていた。適当なビルの名前を挙げてはわけではなさそうだ。


 念のために田山の目を見るが、嘘をついているようには見えない。ひとまず彼を信じることにした。


「ああ、それ取らないで……」


 入館証を奪い取りポケットにねじ込んだ。

これで敵の本拠地は分かった。

だが、もう一つ仕事がある。敵のターゲットを自分に集中させることだ。


関係のない人に被害が出るのは避けたい。


 観客から向けられるカメラを利用して、火喰鳥に向けた宣言をする。


「いいか、火喰鳥。俺の顔と名前が知りたいのなら今夜、直接、出向いてやるから、好きなだけひん剥いてみろよ。だからかかってこい」


 他に被害が出る前に、こっちから出向いて組織を崩壊させてやろうと思った。

騒然とする会場を背にクラブを出た。誰にも見られていないところで顔をさらけ出して重を探す。


 スマホに重からの連絡が来ていた。ここから少し歩いたところのコンビニにいるらしい。



 五分ほど歩いてそのコンビニに着いた。

先に重が俺に気づいた。


「あ、帰ってきた、どうだった」


「収穫あり」と俺は奪い取ったビルの入館証を重に見せた。


「南地区の成田ビルが火喰鳥の本拠地らしい、そこに向かうよ」


「だったら私もいくよ」と重が返す。


「危ないから、ここからは一人で行くよ」


「でもここから一人でも帰るのも危ないし……親には泊まるって伝えてあるし……」


そういえば重のこと全く気にかけていなかった。


 彼女の安全を考えるなら、治安の悪い歓楽街で一人にしていいわけがない。


「そうか……まあ南なら一人でも大丈夫だろうから、そこまでは一緒に行こう」


 南地区まで向かうために、人生で初めてタクシーに乗った。

運転手に行き先を伝えると、無愛想に「はい」とだけ返ってきただけで、それ以降は到着まで無言を貫いた。


今は世間話をする気分じゃないのでそれがありがたかった。



 三十分ほどして目的地に着いた。運賃の四千円は重と割り勘にした。


タクシーを出て、重が言う。


「ねえ、ネットすごいことになってるよ」


と言って、スマートフォンを俺に渡す。


 さっきのステージ上の行動がSNSで拡散されて、ニュースになっているようだ。

インターネット検索エンジンのトップページに、クラブの客が撮った動画と犯罪心理学者による犯人像の分析の記事が載っている。

記事を開くと、画面の上半分で動画が自動再生された。


 犯罪に詳しい椿という男による、犯人、つまり俺の分析はこうなっていた。


”強い願望を持つ犯人が、犯罪組織に対して欲求不満をぶつけているようだ。


だがその願望は、他人を救うためではなくて、他人を制圧したいという願望が見える。


挑発的な言葉遣いからみても、自らの攻撃性を抑えきれていない。精神的に未熟な部分があるように思う”


 重はそれを見て「なんか嫌な感じだね。璇臣くんはそんな人じゃないのに」と嫌悪感が混じった声で言った。


しかし、学者が言うように、かっとなった勢いのままステージに上がって行動を起こしたので、これは間違えてないかもしれない。


恥ずかしさと後悔の気持ちが心を乱すが、深呼吸して平静になるように努める。


 重にスマートフォンを返すと、すぐに別の記事を探しだす。


「うわ、すごい記事あるよ。なんでも警察の機動隊が出動するなんて話らしいよ」


彼女が読み上げた記事によると、警察は警備を強化し、いつでも機動隊を出動できるように準備をしている、とのことらしい。


 警察は、火喰鳥の本部が成田ビルにあることを知っているのだろうか?

知っていたら、最初の脅迫声明の際に何かしらの動きを見せているだろうから、恐らく知らないのだ。

記事の動画からは田山から聞いた本拠地の声が聞こえなかったので、そこから割り出すこともできないだろう。


 いっそのこと警察と機動隊に知っていることを喋って、すべて任せてしまうのもありだろう。

だが今までのことをすべて説明する必要が出てくるだろうし、自分も何かしらの罪を問われるだろう、なによりも親に伝わってコテンパンに怒られるのが気乗りがしない。


 しかも俺には電気を生み出す能力があるのだ、警察に任せなくたって俺一人でやれるはずだ。なんせ、強盗の集団に一人で立ち向かったのだ。


今回も大丈夫なはずだ。


動画の再生が終わると、重が不安そうな顔で言った。


「動画で言ってたことホント?」


言ってたこと、とはカメラ上で叫んだ”いいか、火喰鳥。俺の顔と名前が知りたいのなら今夜、直接、出向いてやるから、好きなだけひん剥いてみろよ”のことだろう。


 かっとなって言ってしまった部分はあるが、火喰鳥の矛先を俺一人向けて他に被害が出る前に事件を解決したい気持ちは本当だ。


「本当だよ」と返すと、重はさらに不安そうな顔になった。


 その顔を見ると、今朝の不安な気持ちを思い出した。


思い出しはしたが、その感情は今の自分のものではない。それは、どこかに追いやられていた。


 ふと、インターフェース上に表示される再生回数を確認すると、百万回も再生されている。

これは、県内人口以上の再生数だから、全国的に視聴されているようだ。


これなら陰謀論の曲の再生回数を余裕で超えそうだ。



  *



 成田ビルから五分のところに二十四時間営業のカラオケがあるので、重にはそこで待ってもらうことにした。


 重はオレンジ色の財布を手に持ち、札入れのスペースからごそっと紙を取り出す。

ちょっとしたすけべ根性でバレないようにそれを目視すると、お札は一枚も入ってなくて、全部なにかのクーポンみたいだ。お金はタクシー代で無くなったらしい。


 重は紙束の中からカラオケ1時間無料クーポンを探し出して「ふふ、これ使えるね」と嬉しそうに言った。

その姿を見ると、何とも言えない気持ちになって無意識に自分の財布を取り出していた。


「この二千円をカラオケ代に充てなよ。今度返してくれればいいし」


 二千円あれば朝まで利用できるだろう。

重は申し訳なさそうに受け取ると「今度お小遣い貰ったら返すね」と言った。

懐はかなり寒くなっているが、俺の仕事に付き合ってもらっているようなものだから仕方ない。


 ただ、これは高度な作戦なのかもしれないと少し思った。

その代わりといってはなんだが、俺からもお願いすることにした。


「あ、そうだ、代わりにあれお願いしてもいい?充電」


「充電?なんだっけ」


「お尻を蹴るやつ」


「ああ、気に入ってたの?あれ」


「うん、少しね」


 重は怪訝な顔をしながら俺のお尻を蹴り上げた。



 外はかなりパトカーが走っていた。

このあたりで、こんなに走っているのは初めて見た。ひとたび騒動を起こせば、彼らはすぐにでも駆けつけてくるだろう。そして俺はこれから騒動を起こすのだ、警察との衝突も免れないかもしれない。


 いくら電撃が使えるといったって、何十人の機動隊に囲まれたら手も足も出ないだろう。

顔を隠している布を剥がされ、素顔が露わになって、それがニュースで報道されることを考えたらゾッとする。


 絶対関わらないようにしようと心に決めて、顔に巻き付けた布の結び目をきつく絞り、成田ビルの敷地に入った。こんな時間なので、人は誰もいない。入る前に外観から明かりを確認したが、どの部屋にも光が灯っていないように見えた。

廃墟を探索しているとしか思えないほどに静かで不気味だ。


 確か二階を事業所にしているといっていたな。

階段を上がり、そこにあったドアプレートには”(株)ジョナサン”とあった。外見も会社名も、何も変哲もないオフィスのようだ。


 ドアノブに手を掛けようとした時、背後から足音が聞こえた。


さっきまでまったく気配を感じなかったはずだが、足音からして、同じ階にいる。


ドアの開閉音などは聞こえなかったのでどこかの部屋から出てきたわけでもないだろう。


とすると、初めからその場にいた、つまり、待ち伏せなのか。


 ドアノブから手を放し、後ろを確認しようとした瞬間、頭に大きな衝撃が走った。


脳が揺れ、視界が白いもやで覆われた。


ぼやける意識の中で聞こえてきた会話をかろうじて聞く。


「こいつが例の稲妻男か?」


「みたい、ここに一人で来るとかいかれてるだろ」


二人の男。


どこに隠れていたのか分からなかった。気配は完全になかった。


 崩れ落ちた体が床に衝突する寸前で、体のコントロールを取り戻した。咄嗟に両手を前に出し、そのまま床に突っ伏した。


「田山から漏れたんだろ?田山はシノギは固えけど玉無しなんだよ、切ったほうがいいんじゃねえの」


「いや、臆病すぎるほうがコントロールしやすくていい。田山は庭に生えた金の生る木だ、枯らさずに大事に世話してやれ。さあ、こいつを穀京商事まで運ぶぞ」


「へいへい」


すんでのところで受け身を取ったことに二人は気付いていない。さっきは不意打ちを食らったが、次はこっちの番だ。


 男に足首を掴まれ、そのまま引っ張られたので、思いっ切り蹴り上げた。男の顔面に当たり、怯ませることに成功した。


その隙に立ち上がり二人の男を確認した。


 皺のないスーツを着たスポーツ刈りで長身の男と、だぼだぼの服を着たドレッドヘアの長身の男。正反対で交わることがないような人種の二人だ。


 離れて見ていたスーツの男は眉間に皺を寄せながら言った。


「おい、こいつ起きてたのか」


声からすると四十代ぐらいだろう。顔面に刻まれたの数々の皺が険しい表情を形作っていた。


蹴りを受けたドレッドヘアはとぼけた顔で言う。


「いや、おかしいね。がっつり脳みそ揺れて死ぬぐらいに殴ったのに」


 ドレッドヘアは鼻から垂れた血を舌で舐めとると、俺のことを好奇の目で見る。


「まあいいや、時間も時間だし、平井さんは逃げたほうがいいんじゃないの?警察に見られたらまずいっしょ」


「ああ、そうさせてもらうよ。後は頼んだ、なんだったらここで殺してもいい」


「へい」


 スーツの男は背を向けて、その場を去った。

こいつを追わなくてはいけない気がするが、ドレッドヘアがそうはさせないだろう。


 さっきとは違い血走った目をしている。


「そこの君、ちょっと邪魔しないでもらっていいかな?」


「断る」


「まあそうなるよね」の言葉と同時に、ドレッドヘアは一気に間合いを詰めてきた。


腹を狙って左拳が飛んできたが、体を捻って避けた。


が、頬に強い衝撃が走った。


 彼は最初から、右拳で顔を狙っていたようだ。幸い意識はあるが、当たりどころが悪かったら意識を失っていただろう。


お返しに右頬を殴り返した。


 殴られた後だったので全力の力は籠められなかったが、電撃を食らわせてやった。

しかし倒れていない。今までの経験からして気絶するはずだ。


 いったん距離を取り、隙を探る。


「あれ、電気きた。稲妻男って本当だったのか。やっぱり俺と一緒な感じ?」


一緒な感じ、とはどういうことだ。俺のような人間がほかにもいるのか。


「それ、どういうことだよ」


「ふーん」


 ドレッドヘアは答えずに、廊下の消火器を手に取り、殴りかかってきた。

何とか、後ろに飛び避けたが、消火器は壁に当たって大きく凹み、壁は崩れ落ちてコンクリートがむき出しになった。

人間とは思えないとんでもない力だ。これは迂闊に近づいてはやられてしまうだろう。


 強盗を撃退した時に一度だけやった、電気飛ばしをもう一度やるしかない。


ドレッドヘアはこちらを向きなおし、再び殴りかかってきた。


あの時を思い出して右腕に力を込めて、突き出した。


右腕に痛みが走り、そこから生じた稲光がドレッドヘアまで走った。


 奴の動きが止まり、消火器が床に落ちた衝撃音が響くが、すぐに立て直し消火器を拾いなおす。気絶させるまでにはいかなかったようだ。


「おい、稲妻男、その電撃はどうやって出してるのよ?」


返事は返さずに無視する。


会話で気をそらし間合いを詰めるつもりだろう、ゆっくりと近づいてくる。


いいだろう。今度は気絶するくらいのパンチをお見舞いしてやる。


 俺が拳を構え直すと、ドレッドヘアが「電気があるんじゃ正攻法じゃ無理だな」と独り言を言い、消火器の黄色のピンを引き抜いた。


ホースをこちらに向けて消化剤を噴出し、廊下はあっという間に白い煙に包まれてしまった。


布で顔を覆っていたため、かろうじて呼吸はできるが視界は失われてしまった。


さっきまで奴がいたところまで飛び移り、闇雲に殴りつけてみたが空を切るのみだった。


 次の瞬間、右横に気配を感じたので反射的に腕を上げてガードし、そこに鋭い痛みが走った。その一瞬の間に認識できたのは、消火器で殴りつけるドレッドヘアの映像だった。


すぐに胸部に鋭い痛みが走り、後ろに吹っ飛んでしまった。


廊下の壁に後頭部をぶつけて、意識が朦朧としてくる。


胸を蹴り上げられたせいで、呼吸もつらい。


 消火剤が沈殿し始めたようで視界は元に戻りつつある。奴は消火器を片手に近づいてくる。右腕は鋭い痛みで動きそうにない。


 もはやここまでかと諦めかけたところで、パトカーのサイレンが鳴り響いた。


「もう、時間か。稲妻男、救われたな」


ドレッドヘアはそう言い残し、消火器をその場に放り投げて離れ去る。


 俺は安堵と悔しさの感情に飲み込まれるように意識を失った。



  *



 中学生の頃を思い出していた。

中学三年、ボクシング部最後の試合。その日は珍しく父が試合を見に来ていた。


だが相手は俺より技術も闘気も優れていた。


 父の前で滅多打ちにされる恥ずかしさと悔しさと不甲斐なさに毒されて、降参しようかとも思ったが相手が勝利を確信して笑ったのを見て、血が逆流する感覚を覚えた。


俺の放った左フックが相手に決まり、その試合は勝つことができた。


 試合の後、父が笑顔でお前が勝つことは分かっていたと言ったいったのを鮮明に覚えている。とても嬉しくて、何とも言えない高揚感は忘れ難かった。



――頭と腕の鈍痛で目を覚ました。


 体を生暖かいものが這っている感覚がある。どうやら出血しているようだ。


それですべてを思い出した。


さっき俺はドレッドヘアに気絶させられたんだ。そのこと思い出した途端に怒りが込み上げてきた。


 顔に纏わりつく血液をふき取り、立ち上がったが、怒りをぶつける相手もなく、ただ外に出た。


 そこはただならぬ様相だった。


道路は辺り一帯、パトカーによって封鎖され車が入れないようになっている。


やじ馬と何社かのマスコミが何かを取り囲むように集まっていた。


――人気の少ない深夜の街中で発砲を繰り返した男は、駆けつけた警察官と銃撃戦を繰り広げ、被弾した警察官を人質に取っている模様です。


――被弾した警察官は肩と下半身に銃弾を受けて重症。予断を許さない状況と言えるでしょう。


――機動隊が鎮圧にあたっていますが打つ手がないようです。


――この男は、学生襲撃の予告をしていた、火喰鳥の一味だと思われます。


 リポーターがカメラに向かって早口で言う。

カメラをセッティングするためにせわしなく動く彼らとぶつかりながら、その中心に入っていくと、二十人くらいの機動隊が何かに向かって盾を構えている。


 彼らの視線の先には知った人影がいた。


ドレッドヘアだ。


その足元には血を流して倒れている警察官がいた。


 青白い顔でかろうじて息をしているが、このままでは助からないだろう。

機動隊は怒鳴り声で警官を引き渡すように言うが、無視を貫く。


 それどころかドレッドヘアは警察官の首元に銃を突きつけた。そのせいで観衆からざわめきが起きる。


しかしすぐに銃を放し、笑みを浮かべた。


機動隊を挑発しているようだった。


 機動隊は彼にゆっくりとにじり寄ろうと試みる。一方でドレッドヘアが銃を警察官に突きつけてけん制する。


そのような膠着状態がしばらく続いた。


そして、ドレッドヘアが突きつけた銃を戻した瞬間に、機動隊が催涙ガスを投げ込んだ。


 白い煙があっという間にドレッドヘアを覆い隠し、顔全体を覆ったガスマスクを付けて盾を手にした3人の機動隊がその中に突入して、警察官を救出に向かった。


ふと嫌な予感がした。


さっきあいつに打ちのめされたとき、消火器の煙の中から攻撃された。


 あの時のような粉末が宙に舞っている状態では視野は確保できないし、さらに目に入り込むことで視界は奪われるはずだ。


だが、全く意に介していなかった。


考えるにあいつも何らかの力を持った人間なんだろう。


 実際、あいつは異常な力を持っている。俺が夜目が効くようなったように、常人離れした能力を持っている気がする。


煙の中で何かを殴打したような音と、くぐもった悲鳴が聞こえる。


 機動隊の一人が吹き飛んで観衆の中に転がり込んだ。

ここぞとばかりにカメラを向けるマスコミや悲鳴を上げる一般人。

防護服のおかげで命はあるようだが、ぐったりとしている。

手に持った防御用の盾は半分に割られており異常な衝撃が加わったのが見て取れる。

救急隊員が飛んできて、手際よく彼の防具を外していく。


 血まみれになった彼の防具を見て、観衆はざわめき立ち、機動隊ですら逃げ腰になっているようだった。

催涙ガスが効かないのだから無理もない。


だが、このままではあの警官も助からないし犠牲者も増える恐れがある。


 さっき殴られた頭と右腕はまだ痛むし、特に右腕は上手く動かせないが、ここであいつに対抗できるのは俺だけだろう。


そしてなによりも、仕返しをしてやりたかった。


「ちょっと借りるよ」


「あ、おい!」


 飛ばされた男の救助に当たっている救急隊員から、外されたガスマスクを奪い取って着けたが、かなり血の匂いがする。


目を覆うシールドが血で濡れていたため、手で拭い視界を確保した。


 最後に深く息を吸い、煙の中に入った。


傷口に煙が入り込みかなり痛むが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

煙の中から幽かに見えるドレッドヘアのフォルムがだんだんと大きくなっていく。

それがこっちに気づいたようで、ゆらりと動いた。


次の瞬間、銃声のような破裂音が響き、反射的に足を止めた。


「おいおい!稲妻くんじゃないか。いま大事な仕事中なんだから邪魔しないでくれよ」


状況にそぐわない明朗な声が飛んできた。


「うるさい、早く怪我人を開放しろ」


「いや、むしろちょうどいいのか?まあそれはおいといて。いいか、今、この銃には弾が一発残っている。もし電撃を放ったら俺の足元に転がっている男を撃つ。もしこれ以上、近づいてくるならお前の頭を打ちぬく。お前には、これ以上もうどうしようもできねえよ。さっさとここから立ち去ってくれ」


「もし立ち去ったら怪我人はどうなる」


「まあ、死ぬだろうな」


「そういうことだったら立ち去るわけにはいかないだろ」


「変なの。なんでだよお前?」


「俺がそうしたいからだよ」


何とかあいつに近づきたいのだが、銃を突きつけられているため、動くに動けない。


「この煙の中でどうやって俺に当てるつもりだよ」


「俺は鼻が利くし狙撃には自信がある。動いてたって百発百中だぜ。次はこっちの質問にも答えなよ、稲妻君はなんで電気出るのよ」


「さあ。こっちが知りたいよ」


 こうやって空虚な会話を続けてる隙に接近を試みるが「おいおい、動くなよ!」と大声で制止されてしまった。


「銃口はしっかりお前の頭を狙ってるからなー」とふざけた言い方で言うが、本当のことだろう。


本当のことだからこそ、俺は賭けに出ることにした。


下半身に力を込めて地面を蹴りだした。


 俺が走り出したことに気が付いたドレッドヘアは「てめえふざけんな!殺してやるわ!」と怒鳴った。

その怒鳴り声のすぐ後に、破裂音が耳をつんざき、車と衝突したと錯覚するような衝撃が来た。


 確かに銃弾は頭に当たったようだが、意識はまだあった。

どうやら賭けに勝ったようだった。


 奴の撃った銃弾はこめかみのすぐ横を通り過ぎていった。ただドレッドヘアの狙いが外れたわけではない。


 それはまっすぐ俺の額に飛んできたが、ガスマスクのシールドに着弾して弾道が逸れたのだ。


「おい、外れたのか!ふざけんなよ!言っとくけど銃がなくたってこいつは殺せるんだからな」とドレッドヘアは声を荒げる。


 ドレッドヘアが激高している隙に、奴の人相が分かるほど接近した。

奴は右足を高く上げる。その狙いは警官の頭だ。振り下ろされれば警官の命はないだろう。

思わず拳に力が籠ったが同時に痛みが襲ってきた。


 シールドに空いた穴からガスが侵入している。早くここから立ち去らないと、視界を奪われ行動不能になってしまうだろう。


 チャンスは一回だ。


 一回で奴の隙を作り、警官を奪取する。

殴って隙を作るのは、今の手負いの腕じゃ頼りなさすぎる。

だったら電流を飛ばすしかない。

奴が足を振り下すより早く電気を放った。


 奴は言葉にならないような呻き声をあげ、一度足を地面に戻した。


警官のことは諦めたのか、俺と対峙するように向きを変えた。


やはり電気だけじゃ威力が足りないようだが、標的を変えることはできた。


そして、俺はもう射程圏内に飛び移っていた。


 俺は高くジャンプして奴の額に頭突きを食らわせた。

奴が力なく膝をついた隙に、テーザーガンを手にした機動隊が飛び出してきて、場の制圧に掛かった。


 数名の機動隊が一斉にテーザーガンを発射する。


二発の弾がドレッドヘアに命中し、痙攣とともに倒れ込んだ。


 俺にもテーザーガンが放たれ電流が流れ込んだが、何ともなかった。

俺の体は外部から与えられる電流に耐性があるようで、痛みはあるものの、体は問題なく動くようだ。


 さすがのドレッドヘアも、この状況ではなすすべもないだろう。


そして次の標的は俺になるはずだ。


俺は機動隊との衝突を避けるために、この場から去った。

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