第4話 17日 警察署にて

 捜査副係長有栖、松野巡査が配属されている穀京警察署は穀京市東地区にある。

東地区は犯罪が多発しているため、事件の解決には体力、スピード、正確さ、そして刑事としての勘が備わっていないと、やっていけない。

そのため穀京警察署に配属された刑事は出世するか、潰されて警察を辞めるか、どちらかの道を歩むことになる。


 その中でも有栖は出世コースに乗っている。


「依頼していた捜査に進展は」と有栖が感情の無い声で松野に言う。


「は、はい」とおどおどした声で松野は返事をした。


 彼が穀京警察署刑事課に配属されて一年になるが、いまだに捜査副係長の有栖には慣れていなかった。

屈強な体格を持ち、学生時代は柔道で全国大会にも出場したほど腕には自信がある。人に恐怖など滅多に感じたことのない松野だが、有栖のことは心底恐ろしいのだった。

それは、彼女と仕事をしてひしひしと感じる凶暴性と、犯罪者に罪を償わせんとする正義感が共存している違和感からきているのかもしれない、と松野は考えていた。


 松野がそれを初めて感じたのは、彼がここに配属されてすぐに起きた暴力団員殺人事件からだ。


 一年前に、暴力団である黒曜会の構成員の遺体が、黒曜会事務所前に遺棄されるという事件があった。

その遺体には凄惨な暴力の痕を残しており、肋骨が露出するほど遺体は破壊され、さらに頭部が切断されていた。

検視の結果、切断に刃物などは使われていないと判明。

切断面の組織の損壊が激しく、頭部に五箇所の強い圧力が掛かっている状態から、頭部を鷲掴みした状態で人力で引き離されたと分析された。

あまりに残酷な状態なため、署内では人がやったと信じる者は少なく、組が飼う熊がやった、と噂されるほどであった。


 有栖は、波多野巡査長と共に、黒曜会の敵対暴力団である頭黒森組の犯行と推測して調査を進めていたが、その途中に波多野が行方不明になり調査は一時中断となった。


 数日後、波多野の頭部と思わしきものが県内の川から見つかった。

 

 犯人を頭黒森組と絞った有栖は頭黒森組の構成員を二名、ドライバーを持っていたとしてピッキング防止法で強引に逮捕。


 しかし有力な情報は得られず、犯人の逮捕には至らなかった。


 その後、署内で捜査の中止が命じられるが、有栖は独断で捜査を続行。

半年で、八件の殺人事件、三十件の強盗事件を解決しつつの捜査だったため、誰も口出しはできなかった。

その執念はすさまじく、その半年間、誰も寝たり、食事を口にしているところを見てないほどだ。


 だが犯人は見つかることなく、さすがの有栖も諦めたようだった。


 しかし、配属されてすぐにその執念を見せつけられた松野は警察としての精神を叩きこまれた気がした。



 二人は現在、七月十四日に穀京市東地区で起きた殺人事件を捜査している。

松野が有栖から命じられて調べていたのは,被害者男性マハルジャクリシュナの経歴だ。


 松野は資料を取り出して、言う。


「マハルジャクリシュナ、年齢は三十五歳。二十六歳のころに日本に来日、県内の工場に就職するが金銭トラブルを起こして二年後に退職。このころから穀京市の盛り場に顔を出すようになったそうです。そこで暴力団員と交流を持つようになり、入団しました」


「頭黒森か?黒曜か?」


「頭黒森組です」


 頭黒森組は構成員十人程度の弱小団体だが、関東に多く勢力を持ち日本有数の暴力団である金糸会の三次団体である。


 金糸会は最近、急速に勢力を伸ばしており、非常に血気盛んで各地で抗争を起こしているため、その三次団体である頭黒森組も、警察から警戒されている。

もともと県内で強い力を持っていた黒曜会と後発組の頭黒森は敵対関係にあった。

この二組は何年も前から、何度も抗争を起こしている。


「お前の見解は?」


 また見解か、と松野は思う。この有栖の口癖を松野はテストと呼んでいた。

こうやって見解を求められているときは大体、彼女の中で欲しい答えは決まっていて、それが分からない人間は無能の烙印を押されるのだと松野は考えていた。

松野が彼女と行動を共にするようになってからは、常に事件の情報を漁り、睡眠不足の日々を送っていた。


 だが松野は苦では無かった、むしろ捜査線上にヤクザの名前が挙がり高揚していた。

というのも、この署に配属されてからスリ、喧嘩や痴漢などの捜査ばかりを扱っていたからだ。

それも大事な仕事だと自覚はしていたが、人を殺めるような外道をこの手で捕まえてやりたいという気持ちが日々増していた。

 犯罪件数が国内上位である穀京市内において、殺人の捜査は有栖などのやり手だけが受け持つことのできる案件だった。


「マハルジャクリシュナは頭黒森組の構成員でしたが、一年前に脱会しています。その後に先日、伺ったダーマカレーで働くようになったようです。僕は目的があってその場所で働いていたんだと思います。ダーマカレーの隣に穀京銀行がありました。穀京銀行は黒曜会に何年にも渡って融資を続けていたことが問題になっていたかと思います。厳しい財政状況の黒曜会にとって穀京銀行は大切な資金源であったはずです。融資は捜査が入って廃止されたはずですが、もし、それが何らかの方法で現在も行われていたら、黒曜会の資金源を潰したい頭黒森組にとっては目の上のこぶなはずです。ですから、監視とプレッシャーの意味を込めて、頭黒森組の元構成員をダーマカレーで働かせていたのではないでしょうか?それが黒曜会にバレて報復として殺されたのかと」


「憶測もいいが、証拠はあるのか?」と言った有栖の鋭い視線に松野はおもわず目をそらす。


「証拠は……いま調査中です」


 有栖は「そうか」とだけ言った。その言葉には不合格、という意味合いが含まれている。


「まず、銀行が黒曜会に融資していたという件。これについては、半年前に自殺した、佐田という男が怪しい。彼は穀京の行員だった。睡眠薬の過剰摂取による自殺とされているが、彼に通院歴や購入歴はなく、不明点が多い」


 松野は返す言葉もなく、ただ話を聞いていた。有栖は話を続ける。


「次は、頭黒森とガイシャの関係について、ガイシャの口座はみたか?」と有栖が聞く。


「いえ、暴力団を抜けて間もない彼は口座を作れなかったはずです」


「銀行口座じゃない、仮想通貨の口座に一年前から定期的な送金があったんだよ。送金元は不明だがカタギではないだろうな」


「それは……見落としてました」


「ガイシャと頭黒森が繋がっていたのは、私もそう思う。頭黒森はわざわざ監視までさせて、もっと大きな目的があったはずだ」


「……なんでしょうか」


 松野は銀行を襲撃でもするのではないかと考えたが、ありえないと思ったので口にはしなかった。



 その時、署内が騒がしくなっていることに気付いた。


「あ、有栖さん、大変です!」と事務員が有栖の元に飛んできた。


「どうした?」と有栖が経理に聞くと「ど、どうやら、何者かが自首しにきたようです、犯人は人を殺した、と言っています」と慌てて言う。


 それを聞いた有栖の眼が鬼のように鋭くなった。



――どういう目的だ?と有栖が取調室で聞く。


 対する男はひどく狼狽していた。


「た、助けてくれよ、俺は殺される!助けてくれ!」


「おい、落ち着けよ」


「早く助けてくれよ!」


「落ち着け!」


 話を聞かない男に対して有栖は椅子を蹴って威圧した。

それに怯えた男が落ち着きを見せたのを確認して「何故?」と続けた。


「殺したからだ!頭黒森の犬を」


「犬とは、マハルジャクリシュナのことか?」


「そうだ、その外人だ。俺が殺した。包丁で胸を刺したんだ!言ったから保護してくれるな?」


「たしかに死因は一致する。お前が犯人だとして、保護しろなんてあまりに都合のいい話じゃないか?お前は人を殺した」


「俺だってやりたくてやったんじゃないんだ!借金がかさんでどうにもこうにも首が回らなくなって……それでいい仕事があるって誘われて……俺には体を悪くした母ちゃんがいるんだよ!だから黒曜の知り合いと、その外人を殺したら借金をチャラにするって約束したんだ。

で約束を果たしたら、そしたら……そしたら、バケモノがやってきて母ちゃんを殺したんだ。その次は黒曜の奴も殺されちまった!次は俺だ!」


「落ち着け、まずは名前を名乗れよ」


「水橋だ、水橋マサトだ、助けてくれ!」


 有栖は水橋の名前をメモに書き取り、彼から母親の遺体の場所を聞き出した。署から車ですぐに着くところだったので松野に確かめに行くように命じた。


 時間と共に落ち着きを取り戻した男は、彼がバケモノと呼んだ者の恐ろしさを説明して、自身の保護を訴える。


「あいつは、見た目こそは人間だが、中身は獣だった。俺の家に突然やって来て、母ちゃんの首を小枝でも折るように折りやがった、俺は必死の思いで黒曜の知り合いのところに逃げたんだが、そいつもあっけなく、やられちまった。銃でそいつの背中を撃ち、動けないそいつの脚を引きちぎって笑ってやがったんだ。俺はそんな風に死にたくない。だから自首しに来た」


「一つ腑に落ちないことがある。なぜおまえは逃げきれた?相手は銃を持っていたんだろ?」


「それは、俺の日ごろの行いがいいからか?」


「アホか、どの面下げて。怪我は?」


「どこも無い、そういえば撃たれてもいない」


「だったら、お前を殺す気は無かったようだな。その男の風体は?」


「変な髪形に、輩みたいな服をしていた。そこら辺のチンピラだよ」


「変な髪形とは?具体的に?」


「まず日本では見ないような、ごぼうが頭から生えてるみたいな髪型だよ」


 ドレッドヘアのことだろうか、と有栖は思ったが、まともに相手にするのがバカバカしくなって無視した。


 有栖の電話が鳴った。


「はい有栖」と彼女が出ると、興奮した松野の声が聞こえた。


――松野です。彼の家に着きましたが、中に入って見つかりました、遺体です、老年の女性の。


「分かった、署に連絡して応援を呼べ。黒曜会の方も当たれ」と電話を切る。


 有栖は考えていた。

そのバケモノとやらなら、この程度の男、容易く殺められたはずだ。ではこの水橋が生かされている意図はいったんなんだ?

この男は頭も回らないし、その場を嘘で切り抜けるような人間ではないだろうから、自白内容は真実だろう。

だからこそ、取るに足らないと思われて放置されているという可能性もあるが、彼の言う犯人の嗜虐的な犯行を見ると、そういう思想にはならなそうだ。


 水橋は黒曜会からの依頼で、元頭黒森組の被害者を殺害した。暴力団同士の抗争なのは間違いない。

ただ、それにしては黒曜会の動きが少ないことが気になっていた。黒曜会は景気の悪化の影響で著しく弱体化していた。これ以上、抗争できるほどの体力があるとは思えない。

 一方の頭黒森組は県内で着々と勢力を伸ばしている。


何か予想ができないことが起こりそうな気がする。


有栖の勘がそう伝えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る