第2話


いきなり現れた、美形の男が言う事を要約すると、つまりはこういう話らしい。

人間は生まれてから死ぬまで、様々な「行い」をする。

それは「善行」と「悪行」に分けられるのだが、それらを十年に一度、査定するらしい。

どういうことか。

例えば、仮に十年の間で、100の良い事と、2の悪い事をした人間がいるとする。

それらを単純に相殺すると、「プラス98」の人間となる。

実際は「行い」は数値で表す訳でもないと言うし、そこまで簡単な話ではないようだが。極限までざっくりと例えると、そうなる。らしい。

では、そのプラス98という数値をどうするか、というと「換金」してもいいし「持ち越し」しても良いという。

換金すると、数値に比例して、何か自分の人生において、喜ばしい事が起こる。

持ち越すと、これから先の十年間、仮に悪行ばかり働いていても、「98」までならチャラだという。

では、数値がマイナスであった場合はどうか。

基本的には、全てひっくり返せばいい。

換金すれば悪い事が起こるし、持ち越せば、これから先の十年間、良い事ばかりしても、借金を返しているようなものだと言うことだ。

人間は十年ごとに査定される。例外は、人生を終えた時にされる「最終査定」

死んだ人間が、いわゆる天国に行くのか、地獄に行くのかを決めるものらしい。

人生を総計し、プラスであれば天国、マイナスであれば地獄。こんなに分かりやすい話はない。

査定が終わると、人間は夢から覚める。

きれいさっぱり査定に関する記憶は消える。

そして、これから俺は、それをされる。

その為に、俺は今、ここにいる。

天界の端。

男は、この場所をそう呼んだ。


男が戯れに「斉藤裕一」を読んでいる。

ほう。

息とも声ともつかない音を、形の良い唇から漏らす。

「貴方、お婆様の教えに、強い疑いをお持ちで?」

分厚い書籍には、人間の思考まで記されているらしい。

そっぽを向いてやる。だから、どうした。

男はしばらく、眉を寄せて、何かを考えていたようだが

「まぁ、どうせ起きたら覚えてないから、良いでしょう」と言った。

本当は極秘なのですが、とイタズラっぽく笑う。

「ご老人は若者に、口を酸っぱくして言います。正直でありなさい。お母さんの言うことを聞きなさい。先生に従いなさい。人を傷つけることは、してはいけません」

何が言いたいのか。俺の怪訝な視線に気付いたのだろう。男は肩をすくめる。

「何故だと思いますか?」

何故、老人は若者に、正しくあれ、と言うのか。

知るか。知ってたまるか。

「ご老人は、査定の事を知っているのです」

自分の表情が強張るのが分かった。

「言い方を変えましょう。先程、査定の記憶は夢から覚めると消えてなくなる、そう申し上げましたが」

何がそんなに楽しいのか、今にも踊り出しそうなほど、にこやかな男。

「七回目の査定の際は、特別に記憶を持ち帰って頂いているのです」

つまり、七十歳を迎えた老人は、知っている。

このシステムの全貌を。

知っているから、若者に助言する。

正しくあれ。悪いことをするな。と。

「なら、回りくどいこと言わずに、全部教えてくれれば」いいのに。そう続けようとして、気付く。

人間が査定される。プラス。マイナス。

善行。悪行。天界の端で。生意気な男に。

そんな話をして、果たして、目の前の若者は信じるだろうか。

信じない。それどころか、ボケ老人の妄言だと笑うだろう。

「だから」

だから、言うのか。

何度も、何度も。

正しくあれ。そうすれば、きっと良いことがある。

俺は、正に今、死の縁にいるかもしれない祖母の顔を思い出した。


「さて」

そろそろ始めましょう。そう言いたげな男。

「今宵、斉藤裕一の二回目の査定をさせて頂きます。担当の、B35番エンマです」

エンマ。

小さく、口に出してみた。

確かに、どこかで聞いたことのある名だ。

「ちなみに、貴方が死ぬまで担当させて頂きますので」

死ぬまで。という言葉に違和感がある。

死んだ後にも一度、最終査定があるはずだ。

「あの」

つい、聞いてみたくなった。

目をぱちぱちさせながらも、男は俺の言葉を待っている。

「最終査定をするのは」

B35番エンマと名乗る男は、大袈裟に飛び退いた。

「気付きましたか。たまにいるんですよ、察しの良い人。そうなんです。人間の最終査定をするのは、かの有名な」大きく息を吸って

「閻魔大王様なのです!」叫ぶように言い放った。

男の声は、高らかに、何度もこだまして、虚空に響いた。

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