子供だからじゃない!

逢雲千生

子供だからじゃない!


 私は男が大嫌いだ。


 触られるのも嫌だけれど、見るのも嫌だ。


 それなのに、どうして私はここにいるんだろうと考えてしまう。


 なんで私は、こうなったんだろうと。




 私が生まれたのは、ごく普通のサラリーマンの家だ。


 両親は会社勤めの共働きで、私は一人っ子。


 核家族の典型的な我が家は、いつも私が家に帰ってくることで明かりがつく。


 休日になると、両親は私を好きなところに連れて行ってくれたし、忙しくてもご飯は必ず作ってくれていた。


 私も洗濯を手伝ったり、宿題や勉強を頑張ったりしていて、普通の家族だったと思う。


 普通の小学生だったんだと思う。


 だけど私は、小学校が一番嫌いだった。


 だい君が大嫌いだった。



 

 大一君は私の同級生で、六年間同じクラスだった。


 保育園の頃から一緒だったけれど、その頃から大嫌いだった。


「おい、


 これが合図で、私は人気のないところに連れて行かれる。


 そこで私は、胸や足を触られるのだ。


 服の上からだったけれど、彼は少しだけ息を荒くする。


 私はひたすら耐えて、耐えて、耐えて、泣きそうになりながら別のことを考えていた。


 今日の晩ご飯は何かな、とか、お父さんは早く帰ってきてくれるかな、とか、とにかく楽しいことを考えるのだ。


 少しすると、彼はどこかへ行ってしまう。


 私は彼に言われたとおり、少し経ってから教室に戻る。


 それから何事もなく家に帰るのだけれど、このことは誰にも秘密だった。


 大一君は優等生で、クラスのリーダー。


 私は大人しくて目立たない、クラスで影の薄い子。


 私が何を言ったって、きっと誰も信じてくれないだろう。


 殴られるわけじゃないし、いじめられるわけじゃない。


 我慢すればいいんだと、私は耐えていた。




 けれどある日、いつも通り彼に呼び出されると、そこには数人のクラスメイトがいた。


 彼らは私を見て、ニヤリと笑ったのだ。


 嫌な予感がして、逃げようとしたけれど、大一君に引っ張られてしまった。


 クラスの一人に、もう片方の腕を引っ張られると、他の人達も私を触ってきたのだ。


 いつもより怖くて、気持ち悪くて、今にも吐きそうだった。


 でも、吐いたら何をされるかわからなかったから、目を閉じて踏ん張った。


 終われば大丈夫だと思っていたけれど、その日はいつもと違っていた。


 誰かの手が、私の足の間に入ったからだ。


 また誰かの手は、服の間から入ってくる。


 だんだんと私の肌を撫で始めた手に、私は恐怖を感じた。


「やめ……やめて……」


 なんとかそう言うと、大一君が私を睨む。


「黙ってろ」


 そう言って、彼は私のスカートに手を入れてきた。


 彼らは私の大事なところを触りだし、私はその意味を理解した。


 これは、保健体育で習ったことをする気だ、と。


 急に恐怖が爆発し、私は悲鳴を上げた。


 驚く彼らの後ろで、窓越しに先生の一人が見えた。


 悲鳴を上げ続ける私に、誰かの手が触れる。


 それを振り払って暴れると、数人の手が私を押さえ込もうと伸びてくる。


 怖くて怖くて泣き出すと、手はさらに強く掴んできた。


 パニックになった私は「やめて!」と叫び、そのまま気を失ってしまった。




 気がつくと、私は病院のベッドにいた。


 お母さんが泣いていて、私と目が合うと、声を上げてさらに泣き出した。


 看護師さんが来てくれて、「もう大丈夫だからね」と言ってくれたけれど、彼女の方が辛そうだった。


 私は気絶してから病院に運び込まれ、連絡を受けた両親が駆けつけると、先生が数人と大一君達がすでにいたらしい。


 詳しいことは教えてもらえなかったけれど、どうやら私と大一君達の様子から、先生達はいじめを疑ったらしいのだ。


 大一君達は、私に呼び出されてひどいことを言われたと嘘をつき、先生達はソレを信じた。


 私は先生達から「なんで大一君達にひどいことを言ったの?」と聞かれたけれど、答えられるわけがない。


 けれど、本当のことは言えなかった。


 恥ずかしいとか、怖いとかよりも、「それはあなたが悪いんでしょ」って否定されそうだったから。


 私以外にも、男の子に体を触られた子はいた。


 その子達の中には、正直に先生や大人に相談したらしいけど、みんな泣いて黙りこむようになった。


 他の子達は「怒られたんだって」と言っていたけれど、きっとそうじゃない。


 だって大人は、いつだって男に甘いんだから。




 おじいちゃん達だって、親戚達だって、男のいとこには甘いのに、女の私達には厳しかった。


 一言目には「女のくせに」、二言目には「女なんだから」、三言目には「女のくせに」。


 女、女、女。


 女だから何だというのだろう。


 男が女の体を触っても、冗談で誤魔化されるのに、女が恋の話をすると、はしたないと言われる。


 女が元気に遊んでいると、「これだから最近の女は」と愚痴られる。


 先生達だってそうだ。


 女の子が男の子を怒ると、「女の子なんだから」と言うのに、男の子が女の子を叩いても、「元気な証拠だ」とか「あなたと仲良くなりたいからよ」と言う。


 私もそうだ。


 私がどれだけ「嫌なことをされました」と言っても、先生達は「それはね、真奈実ちゃんのことが好きだからよ」とか、「男の子はね、好きな子をいじめたくなっちゃうのよ」と言っていた。


 気絶した私の様子を見て、そんなことはありえないと両親は怒ってくれたけれど、けっきょく私が悪いということで話が終わり、私だけが謝ることになった。


 その時に見た大一君の顔は、何度でも思い出すくらい怖かった。


 それから私は、大一君達にいじめられるのが怖くて学校を休んだ。


 また同じことをされるかもしれないという恐怖もあって、ドクターストップがかかったからだ。


 卒業までは自宅で過ごし、中学校は地元から遠い場所を選んだ。


 共学だった中学校では、男の子に極力近づかないようにして、高校は女子校に進学し、大学も女子大で、就職先も女性ばかりのところに入ることができた。


 親戚達からはいろいろ言われたけれど、私は女性だけの会社がとても気に入っている。


 早く結婚しろとも言われたけれど、結婚なんてするはずがない。


 このまま一人で生きて、余裕があれば養子でも……と考えていた頃、私は一人の男性と出会ったのだ。




 彼はみのるといい、取引先の営業マンだった。


 明るくて陽気で、いかにもモテそうな人だったけれど、誰よりも仕事を真面目にこなす人だった。


 最初こそ警戒していたけれど、彼は私が男嫌いだと理解してくれて、必要以上に近寄らず、会話も最低限にしてくれて、目を合わせなくても怒らなかった。


 仕事上の付き合いだったのに、いつしか彼を見られるようになって、私は彼と目を合わせることができるようになった。


 それは、大きな一歩だった。


 少しずつ、少しずつ歩み寄れるようになり、私はいつしか彼を気にかけるようになった。


 今まで感じたことのない感情に振り回されたけれど、仕事仲間に、コレがなんなのか気づかせてもらい、私はやっとわかったのだ。


 私は、彼に恋をしたのだ。


 それから数年、彼との距離を縮め続け、私達は付き合うことになった。


 それから数年、私達は結婚することになった。


 十年以上かかったけれど、結婚の報告を両親にした時、二人とも泣いて喜んでくれた。


 親戚達は相変わらずうるさかったけれど、私はやっと幸せだと思えるようになれたのだ。


 結婚式の招待状を送った後で、小学校時代の友人から連絡が来た。


 彼女とはずっと、時候の挨拶としてハガキを送り合うだけで、番号だけはお互いに知っていたのに、電話で話したのは、この時が初めてだった。


 お互いに近況を伝え合うと、彼女はすでに結婚していて、二人の子供がいるらしい。


 電話口から小さい子供の声が聞こえてきて、思わず微笑んでしまった。


 小学校の同学年達はバラバラになったけれど、何人かは地元に残っていて、独身の人もいるのだという。


 その中には大一君もいて、彼の話を友人がしてくれた。


 怖かったけれども聞いてみると、意外なことがあったとわかった。


『大一君ね、あれから中学校でも同じことをしてたのよ。あなたにやったことと同じことを。それで、一人の女の子が親に話したらしくて、大事になったんだって。しばらく停学になったの。だけど噂が広まって、後ろ指さされて転校したらしいんだ』


 私が彼と別の中学校に進学して、ようやく笑えるようになっていた頃、大一君はクラスメイトの女の子の体を触り、停学処分を受けたそうだ。


 しかし、思春期の生徒達の噂は瞬く間に広まり、当人達とその親だけの話し合いで終わるはずが、全校生徒の親たちまで出てくる騒ぎに発展し、学校側は彼を転校させることに決めたそうなのだ。


 高校生であれば退学処分だったんだろうけど、中学生だったということで、遠くの学校に転校するだけで終わったらしい。


 高校はこちらの学校にして戻ってきたそうだが、変わっておらず、勉強や部活よりも女の子と遊び回ることを優先し、そのまま留年したらしいのだ。


 二回も留年したらしく、なんとか卒業できたものの、就職も進学も出来ず、今は実家の店を手伝っているのだという。


 彼女は何度もできたらしいが、結婚にはいたらず、影であれこれと噂され続けているのだとか。


『私はざまあみろって思うけど、真奈実のことを考えると、あなたは帰ってこれないのに、あいつがこの町にいるのが悔しくて悔しくて……』


 友人は涙ぐんだのだろう。


 鼻をすする音をさせながら、他の人達の話もしてくれた。


 電話を終えてからも、友人の涙声が忘れられず、その晩は眠ることができなかった。




 私は中学校に上がってから、一度もあの町の実家に帰っていない。


 両親が別の町に引っ越すまで、遠縁の家にお世話になりながら中学校に通っていて、両親と暮らすようになってからは、祖父母達にも会っていなかった。


 両親は、私が祖父母達に何を言われるのか、わかっていたのだろう。


 会いに来いという電話を無視して、家に押しかけてくる親戚達の話も上手にかわしてくれていたけれど、すごくつらかったと思う。


 仕事場は変わっていなかったし、毎日二時間以上かけて通勤していたから、相当無理をしていたんだと思う。


 休日は寝てばかりで、家族の会話は減っていたし、一緒にいる時間も減っていたから。


 だけど私は、それでも良かった。


 あんな町に帰るくらいなら、理解してくれない人達と会うくらいなら、これくらいの寂しさは我慢できたからだ。


 大一君がどうなろうと、他の男の子達がどうなろうと、私はもう聞くつもりはない。


 今度こそ、私は幸せになるのだから。




 バージンロードを歩くために、扉の前に立つ。


 お父さんが心配そうにするけれど、私はその腕をつかみ、エスコートを頼んだ。


 泣きそうになるお父さんに笑いかけ、まっすぐに前を向く。


 開かれる扉の先には、親しい友人とお世話になった人達、そして階段の上に立つ彼がいた。


 お父さんと共に歩くバージンロードは、踏みしめるたびに押し出されるようだ。


 早く早くとかすように、私の体を進ませる。


 お父さんの腕を離れ、伸ばされた彼の手を見ると、突然に大一君の顔を思い出した。


 病院で見せた、あの怖い顔。


 よくも話したな、よくもやってくれたな、という怒った顔。


 そして私を見る、欲がまじった不快な顔。


 ためらった私の手を、彼はそっと握ってくれた。


「行こう」


 壇上から降りた彼は、優しい目で微笑み、私の手を引いてくれた。


 一歩一歩、私に合わせて階段をのぼる彼。


 大きな窓越しに差し込む陽光が、大一君の顔を薄れさせていく。


 階段をのぼりきり、彼と向き合うと、そこにはもう彼しかいなかった。


「病めるときも健やかなるときも……」


 誓いの言葉を交わすその時も、彼は優しい目をして微笑んでいる。


「誓います」


 その言葉一つで、私は救われた気がした。




 人が人を触るという行為は、時に「触り合いっこ」と言われることがあります。


 これはある程度の年齢になると、「子供が何をやってるの!」と大騒ぎされますが、それより小さな子供になると、「子供がすることだから」「あなたのことが好きだからしたのよ」などと言われてしまいます。


 子供がやることだからと、大人は軽く見てしまいがちですが、本人達はどうでしょうか。


 やってしまった側は、「これって、やってもいいことなんだ」と思ってしまうかもしれません。


 やられた側は、「そういうものなのかなあ……」と受け入れてしまうかもしれません。


 子供だから、まだ小さいからといっても、嫌なものは嫌なんです。


 やってはいけないことは、やったら駄目なんです。


 そのうちわかるでしょうと考えてはいませんか?


 何も言わないから大丈夫、そう思ってはいませんか?


 男であっても女であっても、生まれた時から性はあります。


 それを否定されてしまえば、子供は口を閉ざしてしまうものです。


 自分がこうだったから、周りがこうだったからと、聞き流してはいませんか?


 子供の声を無視しないであげてください。


 たった一度のチャンスから逃げないでください。


 嫌なものは嫌なんです。










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