第2話 未来から過去への手紙

 数時間前まで、天空の島にいたのが嘘のように長閑な風景が広がっていた。

 道端に生い茂る木々、長い時間をかけて磨り減った不揃いの石畳、その向こうには木造の平屋が立ち並んでいる。すれ違う人たちが纏うのは、アルドが身に着けているのと同じ麻や木綿で編まれた服だ。


 アルドたちは、次元の狭間を経由して、AD300のバルキオー村を歩いていた。

 800年前の地上は、天空よりもどこかのんびりと時間が流れているように見えた。


 アルドにとっては、見知った土地だ、知人を何人か当たると、目当ての人物の情報はすぐに手に入った。


 ソルマという女性は、村の外れに一人で住んでいるという。

 かつては村の子供たちや警護団に魔法を教えていた魔導士だったらしい。だが、今は病を患って療養しているそうだ。少なくともアルドが警護団にいた時には、その名前を耳にすることはなかった。


「なんていって渡せばいいんだろう。まさか、800年後の未来で合成人間に頼まれた、なんていっても笑われるだけだからな」


「普通に拾ったっていえばいいんじゃない?」


「コノ村の人タチの寛容サは、目を見張ルものがアリマス。ワタシのコトモ、ワリとスグニ受け入れラレマシタ。きっと、正直に話シテモ問題はないと推測シマス!」


「いや、すんなり受け入れたのはうちのじいちゃんだけだろ。さっきから、すっげぇみんなに見られてるぞ」


 そんな話をしているうちに、目当ての家に到着する。

 村の他の家々と同じような木造の平屋だった。ただ、すべてのカーテンが閉じられ、どこか訪れるものを拒絶しているような雰囲気がある。

 アルドが、どう説明しようか迷いながらドアをノックしようとした時だった。


「おい、お前ら、なにしてる!」


 後ろから、怒気を孕んだ声が聞こえてくる。

 振り向くと、三十代くらいの強面の男が立っていた。男は、主にリィカを睨みつけながら、今にも殴りかかってきそうな勢いで続けた。


「奇妙な恰好をしやがって、怪しいやつらだっ! ソルマ先生にいったいなんの用だ! 場合によっちゃあ、俺が相手をしてやる!」


「……寛容さがどこにあんだよ」


 アルドはそう呟きながら、男の目の前に歩み出る。


「待ってくれ。俺たちは怪しいやつじゃない」


「ん? お前はたしか、村長のところの」


「警備団のアルドだ。こっちは仲間のエイミとリィカ」


 深い付き合いがあったわけではないが、狭い村だ。お互い顔には見覚えがあった。口髭の男は、アルドを認めて警戒を緩めたようだった。


「……疑ってすまない。俺は、グリオス。ソルマ先生の弟子の一人だ。いったいソルマ先生になんの用だ? 先生は今、重い病気で床に臥せっている。要件なら俺が聞いておこう」


「ソルマさん宛のメッセージボールを届けにきた。クレーゼルって人からだ」


「クレーゼル、だと」


 名前を聞いた途端、再び男の顔が険しくなる。


「それをどこで受け取った。クレーゼル本人からもらったのか?」


「……それが、よくわからないんだ。俺たちも、旅の途中でよく知らない相手から無理やり頼まれたんだ。俺がバルキオー村の出身だって話したら、村に戻った時に、ついでにソルマさんに渡してくれって」


 アルドは咄嗟に考えた説明を口にしながら、バックから銀色の球体を取り出す。


「っ! こいつは確かに、ソルマ先生が魔力を込めたメッセージボールじゃねぇか」


「なにか、事情があるのか?」


「……クレーゼルは、ソルマ先生の一人息子だ。俺にとっては弟弟子でもあった。俺と違って、優秀な魔導士だったよ」


 グリオスはどこまで話すか迷うような口ぶりで、事情を教えてくれた。


「三年前、得意の魔法で一旗揚げるといって王都に旅立っていった。だが、あいつが旅立ってから二日後だ。あいつが同行を頼んでいたキャラバン隊が、ギロアナって魔獣に襲われたって知らせが届いた」


「それって、あの……街道が封鎖された事件か?」


「あぁ、あれに巻き込まれたんだよ」


 三年前、各地を旅するキャラバン隊がバルキオー村に立ち寄った。商人や大道芸人、傭兵も含めて五十人近くの大所帯だった。

 長閑な村がその時ばかりはお祭り騒ぎだったのを、アルドはよく覚えていた。


 キャラバン隊は数日滞在してから、王都ユニガンへと旅立っていった。

 こんなに安全に旅ができる機会はないと、バルキオー村からも数名が同行して王都へと向かった。


 だが、キャラバン隊は突如現れた魔獣に襲われ、壊滅した。

 重症を負いながら村に戻ってきた生存者の話によると、ほぼ全員が魔獣の餌食になったという。


 生存者の話から、ギロアナという魔獣であることがわかった。

 大陸北部のノーマンズランドに生息している、この辺りでは出没するはずのない凶悪な魔獣だった。


 ギロアナ討伐のためにバルキオー村からは警護団の精鋭が向かったが、誰も帰って来なかった。その後、王宮からも兵士が派遣されたが結果は同じだった。


 やがて、ギロアナは街道の一部を根城にし、縄張りからは出てこないことがわかった。そのため、それまで使われていた街道を封鎖し、王都との間に新たに往来路を作るという対策が取られた。


 それ以来、周辺ではギロアナによる被害が出ていない。時折、土地勘のなき旅人が旧街道に迷い込み、消息不明になったという噂が流れる程度だった。


 バルキオー村の出身なら誰もが知る惨劇。

 だが、アルドにとってはそれだけではなかった。惨劇で失われた命の中には、アルドの大切な人も含まれていた。


「……じゃあ、クレーゼルは、もう」


「魔獣の襲撃に巻き込まれたんだ、そして今までなんの便りもない。それだけで……わかるだろ。だけど、先生は、自分の目で亡骸を確かめるまでは信じないと言い張ってる。あいつはどこかで生きてるはずだって。そう信じないと……やってけなかったんだろうな」


「なら、こいつは誰からのメッセージボールなんだ?」


「俺が知りたいのはそこだ。もしクレーゼルが生きてて、それがクレーゼルからのメッセージボールなら、こんなめでたいことはねぇ。だが、それがふざけた悪戯や、悪い知らせだったら――そんなものを、重病の先生に聞かせるわけにはいかない。中身は、聞いたのか?」


「聞くわけないだろ。それに、このメッセージボールは、合い言葉がないと確かめられないんだ」


「……そうか。合い言葉がいるのか。まいったな」


 次の瞬間、勝手に入口のドアが開いた。

 いや、中から魔法で開けられたらしい。


「グリオス、客人を中に入れておくれ。話はぜんぶ、聞いていたよ」


 部屋の中から聞こえてきたのは、小さいけれど強い意志を感じさせる声音だった。

 アルドが視線で問いかける。グリオスは、しまった、という顔をしながら、こうなったら仕方ないというように頷く。


 アルドたちが中に入ると、声の主は窓辺に置かれたベッドに、体を起こした状態で座っていた。


「息子がいつ帰って来てもすぐにわかるように、ずっと聴力を強化する術を使っているのさ。おかげで、この家の周りの会話は筒抜けさ。まぁ、この三年ではじめて役に立ったけどね」


 そう言って、ソルマは悪戯っぽく笑う。

 白髪の女性だった。まだ現役を退く年齢ではないようだったが、体が痩せ細っておりかなり重い病気であることがわかる。おそらく、死を傍らに感じるくらいの状態だろう。


 だが、その目は鋭い光を灯しており、凛とした空気が全身を覆っていた。

 部屋の壁はすべて本棚で、びっしりと魔導書が収まっている。それだけでも、優れた魔導士であったことがわかる。


「申し訳ありません、先生。勝手な真似をしました」


 グリオスが言うのを「謝ることじゃないよ、あんたなりに気を遣ってくれたんだ」と笑い飛ばしてから、ソルマはアルドに視線を向ける。


「さて、わざわざメッセージボールを届けにきてくれたんだってね、ありがとう。おや、あんたたち、ずいぶんと遠いところから来たんだね」


 ソルマはそう言うと、なにかを見透かしたように笑う。もしかしたら、彼女に備わった魔法でなにかを見たのかもしれない。


「これが、そうだ。ただ、俺たちはこれを息子さん本人から受け取ったわけじゃないし、どんな内容かもわからない。外の会話が聞こえてたんなら、いちいち言わなくてもわかってるか。合い言葉に、心当たりはあるか?」


「あぁ、あるとも。あの子がいつも真似していた、あたしの口癖さ――“紅茶のミルクと優しさは忘れちゃいけない”」


 ソルマがそう呟いた瞬間だった。

 銀色の球体が、淡い光を放ち始める。

 そして、中に封じ込められていた言葉を音として再現しはじめた。


『母さん、連絡が遅くなってごめん。王都に向かう途中で魔獣に襲われてしばらく昏睡状態だったんだ。それで連絡がおそくなった。今はすっかり回復して、元気でやってるよ――』


 記録されていた音声と重なるように「……間違いないよ。クレーゼルの声だ」、ソルマがそう呟くのが聞こえた。


『それから、王宮で魔導士として働くことになったんだ。しばらく忙しくなるけど、落ち着いたら戻るからさ、それまで待っててくれ。とにかく俺は元気でやってる、心配しないで。母さんも、元気でいてください』


 そこで、音声が途切れ、球体が光を失う。

 しばらくソルマはなにも声を発さなかった。いや、出せなかったのだろう。

 その目からは、涙が溢れていた。


「私の愛しい子……よかった……生きてた……あたしは、信じてたよ。生きてたんだね。あんたは、元気でやってるんだね」


「よかったなぁ、先生。すまねぇ、俺はてっきり」


 隣では、グリオスも同じように涙を流している。


「ありがとうね、あんたたち。悪いけど、少し一人にしてくれないかい?」


 ソルマが愛おしそうにメッセージボールを見つめながら呟く。

 アルドたちは、すでに自分たちの役割が終わったことを悟っていた。余計な言葉は交わさず、そのまま部屋を出る。


「俺からも礼を言わせてもらうよ。あんなに嬉しそうな先生を久しぶりに見た。あんたたちが、今日、ここに来てくれたのは奇跡だ」


 外に出ると、グラハムが改めてアルドたちに向き直って言ってくる。


「奇跡なんて、大げさだな。俺たちはただ、メッセージを届けただけだろ」


「いや、奇跡だ。先生の病気は、もうずいぶん悪いんだ。医者には、生きてるのが不思議なくらいだと言われてる。たぶん、息子への想いが先生を生かしていたんだな。あんたたちが間に合ってくれて、よかった」


 グラハムと別れてからも、三人はしばらく無言で歩いていた。

 日がゆるやかに傾き始め、長閑な村がオレンジ色に染まっていく。並んで歩く三人の影が、石畳へと長く伸びていた。


「いきなり襲い掛かってきた合成兵士の頼み事なんて、あんまり気が進まなかったけど……引き受けて、よかったな」


 アルドが、ぽつりと呟く。

 その胸には、ソルマが流した涙が優しい記憶として刻まれていた。


「まぁ、ね」


 依頼を受けたことが不服そうだったエイミも、まんざらでもなさそうな表情で笑う。


「青目に、このことを伝えにいくの?」


「そうだな。でも、今日はもう遅いし、この村で休んでいかないか? 俺の家に案内するよ。リィカも、それで構わないか」


「ハイ! 善ハ急ガバ回レといいます、ノデ!」


 三人は軽い足取りで、アルドが育ったバルキオー村の村長宅へと向かった。

 けれど、アルドはささやかな達成感の隅で、何かを見落としている引っかかりのようなものを覚えていた。



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