第8話 優しさは隠すもの
「……ん、あれ?」
目を覚ますと、僕は見慣れない場所にいた。健康診断でしか来ないから記憶が曖昧だけど、多分保健室だと思う。
確か、教室で
必死に記憶をたどっていると、ガラッと扉が開いて紅葉が入ってきた。
「あら、起きたのね」
「ああ。俺、どれくらい寝てた?」
「1時間くらいかしら、私のせいでごめんなさい」
「大丈夫」と答えてベッドから足を下ろすと、彼女が何かを差し出してくれた。学校の自販機で売ってるホットココアだ。
俺はそれを受け取ると、口をつけて「あちっ」となってから、ふーふーと覚ましてようやく喉を通した。
「……そうだ、紅葉にパンチされたんだっけ」
甘さと温かさでようやく頭が回り始めたらしい。倒れる前の記憶が思い出せるようになってきた。
でも、曖昧な箇所が一つだけ残っている。
「そう言えば、どうして殴られたんだ?」
「…………」
「何か悪いことをしたんだよな?謝らせてくれ」
「いいわよ、別に」
紅葉はそう言って俺の手から空になった缶を取ると、保健室の角にあったゴミ箱へと捨てた。
表情は普段通りなのに、何故か彼女から暗いものを感じる。どことなく、その話はするなと言われているような気がした。
「紅葉がいいならいいんだけど……後から文句言うなよ?」
「……言えるわけないでしょ」
「ん?何か言ったか?」
「なんでもないわ。約束する、絶対に言わないって」
「それならよかった」
本人がそう言うなら大丈夫なのだろう。この違和感も、きっと俺の勘違いだろうし。
「もう歩ける?暗くなる前に帰った方がいいと思うの」
「いや、まだ頭がフラフラするみたいだ。先に帰ってくれてもいいぞ?」
「そんなこと聞いて、はいそうですかって帰れるわけないでしょ。肩貸してあげるから、一緒に帰るわよ」
そう言いながら、俺の腕を引っ張ってくれる紅葉。ココアを買いに行ったからか、少し手が冷たい。けれど、そんな様子に思わず「……優しいな」という言葉が零れた。
「そんなことないわよ」
「だって、いつ起きるか分からないのに、ずっと待っててくれたんだろ?」
「……それは
「俺はすぐに終わるって言われたから、あと少しだろうって待ってたんだ」
「私だって、もう少しで目覚めるかもと思ったから……」
紅葉はそこまで言うと、突然言葉を詰まらせた。それから、「や、やっぱりなんでもない!」と顔を背けると、引っ張る力をさらに強くする。
「痛い痛い!腕取れるから!」
「文句言うなら、取れてから言いなさいよ!」
「だから、取れたら手遅れなんですけど?!」
急なことで俺もされるがままに立ち上がり、カバンを持たされ出口へと向かわされる。
その時、ポケットに入っていたはずの財布がないことに気が付いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
よほど早く帰りたいのか、前へ前へと止まらない彼女の手をなんとか振りほどいて、おぼつかない足取りでベッドへと戻ると、どこかに落ちていないか周辺を探してみる。
すると、財布はベットの脇に落ちていた。寝ている間にポケットから出ちゃったんだな。
良かった……紅葉の本を買った時のレシートもここに入ってるんだ。記念に置いておこうと思ってたから。
「忘れ物?」
「ああ、もう見つかったから大丈夫だ」
そう答えて財布をカバンの中へとしまう。これでもう落としたりしないだろう。
しっかりとチャックを閉めてから、紅葉の元へと向かうべくと立ち上がろうとした時だった。ベッドの下に青いものが見えたのだ。
押し入れじゃないから、ドラ公はいるはずがないし、木の棒でも倒せる液体のモンスターでもないだろうし……。
「大丈夫?もしかして立ち上がれないんじゃ……」
「いや、大丈夫大丈夫!もう余裕で歩けるから!」
こちらに来ようとする紅葉に、俺は慌てて立ち上がって歩み寄る。
「そ、そう?ならいいんだけど……」
「さあ、帰ろう!今日の晩御飯はなんだろうなぁ♪」
「……やけにご機嫌ね?」
「そうか?ぐっすり眠ったおかげかもな!」
そう言いながら、彼女の背中を押して保健室をあとにする。
ベッドの下にあったもの。それは、水滴のついたバケツと湿ったタオルだった。
あの様子だと、つい最近使われた……というか、俺に使われたものだろう。紅葉の事だから、世話を焼いたことを隠したかったんだな。
それが照れから来るものなのか、それとも恩着せがましいと思われたくなかったからなのかは分からないけど、俺には知られたくないことであることは確かだった。
「紅葉、俺はずっとお前のファン1号だからな」
「……ええ、知ってるわ」
ありがとうの気持ちは、別の形で返すことにしようと決めた。
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